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.第一類

..青井サキの伝え

■ 理1・青井サキ・1

明治八年より信心を始めました。その時、年は二十三歳。(2)父平七は十年間のいざり病なり。その病のもとをたずぬれば、昔はころり(コレラ)という伝染病あり、その病に取りつかれて、すでに一命終わり、もはや葬式の場合において、また息吹き返ししが、今度はいざりになった。病気中いろいろ迷い、拝み手、ひねり手、まう(回る)。医者、神様も、頼まぬところとてはなし。どうしても足が立たぬ。
(3)母りよは、父の病を苦にして血癪の病となり、一年を八分まで床につき、いろいろいたしても効き目なし。医師は、「死なんとして死なれず、生きんとして生きられず、とても、しばかぶらねば(死なねば)どうにもならぬ、難儀なものじゃわい」と言うていた。(4)さてまた私は、十八歳の時婿をもらい、十九歳の時一人の男子を産み、その夫がなかなか道楽者なり。病人には金がいるし、夫はその通り。そのため、相当の身代はあったが、まるっきりなくなった。私はいかにもして両親を助けたし、夫とては頼りにならず、子がなければ、たとえこの身を苦界クガイへ沈めるとも、子として親を助けねば一分イチブン(面目)が立たぬと、よいということはあらん限りした。実に子供の時より二親の苦しみばかり見た。
(5)ある人のすすめにより、備前福泊フクドマリなる赤壁の金神(難波なみ)様へ参りました。右のわけをいっさい申して頼みました。そのばあさんの先生は、「此方の信心は、一心すれば治る。私の話を聞いて帰り、両親へ話をして二人が得心がいけば、おかげを頂く」と申しました。その時、私は「二人の病気が治ることなれば、どのような信心でもいたします」と申し、しばらくお参りいたしておりました。(6)帰りては二親に話をいたし、聞きては帰り、話をするうちに、長らくの病でぐちになりおる親も、しぜんと気分が穏やかになり、やれうれしや、おかげで穏やかになったと喜び、私は一心になりておりました。
(7)それより、その先生について大本社へお参りさしていただき、金光様へお取次してもらいました。すると、金光様は、
「どの神へでも、わが一心と思う神へすがりさえすれば助けてくださる。あの神へも頼み、この神へも頼みては、神の力関チカラセキ(力のおよぶ範囲)が知れぬわいの」
と申されました。(8)それを聞くより、私は「やれ、ありがたや。これまでどこへ行っても、このとおりの教えを聞かせてくだされた所はなし。金神のたてこみ、地が驚くから家の内に驚きがあるとばかり言うて、治ると言うてくだされた神はなし。治してくださる神様なれば、私は一命入れて助けねばおかぬ」と、これより力いっぱいに一心さしていただきました。
(9)ところが間もなく、父の十年間のいざりも、ぼつぼつと一人立ちができるようになり、母はよほど全快した。それより、二度目に大本社へお参りさしていただき、金光様に「私の夫がまことに道楽者で困ります」と申しあげました。すると、金光様が、
「一心さえすれば、どうなりとなるわいの。神の都合、おくり合わせがいただけるわいの」
と申されました。(10)ところが間もなく、夫の方よりやむをえず身をひかねばならぬ時期がきた。私は、これこそ神様のおくり合わせとうち喜び、夫と別れるのは今がご都合なり、おくり合わせなりと心を定め、一人の男の子を頼りと思い、夫と別れました。その時、私は二十四歳でありました。(11)また、お礼参りをさしていただきました。金光様に御礼を申しあげますと、
「丑の年(青井サキ)、親をもったる者はのう、大切にしときなされ。やれ痛くなったと言うて、枕もとへ物を積み重ねても、食えはせぬぞよ。常にねんごろにしとかんと、ぽっくり往生ということがあった時に心残りになるぞよ」
と申されました。(12)それを聞いて、私は「これまで親に不孝をしておったから、金光様が教えをくだされたに違いなし。されば、年老いたることゆえ、今より両親の好いたる物を食べさしてあげましょう」と、それより日々種々なる物をあげまして親を喜ばしていた。私は毎日四時に起きて、三年の間日参いたし、その間に二親ともすっかり全快いたしました。そして、大本社へは毎月、月参りさしていただきました。

■ 理1・青井サキ・2

明治十二年旧五月、田植えあがり(田植えじまいの休み)に九人連れにて大本社へお参りさしていただき、雨は何日ともなしに降り続きておりました。水江、片島の橋は、みな、水でつかっていました。二つ目の片島の橋を渡る時、人が大勢見物して、「あれは命知らずじゃわい」と騒いでおりました。「橋が危ない、危ない」と申しました。九人とも無事に渡りました。通るや否や、橋はばったり落ちました。見物人は、ときの声をあげたごとくであった。
(2)その九人の中に一人、たいへん立派な衣服を着ておる人があった。雨にぬらしたのをたいへん悔やんでおった。そして、大本社へ着き、お参りさしていただきました。すると、金光様が、
「このしけにお礼のできる氏子は、一心が届くわいの。また、神にお礼をするのに着物をいたわるようなことではいかぬわいのう。神にお礼をさしていただくたんびに、こうばつほ(新調の着物)を着て参るようなおかげをいただかねばならぬ」
と申されました。(3)私は恐れ入りました。「神様じゃ。お願いせんのにあのとおりにおっしゃってくださる。ありがたや」と恐れ入りました。道中にて連れが言うたことを、まるっきり知ってござる。実に恐れ入りました。
(4)そして、私は、心の内で、大水に子供と年寄りをおいて来ておることゆえ、わが家のことを心配しておりました。すると、金光様が、
「丑の年、十里が末へ来てのう、うちのことを心配しても、何にもならぬわいの。神様におくり合わせを願いておけば、心配はないわいのう」
と申されました。私は、まことに恐れ入りまして、安心してお願いいたしておりました。
(5)そして明くる日、帰りに金光様へ、「帰らしていただきます」とお願いいたしましたら、金光様が、
「らくじゃわいの。神にすがりて帰れば、さしつかえないわいの」
と申されました。(6)下向いたしまして、片島まで帰りました。橋は落ち、舟止めになり、巡査が出張りしておりました。九人のうち一人は少し遅れて出て、八人だけでありました。茶店で休んで、みなみなお願いをいたしますのに、だれのお願いにも「急げ、急げ」とのみ、お知らせあり。(7)茶店の主人を頼みしところ、当たり前では舟が出されぬから、その舟を出すのに、「水見舞いに行く舟である」と申して、出すことになりましたが、「金はどのくらいであります」と申しましたら、「十円でなければ行かぬ」と申しました。「それでは、まことに大したお金。われわれは、神様のおかげをいただかねばならぬつまらぬ者ゆえ、そこのところはなんとか辛抱してくれんか」と申し、主人がいろいろと骨を折り、わずか四円にて渡ることになりました。(8)そして、そこは無難に渡りました。それより、水江へ到着いたし、そこの渡しも主人が骨折り、みやすく、わずかの金にて渡りました。
(9)それより撫川辺へ来るとたいへんの水にて、太もも辺までつかるのを一人ずつ背セナをつかんで行き、庭瀬ばなへ来ると、はや、日は暮れるし家はなし、みなみな当惑して、いかがいたせばよからんと思案しておりましたところが、向こうの方より一そうの漁舟リョウブネが来た。「あなた方は金神参りのお方と見受ける。見れば年寄りの方もあるが、早くお乗りなされ」と申しました。(10)その時の八人の者のうれしさはどうでありましょうか。舟へ乗りて、みなみなまことに泣いて喜び、神様にお礼を申しました。その助けてくれた人の姓名をたずねました。平野の増治という人で、「撫川へ水用意(洪水時の必要品)を買いに行き、帰り道見れば、まことに年寄りたちがおらっしゃるからお乗せ申しました」と申し、その人が白石まで送りてくれました。
(11)それより水も少なくなり、道中無難にてわが家へ帰りました。八人の連中はそれぞれ教えのままに帰らしていただきまして、まことに恐れ入りました。そして、一人遅れた人は、明日になれば水が減ると思うて、一同と帰らなかったが、その後たいへんな水にて、一週間かかってようやく帰りました。われわれは教えのままにおかげをいただきまして、恐れ入りました。(12)わが家へ帰りてみれば、金光様の仰せのとおり、わがおるよりも結構なる水用意をしてくれてありまして、近所の人が来てくれて、とりかたづけてありました。水は座板まで来ておりました。その時の私の喜びは大きく、実に恐れ入りました。
(13)その後、水もひくし、まことに喜びに喜びで、金光様へお礼参りをさしていただき、八人の連中として平野の増治様の所へもお礼に行き、金光様に一々このわけをお届けして御礼を申しあげました。金光様は、
「平野の増治という人は、そんなに一心のある人ではないが、神のおくり合わせであるわい」
と申されました。(14)その後引き続き、毎月、月参りさしていただきました。

■ 理1・青井サキ・3

明治十四年の旧三月二十八日に、お昼まで母は仕事をしておりました。「少しつむりが悪い」と言うて休み、晩になりて眠り、どうしても気がつかず、医者は、「これは本寝入りなり」と申されました。(2)すぐさま赤壁の金神(難波なみ)様へお願いに人をつかわしました。私は、うちにて一心におすがりしていました。「帰りしだいにおかげをいただく」と申されました。(3)使いが帰るや否や、息吹き返し、母は、「みなみなどうしたことじゃ」と申しました。「どうもご心配かけました。相すみませぬ」と申し、一々みなみなに御礼を述べました。医者は、「もう心配はない」と言いました。(4)それより、間もなく、「お神酒ミキ」と申したきり、そのまま亡くなりました。
(5)私は考えまして、これまでおかげをいただいておるのに、なんでこのとおりのことがあるのであろうかと思いました。考えてみるに、三年前に金光様の申されたことを思い出し、親が死んでおかげじゃというのはおかしいが、実にありがたいと御礼申しあげました。(6)それより、大本社へお礼参りをいたしました。そして、母が死去したのについて、「前の夫を帰してはいかが」と、人がいろいろとすすめましたゆえ、金光様へお願いをいたしました。すると、金光様は、
「本人は精神が直っておりはせぬ。その場は、どうなりと言うておれ。その場さえ抜けたればよい」
と申されました。(7)そして、
「信心しておれば、田地田畑をもうけるようなものじゃわいの。親子とも、畳の上で日の送れる時期が来るわいの」
と申されました。(8)その後なおなお一心さしていただき、おすがりしておりました。

■ 理1・青井サキ・4

その後、明治十五年旧正月三日、大本社へ御礼さしていただこうと、父とともに岡山の福嶋を渡り、父はわがお寺へ参り、母の戒名と同時に、われのも頼むと申し、浜野のお寺へ参り、私は米倉ヨネグラの方へ行き、大本社指して参りました。(2)その時の金光様のご理解に、
「親にはのう、何でもたずねておかぬと、親はいつまでも生きておるものでないわい」
と教えてくださりました。私は、さようでありますと、うかうかと聞いておりました。
(3)明くる四日に帰らしていただき、親子ともお参りした話をして、その夜は休みました。明くる朝、父は寝間より起きず、頭が痛いと言うて、そのまま寝入りてなくなりました。(4)私は一時驚きましたが、また気分を取り直し、「金光様が仰せられたぽっくり往生とはこのことじゃ。ありがとうございます」とお礼申しあげました。人は「あれは親が死ぬるようにお参りをしておるのじゃ」と言いました。

■ 理1・青井サキ・5

その後、明治十五年三月十七日よりお取次さしていただき、日々いろいろなおかげをいただきました。
(2)備前福泊村の大喜田喜三郎と申す人が、たびたび書物を送り来まして、「書物を学ばねば、お取次はできぬ」とむつかしく申しました。私は、それには心を苦しめました。(3)今から書物を学ぶというわけにはゆかぬと思い、大本社へ参り、金光様にお願いいたしました。「金光様、私は無筆(無学)であります。今、いろいろと勉強せねばお道は勤まりませぬか」と申しあげました。(4)金光様は、
「金光大神も無筆じゃわいの。あんごう(あほう)でものう、人さえ助かればらくじゃわいの。学者が人を助けたためしはない」
とご理解をしてくだされ、また、
「器用が身を食うということがあるわいの」
と申されました。(5)結構であると私は思い、一心にお願い申して、決心を定めたお取次さしていただきました。
(6)その時、ご理解に、金光様が、
「金神という神ものう、親見識を出して当たり障りをする時分にはのう、神棚の隅へ押しこまれておったわいのう。神が子に従うようになったらのう、金神様と言うて、様をつけてくれるようになったわいのう。(7)人間ものう、親見識を振り回すとのう、子が言うことを聞かぬわいのう。子に親が従うてゆけばのう、子が親を尊んでくれるわいのう」
と申されました。まことに恐れ入りたるみ教えであります。

■ 理1・青井サキ・6

その後、明治十六年旧九月に、信者をひき連れてお参りさしていただきました。ところが、金光様は三日前にお葬式なされたと申します。(2)親神様はいつがいつまでも死になさりはせぬものとのみ思いしゆえ、その時のことは、何とも筆紙には尽しようなく、どうも残念なり。毎月、月参りをさしていただいておるのに、その前二か月お参りしなかった。先年、金光様がご理解くだされたことを思い出して、この二か月のそのお参りを欠かせしは、いかなることであったかと、今に私は残念で、心に思わぬ日はありませぬ。(3)金光様が、
「親には何でもたずねとかぬとのう、親はいつまでもあるものでないわい」
と申されたことが今に思い出されて、なぜ万事たずねておかなんだであろうかと、実に残念に存じています。

 

..石原銀造の伝え

■ 理1・石原銀造・1

天地の教え。天と地の間に人間があります。すなわち、天は父、地は母であります。人間、また草木など、みな天の恵みを受けて、地上に生きているのである。それゆえ、天は父親、地は母親のごとくであります。

■ 理1・石原銀造・2

方角日柄のこと。方角日柄は忌まれぬ。何となれば、もし用事ができた時には、方角日柄を見ずに行かねばならぬ。(2)子供の出産する時には、日柄を見る者はない。普請をする時、方角がふさがっておる時にはいかにするか。その時には、今月今日建てますと言うて、神様へ届けてすべし。
(3)また、忌日イミビがありても神の所へ行かねばならぬことがある。すなわち、井戸の水をくみに行くのに、忌日をよけて行けるか。(4)また、井戸を掘るにも方角日柄を見るが、死人を葬るのには方角日柄を見ぬ。井戸と死人と、どちらが汚いか。これにて、方角日柄を見る者はあるまい。
(5)また、宮社の前を通る時には、いかなる神に限らず、拝して通るべし。すなわち、拝して通れば、その日の悪魔をよける。(6)また、悪心を持つ者は必ず、末にその報いが来る。すなわち、天理のおさえを受ける。それは、今の裁判所の法律のごとくである。

■ 理1・石原銀造・3

父母に孝行が第一。孝行をすれば末で幸せがよくなる。不孝をすれば末で巡ってくる。

 

..市村光五郎の伝え一

■ 理1・市村光五郎1・1

大谷の金神様へ巳の年(市村光五郎)が参る時には、だれ一人も参詣の人ござりませずして、金光様より金神様のお話を静かにいただき、わが家に帰り。また、この度、お言葉をさしあげ候。仮名書きにして、足らざる所は悟りてお広めくだされ候ソウラエ。もし間違いあったなら、末代の誤りなり。巳の年も真実を申しあげ。金光様を汚してならずと思います。

■ 理1・市村光五郎1・2

金光様のお言葉に、
「祈るところは天地金乃神。昔からある神ぞ。中古(途中)からできた神でなし。はやりもせず、終わりもせず。信心はせんでも、おかげはやってある」
とお下げあり。(2)また、
「きれいずく(不浄を忌むこと)のない神と言う。恩を忘れさえせねばよし」
とお下げあり。
(3)「地の神は昔から汚い物ばかりかぶっておるぞ」
とお話しあり。
(4)「きれいずくのできぬが、お医者と金神」
ともお話しあり。(5)また、
「盗人さえせねばよい」
ともお下げあり。(6)また、
「人には『盗人はせん』と言うても、滑っても(ごまかしても)すむぞ。まだ上に、守る者が見ておるぞ。この神がどうしても許さんぞ」
と金光様が巳の年に、しっかり鍛えあり。(7)また、
「腹立っても、じっとこらえることが肝要なり。神に信心は、腹立てぬが信心ぞ」
と金光様巳の年に説得あり。この一条は、いたって念が入ったる理解なり。また、お話なり。かえすがえすの理解なり。

■ 理1・市村光五郎1・3

金光様のお言葉に、
「これまでは、きれいずくをする神ばかり。きれいずくをしては、人は助からず。天地日月生神金光のは、きれいずくのない神ぞ。ここをよく、氏子、悟るが肝要なり」
(2)また、お言葉に、
「きれいずくのない神は金神と医者ぞ」
と申され。
(3)「医者は礼を取っておるで、三年の恩あり。金神は礼を取らぬぞ。氏子任せ。身一代、恩を忘れぬが御礼なり」
金光様のお言葉なり。

■ 理1・市村光五郎1・4

「これからは、金神がたくさんできるぞ」
とお話しあり。

■ 理1・市村光五郎1・5

金光様のお言葉に、
「金神に『位をくれい、くれい』言うても、金神の位はなし。一心に拝んで、いただくがよし。金神の位はないといえども、世の中に『おかゆの湯も飲めんくらい』という位があるぞ。この位を取ってはならず」
とお下げあり。(2)また、
「大谷へ来て、『札をくれい』と言うても、札もなし。また『守りをくれい』と言うても、お守りもなし。金神に信心すれば、あぜを境にお守りをやる」
とお言葉あり。
(3)「恩を忘れな」
と巳の年にご理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・6

金光様のお言葉に、
「金神を親と思えば、子と思うぞ。親、後ろに立っておれば、いかな悪魔が来ても防いでやるぞ。また、めいめいに子があって、親が守りをしておってみよ。子を向こうから棒を持ってたたきかかっても、たたかせはすまいがな」
と金光様巳の年にご理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・7

金光様のお言葉に、
「金神、荒れ地をお嫌いなさるぞ」
とご理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・8

「金光が氏子に教えする信心は、これまでの信心とは違うぞ。家の中で土公神を拝む信心でなし。たく木、松葉を大切にするが、土公神に大きい信心なり。木、松葉を粗末にすると、家がめげるぞ。家がめげたら荒れ地の土公神というてあるぞ。家内や子供によく教えてやれ」
と金光様巳の年に理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・9

金光様、巳の年にお下げあるは、
「信心は的なし信心ぞ。無的の信心ぞ」
と理解あり。恐れ入ったるお言葉なり。
(2)「おかげは受け勝ち、守りマモリは受け得」
と理解あり候。

■ 理1・市村光五郎1・10

金光様、巳の年にお下げあるは、
「信心せよ。信心ということは、しんはわが心、じんは神なり。わが心が神に向かうをもって信心と言うなり。恩徳の中におっても、氏子、信なければ、おかげはなし」
とお話しあり。ありがたき、恐れ多き理解なり。(2)悟りてみるに、カンテラに油がいっぱいあっても、芯がなければ火もうつることなしと思い定め、信心なければ世界が闇なりと悟り、またカンテラに火がうつらずば夜が闇なりと悟り申し候。

■ 理1・市村光五郎1・11

天地日月生神金光様、
「『今月今日で一心に頼めい おかげは和賀心にあり』という見識を落としたら世が乱れるぞ。神々のひれいもなし。親のひれいもなし」
とお話しあり。

■ 理1・市村光五郎1・12

金光様、巳の年に理解あるは、
「人が盗人じゃと言うても、ほいとう(乞食)じゃと言うても、腹を立ててはならぬぞ。盗人をしておらねばよし。ほいとうじゃと言うても、もらいに行かねばほいとうではなし。金神がよく見ておるぞ。(2)また、警察に遭うても道をかわすことなし。その身に曇りあらば、道をかわさねばならぬぞ」
と、しっかり説諭あり。
(3)「信心の帯をせよ」

■ 理1・市村光五郎1・13

「信心に連れがいるといえども、連れはいらぬぞ。ひとり信心なり。信心に連れがいれば、死ぬるにも連れがいるが、みな逃げておるぞ」
とお話しあり。
(2)「日に日に不浄心を去りて生きるが信心なり」

■ 理1・市村光五郎1・14

金光様のお話に、
「信心ということは天地の恩を忘れぬことぞ。なんぼう氏子が一心に信心を定めておっても、もし神去り(死)あったる時に、心とがめることあり。心とがめたら、もうおかげはなし。以後のために話しおくぞ。金神は、葬れん(棺おけ)をつきすえおっても、頼むことあらば、疑い去って一心に願えい」
と言いおかれたり。(2)わけて、
「天地金乃神に御灯明をにぎやかにあげて信心をしておらぬと、また難が重ねて来ることがあるぞ。もし、それでも心とがめれば、断りして一心に頼めい」
とのこと。
(3)「家のうちのくどの前も同じこと」

■ 理1・市村光五郎1・15

また、お話しあるは、
「女、菜園に行って菜を抜く時、地を拝んで抜くというような心になれば、おかげがある。(2)また、それを炊いて食べる時、金神様いただきますというような心あらば、あたることなし」
と金光様お話もあり。

■ 理1・市村光五郎1・16

金光様のお下げには、
「利口発明、知恵分別を出すな」
とあり。(2)また、
「真の帯をして、神徳を積みて人徳を得よ」
ともお下げあり。

■ 理1・市村光五郎1・17

「世が開けるというけれども、開けるのではなし。めげるのぞ。そこで、金光が世界を助けに出たのぞ」
とお言葉あり。

■ 理1・市村光五郎1・18

金光様お言葉に、巳の年に理解あるは、
「神信心をせんと、弘法大師の分別で建ておかれた四国八十八か所という掃きだめへ行かねばならぬぞ。ありがたき信心、恐れ多き信心があるぞ。そこで、まめなとも信心の油断はならぬぞ」
とお話しあり。

■ 理1・市村光五郎1・19

金光様から巳の年に、
「年寄ったら願いなし」
とお言葉あり。
(2)「ぽっくり往生を願うがよし」
とお下げあり。

■ 理1・市村光五郎1・20

「信心して神になることを金光が教えてやるぞ。神になっても、神より上になることは無用なり」
と戒めあり。

■ 理1・市村光五郎1・21

金光様、巳の年にご理解あるは、
「牛馬は食わんでも、金神が、食う物は与えてあるぞ」
と金光様の行場ギョウバ(結界)にて正に理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・22

「巳の年、変人になれ。変人にならぬと信心はできぬぞ」
とお下げあり。
(2)「百姓は牛馬の恩があるぞ。みだりに食われぬぞ」
表オモテ(公)に恐れあるお言葉なり。金光様は牛馬の安全まで御願いあり。

■ 理1・市村光五郎1・23

金光様、巳の年にご理解あるは、
「家内や子供によく教えておけよ」
とお下げあり。(2)また、
「家内はいなしとうても、子供がかわいかろうがな」
とも理解あり。
(3)「親の言うことを聞かぬ子が一番つまらぬものぞ。また、めいめいでもそのとおり、子が言うことを聞かねば、まことに困ろうがな」
と、わが子にたとえてお話もあり、鳥獣ケダモノにたとえてお話もあり。
(4)「天地の間に、子ほどかわいいものは、ほかにはなし。また、親の心を子知らずということもあるぞ」
金光様、巳の年にご理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・24

金光様のお言葉に、
「百姓は地のことはよく知っておるぞ」
ともお下げあり。
「露が草木にきりきり舞いこんでおるぞ」
とお話しあり。(2)また、
「晩方には稲に水の玉があがって来るぞ。そこで、見たり聞いたりするが肝要なり」

■ 理1・市村光五郎1・25

金光様のお話に、
「金乃神のお祓が、ちと違うぞ。大晦日に借銭を払うてしまうがよし。これが金乃神のお祓ぞ」
と巳の年に理解あり候。
(2)「なんぼう金神に信心しても、借銭をこしらえては腹をいためるぞ。そこで、信心は腹からといおうがな。腹を痛めるは不信心なり。それで、金光が教えてやるぞ。『心はすなわち神と神とのもとのあるじたり。わが魂をいたましむることなかれ』ということがあろうがな」
とお話しあり。(3)また、
「金神をまつっても、その身の魂をいためては、信心にならず」

■ 理1・市村光五郎1・26

「いかなることがあっても、腹を立てな。こらえることが肝要なり。人をのろわば、わが身の穴を掘っておいてのろえいということあり。信心の道に入ったる者は、腹を立ててはならぬぞ」
と金光様ご理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・27

金光様お話に、
「生きておる者にはみな、おかげをやってあるぞ。ご恩忘れなよ。その中にも、まことのおかげを受ける者が、千人に一人がないぞ」
とお話しあり。
(2)「『天地金乃神の御徳は、その身から受けよ』と語りておけば、誤ることはなし」
とお下げあり。

■ 理1・市村光五郎1・28

「的は無的の信心を授けておくぞ。一心を定めて、いただくがよし。おかげは受け勝ち、守りは受け得。おかげ受けたら、ご恩を忘れてはならぬぞ」
と巳の年に理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・29

金光様のお言葉に、
「腹は一番大事なものぞ。患いも腹から。何事も、腹治まらねば治らぬものぞ」
とお話しあり。(2)また、
「人の頭は大事なものぞ。人、休んでござる枕もとを、どんどん歩くことはならぬぞ」
とおとめなり。

■ 理1・市村光五郎1・30

金光様お話に、
「金神様が人の体の毒を取られるのは、日に日に大便小便で取ってある」
とお下げあり。

■ 理1・市村光五郎1・31

「池に水をためることを、樋ヒをとめるといおうがな。水がなければ五穀が育たず。(2)また、からど(からだ)といおうがな。どは土なり。また、土は血どめになると言うた者もある」
と金光様お話にあり。

■ 理1・市村光五郎1・32

「水は福水というて願うがよし。水は人の血になるものぞ」
と金光様お下げあり。

■ 理1・市村光五郎1・33

金光様のお話に、
「氏子らの腹帯、間違いがあるぞ。また後ろはち巻き、間違いがあるぞ。神功皇后様は、戦の時、後ろはち巻き、腹帯をし。下シモ、氏子らは、妊娠になると腹帯をする。間違いがある。喜び(出産)すると後ろはち巻きをし、休むのに力を入れておるぞ」
と理解あり。
(2)「これからは団子汁におよばず。あり合わせの物をいただいて、『金神様、無人にござるで、さしつかえのなきように』と御くり合わせを一心に頼んで、くどの前を働くがよし」
と金光様のお下げなり。
(3)「臆病と疑いを去る、肝要なり」
と理解あり。(4)また、
「言うことを聞かぬと、おかげは知れぬぞ。家内や子供によく言うて聞かすがよし」
と理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・34

「ある日に参詣の人、『金光様のご縁日は金毘羅様のご縁日と一つ日でござりまするなあ』と言うて、『なんと、ご縁日を変えなさりてはいかが』と申す者あり。(2)その時、『金光が手盛りにつけたものなら変えでもするけれども、金光のご縁日は天地金乃神様お定めくださりたる九日十日なり。金光が手盛りに変えることはできぬぞ』と答えをした」
と金光様巳の年にお話しあり。(3)生き間のお言葉と九日十日神去り(死)の時と、考えみるに恐れあり。

■ 理1・市村光五郎1・35

金光様のお言葉に、巳の年にお下げあるは、
「九日十日が金光のご縁日ぞ。二十一日二十二日が金神様のご縁日ぞ。二十三日が月様のご縁日ぞ。二十四日が日乃神のご縁日ぞ。信心を忘れぬためのご縁日ぞ」
とお話しあり。
(2)「このご縁日を忘れさえせねばおかげがあるぞ。忘れたらおかげはなし。親の恩を忘れぬための法事のようなものぞ。何事にも恩を忘れてはならぬぞ」
と理解あり。(3)また、
「日々わが家にて信心をすること肝要なり」

■ 理1・市村光五郎1・36

豊歳(豊年)中歳、悪歳と、天地の神のしわなり。悟るべし。教えること肝要なり。

■ 理1・市村光五郎1・37

金光様のお言葉に、
「一番ありがたい日というは天気まん(天気の都合がよいこと)」
と言いおかれたり。
(2)「暦に『天赦よろずよし』とあっても、雨気は何事にも便利が悪し」

■ 理1・市村光五郎1・38

暦はだんだん含みがあるで、お調べくだされ候ソウラエ。金光様、巳の年に暦一条につきお話しあり。
「暦は信心にならぬことがだんだんある。神様をだましたに当たる所もあり」
(2)金光様嫌いあるは由比正雪のこと。
「正雪、慢心を起こし天下をのろい、謀反達せずして、悪日と記してある。暦に吉凶とはよろしゅうない。正雪一人の悪日なり。神国には悪日はなし」
巳の年は金光様へ家相普請カソウブシン(家相を見ての建築)は献納いたし候。

■ 理1・市村光五郎1・39

金光様、ある氏子に、
「暦を見なとは言わんぞ。暦を見ていくならば、暦のとおりにいくがよし。暦は年々変わるもの。明いた年があらば、ふさがりがある。何事にも暦を見て明いた時にしたことは、ふさがりの来た年に当たりがつくぞ。逃げても逃げられんことがあるぞ」
とお話しあり。

■ 理1・市村光五郎1・40

金光様お言葉にお下げあるは、
「虫がおっても、一心に信心すればわざ(害)をせん」
とお話しあり。(2)また、
「人の目に見えぬ所にわざをするものなし」
とお下げあり。
(3)「疑えば、ひとつ、鬼門へ普請をやってみよ。金神が叱らんと言うたら、叱りはせんぞ。臆病を去れ。おかげをやるぞ」
と巳の年に理解あり。まことに広大無辺の恩徳なり。

■ 理1・市村光五郎1・41

金光様四十二の時、最後の御患いあり。まことにまことに哀れ無情なるご難あり。その時、真マコトの一心でおかげあり。七十歳まで、天地の大理を世界のために御語りあり。
(2)「迷わず失わず末の末まで教え伝えい」
とお言葉あり。(3)また、
「家内や子供にもよく教えてやれ」
と巳の年に理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・42

生きた神様のお話に、
「門あっても締まりなし。にわの口(土間の入り口)に締まりなし。表口に締まりなし。締まりすれば便利が悪い。人が来て起こせば、あけてやらねばならず。そこで人がみな、『大谷は締まりがない』と言うておるのぞ。締まりがあっても賊は入るなり。夜休む時は天地金乃神を一心に、『賊難火難をしのがしてくだされ』と言うて休むがよし。夜のおかげは、守りてあっても氏子には知れぬぞ」

■ 理1・市村光五郎1・43

「大谷にも、もとは通夜人(徹夜でおこもりする人)があり。金神様より、『金光、お通夜はすな』とさしとめあり。『ここは道端、宿借りが来るぞ。人が集まると、おごり(飲み食い)が長じるぞ』とお下げありたで、やめにした」
とのお話あり。

■ 理1・市村光五郎1・44

金光様、巳の年にご理解あるは、
「心は広う持っておれ。世界は広う考えておれ。世界はわが心にあるぞ」
とお下げあり。
(2)「大天地というてある。また、小天地ともいうてあるぞ」
とお話しあり。
(3)「『心はすなわち神と神とのもとのあるじたり。わが魂をいたましむることなかれ』ということもある」

■ 理1・市村光五郎1・45

金光様お話に、
「金光が金神様に一心に信心をしておかげを受けておることを話して聞かすのぞ。言うことを疑うて聞かぬ者は是非におよばず。かわいいものぞ」
とお言葉あり。
(2)「また時を待っておかげを受けるがよし。めいめいに子をもって合点せよ」
とお言葉あり。
(3)「言うことを聞かぬ子が一番つまらぬものぞ。そこで、神の心を氏子知らず、親の心を子知らずというてあるぞ」

■ 理1・市村光五郎1・46

金光様のお話に、巳の年に理解あるは、
「金神様より金光に、いつまでもみてぬ(尽きぬ)おかげを話にしておくのぞ。また、巳の年も信心して神となりて、人に丁寧に話をしておくのが、真マコトの道をふんでいくのぞ」
とお言葉あり。
(2)「金光が下げた言葉を違わぬように、また下げるのが、これがまた生神となるのぞ」
神になっても、神より上になること、御戒めあり。(3)また、
「先生より上になること無用なり」

■ 理1・市村光五郎1・47

金光様のお話に、
「これまでは、神様をみな商法にしておるぞ。お剣先でも、何文かん文と言うておる。金神は商法にはせん」
とお下げあり。
(2)「みな、守り(神職)が悪うなっておる」
とお話しあり。
(3)「今日様は、昔から一文も取らずに守りてござるぞ。そこで、金光も銭はいらんと言うのぞ。神様を商法にしてはならぬぞ。金光の言うことを聞かぬと、罰バチをうけるぞ」
とお話しあり。

■ 理1・市村光五郎1・48

「信心はわけを知らねばできぬぞ。そこで、金神が巳の年に教えてやるのぞ。もし、知れぬことあらば、才崎(片岡次郎四郎の広前)へ行ってたずねて、教えてもらえよ。才崎へはよく教えてある。才崎は丁寧なから教えてくれるぞ。ほかへは、行けとは言わんぞ」
と金光様巳の年にお言葉あり。

■ 理1・市村光五郎1・49

金光様のお言葉に、
「金光は、もう神になったから何も言わんぞ」
とお話しあり。(2)また、
「金光に会おうと思えば、わが家に帰り、にわの口(土間の入り口)を外へ出て見よ。空が金神、下が金神。真日中マニッチュウが来たら空を見よ。丸い物が来るぞ。それが金神ぞ」
ともお話しあり。

■ 理1・市村光五郎1・50

金光様のお話に、
「千人参りても、千人の中におかげを受けていぬる者が一人がむつかしく、にわの口を外へ出たら、みなあやして(落として)いぬぞ。金神様のお下げある言葉は、一言の言葉が千両の金にもかえられぬお言葉ぞ。ありがとういただいていぬれば、みやげは舟にも車にも積めんほどの御徳なり」
と巳の年にご理解あり。(2)また、
「いんで、家内や子供によく言うて聞かすがよし」

■ 理1・市村光五郎1・51

「村の戸長がやかましゅう言うても、だれがやかましゅう言うても、『私は内信心でござる。あなたもいんで信心をなされ』と言え。面倒はなし」
と金光様より巳の年に正にお話しあり。

■ 理1・市村光五郎1・52

金光様、巳の年に、
「聞け、悟れ」
のご理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・53

金光様のお言葉に、
「天地金乃神様のお下げの言葉は、あだ話(無駄話)にはならぬぞ。伺いて広めるがよし」
と巳の年に理解あり。

■ 理1・市村光五郎1・54

「金光は氏子へむしんには行かんぞ」
と巳の年にお話しあり。
「もし、ほかから来て出しても、金神へは届かぬぞ」
と金光様のお言葉あり。
(2)「もし、金神という名義に恐れて金を出したら、難儀になるぞ」
とのお言葉あり。
「以後のために言うことを聞けよ」
とお下げあり。
(3)「聞かぬ人は是非にかなわず」

■ 理1・市村光五郎1・55

「金神様の御殿も、さい銭の余りでなされるのぞ。金光は世の余りをもって人を助けていくのぞ」
とお話しあり。

■ 理1・市村光五郎1・56

二代金光(金光宅吉)様理解に、
「人間を軽う見てはならぬぞ。軽う見たらおかげはなし。金光様、もとお百姓によって、近回りの人は地合ジアイ(素性)を知ってござるで、おかげを受ける人は少なし。遠い所の人は、おかげを受けていなれるぞ。そこで、灯台もと暗しということが言うてあるぞ。(2)そこで、信心、地合を知ってはならぬぞ。そこで、金光様、信心する人に、『今月今日で一心に信心をせよ』と理解あり」

■ 理1・市村光五郎1・57

巳の年が大谷へ参ったら、金光様が、
「備前の(市村光五郎)、受けさんせい」
とお言葉があり。巳の年も信心しておかげを受けることが合点いかず、金光様にたずねたら、
「信心はむつかしいことはなし。いんで、わが家で金神と言うて信心をしておれば、金神が差し向けてやるのぞ」
とお言葉あり。
(2)わが家に帰り、わけ知らずに信心する心でおったら、不思議なるかな、人がぼつぼつたずねてござるようになり。よって二年ほど勤めておったら、金光様がお隠れとなり。(3)代かわりて二代金光様お勤めのところへ参り、一年ほどおかげをいただく間に、上カミより大谷へ指令下がり。巳の年も上の許可を受けに参ったら、金光様のお言葉に、「親類は承諾しておるか」と仰せあり。よって、「親類の承諾判は今日はたくわえてきておりません」と申しあげたら、金光様のお言葉に、「親類の承諾の判がなければ、表(公)の許可は渡せん」とお言葉あるで、「親類へ相談して来ます」と言うて、巳の年は親類へ相談に行ったら、折り合い悪うして、「時来ん」とあきらめ覚悟をいたし。(4)われは覚悟をしても、もとの金光様に相すまずと思い、それより才崎金光(片岡次郎四郎)様に右の次第申して伺うてもろうたら、才崎の金光様のお下げに、「学校生徒も落第するということがある。是非におよばず。楽をせよ」とのこと。「楽はしても信心は忘れな」とお下げあり。(5)そこで、巳の年もまたもとの左官に下がり、おかげをいただき暮らし。当は三年祭(教祖金光大神の三年祭)なり。地築ジヅきまでしておかげを受け。あまた、先セン(教祖金光大神)様のおかげいただき。この上のおかげはなし。まずは。

 

..市村光五郎の伝え二

■ 理1・市村光五郎2・1

「金神を、これまでは悪者にいたしておる。村にあっても、悪い者を金神と言うておろうがな。女の自由にならぬを八幡と言うておろうがな。一番自由にならぬ神は金神と、のけておる。氏子、信心をすれば、これからは金神がなり変わり、福の神になりてやる」
と備中の国大谷村に金光大神様をもってお告げあり。(2)この所へ巳の年参詣いたすは、明治十五年午の年十月のころより。巳の年、金神様に信心に赴き、参詣をいたし。(3)その時、金光様お話しあるは、
「金光が大病につき神々に信心はいたしたなれど、神様より何の沙汰もなし。医者にもかかり、その医者も手を放し。それから余の人を頼み、拝んでもらい。金神様、その人をもってお告げあるは、金光は本宅をいたして(母屋の建築をして)おる、それで金神が叱ってあると申され、金神に信心をすれば、治してやると申され。(4)金光が疑いを放れて、小社コヤシロをこしらえて一心に信心をいたし、病治る。それから、みな、拝んでくれいと言うて来る。信心をせよと言うておけばよし。金光は今におかげをいただいておる」
と巳の年にお話しあり。めいめいの信心なり。

■ 理1・市村光五郎2・2

村の氏神宮が金神の出社なり。

■ 理1・市村光五郎2・3

金神はみな、家ごとにござるなり。

■ 理1・市村光五郎2・4

金光様お話しあるは、
「『世始まって、神がものを言うて聞かすことなし。金神というは天地金乃神、人をもって告げる』とお下げなり。そう言うてあろうがな、『天に口なし、人をもって告げる』ということを言うてあろうがな」

■ 理1・市村光五郎2・5

「これまでは、神へ参りて、おかげをくだされいと言うてもどるぎり。おかげはあるやらないやら、沙汰なし。それでも、一心と拝めばわが心に生きたる神様がござるがゆえに、めいめいに拝んでおかげを受けるのぞ。ここらをよく、氏子、合点をして信心をせよ。(2)死んだ神へ信心してはおえぬぞ。金光が祈るところは、天地金乃神と一心なり」
巳の年に御ゆずられ、(3)説得あるは、
「天は昔から死んだことなし、地が昔から死んだことなし。日月、相変わらず」
天地日月生神金光大神様、巳の年に説得あり。

■ 理1・市村光五郎2・6

「四季節句、五節句ということがあろうがな。それを今は、はや廃しておろうがな。そこで、金神の祭り事を失うておる。神の祭り事を失えば、人へも礼儀なし。そこで、子孫がみてる(絶える)ことになる」
金光様が巳の年をご説得あり。
(2)これからは四季を五節句と改め、信心を家の内でいたし、仲人に心を届け、その身の信心、子孫が続くなり」

■ 理1・市村光五郎2・7

伊邪那岐、伊邪那美命も人間、天照皇大神も人間ぞ。それにつきて、天子も同じ続き。宗忠の神(黒住教祖)も同じこと。

■ 理1・市村光五郎2・8

神も人も同じこと。なんぼう神を拝んでも、人の心にかなわねば神の心にかなわず。神の心にかなわずば人の心にもかなわず。

■ 理1・市村光五郎2・9

「信心は大きい信心がよい」
と申される。

■ 理1・市村光五郎2・10

迷い信心ではいかぬ。一心と定めい。

■ 理1・市村光五郎2・11

天地日月生神金光大神様の教えに、
「あちらへこちらへ迷うてはおえぬぞ」

■ 理1・市村光五郎2・12

「いかにも信心は手広ういけよ。かたえて(凝り固まって)はならぬぞ。いかにも信心は大きくいけよ」
と申され。

■ 理1・市村光五郎2・13

「世の中に一番汚きは欲」
とおっしゃる。

■ 理1・市村光五郎2・14

「そろばんを放せい」
と巳の年をご説得あり。

■ 理1・市村光五郎2・15

「牛に引かれて善光寺参りという。牛は善光寺様へ参るなり。人間は参りとうなし。牛が布をひっかけ、きりきり舞モうて参り、人間は布が惜しさにしっかりつかまえて、互いに参るなれども、牛は本心参るなり。人間は欲に引かれて参るのぞ」
と金光様巳の年をご説得くだされ候。

■ 理1・市村光五郎2・16

信心をさんせい。一年一年とありがとうなるぞ。

■ 理1・市村光五郎2・17

これからは、なんぼう日照りがしても、雨をくれいくれい言うて願うな。くれいくれい言うて願うと、おかげをやるぞ。家も田地もこがらかしていぬる(押し流してしまう)ようなおかげをやるぞ。それでは難儀となろうがな。

■ 理1・市村光五郎2・18

足ることが知れんものぞ。知るが肝要なり。

■ 理1・市村光五郎2・19

「信心は相縁機縁」
と申され。

■ 理1・市村光五郎2・20

信心は、講を取り立て、信心をいたせ。(2)一心あらば、コレラ病がはやりても、金神が信心のあるうち(家)は防いでやるぞ。

■ 理1・市村光五郎2・21

「みな、月々に天照大神の講をするといえども、氏子、信心が信心にならず。(2)昔、天照大神宮ができたる時は、まだ社少なき時、遠方なるによって、氏子寄り集まり講を取り立て、金を出し合い代参を立て。これが真の信心なり。(3)今は食い飲みが長じ、おごりとなり、難心ナンジン(難儀な信心)」
とお下げくだされ。
(4)「おごりを捨てて真に立ち返り、以後もみなみな立ち返らん」
と金神様巳の年を説得くだされ。

■ 理1・市村光五郎2・22

「世の中はもう信心でなければいかんと、みな人が言うておろうがな。口で言うても、信心はせん」
とおっしゃる。

■ 理1・市村光五郎2・23

金光様申されしは、
「信心しておれば、小商いをする者が来る。『みなめいめいに、どの方角へ出るとも、拝んで出なされ』と言うておけばよし」

■ 理1・市村光五郎2・24

金光様、巳の年に、
「真マコトぞ」
と説得あり。千万センバンありがたきこと。

■ 理1・市村光五郎2・25

金光様より巳の年を説得あり、
「常平生は始末倹約をさしてある。何ぞ事には、せねばならぬ。巳の年、家内や子供によく言い聞かせよ」
とご親切くだされ。

■ 理1・市村光五郎2・26

金光様、巳の年ご説得あるは、
「災いは言うな」

■ 理1・市村光五郎2・27

「世の中には見聞きをさしてある。氏子、見方が違うておるから、役者が顔を染めたり手を振ったり、着たりしている物を見てもどっては、おかげが受けられぬぞ」
と金光様巳の年をご説得あり。
(2)「芝居は善悪の二つなり。善は末が栄え悪は末が滅びておるということをよく合点をいたし、わが身に立ち返り、悪心を捨てて善に進むことが、その身の信心なり」
天地日月生神金光大神様。

■ 理1・市村光五郎2・28

金光様申されしは、
「痛き時はお願い参り、痛うない時が信心まいり」

■ 理1・市村光五郎2・29

真は無的にして、おかげは受け勝ち、守りは受け得。

■ 理1・市村光五郎2・30

ありがたいありがたいと言うぎりで、おかげはみなよう受けぬぞ。

■ 理1・市村光五郎2・31

天地日月生神金光様が、
「参るな、参るなと言えども、参らんとおかげは受けられんぞ」
と申され。
(2)「参るなと言うのは、参ってもおかげを受けねば、足がくたびれたり大切な金がみて(尽き)たりすれば、氏子、難儀となる。それで、金光が参るなと言うのぞ」
と申され、(3)巳の年に、
「おかげを受けたら、参らんとおかげはいただかれん」
とご説得くだされ候。いずれも。

■ 理1・市村光五郎2・32

金光様申されしは、
「参っておかげをいただくぐらいなことでは、子供でも肩癖を出した時、はずに合わぬ(間に合わぬ)ぞ。わが家で、金神と一心に願えば、その家に金神が助けに行くのぞ」

■ 理1・市村光五郎2・33

「世の中で疑いが一番悪し」
(2)金光様、
「巳の年を金神に任して、一心に信心をせよ。任したうえは、金神がよきようにしてやるのぞ。疑いを放れるの一つで、おかげをいただくのぞ」
(3)また、
「臆病去れ」

■ 理1・市村光五郎2・34

世の中に、もうこれからは難産はなし。女のつわり病み、夏づけ(むくみ)夏病み。

■ 理1・市村光五郎2・35

ほいとう(乞食)などを見よ。身がやねこうても(弱くても)容赦はならず。それでも難産はなし。行く先で産み、水で洗い、懐へ入れ、後じまいはそのまま立って行き。それでも血の道はなし。親は難儀する子がかわいし(かわいそうである)。そこで金神が大目に見てやるなり。

■ 理1・市村光五郎2・36

「世の中に、きれいずく(不浄を忌むこと)のないは金神とお医者ぎり。難産をした時、いささかなることは癒えでもするが、大めげは縫わねばならぬ。医者は口で糸をこくこく縫うなり。それで、お医者を心安くしておくのぞ。もうこれからは難産はなし。難産なければお医者もいらず」
金神様お下げとなり。

■ 理1・市村光五郎2・37

女、喜び(出産)をいたしても、これからは、「金神様、無人にござるでおかげをくだされ」と言うて頼み、女、すぐにその子を産湯にいれても苦しからず。くどの前も苦しからず、もたれ物もせぬがよし。(2)団子汁に限らず、何でもでき合いの物をいただいて食べれば、あたらず。いかにも、明き腹、根をつけること肝要なり。油強い物苦しからず。(3)夜休むには、もたれ物せぬがよし。これまでは、女の体責めていためておる。これからは、金神が、女、安産を授け、安心をいたせよ。信心。

■ 理1・市村光五郎2・38

子供が休んでも(病臥しても)金神に任しておけば起きるもの。心に金神を頼めい。治してやる。

■ 理1・市村光五郎2・39

子供が病気の時、あちらへこちらへと迷うと銭はみてる(尽きる)子供は死ぬる。後が難儀となるぞ。

■ 理1・市村光五郎2・40

つるということを言う。いもづるとも言う。うりの木になすびはならぬとも言う。

■ 理1・市村光五郎2・41

子供が競りこをする。強い者が勝つ。

■ 理1・市村光五郎2・42

真は、うそをつかぬが真。子供が言おうがな、「それは実ジツか、真剣か、真か、うそじゃないか」と言おうがな。

■ 理1・市村光五郎2・43

子供を叱り叱り育てな。叱り叱り育てると、大きくなって道楽になるぞ。また、恐れさし恐れさし育てると臆病になるぞ。

■ 理1・市村光五郎2・44

「子供を育てる世話は多いといえども、育てておけよ。猫や狆を育てたのは役に立たず。子供は育てておけば、猫よりましという時がくる。そこで金光も子を育てておくのぞ」
と申され。

■ 理1・市村光五郎2・45

「信心をしておって、よい物ども供えがあったら、子供にやってみさんせい。子供が喜ぶ」
金光様の心を巳の年へお話しあり。(2)まことに生神金光大神様と、今日コンニチご開運を祈り奉る。恐れあり。あだ話(無駄話)にならず。恐れ入り、伺い広め、人助かることなり。子孫代々信心。

■ 理1・市村光五郎2・46

「金神が子供を授けてやっても、これからはより取りをすな。より取りをすると、いる子は殺し、いらぬ子は引きあげるようになるぞ。そうすれば後で難儀となるぞ。(2)これからは、金神に信心をすれば、いらぬ子は前に月水ガッスイで取りてやる。いる子は授けてやる。世話は多うても育てておけよ」
金光様巳の年を説得あり。

■ 理1・市村光五郎2・47

「金は不定フジヨウなり。達者が蔵クラ」
とお下げくだされ。

■ 理1・市村光五郎2・48

三日を一流れという。今は七日を一週間ともいう。昔は七日を一回りともいう。七日一回りでよし。日月を定めておけよ。この金神が行って治してやるぞ。世話(心配)はあるまいがな。

■ 理1・市村光五郎2・49

正月は新玉の年のはじめ。体を作ること。

■ 理1・市村光五郎2・50

よそで酒をよばれても大酒はすな。うちへもどりてぐちを言うては、家の内のさしつかえになるぞ。

■ 理1・市村光五郎2・51

世の中は、ただ食べて、身に着さえすればよい。

■ 理1・市村光五郎2・52

水は福水と願えい。願えば、金神が福水を与えてやるぞ。

■ 理1・市村光五郎2・53

「病の治るほどありがたきことは、もうほかにはなし。これまでは痛き時には神に信心いたし、痛まぬ時には信心なし」
と金光様仰せなり。
(2)「これからは達者の願い。痛まぬ時、信心第一。家内中まめ息災、牛馬にいたるまでさしつかえのないように御くり合わせを一心に願えい」
との御事。

■ 理1・市村光五郎2・54

子供が肩癖でも出した時、拝んでもらいに行けば、これは愛宕様の行き合い(祟り)じゃの、祇園様の行き合いじゃのと言おうがな。そんなものは目に見えぬ所にはなし。目に見えぬ所は金神が治してやる。(2)金神が教えるのは、良きことも悪しきこともわが心から、今日の世の中で愛宕御先(神霊)祇園御先は警察である。悪しきことをいたしておれば、警察に出会うても道をかわさねばならず。悪きこといたさねば、擦れ合うても苦しからず。

■ 理1・市村光五郎2・55

「痛き所あらば、お神酒をつける心になればおかげがある」
と金光様巳の年にお下げあり。

■ 理1・市村光五郎2・56

飯あまりても(腐りかけても)水で二、三度ほど洗い、金神様いただきますと言うて食べれば、あたらず。食べる物あたらずば痛いことなし。痛いことなければ死ぬることなし。

■ 理1・市村光五郎2・57

金神はお札はなしといえども、氏子、一心に願えば目当てをやるぞ。粗末にすな。

   (2)生神金光大神
天地金乃神 一心に願ネガエ
おかげは和賀心にあり
今月今日でたのめい

(3)お守りは、

 須佐之男神社

(4)右お札もお守りも、金神が下げるといえども、氏子、目当てに迷うて拝み信心はならず。それでも、一心と拝めば、おかげもある。拝まねばほうぐも同然。すれば、神、敬うに威を増す。人また、敬うに徳を増す。

■ 理1・市村光五郎2・58

「四御神シノゴゼのある人、金神様のおかげをいただき参詣をいたし。その節、棟梁が来ておる時、そこへ行き、金神の様子をたずね。大工、『どうやら、金神の名義が変わったぐあいじゃ』と言えば、それよりわが家に帰り、下(信者層)をはせ渡り、札フダを書きかえ、金を取り出し。(2)下では『この金は私が取るのではなし。みな大谷(金光大神広前)へ持って行く』と言い、大谷へは一文もあげてはおらぬ。みな、わが家の普請に使い。(3)そういう慢心を起こすから、親は早く死ぬる、金神をば汚す、その身は罰バチを受ける。後は難儀となっておるぞ」
と金光様巳の年を説得くだされ候。以後の心得なり。

■ 理1・市村光五郎2・59

「金神が金にしようと思えば、なんぼうでも金になるけれども、金神は金は取らず。乳が出んでも痛んでも一心に頼めば、ただ、乳の形(乳形の供え物)でおかげをやるぞ。金神様は欲なしの心。この心を学ばずば、巳の年におかげなし」
と申された。

■ 理1・市村光五郎2・60

金光様、
「世の中に烏帽子かつぎがたくさんにある。烏帽子かつぎではおえぬぞ。みな、心は商法人」

■ 理1・市村光五郎2・61

お札もお守りも位もいらず。一心に拝んで、いただくがよし。

■ 理1・市村光五郎2・62

「いわしの頭も信心からということがあろうがな。観音様の盛んの時、女、信心をいたし、広大なるおかげをいただき。ある時に、村の若い者が観音様へ参ると言い、それを聞き、女、お守り袋をことづけ、若い者ことづかり参詣いたし。観音様の前にいわしの頭落ちておったれば、それを包み帰り、女に渡し。女ありがとういただき、一心に拝み、おかげをいただき。
(2)村の若い者、不思議に思い、なんと、一同あやくる(からかう)心なり。お守り袋の中をあけてみなされ、いわしの頭なりと言う。(3)女、守りをあけてみれば、間違いなし、いわしの頭なり。それで、女、はっと心をとがめ、それからは、観音様と言うて信心をしてもおかげなし」
と金光様巳の年にお話しあり。

■ 理1・市村光五郎2・63

「宗忠の神(黒住教祖)はご神文(起請文)を取っておろうがな。金神はご神文は取らん」
と申され。

■ 理1・市村光五郎2・64

そばを去るな。守りが大事。

■ 理1・市村光五郎2・65

巳の年、内信心をしておれば、みな、信心をしておると言うてたずねて来る。

■ 理1・市村光五郎2・66

天地日月生神金光様、
「お願立て(願かけ)はせぬ。伺いてはめいめいにおかげを受けることを教えてやるのぞ。そこで、おかげを受けてもお願開き(願ほどき)はいらん」
と申された。恐れ入ったるお言葉。

■ 理1・市村光五郎2・67

「賃を取ってすることは、若い時は頼んでもくれる。年寄っては頼んではくれぬぞ。信心は年寄るほど位がつくものぞ」
とご説得くだされ候。

■ 理1・市村光五郎2・68

金光様より巳の年に、
「天地を父母と授ける。天は父、地は母、授けるによって、その身一心に拝めい」

■ 理1・市村光五郎2・69

大谷金神様が才崎へお出社になったとみんな言うけれども、大谷から、神様を連れていなれはせぬ。神様は目にも見えず、手にも取られず。ただ一心に拝んで、いただくのぞ。(2)よって、備前の(市村光五郎)、いただきなされい。おかげは、受けねばありがたきことが知れぬぞ。おかげを受けだしたら、ご恩は忘れられぬぞ。

■ 理1・市村光五郎2・70

金光がおかげを受けておることを話して聞かすのぞ。巳の年も信心しておかげを受けよ。人に拝んでもろうてはおえぬ。めいめいに拝んで、受けるがよし。

■ 理1・市村光五郎2・71

「信心をしておれば、出来初穂でござるの、もうけ初穂でござると言うて、供えがある」
金光様の心。

■ 理1・市村光五郎2・72

金神様が金光に、今は拝まんでもよいとお下げあり。話をいたしておればよい」
とのことを巳の年におゆずりあり。
(2)「そこで、金光が巳の年に話をいたす。それでも、拝まねば何と思うかも知れんから、金光が拝んでやる」
とのこと。
(3)「御祈りは、何の年、病平癒、一心に願い、家内中まめ息災、牛馬にいたるまで御くり合わせを願えばさしつかえなし。天下太平、国家安心、五穀成就」

■ 理1・市村光五郎2・73

金神様に信心をいたし、おかげをいただいて、田を求めたり、金を人に貸して利を取るような心では、金光様の心に合わず、金神様の心に合わず。金光様申されしは、
「今日様は一文取らずにご苦労なさる」
金光様、常のお話。(2)金光様、口ずから、
「わしは世界を助けに出ておるのぞ」
とお言葉あり。巳の年、心をいただき。

■ 理1・市村光五郎2・74

金光様、巳の年に、
「きょうとい(恐ろしい)ということを放れい。天地金乃神のおかげがあるぞ。なんぼう拝んでも、お祓をあげても、ただ拝み信心ぎり。おかげがなし。今は拝まんでもよし」
金神様より金光様に、話をいたしておればよしとのこと。
(2)「巳の年も心得のこと。今は神様を拝むことは無用。だれが何を言うても、私は話をしておると言えば苦しからず。拝むは神官ぎり。ほかほかはみな、さしとめとなり。以後は時々を守るべし」

■ 理1・市村光五郎2・75

金光様お話しあるは、
「金神様を一心に拝み、おかげをいただき、金光はもとは夜昼の勤めをいたしており。(2)中古(途中)より、金神様、金光に、『人間は生身のこと、夜昼は続かんぞ。夜は寝るものにしてある。寝さえすればよし。もうこれからは、昼だけ勤めておればよい』とお下げあり」
それに従われ、昼だけのお勤めと相成り。この心を巳の年に、またお伝えくだされ候。(3)巳の年も右のことを恐れ入り、相守らずば金光様の心にかなわず。金光様の心にかなわずば、金神様へ同じこと。

 

..市村光五郎の伝え三

■ 理1・市村光五郎3・1

金光様のことをお話しあり。二代金光様より巳の年にご説諭あり。
(2)「金光様は、四十二歳の時に当たりて二つのお子あり。四十二は厄年にして、親が死ぬるか子が死ぬるか、二つに一つの厄年なり。これをご心配あって、国で一の宮は吉備津宮と改め、村には産土の神がある。また、ほかに神々多きゆえに、一心にお願いあり。
(3)ある時に、国の吉備津様の前に参詣ありて、願いあるは右の次第なり。一心に金光様お願いある時に、お釜のおどうじあり。金光様も、その時、心のうちにて、『さてさて、あなた(神)より四十二の厄をしのがしてやろうとのことやら、かなわんとおっしゃることやら、凡夫の身ではわからん』と神前にて愁嘆をなさり。それより、金光様一礼をいたされ、下向いたさんとする時に、二度目のお釜どうじあり。金光様も、あなたのお屋敷(境内)にて、しばらくの間もの案じなさり。それより、わが家を指してお帰りあり、信心をいたしておいでなさり。
(4)かかる四十二の年、御患いとなり、信心はもとよりお医者にもかかり、薬りて(治療して)病はしだいに重くなり、一家イッケ、親類も寄り集まっておるといえども、しようもなし。中に、親子来てくださっておる家あり。その時、息子さんの方が『このまま見ておるばかりではどうもならん』と申され、『あなたは日ごろ信心をいたしてござるによって、私が神様信心をいたしてあげねばならん』と真が起こり、これがあなたの神縁となり。
(5)これより、この人が金光様のおうちで神様のお祭り事あり、一心に神々様にお願いあり。この時に、吉備津様よりこの人にお伝えあるは、『戌の年は本宅をいたして(母屋の建築をして)おるに、神にご無礼がある』とお下げ。ごあいさつに出るは、その親なり。神様に向かい、『ご無礼は、戌の年の身の上にはござらん』と押し詰めてござるなり。
(6)この時、金光様ご大病にて体は動かず、ものも言われぬなれども、心の内で思われしは、『わしがものが言えれば、吉備津様に金光がお断り申しあげるなれども、さて、ものの言えぬは情けない』と心の内で愁嘆なさり。『誰兵衛は、神様に向かい、ご無礼がないということを言わねばよい』と思われても、ものは言われず、思うは心のこと。金光様、心の内で、『誰兵衛がご無礼がないと押しては、金光が命がなし。凡夫の身にご無礼がないということは言えず。わしがもの言えれば、お断りを申しあげるなれども、もの言われぬから是非におよばず』とご一心あり。(7)その時、不思議なるかな、金光様、体はゆるみ、ものは言われることになり。神様の御徳はありがたいかな、限りなし。金光様、あなたより(病床から)すぐさま吉備津様に向かいお断りあり。金光様の心、吉備津様の心にかない、土地の氏神様の心にかない、世界のあまたある神々の心にかない。
(8)吉備津様より、戌の年におかげを授けるぞと仰せられ、取次ぐ人お供米の上に幣を垂れれば、幣に豆と米がつき。(9)吉備津様より戌の年に幣からの物をお渡しある時に、『戌の年は一心と金神に信心をいたしておれよ。一生、まめで五穀を授けてやる』とお言葉あり。(10)そこで、金光様、一生まめでご安心なされた」
とのこと。

■ 理1・市村光五郎3・2

京都は人多く、神多きなり。京都より丑寅は比叡山(天台宗総本山延暦寺)と改め、未申は八幡八幡ヤワタハチマン(石清水八幡宮)と改め、ご信心あり。(2)下(庶民)にあって、わけ知らずゆえ、ご無礼の段お知らせくだされ候。(3)ご無礼なきようは、わが屋敷にて丑寅の方六間四面の社を改めおけば障りなし。未申の方も六間四面の社を改めおけば当たりなし。さもなくば是非におよばず。(4)右改めれば屋敷なし。それでは、氏子、難儀となるからは、信心すれば使わしてやる。日々ご恩を忘れな。

■ 理1・市村光五郎3・3

干支は十二の干支なり。中古(途中)より間に一筋ずつ入れ、二十四の割りとなり。暦を見て、氏子、逃げ逃げ普請をいたしておる。逃げても逃げ得られず。(2)また、家相、時普請(家相や日の吉凶を見ての建築)は、暦より引き出したるもの。時普請は縄の結い節ほど違うても当たりがつく。
(3)「日金神、月金神、時金神、歳破、歳殺、七殺金神、豹尾、金神、嫁取らず」というてあるなれども、めいめいご方角を指して神酒を供え、一心に信心して頼めば、お許しあり。(4)お許しがあるからは、日々ご恩忘れずば当たりなし。

■ 理1・市村光五郎3・4

地、当たりをつける、大地震。二丈底から動かす。地ばかりでなし、空中まで動く。そこで昔から、地震がいればたつ鳥が落ちるということを言おうがな。(2)氏子、天道、人を殺さずというておる。天、当たりをつける。大雨を見よ。人を殺してある。(3)氏子、今日様はありがたいというておる。今日様も当たりをつけるとのこと、大ひやけを見よ。一度に命を取っていのうとしてござる。

■ 理1・市村光五郎3・5

暦普請は当たりをつける。明いた時があれば、ふさがりが来る。その時、当たりをつける。それより、暦を去って、金神様みな様というて何事も伺い、あなた(神)に任して信心をして苦しからず。

■ 理1・市村光五郎3・6

「金神は、いかなる力者もいとわず、一畳の畳の上にふん縛るぞ」
と巳の年にご説諭あり。

■ 理1・市村光五郎3・7

金光様は、
「神道じゃの仏じゃのというて、かたぎる(かたくなになる)ことなし。仏具じゃの神具じゃのというて、氏子、へだてておる。(2)金神様申されしは、神も仏もみな天地の間のもの」
とお下げあり。

■ 理1・市村光五郎3・8

「よそに、大谷から金神様いただいて来たと言うて、われを出して人を参らしてはやらし、提灯をあげい、何をあげいと言うてむさぼり。われを出して、はやるは一年か二年か、長うて三年かはやるなり。(2)神様のこしらえられたのは、みてる(尽きる)ことなし。天地日月の心になること肝要なり」
金光様巳の年を説得くだされ、ありがたき幸せに候。(3)また、そのうえに、
「天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし」
とのこと、金光様仰せなり。巳の年いただき、一生の宝なり。

■ 理1・市村光五郎3・9

「天のことを三日言わずば長者になるということがあろうがな」
と金光様のご説諭なり。

■ 理1・市村光五郎3・10

大谷村金光様うちへお医者様参詣あり。その時、金光様、医者にお話しあるは、
「これからは金神に信心をしておって、人が頼みに来たら金神に届け、この病人を手にかけます言うて届け、なにとぞ、さっそくおかげをやってくだされと、一心に願え。(2)それから、お神酒に、においを放し(薬を溶かし)、先へことづけ、病人にいただかし。それがのどをこしたら療治にかかる。治れば医者も手柄、そのうちにもくつろぐ。そうすれば、ようはやるなり」
と、金光様、医者に説得ありたということを、二代金光様より巳の年に右の次第をまたご説得くだされ、ありがたき幸せに存じ候。

■ 理1・市村光五郎3・11

備後尾道の人参詣をいたし。その節、金光様その人にお話しあるは、
「あなた、西三十三か国を開かれよ。東三十三か国を金光が開く」
と申され。(2)それより、尾道の人信心をいたし、金神様ひれいをいただき、しだいに盛んになり。ある時に心をとがめ(迷わせ)信心を怠り。(3)また金神様へ参り。尾道の人、金光様に、「私も始終勤めておりましたらよろしかったに、やめておりましたで、どうにもならぬ」とお話しあれば、金光様申されしは、
「さりや、さりや。後悔先に立たずということがある」
と説得あり。(4)右の次第を巳の年に、また二代金光様より説得あり。
「丁寧に辛抱第一。大方それでござる。にわか信心、月参り、日参りは続かん」

■ 理1・市村光五郎3・12

「一年に分限者になるような心になるな。二年にも三年にも五年にも出世をするがよし。先は長いぞ。一文二文とためたのは、みてる(尽きる)ことなし。いっこに(一度に)伸ばしたのは、どっとみてるぞ」
と金光様巳の年に説得あり。

■ 理1・市村光五郎3・13

「信心をして神になることを、金光様がお教えくださったのぞ。神国とも言うてある。以後の心得のこと。神になっても、神より上になること無用なり」
と巳の年をご説諭あり。

■ 理1・市村光五郎3・14

賊に物を取られた節には、さっそく品物を改め、役場へ届けること肝要なり。届けいたさずおけば、その賊が上へ捕られた節ご説得あり、何郡何村の誰兵衛方へと白状した時、われに誤りあれば罰金がいるなり。前にお届け肝要なり。

■ 理1・市村光五郎3・15

金光様のおうちへさい銭取りがあるとのこと。その時、金光様お話に、
「いるから取りに来るのじゃ。やっとけい、やっとけい。そういう心のある者は憎いことはない。かわいそうな者」
と金光様はあきらめくだされ、恐れ入り。
(2)「よきことをする人は、その身の信心なり。そこで、心、心」

■ 理1・市村光五郎3・16

世の中はみな、信心するに連れがいるといえども、金光様は、
「信心するに連れはいらん」
と申され、
「信心に連れがいれば、死ぬるにも連れがいるであろう」
とのこと。
(2)「みな、死ぬるには、連れなわんとしおるなり。生き死にの二つ」

■ 理1・市村光五郎3・17

「ありがたきことも内輪(控え目)がよし。おかげを受けられたことも内輪がよし。何事も内輪がよし」
金光様、巳の年にご説諭あり。
(2)「十人は十人ながら違うぞ。そこで一つ手にはいかん」
とのお言葉なり。
(3)「そこで、めいめいの心、心、言うておけば心配なし」

■ 理1・市村光五郎3・18

人と論をいたすような心あって、論すみじ(解決)にならん時、金神を頼んでも、おかげはなし。それでも、一心に早うすみじになりゆくように頼めば、日にちはご縁日をやる(縁日に霊験を現してやる)。

■ 理1・市村光五郎3・19

金神へ参詣をいたして、たずねていんでも、金神の言うとおりにする者一人もなし。みな、いんで、いい加減にねじる(変える)なり。そこでおかげはなし。(2)それで、「わしは金神様へ参りて、たずねてもどり、信心をしておれども、金神様の言われるのは当てにならぬ」と言う人がある。(3)神の言うのは道にあやして(落として)いんで、われがよいようにねじて仕損じて、神を恨む。心の内改めること、第一なり。(4)また、神に一心とは迷いのないこと。

■ 理1・市村光五郎3・20

「そこで、もうこれからは、めいめいの心から心からと言うておけばよし。氏子、一心なければおかげなし。おかげなければ、金神のひれいを失う。神のひれいを失えば、わが徳を失うぞ。そこで、心と言うておけば、ひれいを失うことなし」
と申され。

■ 理1・市村光五郎3・21

金光様、巳の年に、
「雨風も天地の間のもの。神様も天地の間にござる。金神様を一心に願えば風の玉が来ず。信心は押して願うこと第一」
とご説得あり。

■ 理1・市村光五郎3・22

金光様、
「中には、いろはも知らんでも、あなた(神)のおかげを受けていく人がある。これを人徳という」
と巳の年にお言葉あり。

■ 理1・市村光五郎3・23

金光様の仰せに、
「人気が大事」

■ 理1・市村光五郎3・24

今の世は知恵の世、人間がさかしいばかりで、わが身の徳を失うておる。

■ 理1・市村光五郎3・25

家は悪うても、借銭がないのが、金神様は一番お喜びなり。

■ 理1・市村光五郎3・26

人間は顔先(容貌)は次で、魂が一番なり。

■ 理1・市村光五郎3・27

「産み月の延びるのは、子供がよくみだる(発育する)ぞ」
とのこと。(2)また、よく熟れたのが、みばり(実の生育)がよし。みばれば、しいけず(しなびない)。(3)すなわち、ここにためし(実例)あり。備中の国大谷村のわきに、信心いたす女の腹に十一か月十日ほど御宿りあり。まことに安産この上なし。親子ともに体丈夫に成人いたし。(4)それをもとにいたし、信心を忘れず信仰いたし、世間の鑑なり」
金光様のお話なり。

■ 理1・市村光五郎3・28

金光様より巳の年に説得あるは、
「男女で向きが違うなり」

■ 理1・市村光五郎3・29

子供がいらば、男六十までは授けてやるぞ。その代わり、巣が若うなければならず。

■ 理1・市村光五郎3・30

「目が出たり引っこんだりしてしもうて(死んで)おれば、おえん」
とおっしゃる。
「死んでおらねば、信心すれば治るなり」

■ 理1・市村光五郎3・31

目は大事なもの。ごみが入りても痛むもの。その目に金を入れたり、田地も入れ、山も入れ、まだ家も屋敷も入れ。それでは腹をしまう。(2)目に、そう入れてはつぶれる。人間は腹から強うならねばおえぬぞ。

■ 理1・市村光五郎3・32

世の中に何虫がおっても、信心をすればおかげがある。虫がおっても、わざ(害)をいたさねばよかろうがな。

■ 理1・市村光五郎3・33

「いかなお札でもお守りでも汚れておる物も、川へ流すは粗末になる。火で焼けば罪汚れはお廃しなり。つまる所は地に納むるのほかはなし。この地を神様と知らずして、うかうか日々ご無礼積もる。
(2)よって、一年三百六十五日のことを正月元日に頼みおき、また、月三十日のことは一日に頼みおき、一日のことは朝頼みおけ。病んだる時の信心は願いなり。病まぬ時の信心第一。(3)家内中まめ息災、牛馬にいたるまでさしつかえなく、おくり合わせを一心に願えい」
と金光様巳の年にご説得あり。

■ 理1・市村光五郎3・34

「精進とは、弘法大師が魚は生臭いと言うて、あがらず。みな、そのまねをしておるぞ」
(2)金光様は、
「氏子、好き不好きがある。好いた物をば食べるがよし。嫌いな物は食わぬがよし。みな、食べて死んでおる」

■ 理1・市村光五郎3・35

「三社の託宣に向かい、手をたたき、またお祓をあげても、心に違いあればおかげはなし」
金光様お話しあるは、
「三社の託宣とわが心と日に日に合わしておれば、これがその身の信心なり」

■ 理1・市村光五郎3・36

神様を久しゅう拝めば、家内がやかましゅう言おうがな。そこで、金神は手をたたかんでもお祓はあげんでも、さしつかえのないがよい、とおっしゃる。

■ 理1・市村光五郎3・37

家の内は、ひとり信心はできん。夫婦メオトそろわねば信心ができず。神様に礼儀(礼拝)いたす時、家内が「もう、やめにしなされ。それより、お茶でもたくがよい」と言おうがな。金神はさしつかえんことを願う。

■ 理1・市村光五郎3・38

「表は何派についておっても何宗旨でも、窓のふた(表向きのこと)。心違タガわずば金神は氏子守る」
とのこと。

■ 理1・市村光五郎3・39

金光様申されしは、
「拝むのを聞いて習うというような心になれば、おかげがあるぞ」
(2)また、
「言うことを聞かねばおかげがないぞ」
とご説諭くだされ候。

■ 理1・市村光五郎3・40

「何事もくぎづけでなし。信心をめいめいにしておらねば長う続かん」
とおっしゃる。

■ 理1・市村光五郎3・41

金光様、巳の年に心をお話しあるは、
「信心をしておれば、よい者は来ん」
とお知らせくだされ候。

■ 理1・市村光五郎3・42

「今年は早稲がよいか中手がよいか晩稲がよいかと言うて、いろいろのことをたずねに来ても、金光は指図はいたさず。指図をしても、信心なければおかげはなし。おかげがなければ神を恨むぞ。そこで指図をいたさず。指図をせねば心配がなし。その年のまん(運)その時のまんと言うておけばよし。(2)それでも、金神に氏子一心に信心をして、お札でもいただくというぐらいの心の者には、金光が何か言うて聞かす」
とのお言葉あり。心なり。

■ 理1・市村光五郎3・43

金光様、巳の年に、
「心ひそかにして、この信心はいけよ。日にちさえたっていけば、世間が広うなっていく」
とのお言葉あり。(2)金光様、巳の年に、
「いかなる者がむしんに来ても、銭がないと言えばよし」
と御知恵くだされ候。

■ 理1・市村光五郎3・44

「『人がやかましゅう言うて来れば、表はひいて、わら細工をしたり、田んぼをしおれば、みなそこへたずねて来る。そこで話をしていなす。拝むことは夜にしとる』と言う人もある」
とのお話もあり。
(2)「金神様は『表はひそかにしておっても、氏子、心違タガわずば金神はおかげはやる』とおっしゃる。金神様とわが心と、違わぬことが肝要なり」

■ 理1・市村光五郎3・45

金光様、巳の年に、
「話を聞きに来たり、見に来たりするような心では、おかげが受けられん。信心の第一、お話は雨気、天気には暇なし」

 

..大喜田喜三郎の伝え

■ 理1・大喜田喜三郎・1

明治四年四月中、御本社オンモトヤシロ参詣の節、金光様のお言葉に、
「備前にも出社も多くあり、また信者も多く候えども、このことを話す者は備前に三人しかなし。児島郡林村信者と岡山の白神と亥の年(大喜田喜三郎)とへ話す。ほかへは話さぬ」
と申されて、教祖金光大神様のもともとよりそれまでのご修行の次第、残らずお伝えに相成り候事。これは恐れ多く存じ、略す。

■ 理1・大喜田喜三郎・2

その時のご裁伝に、
「県の役員にても、役に立つ人にても役を解かれる人もあり。お道も同様にて、信心の強い者にても世に出ぬ者がある。あれがという人でも、今盛んに発達する者もできる。(2)亥の年も、いかがのことあるとも必ず信心をやめてはならぬぞ。先をたのしみ。またまた世に現わるることもあるぞ」
と。その年毎月参詣の節、ご裁伝に、いつも同じことこれあり候。
(3)「信心は、いかがのことあるとも心をひそめて」
と仰せらる。それが。今世に出て、教祖生神様御事を相守りおり候なり。

■ 理1・大喜田喜三郎・3

明治七年中、教祖大神様の仰せられたるには、
「先年は、みな神名を下げてありたるに、今は自分免許というて、その方の神様より御直に神名を下げられるぞ」
とありて、そのおかげをこうむりたることもあり。

■ 理1・大喜田喜三郎・4

生神教祖様へご神号のご真筆相願い候ところ、
「亥の年、ご神号をお前書けよ」
と仰せられ候につき、(2)それは恐れ多く候間、なにとぞご真筆をと願い奉り候ところ、
「金光が許したるうえは何もかまうことなし」
と仰せられ。(3)それにても恐れ入り候間、なにとぞ御願い申しあげ候と申し候えば、
「金光が許したるうえはさしつかえなし」
と仰せられたることもこれあり候なり。

■ 理1・大喜田喜三郎・5

七年、またまた参詣の節、神号ご真筆願いあげ候ところ、
「先月参詣の節、金光が教えたるとおりにせよ」
と仰せられ候えども、(2)押して願いあげ候えば、「そうあることなら、またついでに書いておく」
と仰せられ候なり。

■ 理1・大喜田喜三郎・6

金光様が、
「亥の年、いつぞや頼んだことを神様にお伺いいたしたら、書いてやれいと仰せられたから、書いてあるぞ」
と申され、左の御文をくだされた。

(2)金光大神、天地金乃神、不残金神様、時の中夭(思わぬ災難)災難、盗難、火難、悪事災難お逃しくだされ。氏子の年回りは、入り厄、はね厄、厄晴らしくだされ。
(3)時候のあたり、疲れ、肩癖、かぜ、はやり厄(流行病)病難は、大厄は小厄におまつりかえくだされ、七難八苦の憂いをお逃しくだされ。神々の無礼粗末、行き合い(祟り)見参(同上)故障、人のほのお(恨み)ほむら(同上)恨み、生き霊死霊の訪ねがござりましょうとも、あなた(神)のお手続きにて精霊ショウリョウはお道立てをおやりくだされ。
(4)あなたのご方角に向かい、ご無礼お粗末ござりましょうとも、年の御回り、ご眷族、月、日、時、刻限、昼夜の御回りに向かいて、ご無礼お粗末ござりましょうとも、日々ご方角を改めてご信心つかまつる氏子にござりましては、いかなるご無礼お粗末がござりましょうとも、おさし許しくだされ。
(5)別条ござりませねば、願主の願い成就仕り、残る家内中、無事堅固、寿命長久、御願いあげ奉り。
(6)氏子の望みがござりますれば、普請作事、縁談縁組み、他行(他出)宅がえ、他所勤め、道中船中、海上安全、風しけ難をもお逃しくだされ、どこのいずくへ参りましょうとも、年限詰め中(期限つきの勤めの間)無事で相勤め、帰宅つかまつり候よう願いあげ奉り。
(7)うちうち、家内安全、諸商売、諸職人、諸けいこ、できよし願いあげ奉り。
(8)若葉の身の上、利口発明、知恵分別、もの覚えよきように御願いあげ奉り。
(9)商売は、買い場、売り場都合よきよう御くり合わせを願いあげ奉り。
(10)作徳、しつけ(植えつけ)ありつき(根つき)出来立ち(作物の生長)よし、這う虫の災い、物怪、物つきござりませぬように、五穀成就、牛馬にいたるまで息災延命、運気運勢開運、出世繁盛、懇意な所、一家、親類にいたるまで繁栄を願いあげ奉り。
(11)漁海は大漁の御くり合わせを願いあげ奉る。
(12)うちうち、女は妊娠、身の軽し、安産やすきことを願いあげ奉り。月役、火止まり(妊娠)順合いを願いあげ奉り。

(13)「この文を、金光が朝晩お願いもうしておる。亥の年、この文のとおりお願いせよ。また、信者へも教えよ」
と仰せられてお書き下げくだされた御文でござります。

 

..荻原須喜の伝え

■ 理1・荻原須喜・1

明治六年旧九月、私は二年間の血の道にて、病床に呻吟していた。父利喜三、母佐登も、夫の豊松も、私とともに当惑していた。(2)無論、この間、医師、薬におろそかもなく、加持祈祷に手落ちもなく、よき薬あり、よき加持祈祷ありと聞けば、時のいかんも遠近もなく、すみやかに頼り求めて快方に向くことを願うていたが、何の験もあらばこそ、月日重なるに従って、草木の根がだんだん土中にからむがごとく、しだいに病気は重りゆくばかりであった。
(3)この時、同じ郡内の彦さんという綿買い商人が来て、金光様のおかげをいただくようにすすめてくださった。この時分には金光様と言わず、金神様金神様と言っていたので、彦さんが「なんと、ここには娘ごがまだ寝ておられるのじゃなあ。どんなぐあいなら」とたずねておいて、「なんと、私は大谷の金神様で、ようおかげを受けておるんじゃが、ここにもひとつ金神様のおかげを受ける気になってはどうなら。私の家内が病気した時にも、子供が大病をした時にも、大谷の金神様へ参って頼んだんじゃが、言われるとおりに、ようなってきた。
(4)また、参ってみりゃ、ほかほかの拝む人とは違うておるぞな。それは、どうも神々しいもんじゃ。まあひとつ参っておみんさい。ありがたいでえ。大谷の金神様が『治る』と言うてくださったら、ぜひようなるぞな。うちにおかげを受けてみて、得心しておるんじゃからなあ。悪いことは言わぬ。まあひとつ、明日の日にでも、参っておみんさい」と、まことに親切に教えてくださった。
(5)そこで、その翌日、利喜三が参詣して、「私は西阿知から参った者でござります。私の娘が、はや二年間、血の道で寝ておりますが、もはや本人はもとより、がわの者も当惑いたしております。なにとぞ、金神様のお助けにあずかりとうござります。ご祈祷をしてくだされませ」と願い出た。(6)金光様はやさしく、
「よしよし。娘はなんぼうになるのか」
とおたずねくださったので、「へい、当年二十一歳になります」と申しあげたところが、
(7)「二十一といえば、丑の年じゃのう。信心しなさい。おかげが受けられる。私が拝んでやっても、そっちに信心がのうてはおかげが受けられぬ。信心しなさい。信心さえすりゃ、必ずおかげはあるからのう」
と教えてくださったばかりで、いっこうご祈祷はしてくださらなかった。
(8)何か心残りのように思われはしたが、「これは、ここの流儀であろう。ご祈祷は後でしてくださるのであろう」と思うて帰り、「ともかくも、『信心せよ。おかげはあるから』とおっしゃったのであるから信心しよう」と言うて、神仏に信心しておった。

■ 理1・荻原須喜・2

それから後百日たちても、いっこう何の験も見えず、病気は悪うもならぬがようもならぬ。(2)「これは、やっぱりいけん。彦さんが親切に教えてくれたけれど、うちのは神様のお力にもかなわぬのかも知れぬ」と、また信心も打ち捨てようと思うたのであったが、まあ今一度参ってみようという気になって、利喜三が再び参詣した。(3)すると、金光様は、
「よう参られたが、お前に話してもわからぬからのう。また、連れそう亭主(豊松)も、こげも(すこしも)信心気がないから、二へんとは言わん、一ぺんだけ連れそう亭主を参らせんさい」
と仰せられた。

■ 理1・荻原須喜・3

その翌日、豊松が参詣したところが、金光様が、
「巳の年(豊松)、お前方には信心ができるか」
と仰せになった。(2)「へい、私方には信心はできるかぎりしております」と申しあげたところが、
(3)「どんな信心ができておるか」
と仰せられるので、「へい、日本国中のあらゆる神仏、悉皆信心します」と申しあげた。(4)すると、金光様が、
「それはあまりの信心じゃ。そう信心をし過ぎては、おかげがないわい。(5)その中には、ここがありがたいという所はないか。巳の年、昔から神信心しておかげを受けるのには、一心ということを言おうがな。一心に信心すりゃ、おかげが受けられるのじゃ。お前方の信心は一心になっておらぬ。(6)日本国中の神仏に信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。
(7)たとえて言えば、女でも、いよいよ一心を打ちこむ男は一人しかない。この男こそと思うたら、心の底から一心を出して、身も心も打ちこんでしまうのでなけりゃ、まことの恋ではない。他の男を見下げるのでも、嫌うのでもないけれど、わが身も心も打ちこんでいきたいのはこの男であるというのでなけりゃならぬ。
(8)人にしても、この人が親切なとか、この人が頼みがいがあるということがあろう。何事を人に頼むにも、一人に打ち任すと、その人が自分のおよぶ限りの力を尽くして世話してくれる。二人三人を頼むと、相談に暮れて物事はかどらぬ。
(9)また大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。何でも、芯というたら一つしかない。日本の国でいうと天子様が芯、県では県令が芯、村には戸長、家には亭主という芯があろうが。草木にしても芯というたら一つに限る。神信心もこの一心というものを出すと、すぐおかげをいただける。
(10)この金神という神は、普請するに、知らずにすれば牛馬七匹、知ってすれば亭主より七墓築かすと、昔から言い伝えるじゃないか。そのようなむつかしい神なら、頼みがいがある。心安くしておかげを受ける方がよかろうじゃないか。
(11)ここへ信心せえと言うのじゃない。どこでもよい。お前方の好きな所へ信心すりゃ、それでよいのじゃ。何様ではおかげがないということはない。(12)人間でも、いよいよ身も心も打ちこんで頼まれりゃ、どうでもこうでも助けてあげにゃならぬという心になって、わが力にかなわぬ時は人に頼んででも助けてあげようが。(13)神も一つこと。ご自分でかなわぬ時は、神から神に頼んででも助けてくださるから、神に力がたらぬということはない。どこでもよいから一心に信心せよと言うのであるぞ。巳の年、わかったかや」
と仰せられた。

■ 理1・荻原須喜・4

このお話を生神様からいただいた豊松は、まことにもったいなく思い、今までの自分らの信心は信心にも何にもなっていなかったことが悟られ、「今から、こなたへ一心になります」とお答えした。(2)すると、
「それはいかぬ。帰って、一家相談のうえでのことにせよ」
と仰せられ、(3)なお、
「今一つ言うて聞かせにゃならぬことがある。丑の年(荻原須喜)はまことに執念な者で、常に不足ばかり並べておるが、不足にはおかげはない。(4)はじめここへ参った時にも、昨日も今日も、参らんでもよいと言おうがな。それぐらいじゃから、日夜、諸事万事に不足ばかり言うておろうがな。こう言おうが。こう言おうが」
と何十となく、私の言うていることに一分一厘違わぬことをおっしゃり、
(5)「それじゃから、病気もしておるのじゃ。ようもならぬのじゃ。いんで、丑の年に言うてみい。そうして、丑の年が、なるほど私は悪かったということが腹の底から得心がいったら、家内中相談のうえで好きな所へ信心せよ。きっとおかげが受けられるからのう。(6)もし丑の年にその得心がいって、相談のうえで、ここでおかげを受けるということなら、もう一ぺん参りなさい」
と仰せになった。

■ 理1・荻原須喜・5

豊松はもったいなく、ありがたく、宙を飛んでわが家へ立ち帰り、病床なる私の枕べにて、一部始終を物語った。(2)私は「なるほど、もっともです。私はまことに悪い者でありました。ねじけ根性でありました。ほんにご無礼な心を持っておりました。ようまあ、これぐらいな難儀でおられたことじゃ。諸事万事について、不足とわがままよりほかの心はなかった。一寸きざみにせられてもしかたのない人間でありました。改心せんで、どうしますか」(3)「お前がそうなってくれたら、このうえありがたいことはない。家内中それで助かるのじゃから。それなら、どこへ信心するか」
(4)私が「それは、どこじゃない。こういうことを教えてくださった金神様へ信心せんで、どうしますか」と言い、(5)そばで聞いて、うれし涙を流していた利喜三も佐登も、「お前らがそうなったら、大谷の金神様へ信心するのが一番よい」と言ったので、ここに大谷の金神様でおかげをいただくことに一決した。
(6)そこで、翌日また豊松が参詣したところが、何も一言も申しあげぬうちに、
「巳の年、よう参られたのう。今度はおかげが受けられるぞ。三週間を楽しんでおかげをいただきなさい。わざに此方まで参らんでも、神は千里が末も一目じゃからのう。うちから信心しておかげをいただきなさい。三里四里を参って来うと思えば、一日の仕事を欠けにゃならず、こづかいもいり、弁当もこしらえにゃならぬからのう」
と仰せられた。(7)まことに言うに言われぬありがたさ、もったいなさで帰り、それより大谷の方角に向いて、また金神様の神棚ミタナに向かって、日夜信心していたが、十六日目にはじめて頭があがり、二十一日目には二年以前の壮健な時の身と何ら変わるところもなかった。

■ 理1・荻原須喜・6

これなら、大谷まで三里あろうが四里あろうが、ぼつぼつ参れば参られぬことはあるまいと、豊松について金光様のもとにお参りした。(2)その時、私は、もったいなくてもったいなくて、何ともかとも言えぬありがたさで、金光様のおそばに頭を畳にすりつけて言葉も出ず、夢中でお礼を申しあげていたら、(3)金光様が、
「丑の年、ありがたいかや」
とおたずねになった。そのお言葉につられて、ようやく、「金光様、もう何も申しあげられませぬ」と泣くばかりであった。(4)金光様は、まことにおやさしい声で、
「そうかそうか。それは何より結構じゃ。よく、おかげを受けなさったのう。こんなにありがたい心に早くなれば、二か年も難儀せんでもよかったのに。(5)もう、今まで長う痛うてつらかったことと、今おかげを受けてありがたいことと、その二つを忘れなよう。その二つを忘れさえせにゃ、その方の病気は二度と起こらぬぞよう。
(6)こからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ。
(7)今の心でのう、おかげを受けていけば、病気が起こらぬばかりじゃない。子孫の末までおかげを受けられるぞ。(8)丑の年、西阿知の生き手本にしてやる。今は病気が治ってありがたいのじゃけれど、人間は生き通しにゃならぬものじゃのう。わずか六十か七十になると死なねばならぬのじゃから、名を残して死なしてやる。(9)人は一代、名は末代というてのう、人間は死ぬけれど、善いことをしたとか悪いことをしたとかいう名は死ぬものじゃないからのう。何でも、よい名を残して死になさい。
(10)丑の年、西阿知が始まってこのかたないことができたというようなおかげをいただかれるぞ。お社を建てさせてやるぞよう」
と次から次へありがたいお言葉をくださったので、私はありがたさ骨身にとおりて帰宅した。
(11)それから、一日のうちには何度となく金光様のお棚に御礼を申しあげ、痛いという人あるごとに、とりあえず、「すみやかにこの氏子がおかげをいただきまして、病気平癒いたしますように」とご祈念していたが、だれ言うとなく、「お須喜さんは、痛い者があれば拝んでくれるのじゃ」と言い伝えるようになり、だんだん頼む人ができた。おかげはぴしぴしと立ってくるので、しだいに頼む人も増えてきた。
(12)私はわが身のおかげに感泣していたのであるが、そのうえに人のことまでおかげがいただけるとは何とありがたいことであろうと、日夜ありがた涙にむせんでいた。

■ 理1・荻原須喜・7

さて、その翌年明治七年になっても子供ができぬので、「これも金光様に頼んだら授けてくださるかも知れぬ。一ぺん、二人連れのうて参ろう」と夫婦連れで旧四月十五日に参詣して、「金光様、私らには日夜、身に余るおかげをいただきまして、このうえありがたいことはありませぬが、まだ子供ができませぬので子供を授けていただきとうござりますが」とお願い申しあげたところが、(2)金光様が、
「うん、それは神の方で、はや授けようと思うてござる。今年の九月を楽しんでおるがよい」
と仰せられた。(3)そのとおり、その年九月にとまって、できたのが源兵衛とて、今年(大正一二)四十九歳になる総領息子である。

■ 理1・荻原須喜・8

ますます、ありがたしと信心していたが、明治八年九月に参詣した時に、金光様が、
「丑の年(須喜)、親のもちかえはできぬものじゃからのう。親を大切にしなさいよう。来年の四月二十一日には丑の年(利喜三)が安心のおかげをいただくぞ」
と仰せられた。(2)そこで、「父も来年の四月二十一日までの寿命かな。大切に大切に」と家内中その心を忘れず、何かと注意してできるだけ大切にしていたが、その年も過ぎ、正月も二月も三月も過ぎ、四月になり、四月二十一日になっても何の変わった様子もなかった。(3)「金光様の仰せに百に一つの間違いもないのだが、このことばかりは違うておった」と、その朝、夫婦語り合うていたが、利喜三は村内の高原松之助さんと大話をしながら、裏の菜園で種をまいていた。(4)それがすんだのが午後二時ごろで、松之助さんは帰り、利喜三は家に入って、「お須、少し気分が悪いから、お茶を一杯持って来てくれ」と言った。私は聞くより早く、宙を飛んでお茶を持って行ったが、そのお茶を飲む間もなく、ううんと後ろへそって、そのまま亡くなった。
(5)先に源兵衛お授けの時も少しも違わずお授けになり、この度、利喜三のお引き取りも一分一厘違わぬが、ただ単に違わずに前からわかるだけではない。神が人を造りも殺しもし、あるいはまた病気も差し向け、快癒もさし、神が自由自在にしてござることを思わしていただく。

■ 理1・荻原須喜・9

妊娠の時、腹帯はいらぬ。また出産の時、ふとんにもたれ、また俵に寄りかかることはないぞよう。産子には水や五香はいらぬ。すぐにお神酒をいただかせて、初乳を捨てず、すぐに飲ませてよいぞよう。

■ 理1・荻原須喜・10

汚れ不浄を言うなよう。一皮の内には、みな包んでおるのじゃからのう。手足、体を洗うより、腹の内を洗うことをせよ。

■ 理1・荻原須喜・11

火急の場合には、祓じゃ経文じゃいうて手間取っておっては、間に合わぬ。田んぼにある時は、田の水でもつけてやったり、また土のない所はないのだから、土をつけてやっておかげを願えば、すぐおかげをくださるぞよう。

■ 理1・荻原須喜・12

丑の年、痛いのが治ったのがありがたいのではないぞよう。まめなのがありがたいのぞよう。

■ 理1・荻原須喜・13

みな、祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ。

■ 理1・荻原須喜・14

氏子、神はまめな体を与えてやってあるのに、持病じゃ持病じゃ言うて、一生持って患うから、どうならんがな。

■ 理1・荻原須喜・15

氏子、何十年つぶれておった目でも、一心さえ届けば明けてやる。

■ 理1・荻原須喜・16

氏子は、一枚紙(薄紙)をはぐようによくなるというが、そうではない。一枚紙を張るようによくなるのぞ。

■ 理1・荻原須喜・17

思う念力岩でもとおすというが、氏子が一心を出して願えば、どんなことでもかなえてくださるぞよう。

■ 理1・荻原須喜・18

氏子、信心しておってものう、よいことばかりはない。また悪いこともある。難というものは、手にでものう、表と裏とがあるようなもので、裏の出る悪い時にはのう、早う表の出るようにおかげを受けなさいよ。

■ 理1・荻原須喜・19

信心をして、おかげがあるとかないとか言うけれど、十年辛抱すればどんな者でもおかげをくださるぞよう。

■ 理1・荻原須喜・20

悪なりと思うことは、何事もなすことなかれ。

■ 理1・荻原須喜・21

死に際にも、なおお願いせよ。

■ 理1・荻原須喜・22

幾百万の金も、おかげの元手にはならざるものぞ。

■ 理1・荻原須喜・23

お供え物とおかげは、相つきものにはあらず。

■ 理1・荻原須喜・24

何病気にも、忌み毒断てなしにおかげをいただけ。

■ 理1・荻原須喜・25

いかなる知者徳者も、生まれる日と死ぬる日とは無茶苦茶である。途中でばかり、日柄とか何とかかとか言う。いかなる所、いかなる時、いかなる方も、人間によきは、よき所、よき日、よき方なり。日柄方位などは、神が氏子を苦しめることではない。

■ 理1・荻原須喜・26

五人の子供の中に、くずの子が一人あれば、くずの子ほどかわいいのが親の心。神ものう、不信心の者ほどかわいい。信心しておかげを受けなさいよう。

■ 理1・荻原須喜・27

丑の年、人を頼むにも、日常心安くしておかぬと間に合わぬ。神様も、常日ごろの信心がなければ、まさかの時の間に合わぬぞよう。

■ 理1・荻原須喜・28

丑の年、ここへはお礼にばかり参るようになれいよう。

■ 理1・荻原須喜・29

参ろう参ろう言うて、人を誘うなよう。あの人が誘うてくれて、こづかいがいったなどと言うては、おかげはないぞよう。

■ 理1・荻原須喜・30

これから髪を結うとか、湯を使うとか言うて、よだって(大儀がって)参らんでも、うちで拝んでおけば一つことじゃから、さいさい参られるなよう。

■ 理1・荻原須喜・31

子供を叱るにも、ご飯をこぼすと、三宝様もったいないと言おうがな。三宝様とは、日乃神、月乃神、金乃神の三つ合わせて、世界の三宝様なり。朝起きてお茶をたくにも、日乃神様の火に、月乃神様の水を入れ、くどは金乃神様の土なり。

■ 理1・荻原須喜・32

丑の年、思うたことは口に出さずとも、神は受け取っておるぞよう。

■ 理1・荻原須喜・33

ある信者、「私は人のことを神様に願うてやって、その者がおかげを受けると、すぐ私方に患う」と金光様に上申するや、
「それは、わが力のないのに手もとに持っておるから患う。この広前へ持って来い。取りさばいてやる」

■ 理1・荻原須喜・34

窪屋郡富久村堀兼吉参拝の時、賀陽郡総社村の者来合わせ、金光様にお願いして、
「その方のように、あちらこちらうろたえる者には、拝んでやらぬ」
と叱られて、兼吉仲に立ちて、ようやく取次をいただいたとの話あり。

■ 理1・荻原須喜・35

建てた柱はたおれることがあるからのう。つったのれんにもたれる心になっておかげを受けなさい。

 

..勝田藤左衛門の伝え

■ 理1・勝田藤左衛門・1

明治十四年三月二十一日、唐樋常蔵師と同伴にて大本社に参拝をなし、金光大神様よりお声静かに、
「信心しておかげを受けよ」
とのご神訓をいただき、ありがたく深く一心に拝聴し、おかげを受く。

 

..神原八重松の伝え

■ 理1・神原八重松・1

目先の欲を放して、いずれ(将来)の徳を取れ。

■ 理1・神原八重松・2

立ち木にたとえれば、根もとを忘れて枝葉に目をつけると、そのもとを知らぬ間に虫が食い、一緒にたおれる。ゆえに、そのもとに心をつけよ。

 

..近藤藤守の伝え

■ 理1・近藤藤守・1

金神ぞ。粗末にすると荒れ地になるぞ。

■ 理1・近藤藤守・2

金神は、祟り神、障り神と人は言おうがのう。金神は、幸いの神、福の神じゃ。

■ 理1・近藤藤守・3

天地金乃神はのう、獣ケモノをお使いにはならぬ。まあ、眷族といえば人じゃろう。一家の中でも、主人夫婦を抜いたら、後はみな眷族じゃろうがのう。天地の眷族は、天地の人じゃろうのう。

■ 理1・近藤藤守・4

金の杖をつけば曲がるし、竹や木の杖をつけば折れるし、神を杖につけばよいのう。神は、曲がりも折れも死にもなさらぬからのう。

■ 理1・近藤藤守・5

金乃神は乃は、之は違うのじゃ。乃でなければ神様のみ名にならぬのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・6

恐れながらとよく言われるがのう。恐れるくらいなら頼まぬがよろしい。恐れながらということは用いなさるな。また、不思議とか妙とか言うのは、神を疑うのじゃから、これも言わぬがよい。

■ 理1・近藤藤守・7

「金光様、素盞鳴神スサノオノカミと金乃神様とは一つの神様でござりますか」
「そう、同じことです」
その人は、「それでわかりました。ありがとう」と立ち帰った。(2)それをかたわらに聞きておられし二代白神様が、「あれは真実じゃろうか」と自分に聞かれるから、「それは違う」と答えた。すると、白神様は、「けれども、金光様はうそはつきなされはすまい」といわれた。(3)自分が、「それでも違う。あの人はそう思うておるから、そうおっしゃったのであろう。疑わしくば、金光様にお伺いせられよ」と言えば、白神様はすぐに広前に参られ、「今仰せられた、素盞鳴命と天地金乃神様とは一つでござりますか」とお伺いせられた。(4)教祖、
「そうじゃのう。天地金乃神は素盞鳴神くらいはお使いなさるじゃろうのう」

■ 理1・近藤藤守・8

信心しても、氏子から暇を取る者があるが、三度まではわびてくれば許す。しかし、神は暇は出さぬが、氏子から暇を取るなよ。神に暇を出されたならば、どのくらいわびたとて、もとへ返りはせぬぞよ。

■ 理1・近藤藤守・9

天地のことをあれやこれやと言う人がありますが、人では天地のことはわかりませぬ。天地のことが人でわかれば、潮の満ち干がとまりましょう。

■ 理1・近藤藤守・10

みな、神様に捨てられた捨てられたと言いますが、神はめったに捨てはせぬ。みな、氏子から神を捨てますのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・11

一生死なぬ父母に取りついたと思うて、何事でも無理と思わず、天地の神にすがればよい。

■ 理1・近藤藤守・12

神様は罰バチを当てなさらぬ。氏子から罰を当てぬようになされよ。

■ 理1・近藤藤守・13

家内が夜遅くまで寝ず、朝早く起き、体が弱るので、金光様にお伺いした時、
「神は昼夜は続くけれど、人は肉体であるから、昼夜は続かぬぞよ。星をいただいて起き、星をいただいて休ましてもらえばよいのう」

■ 理1・近藤藤守・14

日月の神を肉眼で直に拝むのはいかん。うつむいてお礼するがよろしい。

■ 理1・近藤藤守・15

「どうすれば、神様のみ心にかない奉る信心でありますか」とおたずねした時、
「神様のみ心は、わしもわからぬ。もの言わぬようになればわかるじゃろう。なあ近藤さん、昔から、八十の手習いといおうが。けっして、これで書けたと思うなよ。生涯が手習いじゃ」

■ 理1・近藤藤守・16

氏子、神に投げた銭はただでは取りはせぬぞ。氏子、昔から一粒万倍といおうがのう。大地に米一粒まいてみい、一合になるじゃろう。また年明けて、その一合をまいてみい、一俵になろう。②まあ、天地の神へ投げた物は、まあ、そんなもので、神に投げた物はただでは取りはせぬぞ。一粒万倍にして返してやるぞ。

■ 理1・近藤藤守・17

人はうそでだまされるけれど、神はだまされはせぬ。

■ 理1・近藤藤守・18

お書下(天地書附)について仰せらる。
「これは、けっして守りではない。朝夕によく見える所へ張っておくのじゃ。そして、これを忘れぬようにしておればよい。これはまあ、そろばんの玉と同じことじゃ。二一天作の八と置いたら合わぬが、二一天作の五と置いたら合うのじゃ。この書附もそのとおり、書いたとおりを忘れずにおいたら心配はない。おかげは受けられます」

■ 理1・近藤藤守・19

神様をまつりますのに無理をしましてのう、節季の来ました時に、ああ、あの時にお社を買いさえせねば、この節季ができたのにというようなことでは、神様のご機感(み心)にかなわぬによって、氏子はなあ、節季の払いをすまして金が余ったら、これだけ食い余りができたと思うて、これをもって神様のお社を買わしていただけ。氏子の食い余りをもって立派にまつられることは神様のご機感にかなうが、無理をしてまつられたのは神様のご機感にかないませぬ。

■ 理1・近藤藤守・20

此方金光大神、もの言わぬようになったら、裁伝、手みくじは廃するぞよ。その代わり、心をしずめて大祓詞を奉れよ。その間に、神は良し悪しは知らしてやるぞよ。

■ 理1・近藤藤守・21

備中富岡に杉田万吉といいます牛博労の人があります。その人は玉島の小谷清蔵さんの所ではじめておかげを受け、それより毎月、この大谷を通りこして玉島へ先に参り、後、ここへ参詣せられる。これが手厚い真の信心で、教えの親の手続き手続きと伝うて参詣ができます。道、道を忘れぬのが、真の信心と言います。

■ 理1・近藤藤守・22

金光様は大いにご肥満のお体にあらせられたり。
「わしもはじめ三年ほどは、神様から、『あぐらをかいておれい。人が来たら座ればよい』と仰せられたからあぐらをかいておったので、足の悪い人はあぐらをかかして話を聞かしてやりなされ」

■ 理1・近藤藤守・23

家を建てるに勝手のことをし、自由に建てるから神様に叱られるのじゃ。神仏、お上でも、建物をする時には地祭りというて神をまつろうがな。人も、建物をする時には天地金乃神に頼んですればらくじゃ。

■ 理1・近藤藤守・24

明き方、明き方というて普請はしますけれど、明き方というてはありはしませぬ。人でも留守をねろうてみなされ、よきことはありますまい。家内が夫の留守をねらうは、ろくなことではありません。明き方、明き方と留守をねらわずとも、ふさがりといえば神様がござるのじゃから、お願い申していけばらくでしょう。

■ 理1・近藤藤守・25

尾道の信者、雪隠(便所)のつぼ浮きあがりしにつき、お願いせし時、
「大地あらん限りお借り申しますと願うておけばらくじゃ」

■ 理1・近藤藤守・26

先祖、先祖よりの罪をわびよ。めぐりは、ひなたに氷のごとくお取り払いくださるぞ。

■ 理1・近藤藤守・27

めぐりは四十歳までに取り払うてやる。年寄って病んでみよ。「世話したとて、全快しても仕事の間に合わず。捨てとけ」と人は言うであろう。(2)若い時に病んだら、人は世話してくれる。「全快すれば使えるゆえ」と言いましょう。よって、四十までに、めぐりを神が取ってくださるゆえ、つらいことも四十までで、後は楽ができます。

■ 理1・近藤藤守・28

氏子が神に、めぐりを取り払うてくれいと頼むから、神がめぐりを取り払うてやろうとすれば、氏子はあまりに痛いから、よろしいと逃げますのじゃ。神も、せっかく出した手を引っこめてしまうわい。

■ 理1・近藤藤守・29

隠居は必ずすなよ。隠居とは隠れ居るじゃろう。隠れてしまえば、死ぬことじゃ。隠居はせぬがよい。

■ 理1・近藤藤守・30

人は五十以上になると隠居をしますが、隠居は幾つ何十になってもするものではありませぬ。人は天地の神が天地の内に働くようにお造りなされたのじゃから、幾つ何十になっても手足の動く限りは働きますのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・31

子供は、五歳まではわが子と思うなよ。五つまでにけがをさしたら親の罪で、五歳以上になれば本人のとがじゃ。五歳までに死んでも、わが子ではないから悲しむにおよばぬが、わが罪あることを神様へおわび申して、育つ子をいただくのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・32

神様へ物を供えようとすると、子がそれをくれと言うたら、子に先にやればよいのう。子供が喜ぶ。子供が喜べば、神もお喜びになる。

■ 理1・近藤藤守・33

信心して亭主が徳を受けたならば、家内はともに受けますのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・34

女房は朝、神様を拝して、それから夫の後ろから、主人様と、拝む心になれよ。

■ 理1・近藤藤守・35

一心に信心すれば、隣知らずの安産ができます。

■ 理1・近藤藤守・36

のう近藤さん、一心に信仰する者ならば、いとこの端までもおかげをいただくぞな。

■ 理1・近藤藤守・37

近藤さん、広いことを教えてやられたのう。土をもって病を治すことを教えたかのう。それでは、神からも一つ教えておいてやろう。(2)土でも水でも病が治るといえば、人間は薬の上におるようなものじゃのう。海の水は塩水じゃが、塩水でも真水でも、水といえば一つじゃ。

■ 理1・近藤藤守・38

主人と病には勝てぬというが、神に一心に願うて、主人には勝てぬが病には勝ちなされよ。楽寝ラクネはしても、病み寝はせぬがよろしい。

■ 理1・近藤藤守・39

ついた病気はすぐ治してくださるが、心から起こした病気は神も治せぬ。氏子、心配して心から患わぬようにせよ。

■ 理1・近藤藤守・40

信心しておるから一生患わぬと思うなよ。日月の神でも、日食もあれば、月食もある。まあ、そんな道理のものじゃ。信心しても、人の身は生身じゃ。患うということは、あるものと決めて、また死なんと決めておけばよい。

■ 理1・近藤藤守・41

好きは身の薬で、嫌いな物は毒です。病気になりますと、嫌いな物をのんで、後で口なおしと言うて好きな物を少し食べますがな。そのなおす物が少ないから、病気の治るのも遅いのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・42

私は持病で困りますと言う人がありますが、人をこしらえるに、病気を持たせて神様がこしらえなさらん。われから病気が好きで持っておられるのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・43

食べます物は、嫌いな物は食べぬがよろしい。好きな物は身の薬じゃからのう、好きな物はせいだいいただくがよろしい。(2)けれどもなあ、好きな物も十分食べますと、こぼれます。それで腹八分目という例えもあります。茶わん八分目、水を入れて持ってみなされ。少し走ってもこぼれはしますまい。まあ、そういう物の道理じゃ。(3)好きな物を食べて体が丈夫になれば、そこでもうよいと言うてから、また好きな物ができたからと一杯飲めば一杯だけ、一膳食えば一膳だけ無礼になるぞよ。

■ 理1・近藤藤守・44

楠クスノキは石になるというがのう、あまり堅いばかりでは床の柱にもならぬ。人間もあまり堅いと、くすな人じゃといおうがのう。

■ 理1・近藤藤守・45

一厘の銭も割って使う気になれよ。

■ 理1・近藤藤守・46

信心する者は犬猫にまで憎まれぬようにせよ。また、犬猫にまでも敵をこしらえるな。

■ 理1・近藤藤守・47

信心しておれば途中死にはさせぬぞ。

■ 理1・近藤藤守・48

家例(家のおきて)と約束事とはするなよ。

■ 理1・近藤藤守・49

死ぬるということは言わぬがよい。もの言わぬようになったと言うておけばよい。

■ 理1・近藤藤守・50

正月はめでたいものじゃ。世の言葉に正五九ということがあろうが。この三期を縮めると、正月三が日となる。(2)正月一日に神に伺えば、正、二、三、四、この四か月のことは教える。二日が五、六、七、八、三日は九、十、十一、十二と教える。(3)のう近藤さん、そこで正月三が日をもって一年中のことを伺うておきさえすれば、みな、神が教えてやる。その徳を受けられよ。

■ 理1・近藤藤守・51

一年のことは三が日にあります。一日に寝れば、一、二、三、四、二日に寝れば、五、六、七、八、三日に寝れば九、十、十一、十二に病気する。また、悪しきことも同じじゃ。信心する人は慎めよと神様はみ教えになる。

■ 理1・近藤藤守・52

なあ近藤さん、今、神様の仰せられたとおりでのう、正月は一年中のことを祝うので、まことにめでたいものじゃ。よって、氏子は腹が立っても、三が日じゃ、怒るな怒るなと言うじゃろう。(2)よってのう、日々元日の心で暮らしてのう、日が暮れりゃ大晦日と思い、日々うれしゅう暮らしますのじゃ。そうすれば家内に不和はないのじゃ。日々うれしゅう、元日の心で暮らせばよいのう。

■ 理1・近藤藤守・53

水を粗末に使うてはなりませぬ。麦まきして麦を取り入れるまで、一穂の麦に五合の水がいりますのじゃ。そこで五合水を使えば,麦一穂捨てるようになりますのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・54

金を借りれば利息が出るのう。利息の出ぬ金を借ればよい。

■ 理1・近藤藤守・55

世の中には、わずかな利息に迷うて大きな損をする人があります。また、金を貸してくれと言うて来るのは、つまらぬからじゃ。それに金を貸してやるというのは、その人を助けるので、真に助けてやればよいが、返さぬ時には訴えて苦しめておりましょうがなあ。それでは、助けるのではのうて、苦しめるようなものです。金を貸すなら、はじめからやればよろしい。

■ 理1・近藤藤守・56

真マコトの信心をすれば、敵倍(相手の力の二倍)の力を授けてくださる。

■ 理1・近藤藤守・57

人はいろいろと言いますけれども、肉眼で見ますれば、天が一番高い、地が一番低い。高いてっぺんと低いてっぺんとへ頼んでおりますれば、一番楽でしょうがな。

■ 理1・近藤藤守・58

信心は手厚くせよ。うちで信心しておりますと言うのは、信心の抜けたはじめじゃ。(2)手厚く信心する者は、夢を見ても、うかつに見るなよ。神は、夢にでも良し悪しを教えてやるぞ。

■ 理1・近藤藤守・59

教祖より鉄の杖をたまわる時に仰せられしこと。
「ある冬の大雪の時であった。神様が『金光、一度、山をまわってみよ。今日は銀世界じゃぞよ。それ、そこに金の杖がある。雪の中は危ないから、それをついて行かれい』と仰せられた。(2)ありがとうござりますと、その杖をついて木綿崎を一巡めぐらしていただいたが、その年はごく冷えましたのでなあ、神様は、一度、山の中を歩かしてくだされたのじゃ。その杖はこれじゃ。近藤さん、あげましょう。これは身につく杖ではありませぬ。心につくのじゃ」

■ 理1・近藤藤守・60

人に頭から小便をかけられても、ありがたい、肥料が効いて太ると思い、喜ぶのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・61

信心する人は、人に頭をたたかれても、「私の頭は痛みませんが、あなたの手は痛みませんか」という心になり、また、頭から小便かけられても、ぬくい雨が降って来たと思えばらくじゃ。

■ 理1・近藤藤守・62

明治十五年の寒に参拝の節、
「一心におすがり申して、一年まさりの信心をして三年たった者を、一人前の信者と言うのじゃ。(2)また、先生は、十年間お広前を勤めさしてもろうて、礼奉公一年とわが身の礼奉公を一年して、都合十二年勤めてはじめて先生の仲間入りができますのじゃ。大工さんも、十年勤めて一年の礼奉公勤めねば一人前になるまい」

■ 理1・近藤藤守・63

岩倉具視公、病気危篤につき、賀茂の神主より、立売堀イタチボリの広前(二代白神新一郎の広前)へ願いに来られ、教祖の神にお伺いした時、
「本人が信仰せられませねば、おかげはありますまい。おかげはわが心じゃ。めいめいの信心がなければ助からんのう」

■ 理1・近藤藤守・64

弘法大師は、無常の風は時を嫌わぬと言うたがのう、此方金光大神の教えは無常の風が時を嫌うぞよ。

■ 理1・近藤藤守・65

信心には連れはなしじゃ。

■ 理1・近藤藤守・66

しんじんとは、信の心でないぞよ。此方は、しんじんは神人と書くぞよ。そこでのう、不神人とは言うなよ。不神人と言えば、神も怠り人も怠るということになるからのう。神に通らぬと言えばよい。

■ 理1・近藤藤守・67

尾道の宮永さんと岡山の呉服屋さんが一緒に参詣して来られたがのう。宮永さんは、神徳をいただかれたが、しかし、いつもいつも貧乏で手もとは自由になれなんだのじゃ。(2)「金光様、神徳が売れるものなら売りとうございます」と言うておられるところへ、岡山の呉服屋さんが参詣せられた。この呉服屋さんは、人徳をいただかれてのう、わずかな金からわずかの間に幾戸前も倉を建てられた人で、「おかげ様で金銭には不自由をいたしませぬが、神徳が金で買えるものならと思います」と言われた。
(3)そこで、「宮永さんはいつも手もとが自由になりませぬと言うておられるのじゃから、宮永さん、買うと言う人があるが、神徳を売られんかなあ」と言うたら、滅相なと言われて手を振られました。

■ 理1・近藤藤守・68

ここは手習いして清書を持って来る所じゃ。うちで手習いして、年に二度でも三度でも、ここへ来て清書を直してもらうのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・69

「別に、遠い所を入費を使うて大谷まで参詣するにおよばぬ。天地金乃神はどこのいずくにもござるのじゃから、どこから頼んでもおかげはこうむれます。余計な入費を使うて参らんでも、うちから頼みなされ」
(2)右のことを四度、五度目に、教祖の奥様とせ様、「近藤さん、この程よりたびだひ金光様より仰せのとおり、毎月毎月、遠方を参詣して入費を使わずと、うちより拝みなされ。そして、あなたは麦飯はお嫌いか知らぬが、麦飯、香の物で、飽かぬ信心をなされ。年に正五九と三度ぐらいになされ」と仰せらる。
(3)小生、奥様に向かい、「私夫婦の者は親がござりませぬから、ただ、このご霊地へ参り、金光様とあなた様を両親様のお顔を見るように思い、これを夫婦が楽しんで、毎月、また月に二度と参詣いたしますゆえ、ほかほかの人はどうあろうとも、われわれ夫婦だけはお許しくだされ」と申しましたら、奥様は「それでは、しかたがござりませぬ。なるたけ始末をなされや」とご親切にお言葉をくだされ候いて、小生夫婦は実に泣き喜び候。
(4)後、お広前へ参詣し、金光様にお目にかかり御礼申しあげ候ところ、金光様に神がかりありて、
「此方金光大神より、たびたび、うちで拝めと申すとおり、神は世界いずくから拝んでもおかげはやるが、生神金光大神はこの大谷に一人しかないのじゃから、参って来れば金光大神は喜ぶぞよ」

■ 理1・近藤藤守・70

信者は何と言うて拝んでいます。先生と言うて拝んではいますまい。信者は天地金乃神と言うて頼んでいましょうが。それがかわいいから、神は助けてやるのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・71

「わしは生神ではない。わしは肥かたぎじゃ。天地金乃神様に頼めばよい。わしはただ、神様へ申しあげるだけのことじゃ」
と仰せられてご神前へお入りなされたが、(2)すぐ、神様から神がかりありて、
「此方金光大神はのう、『肥かたぎの金光じゃから、天地金乃神へ頼めばよい』と言うがのう、金光大神、と頼んでおけばよい。此方の言われることを聞いて、そのとおりすれば、神の言うことも一つじゃ。(3)金乃神はのう、何千年このかた、悪い神と言われたが、此方金光大神が神を世に出してくれたのじゃ。氏子が天地金乃神のおかげを受けられるようになったのも、此方金光大神のおかげ。神からも氏子からも双方よりの恩人は此方金光大神である」
と仰せありて神上りたまえり。(4)後、また教祖が、
「今、神様があのように仰せられるけれども、わしはほんの神様の番人のようなものであるから、私たちに頼んだからとておかげはいただかれはしませぬ。なんでも、天地金乃神様、と一心におすがりなされよ」

■ 理1・近藤藤守・72

おかげ話につき、所と名を聞かねば疑う者なら、話をせぬがよいぞ。

■ 理1・近藤藤守・73

この辺りの者は大谷の肥かたぎ金神と言うて来るから、肥かたぎだけのおかげはやってあろうがなあ。遠方から来る者は生神と言うて来るから、生神のおかげをいただいておるのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・74

のう近藤さん、白神(白神新一郎)さんの社を建てようと思うておられるがのう、白神さんの社は神に任しておいて、早く道を広めることをするのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・75

同じ病気は三度までは取次をしてやっても、四度目には願うなよ。昔から何という。仏の顔も三度というじゃろうが。三度までは取次ぐ者の言うことは神は聞くがのう、それから向こうは神は聞かぬぞよ。後はおかげはわが心じゃ。

■ 理1・近藤藤守・76

二度まで教えたら、後は無理にすすめぬがよろしい。今度は向こうから、どうぞお願い申しますと言うて来たら、教えてやりなされ。

■ 理1・近藤藤守・77

教祖の御一口話。
「玉島に風呂屋があるがのう、その風呂屋の亭主が、毎日、その隣の割木屋の木を盗んでたくのじゃ。家内はそれを心配せられてなあ、意見をせられてもやめられぬのじゃ。しまいに、ここへ、『金光様、かようでござります』と言うて来られた。『それは取ってよい。かまいはせぬ。人の悪きはわが悪きじゃ』ははは」

■ 理1・近藤藤守・78

神様に仕える者を神の守モりと言いましょうがな。神様は子供のようなもので、その守りを喜ばせれば背中の子供は喜びます。守りの頭をたたいて守りを泣かせれば、背中の子供もともに泣くからのう。(2)守りが喜べば神もともに喜び、守りが泣けば神もともに泣くからのう。神のおぼしめしにかなうよう、氏子もおかげを落とさぬように信心しますのじゃ。

■ 理1・近藤藤守・79

山口県の信者は三千人あります。その三千人の信者が一円ずつ出し、社を建てても、その三千人のうちに一人信心をやめたら、あの社に一円、われも出してあると言うであろう。それは神が気に入らぬ。(2)今に、一人して社をこしらえる者を神からこしらえるのじゃ。氏子、百円もうければ十円、十円もうければ一円と、一割くらいは持って来るであろう。その氏子へ神がおかげを十分に授けてやれば、一人で建てられるのう。

■ 理1・近藤藤守・80

家業などもせがれにゆずり、その身は隠居して遊んでおるのがもったいないゆえ、お道の御用をさせていただこうと、真の教えをする者が一町に一軒、一村に一軒になれば、お道を伝えるにはらくです。

■ 理1・近藤藤守・81

神様のご紋を菓子にして売るようになったかな。ここまで道が広まったかと思えば、近藤さん、うれしいのう。(2)また、これまでは十人は十人、百人は百人、参詣せられるとみなお願いがあったのじゃが、今日では、百人参られてもお願いはわずかじゃ。参詣という方が多くなったが、これだけ天地のご恩を知る者が増えたと思えば、近藤さん、返す返すもうれしいのう。

 

..斎藤宗次郎の伝え

■ 理1・斎藤宗次郎・1

慶応三年八月二日にはじめて参詣いたし。それが、今(明治二七)より二十八年前に金光様にはじめて御願い。卯の男(長男近太郎)生まれて五十日ばかりして、三日夜昼、昼夜目をつぶりて、まことに泣きとおしておる、その儀御願いあげ。(2)金光様ご理解に、
「それは、産む時にみなだれでも明き方に向き、金乃大神様へは尻を向け、天地のご恩を知らぬゆえに、これまでのご無礼をいたし。今日コンニチより、これまでのご無礼をお断り申してご信心せよ。今日より十四日先を頼んで、おかげ受けよ」
とあり。(3)その晩に目をあけ見れば、両眼に七つ白星ができておるなり。それを見て、まことにご信心いたし、七日目には白星を四つ、十四日目には残り三つの白星をお取りくださり。すみやかにもとの晴眼におかげいただき。金光様ご理解どおりなり。

■ 理1・斎藤宗次郎・2

金光様へ「私は長らく筋気スジケで困ります。この段御願います」と御願いあげ、ご理解に、
「難儀であるか、難儀なら、大神様にまことによう切れる切れ物で切ってもらえよ。親々代々孫ソンを引く(遺伝する)ということがある。けれど、神様の切れ物は、よう切れるなり。神に任せ、地にすがれ。けっして、孫は引かぬ。とかく、神任せということがある」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・3

金光様へ御願いあげ、「午の年男(斎藤宗次郎)は水を飲むとおなかが苦り、また食べたる物が胸もとにたまりて、おなかがまことに日々瓶のごとくになり、昼夜難儀いたしております。はや、十年余り難儀で困り。この段御願いあげ」と。(2)ご理解に、
「それは、水を飲む時は、茶わんにくんだ水を、いただいて飲む心になれ。また何を食べるとも、体の丈夫になるようにという心でいただいて食べよ。(3)また、おなかが苦る時は、山なら土をいただけ。また、川なら水をいただけよ。また、土用に田の草取りに行って、痛ければ、田の濁り水を手にすくいていただけよ。後は、あぜに腰かけて、大神様を頼めよ。日々心得よ。(4)また、けがをしても手足を折るとも、同じ。いただく品は同じことなり。すがればおかげあり」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・4

明治五年、午の年男二十六歳の年に大傷寒となり、まことに大熱になり。また、九日ばかり口切れており、体はまことに骨と皮ばかり。夜昼、つりぶとんの中で身動きはできず、まことに見るばかり(手の施しようがない)。戌の女(妻古宇)二十二歳の時、子供二人ある中で、かくの次第。(2)父酉の年男(実太郎)が参詣いたし、金光様へ御願いあげ、ご理解に、
「萱野午の男は常におかげは受けておるから、『心配をやめて信心をせよ。おかげはわが心にある』と帰って言うて聞かせよ」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・5

金光様ご理解に、
「これまでの人はみな、痛い時には毒養生をし、または、その身の嫌いな物を食べ、とかく根を劣らすばかりなり。それより、ご信心申して合薬アイグスリを用いよ。合薬とは、その身の平生好きな物を食べよ。体に丈夫がつかねば、治らぬ。(2)また、毒というはうまいものなり。何によらず、いただく心で食べよ。また、痛い時には金乃大神様へ願う心でいただけよ」

■ 理1・斎藤宗次郎・6

本家(母屋)普請をする時に、金光様へ御願いあげ、ご理解に、
「いずれも金神様のお留守ねらい、また、日金神とか三年ふさがりとか、あるいは丑寅未申とか、または三隣亡じゃとか、今日は日が悪いとか方角が悪いとか、いろいろに言うて天地金乃大神様の目を忍び。または縄を引き、場取りとか、いろいろにして、何時ナンドキから何時までは留守とか言うて、大神様へご無礼をいたし、必ず悪神のように言うけれど、悪神ではない。金神とは金乃大神様なり。叱る神ではない。
(2)あの暦の表に出ておるご方角について御回りて、日々に氏子をお守りくださる。それとも知らずにご無礼をいたす。それゆえに、お叱りあり。叱られたと言うて逃げる時にまた、いろいろに言うてご無礼を重ねるところから、いろいろの病気となる。氏子よ、病気を患うてみて、よい病気というはないぞ。それをよく考えて、もう、これまでのご無礼のお断り申して、万事この後は、普請造作する時は、真一心をもって御願いあげよ。
(3)また、地あげ、地ふくジフク(建築の基礎)調えたら、四方にお神酒と塩とを供えて、どうぞ、ご方角のご無礼のないように、また、けが過ちのないようにお願いせよ。また、重たい木をあげる時は、なおなお、万事あなた(神)様のおてご(手伝い)をお頼み申しあげよ。また、木ごしらえ、竹、縄、万事そろうた日が今月今日、これが一番よい日なり。今日、建て前をさしてくだされと願いあげ。また、おかげで建てた家は、屋根をせん間に、三日の内に、雨をただの三粒でも降らしてもらえよ。先を楽しめよ。末は繁栄なり。
(4)また、家移りは、床の正面に中棚をして、その所へ早朝に本人夫婦、家内中そろうて、金乃大神様をお供して家移りいたす。日々ご信心するがよし。また、三隣亡に、おかげ知らぬ人が、何によらず建て前すれば、いかほどな家でも見る間にしゃげてしまうなり。また、ご信心申して三隣亡に建てさしてもらえば、大きな家でもしゃぐ力がある神様じゃから、頼んで建て前すれば、いかに重たい木でも小人数であげてくださる。けがもなし、無事で見事に建ててくださるなり」
とあり。

* (3)項「地ふく」は、初版では「地福」。(S.62.8.訂正)

■ 理1・斎藤宗次郎・7

ご理解に、
「氏子が雪隠(便所)を建てる時に磁石を振りて、何の方角の間に建てると言うけれど、その中の物を作中へかけるなり。また、三年ふさがりじゃから、あの田へは今年は肥はかけんとは言わん。時々のわが思い入れのご無礼をいたし。
(2)また、普請するのに、何の方角から何の方角までができると言うて、ちぎりちぎりご無礼いたすれど、わが屋敷がわが自由にならんというは、わが心に曇りあり。もうこれからは、わが屋敷へわが自由に普請さしてくだされと言うて願えよ。
(3)また、あの柱が丑寅にかかると言うて隅をちぎりて、とうとうしい金神様とか言うてのける。また、嫌うてよける精神と、あなた(神)のご地内に建てさしてもらうという精神と、どちらがよいか比べてみて、よいと思えばよい方をせよ。
(4)金光大神も出雲屋敷にまでなりた。また、氏子で足らんで、牛馬とも七墓ならべるまで、金乃大神様へご無礼をしたものじゃ。七人の命取らっしゃる金神様なら、頼めば命継いでくださると思うてご信仰したら助けてくだされたから、萱野午の年もご信心しなされ。天地と親類にしてもらえよ。わが屋敷は自由にしてくださるなり」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・8

金光大神様は、
「百姓していた時は、取りかかる折りに、何をする時にも金乃大神様に御願いあげ、これから牛を使わしてくだされと御願いあげ。また、いろいろの仕事をする時にも、一々御願いあげ。(2)また、農業にかかると、まことに体を目に見えぬごとくにお使いくだされる。今たばこ(休憩)せいと教えくださる。それが、みな金光大神の口で言われるなり。
(3)また仕事にかかりて、早く急げ急げと言われて、体をお使いくださる。今やめて帰れと教えくださると、すぐに帰れば、わがうちへ入るとすぐに大雨となり。そのほか何によらず万事、金乃大神様にお願いせよ。
(4)また、金光大神が唐臼トウウスをひく時は、ただ一人ひくのに、まことに目に見えぬように唐臼が回るなり。今たばこせいと教えあれば、唐臼はちんとやみ、しばらくたばこすると、今ひけえと言えば、また回るなり。それでも息もはずまず。はじめからしまいまで、いかい(多く)ひく唐臼なり。まことに万事御くり合わせいただき。
(5)それも一つことじゃから、信心して金光大神のまねをする人は、みな、おかげを受けた受けたと言うて来てじゃ。萱野午の年も信心しなされ。だれも一つことじゃ」
とご理解あり。

■ 理1・斎藤宗次郎・9

金光様ご理解に、
「百姓の作り立て(作物の生育)は、天に任せよ、地にすがれよ。
(2)春は、もみをつける時に、今日コンニチは、もみをつけさしてくだされと御願い、つけて、七日ぶりに苗代へまく時は、天地金乃大神様へ、今日、あなたのご地内にまかしてくだされと御願いあげ。また、苗のあがり(生長)、または、病、虫気、お取り払いを御願い。(3)また、五月の田植えには、苗を抜いて、わが家に取って来て、三把束をして、それを金乃大神様にお供えして、今日より早稲ワサ植えをさしてくだされと言うて御願いあげ、供えた苗をあなた(神)のご地内に植えて、ありつき(根つき)出来立ち(生長)を御願い。または、虫気、病のないように、先では満作をいただかしてくだされと御願いあげよ。(4)そのほかの五穀をしつけ(植えつけ)いたすも同じことに願うなり。よくよく心得て、天地のお徳いただいてよし」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・10

金光様ご理解に、
「氏子が、えんたい(厭対日)に種物をまけば種が絶えるというけれど、種を絶やす神様なら、どうぞ、あなた(神)のご地内に、生えつき、出来立ちをと願えば、見事な作をくださるなり。(2)氏子でも、がりを引く(無理をいう)者は頼めば役に立つ。嫌えば、毒虫のようにもなる。あの人はのうのう様(お人よし)じゃという人は、毒にもならず薬にもならず。神様も、頼めばおかげくださる。逃げれば毒にもなる。氏子も一つことなり」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・11

金光様ご理解に、
「百姓をしていた時、綿の作り立て、綿に肥をせずに作り。色は雨でれで、木は小出来な綿ができ。また、子供らが『うちの綿はふうが悪いから、肥をせい』と言うてまぜる(あれこれ言う)から。『そんなら、半分肥をせい。半分はおかげで作りてみい』と申した。
(2)そしたら後には、肥をした分はまことに色のよい、腰きり(腰の高さ)の綿ができた。半分は、雨でれな、こまい木ができた。まことにこざかしい(小さく形の整った)ふき(綿の繊維)ができた。ふく段には、肥をした分はころころ(繊維ができない実)がふくなり。虫口あり。
(3)おかげ作りの綿が、いかい(多く)ふいた。虫口の綿なし。まことに白いよい綿がふいて、肥したのより、おかげ作りの綿がいかいふいたから、午の年もそのとおりをしておかげを受けなされ。米によらず綿によらず、おかげで作りたのは、先で俵に入れるときに違うなり」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・12

金光様へお願いあげ。人から覚えのない罪を言いかけられて、その儀を御願い、ご理解になり。
「それは、わが頭の上に抜き身を振りあげてきても、知らん顔をしておれよ。金光大神はお道開きがけには、村の戸長様からたびたび、拝むのはやめよと、おとめに相成り。それでも、へいへいと言うて、日々お道を開かしていただき。(2)そしたら、金光大神は役場の言うことを聞かぬゆえに、縄を打ちて笠岡へかごに乗せて連れて行くと決まり。十一月二十三日には笠岡へ行くことが決まり、役人が来ることに決まり。
(3)それから金光大神は、ご神前のお神酒徳利を下げて、世話人や家内中と別れの杯をいたして、別れを告げて待っておると、十一月二十三日朝四つ時に笠岡より役人がどうとお広前にあがり、ご検分に相成り。その時、いよいよ今日コンニチより許してやるから人を助けてやれと、お許しに相成り。(4)それも一つことじゃから、真一心をもって神にすがりてゆけば、曇りない身は晴れる」

■ 理1・斎藤宗次郎・13

金光様へ御願いあげ。分家より本家を義絶いたし、この儀を伺い。金光様ご理解に、
「昔より歌がある。ご代にゃめでたの若松様は枝が栄えりゃ葉も茂るということがある。大木でも、根から切って逆さまにつりておいてみよ。それで枝葉が栄えるか。負けてやれ。時節に任せ、神様へ気を入れて、万事おくり合わせを願え。(2)先を見よ。隣分家の人が先でいかほど不都合になるとも、よい気味じゃと言うなよ。あの人はただいまはお気の毒なりと言うておれよ」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・14

金光様ご理解に、
「物事に、出るくいは打たれると。物にたとえて、よそへ行くとも、先に行けば障子をあけねばならず、おえ(畳の間)にあがれば、祝儀不祝儀とも先に言わねばならず。後から行けば何事も骨が折れぬ。何事も、負けて勝つということがある。物事に先に出な。後から行くがよし」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・15

金光様ご理解に、
「何事も心得てよし。負けて勝つということがある。人の悪きはわが悪きと思えよ」
(2)この辺りに、まことに丁寧な者あり。その人は、理解を聞くとすぐにいんで、隣に割木を門に重ねてあるのを、その人が、まるでかたいでもどりたら、すぐに隣の人が「うちの割木を、なぜ、かたいでいんだか」と叱り。「あれは大谷金光様のご理解に、人のわるきはわがわるきと思えよと言われたから、それでかたいだ」と言う。
(3)すぐに、かたぎもとが金光様へ参詣して、「金光様、先達てあなたは、人のわるきはわがわるきと思えよと仰せになり、すぐに私は帰りて、隣の外に割木があり、それを、みな私がかたいでもどりましたら、隣の人がまことにやかましゅう言いますが、いかがに」と願いあげ。金光様のお言葉に、
「それは割木のことではない。めいめいの心得のことを話したのじゃ」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・16

明治八年亥の一月に隣の人が屋敷境ぐいを夜の間に抜き。その儀をすぐに金光様へ御願いあげ、
「それは、境がいるから抜いたのじゃ。負けてやれ。先を楽しめよ。打ち向かう者には負けて、時節に任せよ。心で憎んで口で愛すな。神の教えも真の道マコトノミチも知らぬ人の哀れさ」
との金光様のご理解なり。(2)その後、右の夜の間に境ぐい抜いた人は、八年ぶりには国を立ちのき、散り散りばらばらになりてしまい、または生き別れいたし、跡は野原となり。まことに、ただいまはお気の毒なり。

■ 理1・斎藤宗次郎・17

「金光様、御願いあげます。私宅には家内中むつまじゅういきませんが、いかにいたしたら、むつまじゅうになるでありましょうか」とお伺い申すと、金光様ご理解に、
「それは、信心するがよい。信心は家内に不和のなきがもとなりということがある。なんでも、もうけをすると思うて、物事をこらえるが第一。言わんがもと。家内中心得て信心すれば、万事おかげくださる」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・18

金光様のご理解に、
「金乃大神様へご信心いたすなれば、大厄は小厄におまつりかえ、また、小厄はお払い取りを御願いあげよ。
(2)物にたとえれば、たらいにいっぱいためた水を屋根棟からぞろぞろとうつしてみよ。これが小厄の引別ヒキベツ(例え)ぞ。それをどうとうつせば、大厄の引別なり。ご信心して、大厄は小厄に、たらいの水をうつしてしまえば、これまでのご無礼はお払い取りくださる。後は、まことに繁栄をいただくなり」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・19

金光様のご理解に、
「いずれにも、三十三歳、四十二歳、また六十一歳、または八十八とかいうて、年祝いとかまた誕生祝いとかいうて、正月飾り後か、また改めて二月一日かに祝いをするから、娘も来い、おじさんも来てくだされとか言い、いとこ、はとこ、また、隣家隣村の者まで呼び寄せて、みんなに厄を持ってもらうとか、いろいろに言い尽くしてにぎやかにして、不相応な入用しておごり、それを祝いというけれど、にぎやかにして厄ばねができるものなら、身代のある金持ち、または長者は、厄負けする者はない。また、極貧な者は厄負けしどおしなり」

■ 理1・斎藤宗次郎・20

金光大神様のご理解には、
「三十三歳、四十二歳、六十一歳、八十八歳と、いろいろの身を祝う時には、正月のおかがみの便に、数のもち、いるだけ別にしておき、それを正月一日のごく早朝に、金乃大神様へ、お神酒、おかがみもち、また、数のもち、また、品々お供えして祝う日が、元日から三日まで、これを三日棚サンガダナというなり。
(2)夫婦そろうて、どうぞ、三十三歳の厄をお取り払いくだされと、大厄は小厄におまつりかえ、小厄はお払い取りをと御願いあげて、ご信心いたせよ。その年の厄はすみやかにお取り払いに相成り。また、極貧な者は、それでよし。また、中から上下の者は、正月礼がいずれにもある、その時、分限相応にして、親類または隣家はめいめいの考えにしてよし」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・21

金光様ご理解に、
「正月一日にはごく早朝に参詣して、一年中の万事万端残らず金乃大神様へお願いせよ。また、月々のつごもり(晦日)には、三十日のつごもり祓バライに拝参して、月のご無礼お払い取りを願えよ。また、七月十三日は禊祓というなり。また、十二月三十一日は大祓というぞ。大つごもりには一年中の御礼せよ。これまでのご無礼お払い取り願えよ」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・22

金光様のご理解に、
「いずれの氏子も、これまでは縁談組む時には、日柄方角改めてするけれど、死人がある時には、なんにも言わずに、あなた(神)のご地内にごっそり持って来て埋めるなり。(2)また、嫁取り婿取りをする時は、方角が悪いから、おばさんの所へ一夜泊めてもらえと言うて、神様の目を忍ぶがために道を変えて行くけれど、氏子が知らんがかわいそうな。どちらに回りて行っても、大神様のご地内なり。真一心をもって、この度は嫁をもらいますと言うて願えよ。娘をやらしてくだされよと頼め。(3)日柄は、両方そろうた日が今月今日なり。これが一番よい日なり」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・23

金光様ご理解に、
「女が毎月の月役におる時に、いずれの氏子も身が汚れたと言うて神様へ閉門いたし。七日の間、炊き初穂タキバツホも供えず、めいめいだけ食べて、大神様にはご無礼いたし。そのうえに、下の洗い水を捨てる時には、つぼへ捨てるとか、穴を掘りて捨てるとか、川で洗い来るとか、いろいろに言うて、あなた(神)のご地内にご無礼いたし。それでも、氏子は神様にさばらねば(触れねば)きんとう(義理堅いこと)のように思うておるけれど、それはきんとうにはならん。それがご無礼となり、毎月のが重なりて、末では、女が言うことには、血の道とか癪とか、長血(月経過多)とか白血(白帯下)とか、いろいろに言うけれど、毎月悪い種をまいてあるから、先では生えるなり。
(2)もうこれからは、十人並みの言うことをやめて、月役におると、大神様へ、私は身が汚れましたたらご無礼許してくだされと言うて、お断り願え。これを幸いに体の毒を洗い流してくだされと言うて願いあげて、お神酒お洗米をいただけよ。これまでの親々代々のご無礼のお断りを金乃大神様へ申して、体の毒を残らず洗い流してもらえよ。おがげくださるぞ。(3)また、汚れ水ヨゴレミズを捨てる時は、あなたのご地内にご無礼な物を捨てさしてくだされと言うて、お断り申して流せよ。女、月役、七日の汚れケガレを許してくだされと言うて、お願いせよ。許してくださるなり」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・24

金光様ご理解に、
「子供ができる時に、月が延びる(妊娠する)と、金乃大神様にお願いし、体の丈夫な子をお授けくださるよう、また親の体の丈夫を願え。また五月目にはいずれも腹帯をするけれど、あの腹帯のために中の子が難儀しておる。親も腹帯のために窮屈をし、血の巡りを悪くし、それゆえ親は体が弱りて難儀いたし。もう、これからは腹帯はせずと、日々、親子、体の丈夫を頼め。
(2)また、氏子は途中や九月ツキで出るを喜ぶけれど、おかげの子は十月かかる。三十日手間がいっても、平生が達者にあり。おかげでできた子は十月かかる。作物でも種にするのは久しゅう置いて、実のよう入りたのを種にするではないか。それも一つことじゃ。子供のできるも、十月ではまことに十分に月が足り、達者にもあり育てようもあり。
(3)また、産気ウブケがつくとご神前に向き、お棚にすがりて金乃大神様に御願いあげ、お神酒お洗米をいただき、すぐに安産いたすなり。また、後産も出してくだされと願い、すぐに出してくださるなり。すぐに大神様へご一礼を申し、後のかたずけのご無礼をお断り申し。また後産は、男は家の内、女はあだ(外)へ、ここへ後産を納めさしてくだされと、その所で願えよ。また、産水ウブミズはここへ捨てさしてくだされと言うて願えよ。そのほか、汚れ物はここに捨てさしてくだされと言え。
(4)また、水、五香の代わりに、お神酒を飲ませよ。乳へお神酒いただいて、乳をもみ柔らげて、すぐに初乳を飲ませよ。(5)また、産人はすぐに平生のとおりに枕を下げて寝よ。これまでは、七日の間夜昼座りて、血の道をすまいと思うて苦労しておる。けれど、そのために血の道をしておる。昔年寄りの教えはやめて、神にもたれてゆけ。毒養生は、するにおよばず。体の丈夫になるようにと言うて願いあげて、何でもいただけよ。また、手間のない者は、すぐに明くる日から飯番はさしてもらえよ。
(6)また、これまでの人は、七日の間の汚れ物、または洗い水を捨てる時は、川で洗うとか、穴を掘りて捨てるとか、明き方に捨てるとか、いろいろに言うて、あなた(神)のご地内にご無礼をいたし。親のご無礼が子にきさる(かぶさる)ということがあると、例えに言いはせんか。まかぬ種は生えぬということがある。生まれた時の親のご無礼がみな、その子の身上にきさる。生まれた時、種がまいてあるゆえに、子供が成人するに従いて、ご無礼の芽を吹いて出るなり。いろいろの病気と相成り。この後は、金乃大神様へご無礼お断り願い、ご信心をしておかげいただけば、親子ともに達者丈夫で、末は繁盛するぞ。
(7)また、よく末の子に命を取られたと言うけれど、物にたとえると、割木をだんだん重ねて、しまいにつじ(一番上)に一把どっとすければ、みな崩れるも同じこと。末の子ではない。先前の子を産む時のご無礼が重なりて、しまいの子に命を取られたように言うなり。末は、血の道、血の道、または、持病、持病と言うて、いずれも難儀しておるなり。ご信心いたせば治してくださる。
(8)また願うのに、五体に痛い所があれば、一つずつ願うと別々に治してくださって手間がいるから、五体残らず病気全快を願えよ。一時にお治しくださる」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・25

金光様のご理解に、
「氏子が子供多いのを間引くのに、同じ間引くなら金乃大神様に間引いてもらえよ。氏子が綿を間引くも同じこと。まことによい綿を残して、悪い綿を抜いて捨てる道理なり。子供を金乃大神様に間引いてもらうと、まことにできのよい子をお残しくださるなり。(2)それを、氏子が子供を間引くのは、目をつぶりて綿を間引くも同じことぞや。万事、天地にすがるべし、すがるべし」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・26

金光様ご理解に、
「万一死人ある時には、いずれの氏子も四十九日の間は神様へ張り紙をして閉門いたし。神様には手も合わさずして、それでも、あなた(神)のご地内は踏まずにはおれぬ。いろいろにしてご無礼いたし。
(2)また、正月元日に親が死んで、泣き泣き飾りをおろすなり。その年の飾りというものは、一年中の先行き繁栄を祝うのに、元日から泣き泣き飾りを切りおろして先を待つなり。万一、はやり病気で家内中寝て、その中で一人死んだら、どうするか。四十九日神様が拝まれねば、後の者はみな死んでも、汚れてケガレテおると言うて拝まんか。(3)よく考えてみよ。死人や汚れた物を、あなたのご地内にいける(埋める)のは、汚れはせんか。これまでしておることは、みな天地金乃大神様へは大ご無礼なり。
(4)これからは、正月一日に親が死んだら、飾りはおろさずにおいて、親々代々のご無礼許してくだされ、四十九日の忌み汚れを許してくだされと頼めよ。また、後の繁盛を頼めよ。飾りは、おろすにおよばず。とかく平生のとおりにして、その日から願うがよし。また、神々様へは天地金乃大神様からお断りを申してもらえよ」
とあり。

■ 理1・斎藤宗次郎・27

「御取次ぎさしてもらうのには、この結構なお道を振り売り(行商)には行くなよ。金光大神は座りて道を広めておるなり。必ず振り売りには行くなよ。いれば、もらいに来るなり」
とのご理解なり。

 

..佐藤範雄の伝え

■ 理1・佐藤範雄・1

教祖は、
「信心する者は四つ足類は食わぬがよい」
と教えられたりしが、(2)小田県となりて、役人らみな牛肉を食うようになると、
「今までは、四つ足は食わぬと教えたが、お上が食わるるようになったからは、これをとめるにはおよばぬ」

■ 理1・佐藤範雄・2

明治十五年の夏、ある日、教祖ご祈念の時、
「このようなことなら足を踏みこまなかったらよかったと、思うことがあったらどうするか」とのたまう。右は、身命を捧げてお道貫きの準備をせねばならぬことを申しあげし時なり。(2)この時、「さようなことは思いませぬ」とお答え申しあげると、
「それでは、若葉(萩雄)と兄弟としてやってくれ。一つの物は二つに分けるようにする」
とのたまう。

■ 理1・佐藤範雄・3

教祖、教えたまう。
「おかげを受けましたら何々を奉るという信者の願かけを取次いではならぬ」

■ 理1・佐藤範雄・4

取次への御戒め
信心は改まりが第一じゃ。
(2)此方といえども、間違えば、おいとまとなる。
(3)飯がこぼれても、こぼれた物は拾うこともできるが、神のおいとまは目に見えぬから、拾うことはむつかしいぞ。
(4)神徳を受くるは、人間心の位も思わず、理屈も言わず、学問うぬぼれ心なく、清き一心さえあらば、神のみ戸は開ける。
(5)信心には親子兄弟もない。

■ 理1・佐藤範雄・5

ご遺訓内伝
地震の時には書物にも人の力にもおよばぬことを悟りみよ。
(2)お神酒ご神水をいただきて、体の毒を洗い流せよ。
(3)急ぐ時には、瓶の水をくみてもいただく心になれば、お神酒ご神水も同じことになるぞ。
(4)食物は腹八合に食うべし。
(5)この道は隣知らずの安産のできる道ぞ。
(6)疑いを去りて、何事もわが親神のご神徳に頼みすがれよ。
(7)時勢に従え。
(8)初乳をすぐに飲ませよ。

■ 理1・佐藤範雄・6

戸手村トデムラの倉田大二郎の長男が、「神というものは性根のなきものなり。お祓の詞コトバは幾度読むとも一つことなり。一度読みたら覚えておればよい」と言うに、教祖答えたまう。
「しからば、人の親たる者は、子供が二つ三つの時、父さんお早うと一度言うたら、死ぬまで朝暮の礼儀をせんでも覚えておりそうなもの」

■ 理1・佐藤範雄・7

明治十一年、高屋村の紫屋の主人(鳥井治右衛門)、腸満の願いに参詣せし時に、教祖のたまう。
「みなが、もとじゃもとじゃと願いに来るが、信心の身しのぎをするようになれ。此方はいずこへも参る所もないぞ」
(2)余、この時、身代わりに立って病人を助けてやらねば、世間への面目がないと思いつめて、教祖に願立てしに教えたまう。
(3)「人の命を請け合うたか。人の命は請け合われぬぞ。一寸先は闇と思え。医者は絶体絶命と言うが、神にも天命限りということがあるぞ。信者一人の命に辰の年(佐藤範雄)の命はかえられぬぞ。一人は死んでも、その一心の力で多くの人を助けよ」

■ 理1・佐藤範雄・8

道が人を立つるにあらず。人が道を立つるなり。教祖のお言葉に、
「道は取次の心による」
とあり。

■ 理1・佐藤範雄・9

教祖は常に、ご裁伝に教えたまう。
「神は氏子に物を頼まぬ。氏子は何なりとも頼め。助けてやる」

■ 理1・佐藤範雄・10

ある時、教祖はある信者に、
「氏子のうちには神をにわ(土間)の隅にまつっておるぞ。そういうことでおかげを受けられると思うか」

■ 理1・佐藤範雄・11

明治十一二年、二十三四歳ごろ、独身でなくては人を助けることが思い放してできぬと思い、教祖にそれを申しあげると、
「此方の道は一代仏を嫌うぞ。此方の道は子孫繁盛家繁盛を守る道ぞ」
と教えらる。

■ 理1・佐藤範雄・12

教祖は、ある時のご裁伝に、神の上に天理を教えられたり。
「神は親子であるから氏子のことは許してやるが、天理(道理とも教えらる)が許さぬ時は、どうする」
と教えらる。(2)また、ある時は、
「天理が許さぬ時は、神もしかたがないぞ」
と教えたまいしことあり。

■ 理1・佐藤範雄・13

明治十三年より版刷りハンズリのお札を信者に授けたるものを教祖にお目にかけたら、生神ご祈念くだされて、ご裁伝に、
「此方は出さぬ道を立てておるのぞ。宮寺にするようなまねはすな」

■ 理1・佐藤範雄・14

教祖生神のご神意は、氏子の家々がみな、神の社、神の広前となるを本願たり。
「二十二日は日本祭り、家ごとにお提灯を掲げるようになる」
とのご裁伝あり。

■ 理1・佐藤範雄・15

信者は新たに家を建てる時は、ご神座はいいずれにするか、まずこのことより考えて後、床トコや座敷を考えるようにすれば、子孫も家も繁盛するなり。

■ 理1・佐藤範雄・16

此方はおかげの押し売りはせぬ。

■ 理1・佐藤範雄・17

明治十三四年ごろ、
「此方は一年ヒトトシ拾うてからであったが、氏子は若いから困ることが多かろうが、それをやりきれば徳もいただける、力もつく」

■ 理1・佐藤範雄・18

教祖は、信者がお供え物をしても、だれが供えたということを語りたまわず。(2)明治十一年秋、米俵を三俵お供えしてあったから、どこの者がお供えしましたかとおたずね申しあげしに、
「西の方の者が供えた。これは、虫がついて、とても当たり前の取り実はないと思い、神様にお願いしたところ、当たり前より余分にできたから、それだけお供えすると申して持って参ったのである」
とのお話で、けっして、どこの者とも何の年とも語りたまわず。
(3)「お供え物とおかげは、つきものではないぞ」
とのご理解のあるご神意も伺い得ん。(4)この翌年には、
「ある信者が右の話を聞いて、『信心して、余分にできたら、それをみなお供えすると、自分で願って稲を作ったが、平年より少ないのでお供えすることができない』と参って話した」
と生神には神語りありたり。

■ 理1・佐藤範雄・19

狐狸でさえ神にまつらるるを喜ぶではないか。万物の霊長たる人は、死にて後、神とまつらるる徳を積め。

■ 理1・佐藤範雄・20

此方死なば、屍は苞にして川に流すとなりと土に埋めるとなりと、勝手にせよ。人の死にたる体は空なり、不浄なり。しかし、親を川に流したと言うては、世間もかれこれ言うであろう。菰に巻いてでも土に埋めておけば、事は足る。御霊ミタマのまつりは大切にせよ。

■ 理1・佐藤範雄・21

明治十六年中 教祖金光大神ご存生中ゾンジョウチュウ書き取りしもの
神のおかげを、目に見られぬものと思うな。受けてみよ。見らるるもの。
(2)疑わば限りなし。神国の人に生まれて、神をないがしろに思いけん。まがつ(妄説)に迷わば、限りなし。真の道は邪道、邪道は真の道と思いけん。
(3)方位を忌みて縁談をせぬこと。方角日柄は、寿命長久、子孫繁盛のためのことであるか。
(4)何ぞと言わば、金神の障り、金神の障りと言うこと。
(5)人の身の上、わが身の上、今日は人のこと、明日はわがこと。
(6)信心の道は、家柄も、ばか、賢いも、素人も、へだてなきものなり。
(7)信心をして、生きて家業を勤めい。家のためなり、皇上のためなり、国のためなり。
(8)祈れ薬れで、わが身は立つものなり。
(9)何を言うも、息災がもとなり。
(10)神参りをするに、体ばかりを参るより、信の心を参れよ。
(11)負けて勝てよ。
(12)わが心に任せ、みだりに不浄汚れを犯すこと。
(13)みだりに、わが口に任せ、不浄汚れを犯すこと。
(14)時節を待たず、物事を急ぎ、苦労すること。
(15)人の欲情を見て、わが身に欲情を増すこと。
(16)二気の時節を指してみよ。
(17)神国に生まれて神と君とのご恩を知らぬこと。
(18)ただ一つの神の教えの直々の大道を知らぬこと。
(19)世に二つなき神の教えの真の大道を知らぬこと。
(20)生きても死にても天と地とはわが住みかなり。
(21)生きても死にても天地のごやっかいになることを悟るべし。
(22)神は声もなし、目にも見えず、疑わば限りなし。恐るべし。疑いを去るべし。
(23)日乃大神のお照らしを受けずば、地におることもならぬものぞ。悟るべし。
(24)一心の起こり冷めをすな。病気がついて、起こり冷めをするぞ。
(25)一心を返すな。病がついて返るぞ。
(26)人は目に見えるもの、神は目に見えぬもの。疑わば限りなきもの。
(27)天が下の人に生まれて、神の教えの真の大道を知らず、忘れて疑うこと。
(28)天が下の人に生まれて、神の教えの真の大道を知らぬこと。
(29)人の魂は日乃大神の分霊を受け、体は土より生じて、みな、天地の神の恵みにより人とはなるものぞ。
(30)わが国は神国と知りながら、神の教えの真の大道を知らずして疑うこと。
(31)天が下の人と生まれて真の神徳を知らぬこと。
(32)天が下の神の教えの真の大道を知らぬこと。
(33)わが神の真の大道を知らぬこと、疑うこと。

 

..佐藤彦太郎の伝え

■ 理1・佐藤彦太郎・1

私は眼病にかかり、種々神仏を祈り医薬を尽くし候えどもその効なく、ついに盲目となる。親族の者、三味線けいこいたすよりほかなしとて、けいこ始めたるも、不肖まことに心外いたし。(2)夜々ひそかに忍び出、井戸にとびこまんとせしが、後ろより抱きとめらる。その夜、金光様のお助けにあずかり晴眼と相成りたるところを夢見、はじめて、文久元年三月八日、六条院西村の西六お広前(高橋富枝の広前)に参拝し、そのお手次ぎをこうむり大谷金光様へ参拝し、二回りにして広大なるおかげをたまわり晴眼と相成る。ますます専心信仰。(3)教祖の大神様お手ずからお供え物ほか毎々いただき、金光様ご直筆をたまわり、また茶わんもいただき、
「辰の年(佐藤彦太郎)は、無事のありがたさを忘れなよ」
と仰せられ候。
(4)「諸人を助けやれよ」
との仰せをこうむり、お取次をしておかげをいただきおり候。

 

..沢田長三郎の伝え

■ 理1・沢田長三郎・1

明治十四年秋、当時九歳、祖父長八に連れられ、居村より小舟にて備中倉敷の吉岡に上陸、徒歩にて玉島にいで、それより人力車にて大本社へ参拝し、親しく教祖を拝す。お顔色美しく、ご肥満にして、神々しくおぼゆ。(2)その時、
「遠方から参れば入費もかかる。たびたび参るにおよばぬ。一心の真をもって願えば、どこでもおかげはいただかれる」
と仰せられましたことをよく記憶せり。その他、草ぶきのお家であり、また、そばに大工小屋のありしことは、かすかに覚えております。

 

..島村八太郎の伝え

■ 理1・島村八太郎・1

天地の神は、幾千万年、天地あらん限りただ一つなれども、ほかの神は年々に増えるぞ。

■ 理1・島村八太郎・2

いろいろの神や仏に頼みて、おかげがあると言うけれども、おかげのできるもとは、天地金乃大神のほかにないぞ。

■ 理1・島村八太郎・3

神が社の中に住むものと思うな。亭主が家の内にばかりいては、家は立つまいが。

■ 理1・島村八太郎・4

神を信ずる人多し。神に信ぜられる人少なし。

■ 理1・島村八太郎・5

神を使うて、神に使われることを知らず。

■ 理1・島村八太郎・6

氏子が忘れさえせねば、神は忘れぬぞ。

■ 理1・島村八太郎・7

馬は馬連れ、牛は牛連れということがある。神の取次は神がするのじゃ。真の信心ある者は神なり。ゆえに、神の取次ができるのじゃ。
(2)狐や蛇や鳥のようなものが、なんで神の取次ができるものか。何の神は狐が使わしめ、何の神は蛇が使わしめと、いろいろなことを世の人が言うが、金乃大神は、神の子の人をもって使いとなさるのじゃ。

■ 理1・島村八太郎・8

天地の神は厠の内にもあるぞ。されども、ものを言う神は金光大神よりほかにないぞ。

■ 理1・島村八太郎・9

自分も神の子なれば、一つの神ではないか。

■ 理1・島村八太郎・10

生きとる時に神になりおかずして、死んで神になれるか。

■ 理1・島村八太郎・11

金光様、神去りの前に、
「生神金光大神といいしも、今までは形があったから暑さ寒さも感じたが、これよりは形を去りて真の神になるから、一目に氏子を守ることができるわい」

■ 理1・島村八太郎・12

堂宮へ参拝して、おかげがいただけるか。堂宮は死んだ物なり。生きた神にすがりてこそ、おかげがあるぞ。

■ 理1・島村八太郎・13

生きた母がかわいい子の手をとってさえ、病を治すことができまいが。死んだ神にすがっても、生き死にの安心のおかげを受けることができるか。

■ 理1・島村八太郎・14

日乃大神のお照らしあるうちは心配すな。

■ 理1・島村八太郎・15

他人に、わずらわしいこと、気に入らぬことを辛抱させるような不徳なことでは、神徳はいただけぬぞ。

■ 理1・島村八太郎・16

三宝様ということは、天と地と人とのことをいう。神も人なければ用なし。また、まつる者もなし。米麦も人なければ用なし。また、作る者もなし。

■ 理1・島村八太郎・17

お祓は神に奉るものではない。自分の戒めのために書いた物。一度読んでも、それをわきまえれば、年中言い通した者よりましじゃ。(2)何百度あげても、神がお受けくださらねば、言うたお祓は消えてゆく。消えてゆけば相損になって、時間を費やせば家業はできず、家が貧乏になって、人にそしられ笑われて、神様のごひれいを汚すことになるぞ。

■ 理1・島村八太郎・18

お札には墨がついとるのみ。お祓は言うほどずつ消えてゆくぞ。心をつけて教えて、おかげをいただかせよ。

■ 理1・島村八太郎・19

お祓ばかり言うて、信心がなければ、氏子は天地の神に頼んだと思うておっても、神は頼まれておらん。それでは相損じゃ。

■ 理1・島村八太郎・20

女は神に近い。信心は女からじゃ。

■ 理1・島村八太郎・21

おかげはたらいの水じゃ。向こうへやろうとすれば、こちらへ来る。こちらへ取ろうとすれば、向こうへ行くぞ。

■ 理1・島村八太郎・22

子の頭をはるより、自分の頭をはれば、すぐおかげになるぞ。

■ 理1・島村八太郎・23

一心になれ。つるべで水をくむごとくに、おかげはいただけるぞ。

■ 理1・島村八太郎・24

こりを取っての信心ならしてみよ。すぐにおかげがある。世に水を浴びて神を祈る人は、こりを取らずして、こりをつけるのじゃから、おかげにならぬぞ。凝りは寝間の中でも取り除かれるぞ。

■ 理1・島村八太郎・25

手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが。

■ 理1・島村八太郎・26

自分と人とは対等の者にて、わが身わが家を修めて、それを鑑として人を愛せよ。

■ 理1・島村八太郎・27

不足はおかげを受ける人より申す。授ける者には不足はないぞ。

■ 理1・島村八太郎・28

仮にも負け惜しみをすな。少しにても一番先に勘弁した者が勝ちで、神徳を受けた信者なり。

■ 理1・島村八太郎・29

拝めいとも何をせよとも言わん。ただ一つ真の信心をせよと言うに、その一つができんのか。

■ 理1・島村八太郎・30

信心のはじめを忘れなよ。

■ 理1・島村八太郎・31

何でも好きな物を慎めよ。

■ 理1・島村八太郎・32

信心をするに連れはいらぬぞ。

■ 理1・島村八太郎・33

容赦をすな。鐘は打ち割る心でつけ。太鼓はたたき破る気でたたけ。割れも破れもせぬ。ただ、その人の打ちよう、たたきようしだい。天地に鳴り渡りてみせよう。

■ 理1・島村八太郎・34

信心せよ。家業家業でくり合わせをもって繁盛さしてやる。何業は良し悪しと別に選むな。そのような狭い道でない。

■ 理1・島村八太郎・35

人を頼んで百度参りをしてもろうたり拝んでもろうたりしても、重荷を分けて持ってもらうようなわけにはゆかぬぞ。

■ 理1・島村八太郎・36

百人の不信者より一人の信者が国のためである。

■ 理1・島村八太郎・37

若い時の信心、老いての楽しみぞ。

■ 理1・島村八太郎・38

物事は何にても人に先をゆずれ。蔵に物を入れても、後から入れた方が先に出るぞ。悟れよ。

■ 理1・島村八太郎・39

氏子、信心するという心におかげはないぞ。信心さしていただくという心におかげはあるぞ。

■ 理1・島村八太郎・40

氏子、商売するというから神は見ておる。商売さしていただくという心になれば、神はつきまとうてさしてやる。

■ 理1・島村八太郎・41

信心する者は信心する家に遊びに行け。信心せぬ家へ遊びに行くと信心が落ちるぞ。

■ 理1・島村八太郎・42

戸締まりをして家の内に寝ていても、信心がなくば野中に寝ているも同然と思えよ。

■ 理1・島村八太郎・43

年貢を納めるのも、村役場へ納めるように思うが、違いなり。みな、天子様のご恩なるぞ。

■ 理1・島村八太郎・44

過ぎたる悪いことを思い出して苦をすな。今日コンニチが大切、先を楽しめよ。

■ 理1・島村八太郎・45

死ぬる用意をすな。生きる用意をせよ。死んだら土になるのみ。

 

..津川治雄の伝え

■ 理1・津川治雄・1

信心する人は辛抱という棒を信心のつっかい棒にして、信心がひょろつかぬようにするがよい。

■ 理1・津川治雄・2

信心するならば、家内そろうて信心せよ。

■ 理1・津川治雄・3

なにほど神信心するとも、神の力にかなわぬことがある。お上のおきてをそむいた罪は、なにほど神へ願うとも逃るることならぬゆえ、お上のおきてはよくよく守るがよろしい。

■ 理1・津川治雄・4

神様のおかげをいただくには年貢も村税もいらぬ。ただただ、信心が年貢にも村税にも代わる。おかげは信心内にあるものと思うて、信心せられよ。

■ 理1・津川治雄・5

信心する人は、わがことより他人のことを先に願え。そうすれば他人も助かり、わが身にもおかげがたくさんある。

■ 理1・津川治雄・6

お上では、知恵のある人がお上へ近くなる。知恵といえば、村にても利口な人が名主、庄屋とならっしゃっるようなもので、神様でも、信心篤くすれば神へ近くなるゆえ、よくよく常に信心して、人をも助け、その身もおかげを取りて、神様へ近くなるがよい。

■ 理1・津川治雄・7

欲ということを忘れては信心にならぬ。真の信心する人を見よ。慈悲深くするゆえ、おかげで無病息災、諸事よきこと子孫へ続く。信心する人は慈悲深くして、真の信心をするがよい。

 

..道願縫の伝え

■ 理1・道願縫・1

私は長き間家業に苦心憂慮せし結果にや胸痛を患い、種々加療せしもその効なく、困難を極めつつありしに、(2)一度この道に入り信心の一念を起こしてより十年来の宿痾全治したれば、そがお礼参拝をと、近藤藤守師に従いて、明治十五年二月中旬、はじめて大本社に参拝せり。
(3)当時、もとより汽車の便なく、大阪より一行二十数名、汽船に乗りたり。かねて師より聞かされし生神様を明日は目の当たりに拝し得べし、明日こそは金光大神様に親しくまみゆるを得べしと、喜びの念とどめあえず、波にゆらぐ船の疲れもさらにおぼえず。(4)翌朝、岡山三蟠港に着し、ここより上陸していよいよ大谷に向かうこととはなりぬ。時しも大雨、沛然として降りしきり、歩行極めて困難をおぼえたりしも人力車はなく、やむなく雨にぬれつつ歩みを運ぶ間に、ようやく人力車ありたれば、これを雇いて霊地大谷に着きしは、もはや夕暮れのころなりき。(5)かくて、古川方に旅装を解きて大本社に参りしに、生神金光大神様は大広前にお座りあそばされいたりき。起きては現、寝ては夢に、あこがれ慕い奉り、つかの間も忘れ得ざりし生神様を今はじめて間近に拝し奉りたる、その時の喜びたるや限りなく、口にも筆にも尽くし難し。いまさらに遠く思い返して無量の感慨ぞ催さる。(6)さて、その夜は大谷に尊き夢を結びて、翌朝早く師に従いて参拝し、当時、私は綿商を営みてありしにつき、師の手続きをもって、営業ご都合くり合わせを専念願いあげ、さらに頭髪を刈り落として五分刈り頭になりたき希望ありしかば、その可否を伺いあげしに、金光様は笑顔にて、
「後家であるから好きにしてもよろしい」
とのたまいぬ。(7)仰せかしこみ、宿に退きて朝食をすませし後、理髪師を招き、藤守師の面前にて散髪をなしぬ。他の信者らは先に大広前に参り、師は私の散髪なせる模様を見て後に行かる。私は散髪なして後に馳せ参りて、後方に座してありしに、かしこくも金光様の御目は私の頭に注がれて、
「きれいになりましたなあ」
とのご神言をたまわり、喜びの念極まりなく、身も心も打ち忘るるばかりなりけり。(8)かくて、その日も大谷に泊まりて、翌朝さらに大前に参り、とやかくと今日までのことども聞こえあげ、私は後家の身にして実子の女なるを悲しみ、不平がましく申しあげしに、金光様は、
「女に女の子はよろしいぞよ」
とのたまいぬ。そのお言葉を拝して、わが愚痴言のいまさらにはずかしく、恐縮せり。
(9)道願家は従来、本家にて綿商を営み、分家にて醤油業をなし来りしも、とかく順調に進み難く、商運つたなく失敗を重ぬること多かるが間に、私の夫なる人逝去したり。私は亡夫の遺志を受け継ぎ、この両業をいかにかして盛大になしたしとの熱意を持したりしをもって、その願いの筋をつぶさに聞こえあげしに、金光様、
「女の一心は岩でもとおす」
と仰せられぬ。(10)なお、さらに、使役し来りし番頭某を前年解雇せしが、彼は万事この業に通じおる者なれば、これを再採用してはいかにとの由を伺いまいらせしに、答えてのたまわく、
「素人玄人はないものじゃ。みな、神が教えたものじゃ」
と。(11)以後、私は、女の一心、岩でもとおす、とのご神言を頼りとして、いかにかして、事業隆昌を期せずばやまじと、多年腐心せしも、そのかいなく、あるいは失敗をきたし、あるいは店員の動揺あり、あるいは娘高の養子とせし者の、綿商をいといて業をかえんことを望むなど、万事、意のごとくならず。(12)もしも成功せずんば、女の一心、岩でもとおす、と仰せられし金光様に申しわけの次第もなく、恐懼のいたりなれば、ぜひにもと種々苦慮せしも、その効なく、ここに己がご神言を誤解せしを悟り、前後始終のことども考え来りて、一夜、翻然と決心し、明治二十三年、断然廃業することとなしぬ。
(13)その後一年にして、布教の命を奉じて土佐の地に渡り越し、ここに身を布教にゆだぬることとなりたるなり。

■ 理1・道願縫・2

養子の善兵衛が淋病にかかりいたりしをおかげによりて全治せしかば、明治十六年六月ごろお礼参拝させぬ。他に、もう一人の養子の栄次郎、娘の高、店員の嘉助(大場吉太郎)と多助の合わせて五人が、近藤藤守師と二代目白神新一郎師とのお供をして参拝させていただきぬ。
(2)午後一時に大阪の川口を出る汽船にて大谷へ向かい、参着して金光様に御礼言上せしに、金光様は善兵衛に対して、
「幼少の時分、親が子供の小便をご地内にさせるがゆえに、その子がついに、淋病を患うにいたる。かくして、はなはだしきは、ついにまた目にまで来るぞよ」
と仰せたまいしと、善兵衛帰宅の後に物語りしが、果たせるかな、その後、善兵衛は度の強き近眼となり、後には脚気にかかりて、ついに早世せり。しかして善兵衛の妻も目を病みて、後二十余年、いまだ治らず。実に恐るべく、かしこきことなり。
(3)同時に参拝せし嘉助は、船が大阪を離るるや早くも船酔いし、神戸に寄港せし際に下船して帰らんかと思うほどなりしが、藤守師夫人より、一心になれよと諭されて、いまさらに恥ずかしく、かくてはならじと勇を鼓して一心に大神に念じ、心機一転したる後は、船酔いあともなくさめて、神戸より岡山までは何らの異状もなく、無事に着きたり。(4)かくて、霊地大谷に参着せし翌日、氏は「今年三月、眼病にかかりしを、大神のおかげによりて、かく全快せり。この大本社にまします金光大神様は、生神様とたたえられるお方なりと聞けり。己、今日まで、他には語らざりしわが身の履歴、懺悔も、今はこの生神様に聞こえあげて、なお将来のおかげをもこうむりたし」と早朝起きいでて大広前に参り、(5)金光様に、今日までの始終を語りいで、「わが父なる人は、おじにして、実父にあらず。その養父に対して孝行なさざるのみならず、ついに遊里に足を入れそめて種々心配をかけたる後、大阪の地に修業に来りしが、いまさらに前非を後悔して親に孝養を尽くしたく思うも、郷里にある親は大阪へいで来ることを喜ぶや」との意味を聞こえあげしに、金光様はお喜びあそばされ、
「家でも借ってわが世(世帯)を持てば、親も寄って来るぞよ」
と仰せられしと。
(6)その後、道願家は廃業し、大場氏は難波の市場に一戸を構えて、醤油小売業を始め、その由を書状にて富山県なる親のもとへ報告されしに、果たして、この報に接したる父なる人は大阪に来られぬ。いまさらに、ご神言そのままなりしに、氏もいたく感じ、以後、信仰の力も加わりゆきぬ。

 

..徳永健次の伝え

■ 理1・徳永健次・1

=冒頭の「教祖直接ご親教」の一文は、第1節の前にある。

教祖直接ご親教

明治十五年旧十一月八日、御本社お広前へ参詣し、同十一日まで四日間滞在し、昼夜、教祖様よりお言葉をいただけり。そのご親教を記するに左のとおり。
(2)教祖「あなたはどちらからお参りなされたか」
徳永「私は周防の国から参詣いたしました」
教祖「何里ぐらいありますか」
徳永「ちょっと五十里ぐらいあります」
教祖「ようこそ、五十里も遠方からお参りなされましたのう。周防の国は何郡何村、お名前は何と申しますか」
徳永「周防の国は熊毛郡大野村、徳永健次と申します」
教祖「大野か、小野か」
徳永「大野であります。私は眼病で参詣いたしました」

■ 理1・徳永健次・2

神様へ一心にご信心なされませ。おかげはあります。遠慮はないから近うお寄んなさい。お話をせねばなりません。
(2)周防のお方、私のことを人が、神、神と言いますが、おかしいではありませんか。私が、なんの、神であろうぞ。私は、何も知らぬ、土を掘る百姓であります。東京辺りから官員方がたくさんにみえまして、「人が神になると言うが、違いはない。人が神になるのじゃ」と言われます。あのかもいに張ってある名刺をご覧なさい。たくさん張ってあります。(3)これへおいでなされるお方が神様であります(参る人を指して、神と言われたり)。あなた方が神様のお子でありましょうが。生神ということは、ここに神が生まれるということであります。私がおかげの受けはじめであります。あなた方もそのとおりにおかげが受けられます。

■ 理1・徳永健次・3

あの日乃大神様のことを、今は事がよう開けましたのう、機械ということになりました。機械にもせよ、よい機械でありますのう。この機械に明かりを見せてもらい、世話になれば、礼を言わねばなりません。赤い物を見れば緋と言います。ひぢりめんじゃの、ひもうせんじゃのと言いますが、暗い所で振り回しても明かりは採れません。(2)あの天照皇大神というは日本の神様であります。天子様のご祖先であります。この神(天地金乃神)様は日本ばかりの神様ではありません。三千世界を御つかさどりなされます神様であります。

■ 理1・徳永健次・4

周防のお方、今は何にでもなられますのう。太政大臣にでもなられます。なるという腰になればなられます。ならぬ腰であればなられません。もともとはお百姓は学問はせんでもよいということでありましたから、それで、せざったからつまりませざった。今は、お百姓でも学問はせねばならぬということになりました。してみれば、お百姓でも学問のできぬということはありません。(2)また、婦人は学問はいらぬものということでありましたから、せざったのでつまりません。今は、婦人でも学問はせねばならぬということになりました。してみれば、ご婦人の方が、結局よく出精ができますのう。
(3)してみれば、信心もそのとおり、できぬということはありません。せん腰ならばできません。できんというは、する心でないのであります。一代のうちに、いけんということは何もありませんが、たった一つ、いけんということがあります。それは、寿命がみてて(尽きて)死ぬるのがいけませんのう。

■ 理1・徳永健次・5

病気になると、強い物を食うては悪いとか言いますが、強いものを食わんと体が弱うなります。油強い物を食いさえすれば、体が丈夫になります。体が丈夫になりしだい、病の方が負けます。油強い物を食わんと体が弱うなります。弱うなりしだい、病の方が勝ってくるようになります。それで、強い物を食うた方がよいのであります。(2)食うて悪いということになれば、死ぬる人が何々が欲しいと言うた時に、「あれは油強い物、あれは毒断てがあるから、食わせぬがよい」とか言う者はありますまい。医師をはじめとして、「何でもよい、食わしてみよ」と言いましょう。何々を一口食えたならば、「何々がいけた。まだまだ気づかいはない」と言うて一同の者が安心しましょう。そんなら、食うた方がよいのでありましょう。また、この世へは食いに生まれたのでありますぞよ。
(3)また、体へ灸をすえると傷がつきます。あれは人間の傷物というものであります。町へ買い物に行きても、これは傷物じゃによって安うせいと言います。灸の跡があれば、人間の安物の分であります。あの立ち木へでも、鎌を当て、おうこ(てんびん棒)を当てると、傷がつきます。その傷より、大風が吹くと風折れがしますぞよ。素直に育った木は、めったに風折れはしません。人間もそのとおり、神様よりきれいな体をくだされたものであります。それに傷をつけたり、鍼を立てたりすると、体がちびます。そこで、長生きができぬようになりますぞよ。

■ 理1・徳永健次・6

あの暦をそしるではないが、旧の暦には、今日は「麦まきよし」「菜まきよし」「そばまきよし」とあるが、大雨降りにでも、今日は「麦まきよし」「菜まきよし」「そばまきよし」どうでも、まかねばならぬと言うて大雨降りにまいては、つまりません。あれはお百姓衆が、湿りあんばいもよし、見合わしてまくとよいのであります。
(2)また、「正月元日にはこの方に向かって大小便せず」とか「今年はこの方に向かって大小便せず」とありますが、あの便所は毎年かかえ直す(造りかえる)ということはできません。そこで、お断りを言うていく方がよろしゅうござります。それで、暦にあっても、益のないものであります。
(3)あの牛肉を食うては悪いとか言いますが、天子様から食えと仰せられるからは、何を食うてもかまいません。それで神様のおかげがないということはありません。口へ食うた食わんではない。おかげは心にあるのであります。

■ 理1・徳永健次・7

神様というものは、あの境をよく知っておいでなされるものでありますのう。ここに畑に菜が作ってある、そばが作ってある。上の町(田畑の区画)にも虫がたくさんにおる。下の町にもたくさんにおる。中の町は、神様へお願い申してお水を振りかけたらば、ひとつもおりまん。一町の中でも、溝を境に神様へお願い申した方には、虫がひとつもおりません。神様というものは、よう境を知っておいでなされますものでありますのう。
(2)また、この先の方に綿を作る人が、「今年は、わせ綿がよろしいか、おそ綿がよろしいか」と神様にお願い申して、わせ綿を作りましたら、よほどよろしくておかげをいただきました。おそ綿を作った者は、大雨が降ってつまりませなんだ。それで、わせ綿を作った者が綿を持って参りました。
(3)このごろ、長門の国萩にて信心する者が八人ほどあります。あなた方の所にも、だいぶん信心する人ができましたのう。

■ 理1・徳永健次・8

同郡平生村ヒラオムラ、礒部藤太郎と申す者、その際参り合わしており、同人が、「私方におきまして四代ほど前に桜荒神という神をまつったものでありますが、これは何をまつったものでござりましょうか」と申しあげたならば、
教祖「それは何でもよし。桜荒神とあれば、桜荒神でよいのではありませんか」
(2)礒部「その桜荒神社へ天地金乃神と、ほかに三神と合わして五社とまつりましては、どうでござりましょうか」
教祖「その桜荒神社とある神様へ、この神様をご一所にまつると、この神様は神様の中でも天子様どころじゃによって、前にまつってある神様がおられぬようになります。お互いの家にでも、天子様がおいでになりましたならば、お互いはおられません。ほかほかへ出て行かねばなりません。この神様は別におまつりなされる方がよろしい」

■ 理1・徳永健次・9

また、近傍の人参り合わして、その人が、「私は銅山を四年ほどいたしましたが、大損害を受けました。もう一年やって、もうけられましょうか、どうでござりましょうか。もうけられますれば、もう一年やってみますが」と申しあげると、
教祖「それは、もうけられるやら、もうけられぬやら、やってみねばわかりませんのう。
(2)周防のお方、今お帰りてはどうじゃ。私の話は、いつまで話しても、みてる(尽きる)ということはありません。書物などを見て話すのならば、これまで一切り話したからやめるということがありますが、それでないから、いつまで話しても、みてるということはありません」
徳永「私は風が悪くて帰られません」
教祖「そんなら、陸をお帰りてはどうじゃ」
徳永「私は船を借り切りにして参詣いたしましたのでござります」
教祖「そんなら、どうもなりませんのう」

■ 理1・徳永健次・10

いよいよ十二日、帰る時、
徳永「今日帰りますから、御本社のご講社へご加入いたしとうござります」
教祖「ここには講社ということはありませんから、国もとへお帰りなされて、そのうえ、講社を取り立てて信心なされるがよろしゅうござります」
徳永「さようならば、そういたしましょう」と申して御本社を立ち去り、帰国せり。

 

..中村弥吉の伝え

■ 理1・中村弥吉・1

心配は神に任せて、氏子は信心せよ。

■ 理1・中村弥吉・2

親は親らしゅう、子は子らしゅう、何事もらしゅうせよ。

■ 理1・中村弥吉・3

実意丁寧、真を尽くせよ。

 

..難波幸の伝え

■ 理1・難波幸・1

私は生来軟弱にして、幼少より痰の持病あり。両親は心配して、児島巡拝も、七、八回もなし、神社仏閣、祈願せざる所なし。しかるに現在の地に嫁せし後も全快せざれば、明治九年、教祖の神あるを聞き、参拝して教えを請いしに、
「寅の年(難波幸)は、本年は命数の尽きる年なれば覚悟せよ」
との教えなり。(2)しかるに私には当時、西も東も知らぬ幼少の娘あり、今にして死なば、一家の浮沈にも関することゆえ、なにとぞ一命お救いくださることを教祖にお願いせしに、
「かれやこれやと心を迷わさず、一心の心をもって三か年祈願せば、病根を断つべし」
との教えなり。(3)それより、ますます一心の祈願をもって、2年3か月にして持病全く病根を断ち、今日に至るまで医薬の味を知らず。本年(昭和八)九十二歳の寿命を保てるものなり。

 

..仁科志加の伝え

■ 理1・仁科志加・1

文久元年十月三日、大本社に参拝し、「私の母子の年の女が、まことに大病で腹が苦り、困難いたしております。私はこれまでは黒住宗忠大明神の門人でございますが、どうしても今度の母の病気は全快いたしませんので、今日ははじめて参拝をいたしました。なにとぞおかげをいただかせてくださいますよう」とお願いした。(2)その時に、金光様は、
「これから私がご祈念して、お知らせをいただいて言うから、お前は何も言わずにおられよ」
と仰せられ、(3)それからご祈念くださって、
「その方の家には、前に七間か八間かの土壁がある。その土壁のある右手に柳の大木がある。その柳から上カミ、戌亥の方角に五間か六間かの長屋がある。また、辰の方角に道がある。丑寅の方角に倉庫がある。その倉の上手にさしかけがある。そのわきに、ゆずの木がある。その倉の下手に牛小屋がある。その立ち木、建物とも、金神のお気障りになっている。それゆえ子の年女の病気はできている。(4)その方はこれまでは黒住宗忠大明神の信者であるが、この度から此方を信仰してくるからには、子の年の病は必ず全快いたすであろう。その方くらいの信仰者、此方の力になる氏子は、まだ来ない。頼りになる氏子である。今、神が言ったことが違うか。違っていたら、再び来るな。よく合っていたら、信仰してこい。
(5)子の年は、志加は、もう大谷へ参り着いているであろうかという時分から、苦りが落ち着いている。帰ってたずねてみよ。氏子、神が今言ったことは違うか、どうであるか」
(6)「さようでございます。前に八間ほどの土壁がありまして、その壁のある右手に柳の大木があります。その柳から戌亥の方角に五間半ほどの長屋があります。また、丑寅の方角に倉庫があります。その下手に牛小屋があります。その倉の上手にさしかけがあります。そのわきに、ゆずの木があります。辰の方角に道があります。まことに恐れ入ります」
(7)「では、今言ったとおり神徳を授けてやる」
とのご神言をいただいて、帰ってたずねると、病人は、ちょうど、志加はもう大谷へ行き着いて参詣しておろうという時分から苦りが落ち着いており、先刻ご飯を食べて、今は休んでいるということであった。(8)その翌日、さっそくお礼参りをした。すると、
「氏子、どうであるか」
「ありがとう存じます。仰せのとおり、ご神徳をいただいております」
「それなら、必ず全快さしてやる。信心をせよ。此方の力になる氏子と思うから、力を入れてやる」
とのご神言で、その後さっそく病は全快した。(9)すると、
「その方は、これからは、この神を祈って人を助けてやるがよい」
と仰せになり、それからお取次をいたしておると、村内の悪人のひき入れで、悪人どもがぐずりをしかけて来て、お広前の供え物を、いっさい取りかたづけて持ち帰った。(10)そこで、さっそく大本社に参詣し、「恐れながら、金光様、今日はかようかようなことで悪人が来まして、お広前の供え物を、みな持って帰りました。この後は、いかがいたしましたらよろしゅうございましょうか」とおたずねすると、金光様は、
「うちにも今日は、みな取られてしまった。みな取られてしまっても、惜しいとは思うな。みな取られたら、壁を目当てに拝め。神は一粒万倍にしてやる。今信心をやめると、神は取りぎりにするぞ」
と、このように仰せられた。

■ 理1・仁科志加・2

それから日々ご信仰いたし、ご神徳のお取次をさしていただいておるうち、慶応二年十二月二十四日夜、夫松太郎がにわかにさしこみ、その夜は一時治まりはしたが、それからついに病床に打ち伏した。(2)そこで、翌年正月二日、大本社に参詣し、その日から日々お参りいたして、祈願しておった。(3)ある日のご理解に、
「備前岡山の士族の子供らが寄り合って、ともに遊んでいた時、その子供のうちの一人が竹光の刀を持っているのを他の子供らが知り、『お前は竹光の刀を持っている。それが何になるのか』とあざけった。すると、その子供は『ばかを言え。そんなら、ともに勝負をしよう。しかし、だれ一人も命を失ってはならないから、あの岩を切って、ともに勝負をしよう』と約束をし、ほかの子供らは、みな有名な刀でその岩に切りつけたが、いずれも刀の刃が折れてしまった。そこで、竹光の刀を持った子供は『お前らはどうしたのか。これを見てくれ』と、竹光の刀でその岩に切りつけた。すると岩はまさに二つに分かれたので、ほかの子供らはみな感心したという。
(4)まことに一心というものはえらいものであるが、その方はまだ一心が足らない。寅の年(仁科松太郎)も二月八日には、昼の丑か夜の丑かに、まことに一命が危ない。一心が足らないと、後で悔やむぞ」
と仰せられた。

■ 理1・仁科志加・3

それから、いっそう励んで信仰をしてみても、
「まだ信心が足らない。二月八日が来るぞ」
とご理解くださった。(2)ある日、金光様が、
「一生懸命に信心しないと、取り返しのつかないことができる」
と夫の病気について言われるので、「どのようにしたら神様のおかげをいただけますか」とおたずねすると、
「人に教えられてするような信心ではおかげにならない。自分の腹から練り出した信心でなければおかげにならない」
と仰せられた。(3)ついに二月七日、金光様は、
「卯の年(仁科志加)、明日という日が絶体絶命である。神様に一心の届く信心はできないか」
と仰せられた。
(4)帰り道、どうすれば一心の届く信心ができるかを考えながら帰っているうち、裸参りをしようと思い、母に話すと、いったんは反対された。しかし、「一生連れそう夫のため、気が違ったと言われてもかまわない」という決心をし、ちようど来合わせた夫の姉の斎藤里須も「弟のために」と、また下女も「あるじのために」と言って、三人が行くことにすると、西側の分家のおいの浜蔵が「女ばかりで間違いがあってはいけないから私がついて行く」と言い、結局四人で行くことになった。
(5)どういうふうにするかを話し合い、私が「裸になって、回しを締め、腰に注連縄を張って、近くの厄神様ヤクジンサマで水をかぶり、道中お祓をあげながら、駆け足で参りましょう」と言った。(6)そうして、四人で参ると、
「卯の年、今日は神に一心が届いた。寅の年の病気も、さっそく全快をさしてつかわす。その方は、まことに一心の定まる女である」とおほめくださり、(7)なお、そのうえに、
「今日までは、夫と言い妻と言っていたが、今日からは寅の年に金子大明神、卯の年には金子明神というご神号をさし許してやる。今日からは、双方ともに神であるぞ」
と仰せられて、ご神号をお授けくださった。(8)足守の武士が三人参拝中であったが、三人ともかたわらへ寄ってお結界の前をゆずってあけてくれた。帰り道、鴨方の町では各戸で塩を振って清めて拝んでくれ、「もう大丈夫。おかげをいただいた」と思った。(9)家の下の坂まで来ると、病人は縁まで出て迎えていた。そして全快した。百余名の信者を引き連れ、お礼参りをした。私が二十五歳、夫は三十八歳の時であった。

 

..鳩谷古市の伝え

■ 理1・鳩谷古市・1

そもそも天地金乃神様へ信心を始めたる次第、書きあげ仕り候。(2)岡山西川ニシガワ京屋敷と申す所に住む秋山甚吉次男の米吉と申す者、明治二年、九歳の年より病人にて御座候。同人の祖母、日蓮宗にて御座候いしが、右につき、明治六、七年のころより金神様へ信心して、また同人も金神様へ信心をいたし候。その節に、大谷の金神様へ信心する人もなし。また、あるとも知らず。まったく大谷のことは知らずに金神様を信心仕り候。(3)同人、病気全快仕り候。その後より、同人が金神様へかぜひきども御願い申しあげ候えば、さっそくにかぜもよろしく相成るようなることに相成り候ことが、もとはじまりにて御座候。
(4)右、西川京屋敷に居宅仕り、みな人々これを聞き合わせて、万事願い事を頼みに宅へ参り候ことなり。しだいに身が入り、同人も大谷へ参り始め仕り候次第なり。
(5)その後、私どもも大谷をたずねたずね、はじめて参拝仕り候。その節は、明治七、八年秋九月ごろと存じ候。日は覚えず候。はじめて教祖金光大神様へ拝顔奉り候。(6)かつまた、何かのことを伺い奉り候。「金光様、私は、岡山西川京屋敷、秋山米造の父秋山甚吉の弟、鳩谷古市と申す者にござります。ただいまは岡山新西大寺町に住居仕りおり候。かねて金神様へ信心いたしておりましたが、今日ようようとたずねたずね、はじめて参りました。恐れながら、何かのことお伺い申しあげます。私は、かねて牛肉が好きにて食べますが、これを食べては、信心しても、神様が横にお向きあそばされますように思われます。いかがなものでございましょうか」
とお伺いいたし候えば、(7)金光様は、
「さようなものではないぞえ。ぼとぼと言うて聞かせましょうぞ。好きなれば、牛肉なりと、かしわなりと食べい。下戸に酒を持って行っても飲まぬ。好きで食べれば、血肉になりて身が丈夫になる。丈夫になれば、神様に、痛いから治してくだされと言うことなし。
(8)商売なら繁栄を願え。百姓なれば満作を願え。繁栄すれば金銀に不自由なし。それ、かかり物(公共負担金)じゃの、それ税金じゃのと申しても、さしつかえなく出せば戸長さんに叱られることなし。
(9)また、汚れ不浄ということも昔はあれど、ただいまにてはお廃しとなりました。西の方から江戸まで行っても、関所ということもなし、また総門(外回りの門)ということもなし。日本国はあけ放しとなり、お上よりご規則が変わりたから、金神様もご規則お変えなされ、日柄方角、汚れ不浄ということをお廃しとなりました。
(10)ある時に、『近所のおばさん、氏神様へ参ろうや』と誘えば、『私はゆうべから役におり、汚れたから、また今度参りましょう』と言う。女の月役を汚れ不浄と申しておるが、これは大間違い。この金神は、月役を汚れ不浄とは申さんぞ。月役は人間のできるもとであろうがな。これが汚れ不浄なれば、女も男もみな、いつまでも汚れであるぞ。ここをよく承り、合点しなされよ。
(11)合点がいったら、人に言うて聞かして、おかげを受けさせい。お前は、ぼとぼと楽じゃから、言うて聞かして、人を助けよ」
と仰せられ、(12)すぐに、
「親が死去して、四十九日の忌服ということあり。その四十九日の間に病み患いをいたし、それ医者の薬じゃ、または氏神にて勢祈祷と申した時、まだ親の忌服がすまぬ四十九日のうちならば、氏子一人と駒千匹ともかえとうもないと、例えにさえ申す氏子を、気の毒ながら見殺しにせねばなるまいがのう。それゆえ、この金神は汚れ不浄はおやめ、お許しに相成っておる」
とも仰せられ候。
(13)また、金光様仰せに、
「普請作事するにも、何事も前々に神様へ向かいお願い届けすれば、お許しお聞き届けに相成る。(14)黙りてすると悪いぞや。『ここは広い所じゃ。お上にも使われぬ。じゃまにはなるまい』と思うて、つい少しの建物をしてみよ。巡査が見ると、とがめる。使われず、いらぬ所と思うたら、払い下げにしてもらえ。それから堂々と建ててみよ。だれも、とがめる者はなし。
(15)また、隣同士で、表口は別にして、裏は境あるといえども塀もなし、一所のようなる所、おりおりあり。干し物する時に、『うちの裏にては足らぬ。今日は隣の裏を借りて干さねば足らぬ』と言うて、隣には今日は裏もいるまいぞと思うて、声をかけずに干し物をしたとする。すると、ようしたものじゃ。声をせぬ時に重なるものなり。『うちの裏へ隣が今日は干し物をしておるような。隣は何か断りを言うて来たか』と家内にたずね、『いや、隣は何も言いはせぬ』と答える。『人の裏へ干し物するに、声もかけずに干し物するは、あんまり人をばかにするというものじゃ』と、ついに言い事を受けることあり。(16)ゆえに、何事も届け知らせねばならぬもの。前々に届けして干してみよ。言い事受けることなし。ゆえに、何事も後より届けしてはならぬものなり」

■ 理1・鳩谷古市・2

なおまた、参拝の節、御本社へお供えの額に「須佐之男神社」と書きあるを見て、金光様におたずね申しあげ候。「ここにお供えの額に『須佐之男神社』とござりますが、昔から、金神様を須佐之男神社と申すということを承りました。さようでござりまするかな」と伺い申し候ところ、
「いやいや、これは上方の者が知らず知らずと供えたのである」
とお申しあそばされ候。
(2)「ただいまでは、金神ということお廃しと相成り、いま少しみ名は決まらず。まず、天地金乃神とみ名を呼ぼうと思うが、いま少し、申しあげることにはなっておらぬ」
と仰せられ候。
(3)それにつき、私、恐れながらよくよく考え申し候ところ、天地と申すこと上につき、なるほど、これは広きところ。もとの金神を金乃神。天地金乃神とは至極よろしき御事と思い奉り候につき、金光様に向かい、「ただいま、私考えてみまするに、実によろしきみ名でござりますなあ。いずれ、このみ名がつきますのでござりましょう。結構なみ名でござりまする」と申しあげ候。
(4)今日のごとくに相成り候えば、私つらつら相考えみるに、何か、生まれ子の七夜に名をつけるようなことを申したと思えば、恐れ多いやら、もったいないやらと思いおり候。

■ 理1・鳩谷古市・3

なおまた、参拝の節に、
「氏子、ほれるということは、じゃらじゃらしたことのようなが、これは実に結構なることであるぞ。ほれたとなると、ほれた人のためには、たとえ自分の命が果てるとも、火の中、水の中でもいとわぬと思うものであるが、たとえほれても、人の女房にはほれるな。(2)大工、左官、職人ならば、親方にほれよ。親方にほれたら、何でも親方の言うことをよく聞き、横着気のなきものなり。そうすると、親方もこれを見て、この弟子は実に横着気のなきやつ、何でもよく言うことを聞くやつじゃ、かわいいやつであると思う。そして、ほめながらかわいがり、何でもこれには早くしこんで教えてやりたいと思い、つい、うまい物でもあれば、やる気になるものなり。
(3)また、神様にも信心して、ほれこめ。実の一心に思いこんでみよ。何事も、おかげは思いこみ一心からかなうものなり」
と仰せられ候ことあり。

■ 理1・鳩谷古市・4

何年何月何日と申すことは覚えぬことに候えども、参詣いたし候折、恐れながらに、「金光様へお伺い申しあげまするが、さて、一心と申すこと、はなはだむつかしきものと思います。拝みながら、いろいろのことが思われましたり、心の内がどさくさといたしますようにござりまするが、どういうものでござりましょうか」と申しあげ候えば、
「一心になる心は、子供をこしらえる時のようなぐあいに思い知れよ」
と仰せこれあり候。(2)このご一言を承り、なるほど万事悟るべしと思い候。これ、実の一心なり。子供をこしらえる時に、とても、歌を歌い歌いはできぬ。また、余のことを考え考えではできぬ。実に、一心とは一筋の心なり。これを悟りて感心いたし候。一心、実はこれなり。

■ 理1・鳩谷古市・5

これは余の者から承りしことに候えども、
「人に一つたたかれたれば、お前は手が痛うはなかったかえと申して堪忍しておけば、二つとたたかれることなく、けんかすることなし。堪忍、こらえること第一なり」
(2)信心すれば、ここまでこらえねばならぬものなりと思い候。実の信心は、恐れながらむつかしきものと思い候。口で申せばみやすきものにて候。なれど、実はむつかしきものなり。

 

..藤本仁吉の伝え

■ 理1・藤本仁吉・1

受けんおかげを受けたと言うな。受けたおかげは広くするべし。

■ 理1・藤本仁吉・2

遠路の道を参詣せずとも、金神は自宅にまつりあるぞ。

■ 理1・藤本仁吉・3

地所において不浄のことを忌まず。

■ 理1・藤本仁吉・4

届けてすれば鬼門の普請もいとわず。

■ 理1・藤本仁吉・5

何事も頼めばかなうべし。

 

..松岡金次郎の伝え

■ 理1・松岡金次郎・1

明治十五年の元日でありました。病気をいやされてお礼参拝。生神金光大神様のご理解、
「子の年(松岡金次郎)、実意をもって金光の広前を慕うは子の親を慕うごとく、心手厚き子の年の氏子」

■ 理1・松岡金次郎・2

この年四月九日お礼参拝、同年八月十四日お礼参拝。ご理解に、
「子の年、神は向こう倍力の徳を授ける」

 

..山本定次郎の伝え

■ 理1・山本定次郎・1

元治元年の春、弟伊平出産の時、母志摩は、産後、血の道にて足が立たぬようになり、その節、父徳次郎が大谷の金神様の広前へ参詣して祈願仕り。(2)その時、
「その方の家にはご無礼しておる。家は南向き、戌亥に蔵、西に長屋、東に立ち上がり(がけ)があり、家の上に折れ回りになっておる。この折れ回り角に大便所あり、この陰で不浄の洗い物をしておる。この方角へ、この度、後産を三か所へ埋めかえておる。(3)とにかく、暦を見て明き方という金神の留守をねろうておるが、例えにも、隣三軒は京都におる子にかえなという。一の隣でも、留守をねろうておると、つまらんようなことができる。今より金神頼むと心を改め、今より信心すれば、病人全快いたす」
と申され、み教えのごとく病人全快したれども、その後、引き続き信心するにいたらず。なにゆえと言えば、金神狸という評判に恐れて参詣を中止しいたり。

■ 理1・山本定次郎・2

明治九年二月九日、旧正月十五日、卯の年の男(山本定次郎)はじめて参拝仕り。続いて参詣仕り、み教えを承り、日増しに信心進み。たびたび参詣すると認められ、
「たびたび参るのはよろしいが、親に安心を与えておき、信心せねばならん。何日に参拝せんと思えば、仕事をくり合わせて都合をつけて、親に弁当の世話をさせんがよろしい」
とみ教えを受け、それより、弁当を持たんことにして参るようにいたしました。
(2)明治十一年に至り、稲木の氏子と言うてもらうようになり、「金光様、私方には、父親がはじめて元治元年に参詣仕り、母親の病気につきお願いいたした時、私方の建物、道、方角のこと、少しも違わぬことをお伝えくだされた事柄を子供ながらに聞いております。恐れ入った次第でござりますが、五里へだてて、よく知れますことでござります。いかがのお願いでも遠方のことがわかりますか」とお伺い申しあげたるに、
(3)「天地の神様は、世界中、天地一般に見て、お守りくださるのであるから、合わせ鏡の間に住んでおるようなものじゃ。目をつぶってお願いしておると、願う氏子の宅地建物が見えるように思う。そのままを伝えれば、少しも違わぬことを言われたと言う人がある。肉眼をおいて、心眼を開きて見なさい。(4)お前も人間、私も人間。同じ天地の神から同じ御霊をいただきておる万物の霊長であるから、信心してご神徳を受けよ。此方へ参って来んでも、稲木の天地も違いはせん。自分に頼んでおかげを受けねば間に合わん。(5)まめな時に参りておかげを受けておき、病苦災難のある時は、山、野、海、川、道、どこでも、天地の神様、金光様頼む、と願え。直におかげを受けねば間に合わん。遠方と思うのは、ただ、この広前ばかりである。天地金乃神様は、けっして遠きも近きもない。
(6)人間は小天地で、自分の頭をいつも天地の神様がお守りくだされてあるゆえに、自分の体を思うように使われるのである。信心も仕事も同じことで、信心に進めば神徳もおかげも一日まさりである。(7)この裏(反対)で、心が横着になり慢心すれば、おかげも少し落ちる。たとえば一反歩の田をひく(耕す)人も、心が緩めば七畝で日が暮れる。話をすれば、きりはない。万事を心がけて、何事にも信心をしなさい」

■ 理1・山本定次郎・3

天地の親神様がお守りくだされてあるを一番早く知るには、夏、土用、暑さをしのぎて生きて家業ができるが、その時自分の腹をおさえてみよ。腹は冷たい。このようにお守りくだされてある。また、冬の寒中に外の冷たい寒い時、天地の親神より体の内へご陽気をお与えくださるので生きておられるぞ。(2)四季に応じて昼夜の別なく、天地の親神様が息のさし引きまでお守りくださるのであるぞ。今月今日で一心に頼むがよろしい。

■ 理1・山本定次郎・4

お前は百姓なら牛を飼うておられよう。牛は人間とは違い、寒い時でも寒い用意もせず、毛があるだけで、冬の寒中、かぜもせず。なにほど寒い時、子を産んでも、かぜもせず。これは飼うておる人間の力におよばん。鶏も山の鳥類、獣も、同様である。みな、天地の神様がお守りくださるのであることを悟るが人間である。

■ 理1・山本定次郎・5

山にも種々の物ができ、川にもいろいろの魚がおる。海にも種々の魚がおる。これを漁師が取りて商人が売買し、何人ナニビトにても、好きな物を買い求めて食い、体を丈夫にして国のために働くように天地の神様がお守りくだされてある。何でも世の中の実物に当たって考えれば、しだいにありがたいことがわかる。(2)四季に応じて、毎年、人間が楽しみ待ちておる物ができる。それを買い求めて食い、身体丈夫にしていただけるのである。(3)四季の変わりは人の力で自由にならん。こう話せば、食い飲みを、尊みいただくという言葉に改め、天地の神様を敬うようにしなさい。

■ 理1・山本定次郎・6

一年ごとに正月と楽しみ、正月の供え物、食い物、着物を改めるのは、いっさい尊ぶということである。第一、かがみもち、たくさん調え、門に男女の松オメノマツを植え立て、注連というて、縄に長い垂れをつけ。これは、注連ということは、年中、心を締め、会計ということを日々いたしますと、神様へ約束をするのである。(2)また、男女の松を奉る、夫婦そろうての約束。また、吉兆なる供え物は鯛、昆布。大きくなる物は豆。水に入れてたくさんになる物は数の子、塩物。年中、塩物食うて、まめで働くように、年を重ねるように、何かいろいろ様々の物を集めて、一年一度、体の修繕をするのである。
(3)また、毎年春、鯛、鰆を買い祝うも、体の修繕をするために天地の神様がお与えくださるのであります。おばの所に行くより秋の山に行けということがあるが、山に松茸その他いろいろの茸を取りに毎年楽しんで行けるのも、天地の神様のおかげである。春はたけのこというて楽しみ、山に種々の楽しむ物がある。(4)人間が肥やしを入れて作らんでも、人間の楽しむ物がたくさんある。このように話せば、何もかもありがたいようにありましょう。心がけて、何事にも信心の心になるがよろしいなあ。

■ 理1・山本定次郎・7

木の恩を知りておる人少なし。木の生えるはじめ双葉であるが、おいおい成木するのは天地の親神のおかげである。田畑に植える物には肥やしを施すが、山には肥やしを施す者なし。日に月、年を重ねて大木となる。これを用材として家屋建築するにつきては、第一、天地の神のご恩を知らねばならぬ。(2)次に、毎日薪の恩を知りて食べ物の支度をいたす者少なし。天地の神様のおかげで、四季に応じ水気があがりおりするゆえ、春、芽を出す。秋は木の葉が落ちるを見て、神様のおかげであるということを知らねばならぬ。このように話しておくからは、信心は考えてしなさい。

■ 理1・山本定次郎・8

百姓が、春の末、綿の種を田畑に植えつけ、夏作り、秋綿がふき(繊維が生ずること)。種と綿は分け、この綿を種々様々に使用し、寒さの時は格別に綿をもって用意いたし、人間、不自由をせんようにする。(2)水を使うには、おけ屋が調えた道具を用い、食べ物を煮るには鍋釜を用いる。この鍋釜は、鋳物屋が調え、その他、人間が食い飲みする道具あまたあり。(3)また夏のかやを用意するのも、夜安楽に寝て、昼働くためである。(4)畳の上に寝起きしておるが、畳の藁や藺の生長したもとを考えてみよ。百姓は藁や藺をはじめいろいろ作りおるから、人間の力ばかりでなく、四季を天地の神様がお守りくだされてあることはわかりましょう。

■ 理1・山本定次郎・9

天地の間にすべて、おかげは満ちわたりてある。信心してまめで働けば、わが身の得で、人がほめてくれる。
(2)我欲になりて悪いことをしておると人が戒める。人は見んと思うておりても、天地の神様の鏡に映るから、心を改め信心するがよろしいなあ。

■ 理1・山本定次郎・10

卯の年は信心参りであるが、金神祟り障りを言うて参る人もある。暦の表に、金神が回るとして、円い図(暦の方位図)に割りをして筋をつけ、この間には金神、または明き方と言うたりする。縁談縁組み、普請作事、旅立ちなどの吉凶を、中段下段(日柄の吉凶の欄)を見て行おうとしてみなさい。行われはせん。(2)ただ正月三日の間ばかりではなく、一か年三百六十五日についての日柄方位方角ということは、昔の人間がこしらえたもので、日柄方角を言うたばかりでは、あまり勝手すぎるではないか。方位方角を行おうとすれば、毎日、時刻ある限り、磁石持ちづめ見づめにせねばならんが、してはおらん。
(3)まことに行うとすれば、口で言い心で行うのが正直である。なにほど、暦のとおりを行おうとしても行われん。そのようなむつかしいことをせずに、いつも天地の神様がおられるから万事頼むという心になりて信心する氏子が正直なのである。(4)毎日朝、拝礼し、先祖より代々の知らず知らずのご無礼をお断りし、今日コンニチ都合よろしくおくり合わせくださるようにと願い、夜にお礼申しあげ、今夜も安全に休ませてくださるよう願うがよろしい。

■ 理1・山本定次郎・11

方角を用いるとすれば、一つの井戸の水ではむつかしい。一つ所のくどで煮て、食べ物調えていても、方角の悪い年、月、日に、心持ちが悪いであろう。厳重に方角行えば、むつかしい。人間の勝手で方角のことを言うて、金神の留守をねらうより、天地金乃神様を氏子みずから頼む心に改め、親子のごとく信心しなさい。

■ 理1・山本定次郎・12

日柄方角のことを言うておる人でも、火事とか大水とか病気とか死去とかいう時に、日柄方角が悪いからと言うて、見舞い手伝いの勤めに行かずにはおれまい。わが身の上のことだけではなく、他人の災難を助けに行かねばなるまい。(2)非常の事のある時、天地金乃神を心で頼みつつ手伝いし、働きを十分にすれば、心が大丈夫でできるではないか。(3)それを、方角の悪い方へ来ておると思い、心配し恐れつつ手伝いする仕事は、十分にできまいではないか。仕事はとにかく、神様頼みて安心に勤めさしてもらえば、気楽なだけでもありがたいではないか。

■ 理1・山本定次郎・13

人間、病気災難にかかると、はじめての人は、この広前に参り、何か障りがあるかないか伺うてくだされと言うて頼む人もだんだんあるが、たとえて、子供集まりて遊んでおり、悪いことをしておる所へ親が行って見つけると、悪いことをした子供が赤い顔して恐れるがごとし。(2)天地の親神を一心に頼み、信心しておれば、天地の間を一目に見てお守りくださる神様がお助けくださるから、心配はない。

■ 理1・山本定次郎・14

盗人その他、悪いことをする者には、上のカミノ役人からそれぞれの罰をつけて、正直な者に安心さしてくださるようなもので、天地の親神様を敬い、一心に信心しておれば、目に見えん障りと思うことは取り払うてくださろうではないか。(2)神様へ氏子がすがるのに、お見捨てにはなるまいではないか。わが子が難儀な時に、親へ正直な頼みをするのに、見捨てはすまい。神様も親も同じことぞよう。一心に信心しなさい。

■ 理1・山本定次郎・15

神や仏に数々頼む人は、何神様のおかげを受けたやらわからん。天地金乃神へ一心に頼み、全快すれば、ありがたいことがすぐに知れる。金神の障りもないようになる。神様と氏子との間に悪いことをはさまんような信心をしなさい。

■ 理1・山本定次郎・16

人間でも汚いと思う大小便所を定めるのに、方角を見て、金神の留守の間に普請を調え、自侭勝手な行いをしており、病苦災難にかかると、金神の障りと言う人がだんだんあるが、此方の話を聞いて正直な心になり、実意をもって天地金乃神様を頼み、何事にも信心になりて、悪いことは先に断りを言い、親切な心を持っておれば、だれでも親切にしてくれるなあ。(2)医師にでも平日親切にしておれば、痛い時に早う親切にして来てくださる。また平日神様へ信心しておれば、痛い時、諸難ある時に、早く助けてくださる。
(3)第一、心をとめておらねばどうならん。田に水をためる時に、落とし(水の落とし口)をとめておらねば、水はたまらんてやなあ。金持ちになるのも、心を締め、とめておらねば、金はたくさんにはならん。物にたとえればきりはない。何事にも信心に油断をせんようにしなさい。

■ 理1・山本定次郎・17

人の地の上を無沙汰に、または留守をねらい勝手に支配しておる人を、その地主が帰り、取り調べた時、それなら取りのけると言うても、地主が承知するか。断りは申しあげねばなるまい。ただ断りを言うたばかりでは、安心はできまい。その地主と日々懇意にしておれば、直々に頼むことを聞いてもらわれる。(2)いつも、あの人は悪い人であると思い、親切をせずにおり、また勝手のよいことばかりして取り調べを受けるようではつまらん。改心して正直になり、万事頼み敬いており、自分の思うことを聞いてもらえば安心である。
(3)神様も同じことで、金神は悪神と言うばかりでおらずに、金乃神様のおかげを受けねばならんと思いつめて、日々頼む心になりて信心しなさい。おかげを受ければ福の神である。(4)金神の障りで困る人は、金神様を尊み敬い、建築物などそのまま置かしてもらうよう頼み信心すれば、建てかえることもいらず。その費用を使わんだけでも福の神である。
(5)人間が人を悪人と思い、けんか口論いたし費用を使えば、人から悪人のように思われる。普請用木を取り越す(運ぶ)時に、やむなく人の地の上を無沙汰で使用したる時、頼みようよろしく、正直な頼みと見てもらえば、そのままに置かしてもらわれる。何事にも信心するという心になるがよろしい。

■ 理1・山本定次郎・18

昔から、親が鏡二つ買うて持たして嫁入りをさせるのはなにゆえか。これは顔をきれいにするばかりではない。第一、その家を治めに行くのである。心につらい悲しいと思う時に鏡を立て、必ず人に悪い顔を見せんようにし、その一家を治めよということである。
(2)太古、天照皇大神より、しだいしだいに鏡を持ちてこの国を治めたまうこと、人民が見て、なにほどの貧乏人でも鏡は持たしてもらうようになりておるのである。他家へつかわしてからは、実の親が子の顔を見て毎日言い聞かすことができぬから、鏡を見て、その家のきげんのよいようにせよということである。

■ 理1・山本定次郎・19

夫婦は他人の寄り合いである。仲よくすれば一代安心に暮らされる。夫婦げんかをしても、後から心が折り合う時よく考えてみると、わけがわかる。この事柄を自分でわかるということは、天地の神様よりお与えくだされた御霊が、体の司だからである。
(2)まめなとも信心の油断をすなというのは、体はまめでも心の煩いがありては、まことに困ることで、心配がだんだんと重なる。この災難のできぬうちに神様を頼み、信心して取り払うてもらいなさい。

■ 理1・山本定次郎・20

信心する人は用心せねばならぬ。安心と慢心とをせぬようにせねばならん。安心で酒を一杯飲み、酔うたまぎれに夫婦の交わりをし、女も何のこころがけもなくして、ついに懐妊になりても、旦那様、奥様と、慢心のあまりばかばかしい日を送りつつ安産したところが、ばかな子供ではしかたがない。
(2)懐妊中、旦那、酒を飲み、時に三味線をひかして喜んで暮らした、その一念を子に移し、散財暮らしの子供ができて困ることもある。我情我欲、人の物が欲しいという悪心、横着心、種々様々のことが子に移りて、成長の後、難儀なこともある。
(3)これに引きかえて、貧家でありても、貴き人を見て、あのような人で財産がありたらよかろうと思いつめた懐妊中の真心が子供の心に伝わり、成長の後、おいおい幸せを得、子宝と人にほめられ、親子安心する人がある。(4)また、親は無学、難儀なことを思いつめ、この一念が懐妊中の子に移り、学問に進む子供ができて喜ぶ人もある。
(5)世間のことは知りがたし。自分が住む所の構え内のことを、よく心にかけておりなさい。

■ 理1・山本定次郎・21

これまで懐妊中の事柄を教えた者なきゆえ、種々のことに迷いおるが、この広前へ参り来る氏子よ、人間万物は何のおかげでできるか。第一、人間は母の胎内に宿り、そもそも火止まりがした(妊娠した)というのは、天の神様より御霊を授けてくだされた時なり。(2)この御霊は、医師が腹を開きて、これが御霊であると言うて人に見せることはできん。人間の目に見えん神様から、肉眼で見ることのできん御霊をお授けくださるということは、ありがたいことでありますなあ。
(3)人間、肉体は、母親が好きな物を飲み食いして血の多くなるのをもととして、一人の体成就し、十月前後、出産して、それより男子である、女子であると言う。懐妊中、天地の親神のお恵みでお造りくださるものなり。
(4)信心する者は万物の道理を知りて疑いを去らねばならぬ。天地の神様がお造りくださる人間であるから、病気にかかった時に、天地の親神を頼んで、まめにしてもらうように心願するのは、道理にかのうた信心ではないか。(5)たとえて言えば、家は大工が造った物であるから、修繕するにも大工に頼んで作事をする。着物は女の手でこしらえた物であるから、着物が古びた時に、婦人の手で洗濯、仕立てかえすることは、だれでも知っておる。人間は万物の霊長であるから、万物を見て道理に合う信心をせねばならぬ。
(6)また、医師に診てもろうても、先生薬と信心が大切である。十服のむ薬を五服で全快するよう、天地金乃神、金光大神様と一心に願い、信心しておかげをこうむり全快すれば、神様も喜び、医者も喜び。医師も神様の氏子であるから、薬八服代お礼すれば、医師も信心する者は違うと言うてくれる。

■ 理1・山本定次郎・22

一代信心は神は喜ばぬ。子孫に続く信心をせよ。(2)これまでは、懐妊の時、腹帯をするしきたりもあるが、此方が「懐妊の時腹帯をするより、心に真の帯をせよ」と教えるのはなにゆえか。腹帯をしておりても、なみ合いの帯をしておらねば、人が見ても見苦しい。腹帯よりも心に真の帯をして、懐妊中は格別に心を改めおるのが信心である。
(3)昔から、懐妊の人は葬式を見ても悪い、親類でも見送りをもせん、また、火事を見れば赤あざができるというて恐れておるが、それは形の上のあざである。真に大切な心にあざのできぬよう信心するのが大切である。
(4)世の中には、嫁をもらい、きげんよくしておるうちに懐妊して、仕事が十分できねば、家族のきげんも間違うて、目先の仕事ばかり思うて、だんだんやかましくなることが多い。このゆえに、心に真の帯を家族の者からさせてやらねばならぬ。本人が真の帯をしておると、よい子を産まねばならぬと思いつめ、ちょうど、たとえて言えば、着物や羽織を縫うにも、人中へ来て行く物と思い、念を入れて仕立てるようなものである。
(5)水は方円の器に従い、人は善悪の友によるというが、母の胎内は器のようなものである。水は円い物に入れれば円に見え、角の物に入れれば角に見える。母親が真の心を持ち、神様の氏子がわが胎内におるという尊き心持ちで家業を潔く働き、親兄弟に親切をして信心に油断なく、教育に油断がなければ、先祖へご無礼なく、国家繁盛のもととなるから、日々家業働く心と真心とを失わぬよう、今月今日で信心するがよろしい。
(6)出産の時、親神様のおかげをこうむるということを知らずに、「喜び(出産)の模様じゃ。暦はどこにあるか、明き方はどちらか。さあ、水がこぼれる。不浄になった」と言うて、神様に遠慮するようにしておる。
(7)また、よかり物によかり、足を伸ばさぬようにして、枕を下げて眠らん習慣であったが、神の教えには、「よかり物によかるより、神によかり、もたれよ。天地の親神を頼み、枕を下げて足を伸べ、安楽に寝るもさしつかえなし」(8)今は金光大神一人教えておるが、今後は、医師が、足を伸べて横に寝ることを言うようになるぞ。これも神様のお伝えであるから違いはすまい。ただ一度でも早く足を伸べて寝るよう、おかげを受けなさい。

■ 理1・山本定次郎・23

嫁と姑の仲がよければ天下が騒ぐということを人がよう話すが、天下はさておき、一家を騒がせんようにするには、嫁と姑が仲よくせねばならぬ。
(2)そうするうちに懐妊になりたら、嫁に、「お前は懐妊である。定めて気苦しいであろう。金光様のみ教えに、『懐妊中の改まりが末の楽しみである。信心する人は常に守りを心にかけておれよ』とある。性根が確かで、体もまめな心もまめな子供が生まれ、その子が成長して家業を働きくれねば、お前も安心ができん。私が死しても、後の仕え事(祭祀)をしてもらえねば楽しみもなし。孫がなみ合い以上でなければ、養育した両親や祖父母の功力クリキもない。
(3)『懐妊中、子供の心にあざのできぬよう、心がけ守り。心汚れぬよう注意するのは姑のこと。行うは嫁である』とみ教えくださるのであるから、潔く働いてくれよ」と仲よくしておる嫁に話して聞かせなさい。
(4)この話は、腹の立つときには話すことはできませんぞ。腹の立つときに話せば、嫁が叱られるように思うから無効である。

■ 理1・山本定次郎・24

出産の時、その方には神様を頼むということを知らずに、暦の明き方を見て後産を何か所へも埋めおるが、以後一か所に定め、または墓地に埋めておくようにせよ。
(2)第一、金神の留守をねらう精神ばかりでおったが、これからは神様を頼むという心に改めるがよい。此方には、金神の障りで牛二頭とともに七墓築いたという有様で、こう災難にかかりて困るようではならんと思うて、神様を頼む心になって信心を始め、願うておったら、大神より直々のみ教えをこうむることになった。その次第を参詣して来る人に伝えておるのである。お前方も人に信心家と言うてもらうようになりなさい。

■ 理1・山本定次郎・25

懐妊になるのも人知らず。懐妊中、真の信心して隣知らずの安産をして、神様へお礼申しあげるようおかげをこうむりた人は、神も喜び、その氏子も喜び。ただの一度でも早く、此方の教えを守り、よろしい手本になろうと思う人が信心であるわい。

■ 理1・山本定次郎・26

女の人が信心していても、月経になれば神仏が拝まれぬということを親々から聞いており。それでは、恩知らずというものである。
(2)月経の時、出産の時には、別に多く洗い物をするにつき、地より出る水を使い、洗い水は土瓶に入れ土地にうずめ、洗い物を干すには天のご陽気を受ける。ご恩深き、このわけを教ゆる者なく、天地の親神を頼むこと、御礼申しあげることをだれも知らず。(3)月経や出産は、人間が考えて勝手のよろしいようにしておくというわけにできません。神様のおかげ任せになりているのであります。これからは、万事ご無礼を断り、思うことを願いをし、自分の勝手都合よろしき所へ干し物をさしてもらうよう願いをしなさい。
(4)死亡の時、月経の時、出産の時、ほかの神様へは遠慮しておられるが、この天地の親神様へは、通常より余分事ある時には、格別のおかげを受けねば万事成就いたすまい。

■ 理1・山本定次郎・27

百姓の人は種物を選んで先を楽しんでおるが、人間は懐妊中、普通の時より別に心を改めて子供のことを思い、先を楽しんで信心せねばならんではないか。近い所の懐妊の人々を見ており、その子の心を見なさい。

■ 理1・山本定次郎・28

女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取りあつかい、この注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり、子供の間は母親が子供の真心を作るのである。
(2)また、着物の洗濯をするのも体の養生である。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜び、ここに女の大責任があるぞ。
(3)神様の前に参りて自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神様へ参らん時に信心することがたくさんあります。

■ 理1・山本定次郎・29

人間は母親の胎内に宿る。母親が好み飲食する食物は、天の恵み、地より生じたる物にして、それによりて自分の体を養い、天地の神様のおかげによりて懐妊となる。子供、十月目に安産し、そのみぎりに乳が出るようにお恵みを受け、子供が乳を飲んで日増しに成人する。親の養育によりて成長する。また、学問諸業を習い。
(2)この本源を知りており、病気その他の難儀な時に、天地の神様を頼むということは、道理の信心ではないか。諸道具にても、もと調えた人が、いたみた物を修繕しております。この万物を見て悟り、神様がお造りくだされた肉体は、神様を頼み祈りておかげをこうむる道理でありましょう。(3)このように話したうえは、第一、疑いを放れて敬いの尊い人が、広大なおかげを受ける。おかげを受けられるのは、みな、めいめいの心である。

■ 理1・山本定次郎・30

産子に五香を飲ませず、神酒神水にお洗米を入れていただかせれば、産毒は取りさばきくださる。出産の時、洗い物、汚れ物、不浄になる物は、この所自由を免じてくだされと無礼をお断りし、信心して自由勝手にさしてもらうのが、よほど安心ではないか。

■ 理1・山本定次郎・31

氏子、繁盛というて、子供がたくさんおれば国の強みである。(2)親のところでは心配が多いが、けっして心配せぬがよろしい。神様からそれ相応のあてがいがあるから、生き物にえじき絶えずというて、らくなものじゃ。
(3)神様からお造りくださる懐妊中に、考え違うてご無礼をしたり思うたり、捨てるように思う者もあるが、神様からお与えくださるだけは産んで養育するがよろしい。(4)金は人間の力で調えられるが、子供は天地の親神のおかげでなければ、わが自由にならぬことである。子を産む者は、神様のご用を勤めると思うて辛抱すれば、これが信心になるわい。

■ 理1・山本定次郎・32

子供を叱るのに、狐が来る、こんこ(狐)が来ると、恐れさして行儀(しつけ)する人もある。このように悪いことを言うて叱らぬようにするがよろしい。子供の時から、子供の心が丈夫でおるように、体が丈夫になるように、教えつつ楽しむがよろしい。

■ 理1・山本定次郎・33

子供に飯を食わすとき、こぼせば三宝様の罰が当たる、目がつぶれる、たくさんに食うと腹が痛くなると、こういう悪いことを言わんでも、子供の目の前に悪い行いを見せぬよう注意するのが、親の養育の大肝要である。(2)とかく上の人から、わが口で上段な(立派な)教えをし、よろしい形の行いで教えをするのがよろしい。このようなことは、この広前へ参って来ん人でも、行いはよくできておる人もある。(3)信心する人は人なみに下らんようにするがよろしいな。

■ 理1・山本定次郎・34

お前は若い人であるが、どこの国でも年寄りの人を尊ぶのは、神様を敬うのと同じことである。人間は自分の考えで先へ生まれてきたものではない。神様が早くお造りくだされたことは、だれでも知っておるが、早く生まれてきた人ほど国のため家のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りの人を敬うのである。
(2)若い人でも、人なみ以上の役に立つ人は、何となく人が敬うようになる。また、敬いを受くる人でも、不都合不行き届きが重なれば、しだいに格式が下がり、人が敬うてくれぬようになる。これくらいのことはだれでも知っておるが、信心する人はなお心がけておるがよろしいなあ。

■ 理1・山本定次郎・35

長患いの人または代々難儀の続く人が神様のおかげを受けることをたとえて言えば、井戸水が濁った時に井戸がえをするのに、八、九分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておるようなもので、信心も途中でやめれば病苦災難の根は切れぬ。(2)井戸水は清水になるまで、病苦災難は悪根の切れるまでと、一心に天地金乃神様へ願い、まめで繁盛するように元気な心で信心しなさい。

■ 理1・山本定次郎・36

病人に品物を与える親切だけが見舞いではない。見舞いの言いようで、気分が強くもなり弱くもなる。せっかく見舞いに行く親切があるなら、病人の心が丈夫になる見舞いを言うてやると、病人の心が広く大きくなる。この時より、神様のおかげをすぐにいただくことができる。(2)此方の話したことを、病人、また家族に話しておくと、常に悪いことを思わず、安心して全快することばかり楽しむ。ただ一時でも早くようなれば、何のそれがしが見舞いに来てくだされた時より、急によろしくなりたと思うて喜ぶ。(3)見舞いに行き、病人を見て涙を流し、さぞさぞと病人をなでさすりして、病人の心を苦しめるようなことなく、病人のためになり家のためになるように親切するがよろしい。
(4)人によると、病人の顔色を見て嘆き、また、やせたのを見て嘆く。家族へは地方の悪いことを集めて話す。その時には悪いことが満ちて、神様のおかげを入れる所もないようになる。そのような心配をさしては、見舞いに行きて見舞いにならん。(5)病人の心が大丈夫になるように話をいたし、また病家の者には、心配辛苦をさせんように話し、なるたけの手伝いをせよ。また、貧しい人には金や穀物を贈るなど、助ける道はいろいろある。何事にも心にかけて信心しなさい。
(6)何神様を信じておる人も、仏様を信じておる人も、この天地金乃神様のおかげを受けておるのを知らずにおるのである。わが親神様を拝んで、その次にほかの信心をするのが、真の信心であろうではないか。

■ 理1・山本定次郎・37

同じ人間にも、病苦災難のある家と、富貴繁盛の家とがあり、人間の知恵にも上中下がある。人間、思うように神様を頼みおりなさい。一年二年三年のうちには、思うおかげをこうむられます。
(2)田畑でも、一様の物ばかりはない。上中下がある。なにほど悪い田畑でも、その田畑へたびたび行きて、肥やしをたくさん入れるように心がけておれば、一年増しに田畑もよろしくなります。信心もこれと同じこと。家業、仕事をし、信心を怠らぬようにするがよい。
(3)また同じ田でも川の堤につきておる田は、水の出るごとに見に行かねばならぬ。堤が切れたら人様の世話にならねばならん。人間、病苦災難のある家には必ず人様のごやっかいになり、神様のおかげを受けねばならん。(4)また、広大なおかげを受けておりた者が案外に死去する者もあり。これ、洪水に堤が切れたごとし。何事にも心がけておらねば、途中で信心をやめて、頼る人もないようなことになる。

■ 理1・山本定次郎・38

生まれたる者は死ぬるということあり、死ぬるにもいろいろがあり。百姓の人は、稲麦にたとえて話せばわかる。春、もみを苗代にまき、五十日前後に本田に植えつけ耕作しても、稲は白穂シラホ、麦は黒穂クロホになることあり。それを見て、子供が成長し、縁づき、その本人に子供のできぬうちに死去したのは、白穂黒穂のごとしとあきらめるほかなし。
(2)また、早稲、中手、晩稲と種々の種類に分けてあるが、人間の上にも短命長命の別あり、途中死にという難儀のこともある。その時、子供、後におれば、相続する人あるゆえに早稲のごとし。短命と悟りを開き、あきらめるのほかなし。万事よろしきおくり合わせをこうむるよう大神様に頼み、先を楽しむ信心をせよ。
(3)山の中なれば、木にたとえて話せばよくわかる。あの山の木は何十年、この山の木は三十年四十年五十年生えておるというても、同様の木はない。大小いろいろある。人間も木のごとく、同じ三十、四十の人でも、同様の財産を持ちておる者ばかりはない。万事、信心しておかげをこうむり、木のごとく、きれいな気持ちで人に尊ばれるような信心をするのがよろしい。山の木の直いのも、人間の気の直いのも、人がみな、ほめて望むわい。

■ 理1・山本定次郎・39

めいめいに信心しなさいと言うのは、六根の祓にも、「霊と同体なるがゆえに、なすところの願いとして成就せずということなし」とあるごとく、神様のような心でおれば神様と同体である。かような心になり、こういう考えで信心しなさい。めいめいに願うて、直々のおかげが受けられます。(2)また、六根の祓にもあるごとく、目耳鼻口身意ココロ、もろもろの不浄がありても、この六つの物がまめにあるからおかげであると思うて信心しなさい。

■ 理1・山本定次郎・40

まめな人は、わが身はわが自由であると言うておる人もあるが、わが身がわが自由にならんことがある。(2)夜寝た時、おぼえず知らず息をだれがさしてくださるか。子供を一人寝さしておくのに、さしつかえはない。これ、わが体は天地の親神のお守りくださるので自由に働きができるのである。真にありがたしと思わねばならんてやなあ。
(3)まめな時、食べ物のために体が丈夫であるのに、病気にかかると、何を食えば悪い、何を食えば毒になると言うて恐れる人がだんだんあるが、常に信心しており神徳を受けて、何々を食えばよろしいということを神霊より知らしてもらい、日々、時々、いただくようにおかげをこうむると、少しの物でも体の丈夫がつく。口に入れれば舌がよく善悪を分けてくださる。
(4)とにかく、まめな時くり合わして参詣してご神徳をいただいておき、病苦災難の時には、天地金乃神、金光大神様の手続きをもって願い、直々に聞いてもらうようになければ、信心は間に合わん。どこでも一心に頼みなさい。神様は直におかげをくださるのである。

■ 理1・山本定次郎・41

人間は食べ物でできたのであるから、物を食わねばすぐにやせる。病気になると、欲しい物が食われんので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたくいただくという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。
(2)信心はむつかしいことはないなあ。家内中、心そろうて親切な信心がよろしい。一時に心そろうようになるのも、めいめいの心々でおかげを受けるのである。親子でも、一様になければ一様にいかんなあ。

■ 理1・山本定次郎・42

人間、日々の食べ物で血ができ、身体丈夫になります。夜寝た間に血が巡りますから、肥えられます。達者でも、病人の介抱して、二夜三夜寝ぬと、やせが顔に知れる。自分のことを一々心がけておれ、(2)見舞いというても、病人ばかりではない。介抱人にまで親切の心がけを深くいたしおけば、人がまた、自分の身に難のある時、親切にしてくだされます。
(3)病苦災難のために人に助けられるようではなりません。人を助けるような神徳を受けて、人を助けるばかりの心になろうと思うて信心するが一番よろしいわい。

■ 理1・山本定次郎・33

病苦災難にて、たびたび神様へお願い申しあげる家は、遅れ百姓のようなもので、人の手伝いを受け、ようやく一番耕作をしたと思う時、お手伝いをしてくれた人らは、その翌日より二番耕作を始められるので、安心に日を過ごされます。遅れ百姓は、たびたび人様のごやっかいにならねばなりません。病苦災難のたびたびある家には、人なみより別に大神様へお願いし、格別にお守りをこうむらねば立ち行かんのであります。
(2)私方には三代盲が続きますとか、代々目を病みますとか、代々血の道にかかりて困りますとか言い、金神様が障りて困りますとか、種々様々お願いされますが、此方の話を聞いて疑いのない人ほど早くおかげを受けられます。
(3)はじめ疑いがありても、道理を知りて参るうちには、信心の徳で代々続く病人がないようになってしまい、人が助かるような家もだんだんある。
(4)信心の油断をしておかげを取りはずすのは、飲み食いで安心しており、次の支度をせず、さっそくに困るようなものである。飲み食いの時間になりて支度すれば、心が急ぐばかりで勝手が悪い。(5)病気災難のないうち信心しており、大難は小難に、小難は無難にしてもらうよう、何事にも心がけて信心するのがよろしい。

■ 理1・山本定次郎・44

昔からせんじ薬というて、土瓶でせんじてのんでおりたが、神様の教えに、「先の日では水薬になるぞ」とお伝えくだされたゆえ、足守の医師へ、「水に薬を入れておき、これを自分が行かれん時にやりておけば、神様のおかげで、行かぬうちにおかげを受けておる」と話をしたれば、「話のとおりを行えば、まことに人がよく助かります」と申しておる。(2)神様のみ教えのとおり水薬を多く用いるようになりて、人間が安心、勝手のよろしきよう、薬はのんでいるであろう。

■ 理1・山本定次郎・45

神の前に参りて祈願してもらう時は、百姓にたとえてみれば、田の水が干て困ると言うて水番を頼み、水は用水路に流れ、田に入りこんでも十分ぬまらぬ(ぬからぬ)、よく見れば、だんだん穴があいていたというようなことでは、神様のおかげをいただくにも暇がいる。せっかく参って祈願するほどのことであるから、神様と病人との間に風も通さぬほどの一心で願いなさい。此方には、帳面へ書き記したうえ、毎日願うのである。
(2)子供にたとえて言えば、子供が四、五人ついて来た時、豆をやると言うて持って出て、早くやろうと思うて待っておるのに、遠慮深い子供は後になる。気安い子供は前へ来るから早くもろうて帰る。(3)此方の話を聞いて満腹し、帰る道で人の話に気を取られたり落としたりせぬようにしなされ。
(4)病気というても一通りにはいかぬ。たとえば、家のいたんだのを大工が作事するにも一様にはいかぬ。病気によりて、祈願すると直ちにおかげをいただく人もあり、また、何週間という日参をしたうえでおかげを受ける人もある。かようなわけがらは、たびたび此方の話を聞く人でなければ知ることはできぬ。

■ 理1・山本定次郎・46

お前は百姓なれば、山、野、あぜに草刈りに行き、手を切りたる時、だれでもよもぎをもみてつけるが、その時、神様に頼んでつけることにしなさい。草、いっさいの物は、天地の神様のおかげで、春から夏の間、芽立つのである。(2)これからは、血どめにする物なき時は土をつけて、血のとまるよう一心に頼み、天地の親神のおかげを直に受けなさい。

■ 理1・山本定次郎・47

わがうちの人はあまり心安立て(無遠慮)が過ぎて、敬い尊むことがむつかしい。金銭はいらず、別にお礼に行くこともなし。医師のうちには、わがうちの薬は効かんと言うておるが、これも、先生様のお薬と敬いがないからである。(2)わがうちでも神様に違いはせん。わがうちの薬も薬に違いはせん。敬い尊み、よろしきよう信心しなさい。

■ 理1・山本定次郎・48

みな、金神様へ参ると言うて参拝ができるが、此方の広前はただ金神様だけではない。天地金乃神を拝んで、参る氏子の願いをしておるのである。
(2)人間その他の万物は、天地間の空気を吸うて、みな生きておる。百姓の人は、お土地へ万物を植えつけ、耕作する。そのうえは、天地任せである。
(3)「天地金乃神と氏子の間柄のことを、金光大神、参って来る氏子に話して聞かせよ」とお伝えくだされたので、このように話をしておるのである。金光大神の話す教えを聞かずに、方位方角を用いてゆこうとして困る人がたくさんあるようなが、金神の留守をねらうことをやめて、一心に頼むと心を改めて、実意な真心をもって安心に世渡りをする人が、気楽でよろしいではないか。
縁談縁組み、親類内でいたせばよろしいと思うても、方角が悪いとあるゆえに、よそをたずね見合わせてもらう人がたくさんあるが、なにほど方角を改め、暦の中段下段(日柄の吉凶の欄)を見て吉日を選び、やり取りしておりても、世間には病苦災難にかかりて困る人もたくさんある。
(5)この広前に参って金光大神の話を聞き、天地金乃神様を一心に頼み信心する人は、親類の内でよろしい縁組みを調え、方角は言わずに神様任せの信心して、安心に働く人もたくさんあるようになった。(6)人間がなにほどよろしい吉日と定めておりても、大雨大雪が降って運びに困ることも数多いことである。万事、神様を頼み、安心におかげをこうむれば、ありがたいことではないか。

■ 理1・山本定次郎・49

信心する人は神様に参るばかりではない。銭ももらわずお礼も言うてもらわず、至急な時に格別の親切を尽くし、急難にかかりておる人を助ける時に早く行きてやり、火事の場合にも早く行きて、火を消す働きを早く潔くすれば、真の信心親切となる。何事にも心がけておりなさい。

■ 理1・山本定次郎・50

人間は万物の霊長であるから、ものを言い、話をする。人が聞き受ける。これ、神様のおかげで、ありがたいことである。鶏は時を歌うと言い、みな、人が飼うておるが、時は歌うてもものは言われん。実に、人間は天地の親神様のおかげで、ありがたいことである。(2)所々に人間でも言わずの人がおるが、難儀なものであろうなあ。この広前に参っておかげを受けて安心しておる人も、だんだんある。自分の難儀なことは万事お願いして、おかげを受けた人が得じゃ。(3)また、難儀な人を助けるのが人間である。

■ 理1・山本定次郎・51

信心する氏子、一日に木綿一反織れる人が、六根の祓にもあるとおりの潔き心持ちで朝より一反半織るつもりになれば、一反半成就する。よそへ行く人でも、一日に十里歩ける人が、十五里は運びができるぞ。
(2)神様へおかげを受けるお願いも、その人、人で、違いがある。おかげも仕事も人なみ以上のおかげをこうむり、人にほめられるようにしなさい。(3)また、百姓なれば、一反歩に二石の米を作る人もあり、二石五斗作る人もあり。人なみ以上作れば、人にほめられて、わが利得、国の強み。信心も、人の身の上、わが身の上を神様へ御願い、国家信心するがよろしい。

■ 理1・山本定次郎・52

お前は信心参りであるか。信心参りは結構である。
(2)信心は末の安心が楽しみである。第一、子供が真心でなければ親の安心する楽しみもなし。また国のためにもならぬ。信心は、家内中、心のそろうた信心して、懐妊の女に悪いことを思わさぬように注意し、また、よきことを思わせ家業を励ませ、何事にも信心の心を持ちて、親々をはじめ何人へも親切にするように注意するのがよい。みずから親切にすれば、人が親切にしてくださる。
(3)百姓の人は、自分の田の水を見に行き、人の田の水まで見てやれば、人もまた自分の田の水を見てくれます。ただの田地にても、米を取ることに損をせぬ。親切にし合えば、神様もお喜び、人間もなお喜びである。

■ 理1・山本定次郎・53

手習いは坂に車を押すごとく油断をすれば後にもどるぞと昔よりいうておるが、信心する人もよく心得て信心せねばならぬ。信心も坂に車を押すごとく、油断をすれば後へもどる。(2)また、玉磨かざれば光なし、光なければ、石かわらのごとしというておるが、また、信心する氏子は本心の玉を磨きて信心せねばならぬ。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かねば光がない。(3)人間、万物の霊長なれば、本心の玉を磨きて、何事にも心がけをよろしきようにせねば、神様へ信心しておると思うても、人が信心なと見て敬うてくれず、わが身信心と思うほかなし。

■ 理1・山本定次郎・54

六根の祓にもあるごとく、「静め静まることをつかさどるべし」というて、一家では主人、家主(一家の主)が、家内を治める司で、村では庄屋、国では殿様、日本では天子様、とかく大きな治めをする人が司をしておられる。かくのごとく心得て信心するがよい。

■ 理1・山本定次郎・55

下女下男を使うにも、上手と下手がある。雇い入れれば家族である。第一、主人が上から親切にしてやれば、下が潔く働く。魚を買い入れた時、魚の頭でも、大切な物を下男下女に与えてやれ。残りの物をば切れの物にして、主人をはじめ子供に与えるようにすれば、あの家はよろしいおうちであると世間の人がほめ。人はとにかく、下男下女が潔く働いてくれれば、これ、一か年になにほどか利得、嘉福となりましょう。

■ 理1・山本定次郎・56

綿の一筋は弱い物であるが、三つ四つ合わせてよりをかければ縫い糸になる。糸を織って木綿にする。信心も同じこと。また、糸は直い物である。もつれると、なかなかむつかしい。人の心も直うに持てば尊い。ゆがむと、けんか口論せねばならん。
(2)打つ墨縄の一筋に神様に信心する時のように、いつも真心が大切である。婦人が木綿を織るには、よい糸と自分の真心とをもって、人のほめるような木綿もできる。また、座敷、押しこみ、板場にちりが積もるごとく、人間、我欲のためにわが心にちりが積もる。わが心わが身が汚れぬように、心と体の掃除をするごとく、今月今日で信心をしなさい。

■ 理1・山本定次郎・57

信心にもいろいろあって、拝む所により、ほかほかには祟り障りを言う所もあるが、此方には天地の親神様へ災難事はいっさい取り払うてくださるよう願うばかりである。(2)たとえて言えば、子供が集まり遊んでおり、中に悪いことをして弱い子供を痛めておる所へ、その親が行き見つけると、悪いことをしていた子供は、すぐに赤い顔して逃げる。氏子の身に障り物あるとしても、天地の親神へ一心に願い祈りておれば、神様が取りさばいてくださるのである。何事も神様任せにする心で信心しなさい。(3)たとえて言えば、人に頼み、示談をしてもらう約束して、一応任しておき、あの人では成就すまいと思い、また、ほかの人を頼み、示談をしかけると、だんだん物に間違いができて困ることがある。
(4)うろたえ信心をせぬがよろしい。また、早くおかげを受けたいと思うてうろたえるのは、近道をしようと思うて知らぬみちをうろたえるのと同じことである。此方には大道を行けというようなものである。一心になりて信心しなさい。

■ 理1・山本定次郎・58

何事にも、慢心すれば途中に大けがができる。用心は前からたおれぬ内の杖。上には上に、なにほどでもある。日本だけではなく、諸外国で、だれが偉い、何がよいというても、世の中に正直、実意丁寧の真心持ちておれば、天下に敵なし。信心家にも不都合ができぬ。
(2)とかく、善きことは一尺のことが一寸ばかりに知れる。悪いことは一寸のことが一尺余にも広がる。氏子はよくよく心得て信心しておるがよろしいな。

■ 理1・山本定次郎・59

人は善悪の友によるというてなあ、此方へ参りて何かありがたい話と思うて聞いておる時には心が円い。わがうちでいろいろのことが思われるような時には腹が立つ。心に角がつく。腹を立てると、顔、くちびるまで、色が変わる。これは血の巡りがとまるのである。(2)体の弱い人は、すぐにさし障り、頭痛がしだす者もあり、癪の病ある人は腹が苦るようになりたりして困るが、これはいかなるわけであるかというに、体へ血の巡り働くのを、腹立つと、その勢いにて体が固くなり血をとめる。ゆえに体に障りが出る。腹が立つのが少し折り合うと、とめた血が働く。腹が立つ時には、心の鏡を磨いてもらうように、神様を頼む心に改めるがよろしい。(3)信心して病気にならぬようにするのが、わが心でわが身を救い助けるというものである。

■ 理1・山本定次郎・60

病気災難にかかり、「天地金乃神様、金光大神様、願う」と申しあげ信心する人は、たとえて言えば、新開開墾、山林、荒れ地開墾に、辛抱する人ほどが作物を早く作るようなもので、神様のおかげを受ける。
(2)辛抱強い信心の人と通常の信心の人とによって、違うか知らん。金光大神はだれの願いも同じことに申しあげて頼むのであるが、おかげは一様に受けられるとはいかん。神様のおかげ受けん人が困る。広大なおかげを受けた人が得じゃ。(3)百姓が作物をたくさん取るも同じことで、人の迷惑にはならんから、先を楽しんで信心をしなさい。よろしい田畑でも、油断すれば草が生えるなあ。

■ 理1・山本定次郎・61

金神参りというて、遠方から参って広大のおかげを受けて喜び、しだいしだいにおかげをいただいた人もあり、この大谷の土地でも参らぬ人もある。わしの顔を知らん人もある。
(2)たとえば、なにほどのよろしい料理屋が隣にあっても、その料理屋のごちそうを食うたことのなき人は味が知れん。これと同様である。これはただ、例えである。料理屋のごちそうは食わんでもよいが、此方が話しておる天地の神様のおかげは、受けずにというわけにはいかん。
(3)また、多くの人の中には、私は天地の親神様と言うて拝まんが、それでもさしつかえはないと言う人もある。これは恩を受けて恩知らずという者である。(4)たとえば、五人の子供のうち、自分の気侭ばかり言うておる子供があり、なみ合いの心持ちでおる子供がある。親のところでは、五人はみな子である。
(5)例えにも、子を育てて親の恩を知るというて、人間は善悪のことは知らねば人間でない。また、人間、幸せのよろしい時ばかりはない。自分のさしつかえのない時から親に親切な人がよろしいと言うが、親に不孝の人を世の中の人がいかに言うか。もし万一、不孝の子供が災難にかかりた時には、いずれは親の罰バチではないかと人が言うようなもので、自分の難儀のない時に天地の親神のことを知りて信心するのが人間ではないか。
(6)人は一代、名は末代というて、人間は一代の内に、死んだ後へ名の残るようなことを伝えるとか、または何か品物でも買い求めておくがよい。人間は、死去した後に葬式とか弔いとかいうて入費を使うばかりであるから、生きておる間に名の残ることをしておかねばならんと思うて働けば、「若い者が礼を言わん。喜んでくれん」と、年寄り老人が集まりた時、不足話をせずにすむ。若い者から、「おじいさんおばあさん、話が聞きたい」と言われるような信心をしなさい。

■ 理1・山本定次郎・62

世の中に表行はだんだんする人があります。寒行して拝んで歩行しておる人もあるが、心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり。苦難のことにつき心願する人多し。信心の事柄を知らぬ人も数ある。

■ 理1・山本定次郎・63

信心参りは結構である。お前のような人もあり、また、金神の障りがあるというて断りに参る人もある。金神の祟り障りというて恐れるだけではどうもならん。(2)せっかく参ったほどなら、此方の話すことを聞いて、おかげを受けるのはどういうわけであるということを知らねば、信心するようにもなられまい。
(3)私ももとは百姓であった。農業をやめて、こうして神様を拝んでおれば、庄屋殿から呼ばれて、「お前は神様を拝んでおるが、田畑を売り払うて、後に子供をどうしなさるか。もう、神様を拝むことをやめて、百姓をしなさればよい」と、ご理解を二度受けた。「へい、承知いたしました」と申して帰り、神様へお願い申しあげると、「子供の心配はすな。子供は神が飢えさしはせぬ。たでの穂一本も作らんでも、先の日で難儀はさせぬ」と神様がお伝えくだされたゆえに、こうして神様のみ教えのとおりを参って来る人に話しておるのである。(4)また、「田畑は売りても山林は売るな。薪は人が持って参らん」と神様がお伝えくだされた。
(6)また、建物、旅立ちするに、暦、方位方角、明き方など、用いてみれば安心になる心持ちだけで、磁石を持たずにいてはつまらん。闇の夜の晩方に出て提灯を持たんのも、先で困る。明き方も遠方へ行くほど広くなる。大小便せねばならん。この時に方角がわからん。磁石を持っておらん者ばかりなれば、大小便は方角を見ず知らず、勝手気侭に方角の悪い方へも大小便をせねばならんが、金光大神の話を聞かん者は知らんも無理はない。
(6)此方の教えを聞いてからは、「天地金乃神様、今日は、どの方角へ行きて、商売、また約束、何々事をいたして帰らしていただきたし」と自分が金光大神様の手続きをもって願えば、真にありがたしと思う心でおかげをこうむられます。信心を怠らぬようにしなさい。

■ 理1・山本定次郎・64

この広前にはご祈祷のお札もなく、ほかほかの神様とは違う。天地の神様が「お洗米で人は助かる。銭金で人を助けるとすれば、貧乏な人が困る。天が下の氏子は安心におかげを受けさせねばならん」とお伝えくだされたので、このようにして神様の前でご用を勤めさしてもらうのである。
(2)まことに神様のみ教えどおりで、百石持ちの人がほかへ一両使うたのは、その日に何のこともないが、貧乏で、その日時々のもうけ食いの人がほかへ一両使えば、すぐに困るから、お供えは心任せである。
(3)この金光大神は銭金を目当てに拝むのではない。難儀な人を助けねばならぬから、「お供えのことを思わず、こづかいだけのくり合わせを受けられた時に参りなさい」と言うて話しておるのじゃ。信心しておかげを受けた時に、心任せのお供えができるようになれば、氏子も喜びである。

■ 理1・山本定次郎・65

人が人を助けるのが人間である。人間は、子供がこけておるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちておるのを見て、すぐに引き上げてやられる。人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。
(2)牛馬その他の獣は、わが子が水に落ちていても引き上げることはできん。人間が見ると、助けてやる。牛馬犬猫の痛い時に人間が介抱して助けてやることは、だれでもあろうがな。(3)人間は病苦災難の時、神様や人間に助けてもらうのであるから、人の難儀な時を助けるのが人間であると心得て信心をしなさい。

■ 理1・山本定次郎・66

人間が食い飲みする時に、このくらいでよろしいと思う時が、天地の親神のご分霊が分限を定められる時である。体に相当するのである。それを、もう一杯、また一杯と、我食い、我飲みして病気になる人もあるが、これは神様へ対しご無礼ではないか。また、食い過ぎ飲み過ぎして、嘔吐をする者もあるが、これも悪い考えである。
(2)信心する人は神様の守りを心にかけており、万事不都合のないようにするのが信心である。食い飲みをむたいに強いるのが親切ではない。国のため、人の身のため、わが身の上も思い、万物を粗末にせんような、真の信心するがよろしい。
(3)百姓の人は、一粒の種から積もれば何石というようになるのも知っておられるが、一人がおかげを受けたので千人万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心するがよろしいなあ。

■ 理1・山本定次郎・67

この広前へ参りてお願いし、全快してお礼参りをすれば、それで大願成就とする人もあるが、この神様のおかげで全快すれば、此方の話を聞いたことを他の難儀な者に伝え、一人増しに真の信心する人のできるよう話し伝えるのが、神様へのお礼になるのである。
(2)此方には、参って来なさいとは申さんが、さいさい参りた人は、さいさい参りただけのご神徳はいただかれるであろう。たとえば、昔は師匠様、今は学校という所へ長らく行きた人は、何か知りておることが多い。この神様へさいさい参って来る人は、金光大神の話を聞き覚えても、何か知れるであろう。
(3)また、十人十色というて、さいさい参っても、自分の思うことを頼み、帰ることを急ぐ人は、身信心(勝手な信心)で、此方の話すことは何もわからん。お前はゆっくりとして、おかげを受ける気でおられるから結構である。(4)参って来た人が、自分の好きなようにいろいろして拝む人がありましょうが。手を合わせていさむ人もあり、手をこする人もある。大きな声で拝む人もあり、泣くように言うて、かがんで拝む人もある。真に十人十色じゃ。

■ 理1・山本定次郎・68

この金光大神の話を聞いて信心する人は、子孫が安心に日を暮らすようになる。子供に安心のことを伝えるは、真の信心であるぞ。

■ 理1・山本定次郎・69

この広前へたびたび参詣して此方の話を聞き、信心する人の中には、天地金乃神、金光大神と、思うことを願えば、直々に聞いてもらうようになっておる人がだんだんある。(2)神様へ近しいようになるのも、お上の役人へ近しいようになるのも同じことである。村役場、その上々の役所、役人と懇意の人は、万事の事柄がよく知れておるから願い事も早く聞きずみになるようなもので、神様のことは、この広前の手続きで拝んでおる所や、また手厚い信心の氏子の手続きで願うてもらえば、早くおかげを受けられる。
(3)願いの取次をする人は、もと、百姓でも何職をする人でも、「お先生」と敬いのある人ほど早くおかげを受けられる。人を敬うてわが身に徳を受けるとは、このことである。(4)敬いの少ない人は、せっかく神様のおかげを受けるに、入れ物を改めておらんということになる。銭金もいらん。心を改めて、早くおかげを受ける考えは、みやすいことでありますなあ。
(5)とかく、遠方の人ほど広大のおかげを受けられるような。神様のところでは違いはないが、取次の人を敬わん人ほど損をしておるようなわい。

 

..吉本吉兵衛の伝え

■ 理1・吉本吉兵衛・1

生神金光様ご在世の時お広前に参拝仕り候節、左に記載するところのご理解を拝承仕り候間、そのまま記載仕り候。
「これまで旧暦というて暦に数々の吉凶の日を選み、または数々の忌むような日を選みおりしところ、今度、明治の世となりて旧暦を廃され、太陽暦と改正に相成り。ついては、お上のご政事も改正に相成り、これまで国々に大名あり、その大名に守名カミナあり。たとえば、芸州には松平安芸守というごとし。その守名もお上よりお廃しに相成るようの世となりしゆえ、神にも、これまで許せし神号を廃し。
(2)神号とは、これまで、わがこの道を信心しておかげをいただきたる人に、一乃弟子、明神、金子宮、大明神などの神号を受けたる人、数々あれども、神様から、今よりその神号を廃す、と言われた」
と生神金光様のご理解。
(3)「しかしながら力を落とすにはおよばず。神には、これまでのとおりに用いる、と神様が言われるから、力を落とさずに信心せよ。(4)また、信心して徳を積み、神様より徳を受けたる人は、慎みが第一なり。また、常に慎みをしても、往生際に不足の心が出ては、せっかくの受けたる徳を失うものなり。
(5)その往生際の不足とは、他家におる親類の者、兄弟にもせよ、わが子にもせよ、なぜ来んか、来そうなものじゃのう、会いたいもの見たいものと、わが心から呼び寄せるような心になるを不足という。よって、信心して徳を受けたる者は、平素の慎みも肝要なれども、往生際の慎みも、また格別肝要なり。ゆえに、必ずその時に徳を落とさんようにせよ」
と生神金光様のご理解なり。

 

..和田安兵衛の伝え

■ 理1・和田安兵衛・1

明治十二年十月ごろと相心得候。はじめて御本社へ御礼の参詣さしていただき、生神様お広前、一間前まで進みし時、教祖様、私の方向きて、突然、
「遠方から参ったのう。住吉というと、よほどあるのう」
と申され、ごあいさつもなき先に結構なるお言葉をいただき、実に驚き入り候。(2)み前にて、病気全快の御礼申し上げ候時、
「お前は命がなかったのであるが、神が助けたのである。お前が取られては、後におかげをいただく者がない。普請の時、丑寅、未申の方角へご無礼したのである。早く帰りて、家内一同、ご無礼のおわびをするがよい。
(3)神様は、願うてすれば、さしつかえなくさしてくださり、そのうえ守ってくださる。悪いことをして、よけようとするから叱られる」
と申され、お手ずからお書下二体をくだされたり。(4)それは、
生神金光大神
天地金乃神 一心に願ネガエ
おかげは和賀心にあり
今月今日でたのめい
(5)金光様、机の前に厳重にお座りあそばされて、ひざの上に両手を重ねて、私の方を向きてにこっとお笑いに相成りてお言葉あり。

.第二類

..相沢新造の伝え

■ 理2・相沢新造・1

私(金光大神)は、はじめは弟香取繁右衛門の広前に参って信心さしてもらった。(2)私は、七殺金神に叱られて七墓を築かされた。牛が二頭死んで、三頭目におかげを受けた。三頭目が病気にかかった時、みんなは祈祷とか医者とか言っていたが、「まあ待ってください。もう一ぺん、繁右衛門の広前へ参って来ましてから」と言って参ったら、「まあ、ほかの詮議ははずして、すがっていなさい」と言われた。帰って一時間ほどして神様にお願いし、しばらくして牛を見に行ったら牛がいなくなっていたので、そこらを探してみると外へ出て草を食べていた。(3)そこで、お礼に参ったら、「その方のお願いが一時間遅れたから、おかげも一時間遅れた。一時間早く願っておけば、一時間早くおかげが受けられたのに」と言われ、それから、おいおいにおかげを受けるようになった。
(4)香取の家でも七墓を築いたのであるが、私に対し、「親二人さえ丈夫なら、また子供はできる」と言われ、そのとおりにおかげを受けた。(5)その後、しだいに熱心に信心していたら、家内が「そういうことをしていると、人が気が違ったと言います」と言うこともあった。そうして三年たって、真が立ちだした。それからは、地所なども貧しい者にやってしまった。
(6)こうして座っており、人が参って来て話をしていると、朝から夜十二時までも起きていることがある。しかし、小用に立つとか腹がひもじいとかいうことはない。これがおかげである。もうこれだけのものである。

■ 理2・相沢新造・2

ご信心をなさっても、何もかも捨ててとびこんでしまうような信心をしなさるな。こうして、麦飯の茶づけでも食べているような心持ちで信心しなさい。節のあるところで、あわててのこぎりをひくと、のこぎりの歯が折れる。

■ 理2・相沢新造・3

患っていると、医者にかかったり、祈祷をしたり、あそこへ行き、ここへ行きなどして、うろたえる。それで、病気は治っても、金をたくさん使うので、後がわずらう。迷わずにじっくりじっくり信心しなさい。おかげがいただける。

■ 理2・相沢新造・4

金光大神の道では、急におかげを受けるということもないが、罰も受けない。早くおかげを受けたければ、四国八十八か所を回ってみよ。早くおかげを受ける代わりに、早く罰も受ける。

 

..青井サキの伝え

■ 理2・青井サキ・1

信心の連れが三人あったが、他の二人は、よく手みくじをいただけるのに、私一人だけがいただけず、そのことをお伺いしたら、
「手みくじがいただけなくても、願うままにおかげさえ受けられれば、手みくじがいただけるのと同じことである。木を植えても、根が張らないのに花がつくと、実らずに散る。根が張ると、長く続いて大きい実がなる」
と仰せられた。

■ 理2・青井サキ・2

信心すれば一から十までのことを願うがよい。いろはのいの字から、金光大神は教えてやる。十が十まで知れだしたら人に教えてやれ。

■ 理2・青井サキ・3

人間は勝手なものである。生まれる時には日柄の良し悪しも何も言わずに出てきておりながら、真ん中の時だけ何のかのと勝手なことを言って、死ぬ時には日柄も何も言わずに駆けっていってしまう。

■ 理2・青井サキ・4

何事も先に頼んでおくがよい。十年後に、こう言って願っておいたがこういうことになったということがある。三年先のことを願っておけ。そのとおりになって、以前にはこういうことがあったと言えるようにもなる。
(2)金光大神も狐狸と言われた時もあったが、今は、金光様金光様と言って多くの人が助かることになった。

■ 理2・青井サキ・5

離縁をした折、金光様へお届けしたら、
「飽いて飽かれるも心ゆえ、好いて好かれるも心ゆえ、人の気に入らないほどの者は親の気にも入らず、なお、神の気にも入らない。人の気に入るほどの者は親の気に入り、神の気にも入る」
と仰せられた。

■ 理2・青井サキ・6

夫が不心得で離縁した結果むずかしくなって、切る突くという騒ぎとなり、訴訟にもなった時、
「どう言われてもかまわない。切ると言えば切れ、突くと言えば突けという心になっておれ。わが身をわがものと思うから敵持ちになる。わが身はわが自由にならない。(2)死にたくないと思えば、死なずにいることができるか。病気になるまいと思えば、ならずにいることができるか。神の手が放れれば、どれほど生きていたいと言っても生きてはいられない。神が見ていれば、切ろうと言って来ても切られはしない」
と仰せられた。

■ 理2・青井サキ・7

いまわの際に親の枕もとに物を積み重ねても、食べられはしない。常に親を大切にしておくと心残りがない。大切にしておけば、三年先では、神であったかというようなことができてくる。子のことにわが身をやつす氏子は多くあるが、丑の年(青井サキ)は親のことにその身をやつしたなあ。

■ 理2・青井サキ・8

学問がなければお取次はできないと、しきりに言う者があるので、金光様に伺ったところ、
「金光大神も無学無筆である。あほうでもかまわない。真さえあれば人は助かる。学問があっても真がなければ、人は助からない。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしている者がある。金光大神は無筆でも、金光大神、金光大神と言って、みなおかげを受けている」
と仰せられた。

 

..青山金右衛門の伝え

■ 理2・青山金右衛門・1

私(金光大神)も不幸せであったが、金神様に打ち任せて、どのようなことがあろうとも、あなた(神)の仰せを一心に守ろうと努めていたら、神様が「どうぞ、この道を広めてくれ」と言われた。それで、東三十三か国は私が広め、西三十三か国は笠岡(斎藤重右衛門)が広めることになっている。

■ 理2・青山金右衛門・2

おじが参拝した時、
「金神様はお叱りなさる。七代前からの罪をお叱りなさるから」
と仰せられた。

■ 理2・青山金右衛門・3

おかげを受けられるか受けられないかは、わが心にある。わが心さえ改めれば、いくらでもおかげは受けられる。

■ 理2・青山金右衛門・4

薬はのまなくても、一心になれば心配はない。

■ 理2・青山金右衛門・5

いかに神信心していても、寿命のないものはしかたがないが、神様にもたれていればうろたえることはない。

■ 理2・青山金右衛門・6

行は無理によそへ行ってせんでも、わが家でできる。

■ 理2・青山金右衛門・7

「人のほのお(恨み)ほむら(同上)精霊の祟り障りがありますならば、それぞれの道を立ててお払い取りくださるよう願います」
と願いこみをしておられた。(2)そして、
「恨み祟りがあろうとも、一心に取りすがれば助けてくださる」
と仰せられた。

■ 理2・青山金右衛門・8

法者(祈祷者)が来て、お供え物などをことごとく持ち帰ったが、
「私はかまわない。あれはみな、金神様がもらわれたのであるから、持って帰っても私はかまわない」
と仰せられた。

 

..秋山甲の伝え

■ 理2・秋山甲・1

はじめて参ったのは実母の平野登美が四十五歳のころ、私が十五歳の時で、旧暦九月二十一日の祭りの日であった。角灯篭が出ており、さとうきびやみかんを売る店が、四、五軒出ていた。十数年にわたる母の血の道を願いに参ったが、私はご裁伝を聞き分けられず、連れて行ってくれた塩飽きよというおばあさんが聞いて話してくれた。(2)きよさんが「長らくの病気でございますが、治るでありましょうか」と伺ったところ、金光様は私に、
「病気が治るのがよいか、治らないのがよいか」
とおっしゃった。(3)何と返事をしてよいかわからずに黙っていると、重ねて、
「治る方がよいのであろう。治してもらいに参って来たのであるから、治るであろうかと思ってはならない。今日からしだいに全快におもむくと思え。しだいしだいによくしてもらい、体が丈夫になってきさえすれば、年はとっても病気は治る。しだいによくなると思って信心せよ」
と仰せられた。また、きよさんが帰りに、「『親のために信心するのは親孝行になる。親に孝行をして信心すればおかげが受けられる』と言われたのですよ」と言って聞かせてくれた。
(4)それから、はじめ一時にずっとよくなったが、一、二か月の後に、また症状が現れ、「よくなったと思っていたのに」と思いながら参ったところ、金光様は、
「つらいつらい、また病気が起きたと思っているであろう。しかし、しだいに取りさばきをいただくのであるから、だんだんと荷が減っていって、軽くなっているのである」
と言われ、しだいによくなった。
(5)しかし、それから半年ほど後、洗濯をしているうちに、突然、鼻血が出始めて、かなだらいに二合も三合も出た。その夜、みんな、母の枕もとに集まっていた。私は、うとうとしているうちに、金光様が来てくださったことを夢に見て驚いた。翌朝また、きよさんに参ってもらったところ、
「また、取りさばきである。長の病で、しだいしだいによくなるのであるから、何も心配をすることはない」
と金光様が言われ、それからしだいによくなった。

■ 理2・秋山甲・2

富岡から金光様の広前に参る途中に、知り合いの農家があった。その家は相当の分限者であった。その家に病人があり、お願いを頼まれた。この家はけちで、仕事仕事といって、外にはあまり金品を振る舞わない家であった。金光様にお願いすると、
「仕事もしなければならないけれども、少しは人に善根を施せよ。仕事をして、いくら着物をこしらえて着て行こうと思っても、病気なら着るにも着られず、どんなごちそうでも食べるに食べられまい」
と仰せられた。

 

..秋山小梅の伝え

■ 理2・秋山小梅・1

維新になって武士の俸禄もいただくことができず、この先、生活がどうなることかと思って参拝した時、金光様が、私の心中を察して、
「何やかや心配して、かれこれ思っているであろう。神に任せて、足り不足を言うな。安心して時節を待っておれ」
と仰せられた。

■ 理2・秋山小梅・2

私(秋山小梅)の大病が全快して参拝した時、梅野を妊娠して四か月になっていた。大病の後であるから子供はできないと思っていた。ところが、金光様が、
「その方は妊娠している。四月になっている。女の子ができるから、手芸を身につけてやれ」
と仰せられた。しだいにおなかが大きくなり、生まれたのは未の年だったので、私は困ったことだと思っていた。(2)長男の熊吉がお参りしたところ、
「その方の家では母が心配しているが、未の年であるからといって、何も悪いことはない。心配せずに信心しなさいと言ってやれ」
と仰せられ、熊吉は帰って、「お母さん、こういうことがあった。それほど心配しているのか」と聞いた。(3)私は「だれにも言わなかったが、神様のおかげでできたのだが、未女では嫁にもらってくれる者もなかろうと思って心配していた」と答えたが、それから胸がすっとして、神様というものはありがたいものであるなあと思った。

 

..秋山甚吉の伝え

■ 理2・秋山甚吉・1

維新前、まだ刀を二本差して参っていたころ、ある時、金光様が、
「これから、天と地とがひっくり返ることがある」
と仰せられ、何のことかと思っていたが、間もなく維新となった。

■ 理2・秋山甚吉・2

岡山の下出石で、土師市蔵という人が金神様を拝んでいた。次男の米造は、はじめ、その人について信心をしていた。金光様の広前へ参りだしてからも、その人のもとに出入りしていたが、ある時、金光様が、
「秋山の若葉(米造)の心変わりのないように、明け暮れ願っているからなあ。よく信心せよ。もう成人したのであるから、広前の敷居から外へ出すな。内にじっといて、信心せよ。神のおかげで参って来る者は来る」
と戒められたことがあった。

■ 理2・秋山甚吉・3

「金光様は百までも二百までも生きられましょうなあ」と申しあげると、
「それはどうも、神様からいただいている寿命であるから、私の自由にはならない。その方らが殿様にお仕えしていて、いつ切腹を仰せつかるかわからないように、いつ神様からお暇が出るかわからない」
といわれ、ご用意のよいのに恐れ入った。

 

..秋山米造の伝え

■ 理2・秋山米造・1

十四歳で、紺がすりの四つ身の着物を着て参った時、子供であるのに金光様から、
「秋山酉の年(米造)は、信心が好きであるなあ。人の助かるような信心をせよ」
というお言葉をいただいた。

■ 理2・秋山米造・2

兄熊吉とともに参拝した時、ご裁伝に、
「酉の年は不器用であるから、おかげを受けて人を助けてやれ。巳の年(熊吉)は手先が器用であるから、その方で出世させてやる」
と言われ、熊吉は、一時、彫刻で名をあげた。

■ 理2・秋山米造・3

秋山一家に対し、
「その方の家では、大人でも子供でも、だれでも取次をさしてやる。お広前へ出て、口から出放題を言っておけ。おかげは神から授けてやる」
と仰せられた。

■ 理2・秋山米造・4

だんだんとゆすりに来るのでそのことを金光様に申したところ、
「何を言って来ても、かまうことはない。お茶一杯もくむな」
と言われた。

■ 理2・秋山米造・5

秋山、世に因果ということを言うが、因果とは何が因果であろうか。子のないのが一番因果である。

■ 理2・秋山米造・6

にわかに金持ちになる者には、たいてい無理がある。時節を待たねばならない。

■ 理2・秋山米造・7

「拝むにはどうしたらよろしいか」とお伺いしたところ、金光様は、
「拝むことは、何でもよい。お題目でも、お祓でもかまわない。拝みよいように拝め」
と仰せられていた。(2)そして、だんだんと後になると、
「そんなに力を入れなくても、ただ、神様にお話をするように拝め」
と仰せられた。

■ 理2・秋山米造・8

一向宗について、金光様は、
「一向宗は一筋のものである。ああいうふうに迷わずに一筋にいくのがよいぞ」
と、よく言っておられた。

■ 理2・秋山米造・9

「宗教はどれがよいでしょうか。天台でしょうか、真宗でしょうか」とおたずねすると、
「どの宗教もよい」
と言われた。(2)さらに、「それでは、人ではだれが偉いでしょうか。弘法大師でしょうか、黒住教祖でしょうか」とたずねると、
「どちらも偉い人です」
と仰せられた。

■ 理2・秋山米造・10

ある時、金光様が、参拝者が帰る時に、
「寄り道をせずに帰れ」
と言われたが、眼病のおかげを受けたある老婆が、そのお言葉を忘れ、途中、連島に寄り道をして一泊し、目がまた悪くなるといけないからと、灸をすえてもらった。ところが、その老婆の目が悪くなり、ついに失明した。金光様のお言葉にそむくことはできないと、父甚吉と話し合った。

 

..浅野喜十郎の伝え

■ 理2・浅野喜十郎・1

備後の人が何かの病気がおかげで治って、村内の人を招いて快気祝いをしたが、神様の方へは礼をしなかった。ところが、また病気になって参って来た。しかし、金光様は、
「氏子、今度は自分でおかげを受けるがよい」
と、あまり頓着されなかった。

■ 理2・浅野喜十郎・2

心得が違えば、此方といえどもどうなるか知れない。

■ 理2・浅野喜十郎・3

柚木春碩という医者が傷寒にかかり、隣人が金光様のもとに参ったところ、
「丑寅に無礼がある」
と言われ、その方を掃除して病気は快方に向いた。(2)代参の者がお礼に参り、そのことを申したところ、金光様は、
「心の掃除をせよ。そうしないと、後のおかげが受けられない」
と言われたので、そのことを代参の者は帰って話した。その後全快し、佐方の大傷寒の人を治療に行き、伝染して、ついに死んだ。

■ 理2・浅野喜十郎・4

「金光様、暦が変わって日柄がわかりません」と申しあげたら、
「今月今日で一心に頼め。おかげはわが心にある」
と教えてくださった。

■ 理2・浅野喜十郎・5

日柄が良い悪いと言うな。

■ 理2・浅野喜十郎・6

信心しても胸が違えばおかげが受けられない。

■ 理2・浅野喜十郎・7

土と水とは、どこのも同じである。けがをすれば土をつけ、正気を失えば水を飲ませておけ。

■ 理2・浅野喜十郎・8

金をためよう、分限者になろうと思うな。無事堅固を願って、家業を大切にせよ。それが第一である。

■ 理2・浅野喜十郎・9

ご帰幽の年の九月二十八日から引きこもられた。その二、三年前から、
「金光大神も当てはない。一寸先は闇である。身を隠さねば、神にはなれない」
と仰せられていた。

 

..浅野寅吉妻の伝え

■ 理2・浅野寅吉妻・1

夜に参っていたことがあったが、
「参ろうという気になれば、夜でも怖いことはないであろう」
と仰せられた。(2)また、砂原で休んだことを話したら、
「神様が、広くなれ広くなれとおっしゃるが、結構なことであるなあ」
と話してくださった。

■ 理2・浅野寅吉妻・2

私の親切を先方が受けてくれず、そのために私も、つい、ぐちをこぼしていた。そのことを金光様には一口も申しあげず、自宅でたびたびお願いしていたが、ある時参拝すると、
「日々信心している者は、湯をわかしたら湯で使うがよい。水にしないようにするがよい」
と仰せられ、脳髄にしみこんだ。

■ 理2・浅野寅吉妻・3

ここまで参って来なくても、家の柱の方へ向いても、一心に願いさえすれば神様は何でも聞いてくださるから、わがうちで信心をせよ。(2)何事も、わが一心でおかげが受けられるのであるから、直い道を行こうと思ったら、人が何を言おうとも一心を出すがよい。

■ 理2・浅野寅吉妻・4

「今日は松島筋が広くなり、一間半の道になりました。人夫が大勢出ておりまして、悪口を申しました」と言ったら、
「どこまでも道は広く広くと神様が仰せられるが、道が広くなっているか。どこまでも広く歩けるようになる」
と仰せられた。

 

..足羽徳平の伝え

■ 理2・足羽徳平・1

「卯の年(足羽徳平)は、遠方を参って来なくてもよい。うちで信心して取次をしてやれ。おかげを授けてやる」
と仰せられたので、病み目などを治してやった。

 

..天野喜八の伝え

■ 理2・天野喜八・1

子供が学校に行き、もの覚えが悪いので、そのことを願ったところ、
「そちらの子は先生にするのか」
と問われた。「いや、そうではございません」と申したら、
「まあよい。なるようになる」
と仰せられ、(2)また、
「子供は親のとおりをするからなあ。よく心得ておれ」
と仰せられた。

 

..池上タミの伝え

■ 理2・池上タミ・1

明治四年ごろの春、はじめて参った。私は体が少し弱っていて、総社のある人の取次でおかげを受け、金光様へも願い、全快してお礼に参った時、
「金神はむずかしい神ではない。実意にしさえすれば、金神はむずかしいことはない。方角が悪いというても、氏子がこうしなければなりませんからと、先に断りを言って何事もせよ」
と仰せられた。

 

..池田富助の伝え

■ 理2・池田富助・1

明治六年か七年ごろ、はじめて参拝した時、「途中でつばを吐きたくなったり小便をしたくなったりすることがありますが、それはどういたしましょうか」と伺ったところ、
「『神様、ご免こうむります』と言って、せよ」
と教えてくださった。

■ 理2・池田富助・2

明治十二年のこと、三月九日に四国巡拝に出発したいと思い、金光様のお広前へ参って、そのことをお届けした。金光様が神様にお願いしてくださったら、ご裁伝に、
「四国を巡るのはよいが、いざりが足が立ち、盲が目が明くこともあるが、死んでもどることもあるぞ」
と仰せられた。(2)これはご神意にかなわないのであろうかと思っていたら、ご理解に、
「四国へ行って道がわからないようになったら、『生神金光大神、どちらへまいりましょうか』と願え」
と教えてくださり、そのとおりにして道を教えてもらった。

■ 理2・池田富助・3

金光様が、
「私ははじめ、唐臼をひいていて神様が踊れとおっしゃると踊り、歌えとおっしゃると歌っていた。また麦を干している時、天気なのに、雨が降るから入れよとおっしゃると入れる。そうするとざっと降ってくるというようなことであった。とにかく信心は神様のことを疑わないで、ばかになってせよ」
と仰せられた。

■ 理2・池田富助・4

「六根の祓をあげていましても、胸へ何やかや雑念が出てきて困ります。あなたはどうでありましたか」と金光様に伺ったところ、
「私も出ていた。それが出ないようになれば、その方は神である」
とおっしゃった。

 

..石井このの伝え

■ 理2・石井この・1

私の亭主芳太郎が明治十一年屋敷がえをする時、金光様にお願いすればおかげをいただけるということで、お広前に参拝した。その翌年二十七歳の時、私が参拝し、金光様にそのお礼を申しあげると、
「まあ、みんな信心をせよ。金光大神は、どうにもならないと言われれば、じっと寝入るような心持ちになるのであるから、あなたらもそういう心になるがよい。どうにもならないと思う時にでも、わめき回るようなことをするな。じっと眠たくなるような心持ちになれ」
と仰せられた。

 

..石井里次の伝え

■ 理2・石井里次・1

つぎつぎに難が多く、家相を見てもらったところ、雪隠(便所)が悪いから、よく掘って、汚い物が残らないように土を入れかえよと言われ、そのとおりにして、金光様にお話し申したら、
「そのようにして掘っても、掘った土の持って行き場はなかろう」
と仰せられ、恐れ入った。

 

..石井友七の伝え

■ 理2・石井友七・1

ある日参拝して、お供えを出したら、
「前に納屋を建ててあるであろう。未申の方に植木があるであろう。けれども、信心をすれば切らなくてもよい」
と仰せられた。(2)家の庭に柿と梨とがあるのを、家族の者で切ろうか切るまいかと評議していたが、金光様には何事も申しあげないのに、このように仰せられた。

 

..石井虎の伝え

■ 理2・石井虎・1

縁談の場合には、人筋家柄の良し悪しは言うな。いかに筋がよいといっても、悪いことをしていれば、悪いことが起きてくる。信心をせよ。

■ 理2・石井虎・2

いくら信心をしているからといっても、病み患いがないということはない。厄年厄難ということがあるからなあ。

■ 理2・石井虎・3

我欲強欲をするな。我欲強欲は長く続かない。

■ 理2・石井虎・4

娘や後家が妊娠したら、月流し(流産)を願え。しかし、亭主があってはそういうわけにはいかない。

■ 理2・石井虎・5

みなが連れだって参ったところ、
「遠方のところを金を使って参っても、おかげがないと使っただけ損になる。近くでおかげを受けるがよい。柱(広前)はたくさん立ててある」
と仰せられた。

 

..石田友助の伝え

■ 理2・石田友助・1

明治十年、土堂の藤井大明神(藤井吉兵衛)様に願って眼病のおかげをいただき、お礼のため金光様のお広前に参拝し、じっとご祈念をしていたら神前の扉が開くような音がした。帰って、それを大明神様に話したら、「早く言われたら、金光様に申しあげたのに」と言われた。(2)翌十一年春、船で参拝した時、金光様にそのことを申しあげ、お礼申しあげたら、
「私がここにこうしていても、出雲の大社と讃岐の金比羅様とがおいでの時にはお扉が開く。出雲の大社がおいでの時には風がさっと来る。讃岐の金比羅様が来られる時には、鐘が鳴るような音がして扉がさっと開く」
と仰せられた。

■ 理2・石田友助・2

天の恩を知っても地の恩を知らないのは、父のあることを知って母のあることを知らないのも同じことである。(2)しっかりと地形をついておかないと、何事も崩れてしまう。

■ 理2・石田友助・3

重い物を背負っているか担いでいれば苦しいが、そうではないから信心は楽である。家業を勤めながら信心をせよ。(2)氏子から神へ暇を出すことはあるが、神から氏子へ暇を出すことはない。

■ 理2・石田友助・4

一升入る袋へ一升入れれば、口もくくられない。人間の体もそうであるから、物は八分に食べておれ。

■ 理2・石田友助・5

牛は百姓の宝である。それなのに、これを食べれば根がつくと言って、むやみに殺したりする。これを食べて体が丈夫になるものなら、世に弱い者はない。うまいうまいと言って食べ、食べ損なってさなだ虫にでもとりつかれ、金神様に頼み、治らなければ、神様でもなにもかもかなうとはいかないと言う。それでは、神が喜ぶ道理がない。

■ 理2・石田友助・6

もし山の頂きで腹が痛んだら、土をお米(ご神米)と思っていただけ。大体、人間は土からできているのも同じことである。
(2)顔を洗う水でも、これをお神酒と思っていただけばおかげが受けられる。(3)心の守りを落とさないようにせよ。

■ 理2・石田友助・7

信心さえ篤くしていたら、医者や薬の手の切れた時がおかげの受け時である。医者にはついておけ。それがお上の規則である。

■ 理2・石田友助・8

妊娠中は腹帯をせず、出産の時はよかり物に寄りかからなくても、神様へ一心に寄りかかっていれば安産ができるから、まことに楽である。

■ 理2・石田友助・9

「信心の道で論争があった時には、必ず堪忍をして負けて勝て。その方がおかげであると思え。勝ったら、おかげを落としたと思え」
と一度ならずお話があった。

■ 理2・石田友助・10

物事は時節に任せ。あせっては仕損じる。神の道を汚す。

■ 理2・石田友助・11

信心する人は、十人の股はくぐっても、一人の肩は越すな。

■ 理2・石田友助・12

信心はかつお節と同じことである。かみしめれば味がわかる。

■ 理2・石田友助・13

信心は、後に生まれるほどしやすい。私には信心の親がなかった。神様よりほかには、たずねる者がなかった。

■ 理2・石田友助・14

金光大神も生き通しというわけにはいかないから、たずねることがあれば何でもたずねておくがよい。

■ 理2・石田友助・15

長命と出世とがおかげの一等である。

 

..石原銀造の伝え

■ 理2・石原銀造・1

私の子供が、生まれては死に生まれては死にということであった。祈祷してもらえば金神の祟りと言われ、備中のある稲荷へ参ったら、「毎年、木綿を一反ずつ供えよ」とのことであった。そこで、懐妊になってすぐ参ったら、お岩と名前をも与えられた。その最後に参った時、「金神様を封じこめてあげる」と言われ、お宮へ入れて奉じて帰って来たが、お岩が四歳で死んだので迷い、福泊の東みきさんに聞いて、金光様のお広前へはじめて参った。(2)金光様に私の身の上を申しあげたら、
「此方も子供に難儀をして、逆さまの葬式をたくさん出したものである。その方と、よく話が合うなあ」
と言われ、(3)金神を封じてもらっていることを申しあげたら、
「それは人間にしてみれば閉門のようなものであるなあ。神様は一目に見ておられる。扉をあけ放して信心すれば、末代のお守り神となってくださる」
と言われた。

■ 理2・石原銀造・2

神様といえば、みな神の位であるから、堂宮の前を通る時には、ご拝をして通れ。その日の悪魔は、その神の威徳で逃れることができる。ほかの神を侮ってはならない。薮荒神でも神の位はある。

■ 理2・石原銀造・3

ある時、四十歳くらいの男が子供を背負って、門まで来ては帰り、幾度も来たり帰ったりしているのを集まっていた信者が見て、「金光様、あの人はどうしたのか、参りそうで参りませんが」と申したら、
「あれは、親が死んで忌みの内であるからと思って、遠慮して参れずにいるのである。此方には忌み汚れはないから参ってもよいと言ってやりなさい」
と仰せられ、その人はそれから金光様の前に出てお願いした。(2)この人は、はじめ田地一町二、三反もあったが、しだいに不運で、ついに農具まで売って生活しているという。金光様は、
「その方も、なかなかめぐりの深い者であるなあ。けれども、信心は物や金がなくてもできる。親が死んで忌み汚れがあるからといっても、信心はしてもさしつかえない。信心をするのに物や金はいらない。そういう身なら線香を六本買って、二本は天地の親神様へ、二本は先祖様へ、二本は神々様へと言って供えよ。(3)そうしているうちには、今から半年ほどすると奥州で戦争があって、上から人夫を召される。財産の高に応じて人夫を出すことになるのであるが、金持ちは危ないと言って出ないから、それを代わって出てやれ。今度の戦争は向こうが逃げる一方であるから、危ないことはない」
と言われた。(4)すべて、そのとおりに戦争が行われ、人夫が召されたので、その人は代わって出てお勤めした。日に二朱かの日当となり、代わって出てあげた方からももらって、それを元手としてもとの身代となった。

■ 理2・石原銀造・4

「丑寅は鬼門であると言って建物を建てないが、神様にお願いして建てれば、丑寅にでも百間長屋さえ建てさしてやる」
と言われた。(2)またのご理解に、
「子を産む時には寝て産め」
と言われた。月々参詣して数年の後には、長男亀松、次男金造と、丈夫な男子のおかげをいただいた。

■ 理2・石原銀造・5

金光様から、
「作徳のおかげを受けよ。人の田にできた物は、五升取っても盗人であると言われるが、わが田にできた物は、一俵余分にとっても、人はうらやましがるだけで何とも言わない。一年まさりのおかげを受けよ」
と教えられ、二、三反甘蔗を植え、よくできてもうけさしていただいた。(2)また、普通は反に七俵くらいできる田に、お願いしたら八俵取れ、次の年には九俵、その次には十俵、その次にも、また十俵取れたが、その年は米の値がよくて、また一年まさりのおかげを受けたことがあった。

■ 理2・石原銀造・6

「金光様のお広前へ参れば、今年は何を作れということを教えてくださると、みなが言いますが」と申しあげたら、
「それは、今年は早稲がよいと言っても、早稲だけを植えることはようすまい。中手がよいと言っても、中手だけを植えることはようすまい。それであるから、この作をと思いついたら、それを三月にまく時、もみを供えて立派にできるように願い、五月に植える時には、よく生い立ちますようにと言って願って植え、秋、穂が出たら、立派に実るように願えば、作徳がいただけるからなあ」
と仰せられた。

■ 理2・石原銀造・7

ある時の月参りに若い者を連れていたので、途中で婦人に遭うと、今のは前のより一割上だ、今度のは二割落ちるなどと冗談を言いながら参ったら、金光様が、
「今日は話がたいそう繁ったなあ。帰りにはおかげ話をして帰れよ」
と仰せられ、たいへんに恐れ入ったことがあった。

 

..石原峰吉の伝え

■ 理2・石原峰吉・1

明治十年前後、私は北海道産の肥料を売買し、備中玉島港で買い取りをしていたので、しばしば金光様のもとに参拝してみ教えをいただいていた。(2)ある時、金光様は、
「峰さん、今日はお願いかな、信心参りかな」
と仰せられ、「今日は信心参りでございます」と申しあげると、
「そうか。それなら、まあ、ゆっくり話してお帰りなさい」
などとご親切に仰せくださった。(3)また、ある時、いつものように肥料を仕入れに玉島港に行ったが、あまり高価なので、「金光様、肥料があまり高うございますが、これを買い入れましても、もうけになりますでしょうか」とお伺いしたら、
「峰さん、それは神にはわからない。高くても利益になると思えば買うがよし、損になると思えば買わないがよし、そのへんは神にはわからない」
と仰せられた。(4)されについて、これは少しも無理がないみ教えである、これが神様であると、大いに感じた。

 

..市村光五郎の伝え

■ 理2・市村光五郎・1

日天四は一文も取らずに世界を助けているであろう。

■ 理2・市村光五郎・2

天地金乃神と礼拝しても、その次には、残らずの金神様とあがめまつって礼拝しなければならない。みな様と申してもよい。(2)伊邪那岐、伊邪那美命も人間、天照大神も人間であり、その続きの天子様も人間であろう。宗忠の神(黒住教祖)も同じことである。神とはいうけれども、みな、天地の神から人体を受けておられるのである。天地の調えた五穀をいただかれねば命がもつまい。(3)そうしてみれば、やはりみな、天が父、地が母であって、天地金乃神は一段上の神、神たる中の神であろう。

■ 理2・市村光五郎・3

此方が天地金乃神を巳の年(市村光五郎)の父母と授けてやろう。親と思えば子と思う。神を親と思って信心をしていれば、神の方から子と思う。たとえて言えば、子供が育ててもらっている間に、親がなければ、つい向こうからたたかれることがあるかも知れないが、親がついていればたたかれることはない。
(2)悪事災難は棒を持って来るのではないから、しのごうと思ってもしのげないけれども、天地の神を父母と思ってご信仰していれば、目に見えない所は金神が守ってくださるのである。(3)神様は天地のお守りであるから、そのそばは去れない。神様のお守りを大切にしなければならない。

■ 理2・市村光五郎・4

金光の心にならなければ、巳の年はおかげが受けられない。打ちこんでの信心をするのならば、世の世話を去れ。臆病を去れ。此方の言うとおりにして、世の世話を去って、巳の年の身を天に任せよ。

■ 理2・市村光五郎・5

「神様はありがたいのであるが、守り(神職)が商法腹で、お札を売って金銀をためることばかり考えて、氏子を苦しめている。此方にはそういうことはしない。お札やお守りはない」
と仰せられ、(2)お守りをいただきたいと押して願ったところ、
「お守りは、あぜの内(田畑)にある。体を養う物がお守りであろう。そのほかにお守りはあるまい」
と仰せられた。

■ 理2・市村光五郎・6

信心をするがよい。段ばしごを上がるようなもので、丁寧に勤めていさえすれば、日にちのたちしだいにありがたくなる。

■ 理2・市村光五郎・7

信心する者は驚いてはならない。これから後、どんな大きな事ができてきても、少しも驚いてはならない。

■ 理2・市村光五郎・8

世が始まってからこのかた、神がものを言って聞かせることはあるまい。どこへ参っても、片便で願い捨てであろう。

■ 理2・市村光五郎・9

私(金光大神)が大病の時に親類も寄り合っていたが、どうすることもできなかった。なかでも親しい親子者が、私が日ごろ信心しているので、見てはいられないと言って拝んでくれた。子の方が祈念して、親の方がごあいさつするということで、吉備津様のお下がりがあった。
(2)「金光は、本宅をこしらえる時、ご無礼があった」と言われたのに、親の方が、「ご無礼はない」と押し切った。それも無理はなかったのである。本宅を建てる時には、暦の表は十分に改めてしたのであるから。
(3)しかし、私は「ご無礼がないと言ってくれなければよいのに。私の命が危ない」と思った。そのように心には思っても、口がからんで、ものが言えなかった。そこで、「自分でものが言えないのはつらいことである」と思い、心でお断りを申した。(4)すると、ありがたいことに口も体もゆるんできて、自由になった。神様は口では言わなくても、心さえ届けばおかげはくださるものである。
(5)そこから、吉備津様がお許しくださり、「金神を信心すれば、お供米を授けてやる」と仰せられて、米と豆とが幣帛について、それをお下げくださった。(6)そして、「この後、信心すれば、一生まめで米をいただかせてやる」とのことで、それから小さいお宮をこしらえて、一心にわが家で信心していた。そうすると、みなが「拝んでくれ」と言って来だした。

■ 理2・市村光五郎・10

新田のある人が朝から参って来て、晩まで広前にじっと座っており、日が暮れて願いの人も帰ってから、近くへ進んで来て、「金神様が、金光様のお広前へ参っておかげを受けて来いと言われましたので、参りました」と言った。
(2)私(金光大神)が、「金神と言うが、そなたの家の金神が、大谷へ参っておかげを受けて来いと言ったのか。おかげと言うが、金でもいるのか、米でもいるのか」とたずねたら、「へい」と言った。
(3)そこで、「いくら、そなたの家の金神がおかげを受けて来いと言っても、金神は何もやる物はない。しかし、朝から参詣した人々に金神様からお下げになったお言葉は聞いたであろう。ほかにやる物はない。金や米をやっても、使ってしまえばなくなってしまうが、朝からお下げになっているお言葉をいただいておれば、そのおかげは舟に積もうとしても車に積もうとしても、舟にも車にも積むことはできない」と言って聞かしたら、「へい」と言って、そのまま帰って行った。
(4)お下げのお言葉は、一言でも千両にもかえられないのである。

■ 理2・市村光五郎・11

拝まなくてもよいのであるが、氏子が不安な心になるから拝んでやるのである。拝んでもらおうと思って来て拝んでもらえないと、これはなぜであろうかと不安に思う。不安になるとおかげが受けられないからなあ。

■ 理2・市村光五郎・12

病は地から起こるものである。四百四病のもとは冷えである。時として変更して、コレラ、赤痢ともなる。(2)天地の四季が巡ってくる。季節が変わって病が出るのである。節句というのは、その四季の変わり目のことである。それをお上は廃止するなどと言う。

■ 理2・市村光五郎・13

五穀を田へ植えるのを種おろしという。夫婦の間に人知れず子供を授けてくださり、魂をお与えくださるのは、神からのお種おろしである。肉体の方は地からお授けくださってある。御霊は天地の神様からお与えくださって、人知れず母の胎内に宿り、五体が調って生まれ出るのである。

■ 理2・市村光五郎・14

「ある時、ある人が来て、『金光様、ご縁日は九日十日とのことで、それでは金比羅様のと同じですから、お変えになりましてはいかがでしょうか』と申したので、『何も私が勝手に決めたのではなくて、神様からそうせよとおっしゃるのであるから、私から変えることはできない』と答えた」
とお話があった。(2)私も「九日十日のお祭りは、旧暦でいたしましょうか、新暦でいたしましょうか」と伺ったところ、
「それはどちらでもよい。これは恩を忘れないためのものであるから、まあ親の法事というようなものである。それさえ覚えていれば忘れることはない」
と仰せられた。

■ 理2・市村光五郎・15

「『お通夜(徹夜のおこもり)のことも、信心の教えばかりならよいが、ここは道のそばなので宿借りが来るからやめにせよ。人が大勢集まると、つい、おごり(飲み食い)に長じることになる』と金神様からおとめになった」
と仰せられた。

■ 理2・市村光五郎・16

弘法大師は利口なものである。よい分別を出している。八十八か所ということをこしらえている。(2)よく信心をせよ。考えてみよ、神信心をしないとどうにもならない。信心しないところから、病んだり、らちもないことになったりしている。(3)家の内にたとえれば、八十八か所は掃きだめである。難儀な者が、みな出て行く。一人の弘法大師に八十八か所はいるまい。よい分別をしている。信心して、出て行かないようにせよ。

■ 理2・市村光五郎・17

備前の新太郎(池田光政)様は、神道がお好きで仏教をお廃しになり、寺を落とされたので、仏罰をこうむられたであろう。この金神は、神、仏をいとわない。神道の身の上も仏の身の上も、区別なしに守ってやる。(2)神道も仏教も天地の間のものであるから、何派かに派などと、宗旨論をしたり凝り固まったりするような狭い心を持ってはいけない。心を広く持って、世界を広く考えて、手広くいかなければいけない。

■ 理2・市村光五郎・18

宗忠の神(黒住教祖)は発明なものである。七か条(黒住教神誡)はよく作っているけれども、七か条ではとまるまい。金神のおかげをいただかなければ、どうしてもとまらないところがあろう。

■ 理2・市村光五郎・19

まあ、世の中は、天のことは宗忠の神が説いている。地のことは此方が説く。此方と宗忠の神とがあったら、まあ、世の中のことが治まろうかと思う。

■ 理2・市村光五郎・20

天と地と、どちらの恩が大きいか、恩比べをしてみよ。天のことは言うな。いくら言ってみても空論である。天は父で、地は母である。父母がなければ子ができないが、子が生まれれば、父はなくても母だけでも育っていく。

 

..江浦寿吉の伝え

■ 理2・江浦寿吉・1

家普請の時、方角が悪いからできないということであったが、連れて行ってくれる者があって、明治十四年に参ったところ、
「お願いして建てればさしつかえはない」
と仰せられた。(2)また、お願いについては、
「家運繁栄、寿命長久を願え」
と教えてくださった。

 

..大喜田喜三郎の伝え

■ 理2・大喜田喜三郎・1

此方(金光大神)の子供が病気になり、夫婦ともども、ぜひ助けていただきたいものと一心に願っていた時、神様から、「明日の日の出を楽しめ」とお知らせがあったのに、翌日の日の出時、「死んだ」と仰せられた。(2)間もなく、また子供が患うこととなった。夫婦一心におすがり申したところ、今度は、「十二時におかげを授け、安心させよう」と仰せられた。その時、此方が、「以前のこと、日の出の時に安心さすと仰せられたのに死にました。今度は、ぜひおかげをいただけますか」と念を押した。すると、神様は、「ぜひとも、神がおかげを授けてやる。安心しておれ」と応じられたが、また、その子も死んだ。
(3)それでも、此方は心を動かさずに信心したが、またまた子どもが病気づき、おすがりしたら、「晩の日の入りを楽しめ」とあった。その時、夫婦とも、「先の二人は死にましたが、今度の子供はお助けくださいますか」と神様におたずね申したら、「ぜひ安心さしてやる」と仰せられたけれども、晩の日の入り時に、これまた死んだ。
(4)その子が息が切れて、お届けし、「これまで三人とも、安心さすと仰せられたのに、いずれも死んでしまいました。どのようになるのでございましょうか」とお伺いした。すると、「三人の子すべて寿命の短い子であったので、ここで助けてやっても先で泣かなければならないから、ここで引き取って安心さしてやった。世には、六十一の子にかかるということもあるから、先を楽しんでおれ。寿命のある、よい子を授けてやる」と仰せられた。
(5)此方も、このようなことがあった。亥の年(大喜田喜三郎)も心得て、信心を途中で投げてはならない。

■ 理2・大喜田喜三郎・2

信心はじめには、此方が神様にお伺いして、神様の仰せどおりに待っていると、その裏が出ることが何べんかあった。それでも、一度おすがり申したからにはと、心を狂わせずに信仰していたら、その方らが参って来るようになったのである。亥の年も、どのような難があろうとも、心を違えずに先を楽しめ。世に秀でることがある。

■ 理2・大喜田喜三郎・3

神様から、「備前御野郡中野という所に、宗忠の神(黒住教祖)という人がいた。その人は自分の身の難儀の折に、一心に天照皇大神宮を拝みすがっておかげを受け、天の理を人民に諭している。けれども、それだけでは人民が安心することにはなっていない。
(2)そこで、金神が人民に安心を授けてやろうと思ってきたけれども、たまたま信心する者があっても逃げるばかりして、真に心の定まった氏子はこれまでなかった。戌の年(金光大神)は、信心をしだしてから、幾度試してみても心を変えずに神にすがってくる。もう、その方の心は動かぬということを神が認めた。その方の口と姿とを貸してくれ。神が天地の理を説いて、安心の道を授けてやる。
(3)その方、今日から、金光大権現の手続きをもって、日天四 月天四 丑寅鬼門金乃神と言って、氏子の願いを取次げ」との仰せがあった。

■ 理2・大喜田喜三郎・4

信心はみやすくしなければならない。占見の弟繁右衛門も道を開いているけれども、あのようにむずかしくしては、信心がしにくい。(2)亥の年、信心はみやすくせよ。手を洗ったり口をすすいだりしなければ信心はできないということはない。百姓をしていて、灰や下肥をあつかっている間に事が起こった時、手を洗ったり口をすすいだりしていては間に合わない。そうした時には、すぐそのままご拝をして、お頼み申せばよい。
(3)亥の年、よく考えてみるがよい。鏡の前でかみしもを着たようにすれば、かみしもを着たような姿が映る。ぼろで肥を担いでいるような姿で鏡の前に行けば、そのとおりに映る。信心ははじめが大事である。かみしもを着たような信心をしだしたら、何もかもかみしもを着たようにしなければ、おかげを受けられないようになる。それだから、ぼろで肥を担いでいるような信心をせよ。そうすれば、手を洗い口をすすがなくても、それでおかげは受けられる。
(4)信心は気楽な信心がむずかしくない。此方の教えと占見金神様の教えとは天地の違いがある。占見のような信心は、氏子がしにくい。此方の教えが神様へ近道で、信心しやすい。しかし、此方の氏子の中にも、かたくなにして信心する者もあるが、それでは信心が続かない。

■ 理2・大喜田喜三郎・5

信心はむずかしいと言うが、信者がむずかしくするのである。神様と心安くすることが信心になる。(2)それを、金神様は恐ろしい神様のように思うから、逃げ逃げ拝むようになる。金神様は祟り神でもなく、人を殺す神でもない。人を助ける神である。氏子の心しだいで助けてくださる神である。(3)金神様、どうぞ助けてくださいと申して、信一心におすがり申して信心する者には、すぐにおかげをくださる神である。

■ 理2・大喜田喜三郎・6

汚れがあると言って、神様に、香、灯明をしない者がある。信心する者は、今日は死人のうちへ行きまして帰りました、神様へお粗末がありましょうともお許しくださいと、お断り申しあげて、香、灯明をせよ。

■ 理2・大喜田喜三郎・7

氏子が神様と仲よくするのが信心である。神様を離れるようにすると信心にならない。神様に近寄るようにせよ。

■ 理2・大喜田喜三郎・8

信心するには、この神様と決めたらうろたえるなよ。

■ 理2・大喜田喜三郎・9

いつも先を楽しめ。

■ 理2・大喜田喜三郎・10

たくさんの神々の社があるけれども、その神々へも金神の地所を貸してある。

■ 理2・大喜田喜三郎・11

金神という神は、天の星の数ほどある。

■ 理2・大喜田喜三郎・12

少しお供えをした際、
「亥の年(大喜田喜三郎)、妙な信者がある。ご寄付をするのに、寄付札をかけてくれと言う者もあるが、亥の年は、神様に寄付するのに別に望みはないであろうな」
と仰せられた。

■ 理2・大喜田喜三郎・13

県庁のお役人も信心する者も同様である。お役に立つ者でも免職になる人もある。信心の道もそのとおりで、信心の浅い氏子でも、此方の広前を負かすぐらいお参りの多い者もある。いくら役に立っても、やはり沈みこんだ役人もある。

■ 理2・大喜田喜三郎・14

亥の年、いつぞや此方が県庁のお役人の話をしておいたが、信者も免職ということがあるぞ。その時には必ず心を静めて、先を楽しんで信心を怠るなよ。また世に出ることもある。(2)信心するには、どのようなことがあっても大厄が小難で逃れた気になって、先を楽しみに神様に心をお任せして信心をせよ。

■ 理2・大喜田喜三郎・15

大勢寄り合った時、人の陰口を言ってそしる者がよくある。そのような場合には、あの人はそういう人ではないと言って打ち消しておけ。

■ 理2・大喜田喜三郎・16

人の悪いことを言う者がよくある。その所に、もしいたら、なるたけ逃げよ。陰で人を助けよ。(2)陰で人を助けておけば、しぜん、神の恵みがある。

■ 理2・大喜田喜三郎・17

盗賊の難を受けた時は、大の難を小の難で逃してくださったと神にお礼を言い、また、盗賊が本心に立ち返り正業に就くようにと、神に願ってやれ。

■ 理2・大喜田喜三郎・18

亥の年、商売をするなら、もとをしこむ所と売り先とを大事にせよ。人が、たとえば口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のように思っても、安くすれば数が売れるから、やはりその方が得になる。(2)体はちびるものではないからなあ。何をするにも信心気を忘れるな。

■ 理2・大喜田喜三郎・19

金光様は、
「みな、家蔵を建てるときに、屋敷取りとして、注連縄を張って金神よけの守りを立て、金神に、この内をよけよと申して、普請をする者がたくさんあるが、金神は注連縄には恐れない」
と言われ、(2)また、
「人の住む家として、ただの三畳敷でも建てたら、金神はまつってもらわなくても、そのものが入らないうちに先に入っている神である」
と仰せられた。

■ 理2・大喜田喜三郎・20

百姓をすれば、信心して、せんとくのおかげを受けよ。隣の田を作っている者が、肥やしを入れて仮に六俵取るなら、信心して肥を入れずに七俵も取るおかげを受けよ。これが、せんとくのおかげである。(2)何をするにも、神様におすがりしてすれば、変わらず、みなおかげが受けられる。

■ 理2・大喜田喜三郎・21

婦人に年子が宿り、「神様に子が出るようにお願いしてください」と言って頼まれても、子が出るようにというお願いの取次はしてはならない。(2)その婦人には、「月役が順調になりますようにと願って信心をせよ」と先に理解をしておいて、自分も神様に、「何の年が月役が滞って困っておりますから、おかげで月役の順調のおくり合わせをお与えくださいますよう」と、お取次をせよ。そうすると、五月まで滞っているのもおかげが受けられる。

■ 理2・大喜田喜三郎・22

婦人が月役にかかったら、神々様、水神様へ、今日から月役にかかりましたからお許しくださいとお断り申しあげて、水を使ったり、神々様にお明かりをあげたりするがよい。何事も、先にお断りしておけ。

■ 理2・大喜田喜三郎・23

信心する者は水を粗末に使うな。

■ 理2・大喜田喜三郎・24

信心する者は、お上様のため、国のため、人を助けるというようにせよ。今日は人のことが、明日はわが身のこととなる。人は今日あって明日はどうなるかわからないものである。人を助けておけば、人がまた助けてくれることになる。

■ 理2・大喜田喜三郎・25

「これまでは、信心の強くなった氏子には此方が神号を授けてやっていたけれども、これからは、めいめいの心に神様から直々にお授けになる」
との仰せがあった。その後二日ほどたって、朝の拝礼の時、「金光大神の一乃弟子」との仰せをこうむった。(2)その翌月参拝すると、金光様から、
「亥の年、神様からご神号のお授けはなかったか」
とおたずねがあり、私が、「慢心と心得ます」と申しあげたら、
「けっしてそうではない。神から授けたのである」
とご理解があった。

 

..大倉たかの伝え

■ 理2・大倉たか・1

自分でお頼み申せば聞いてくださるから、信心するがよい。

 

..大西秀の伝え

■ 理2・大西秀・1

「熊王神のお金神様が、お前は朝のあいさつをせずにやって来ているなと、まさかりを持って、振りあげて待っている」
と、金光様が手を振りあげて、手まねをして教えてくださった。

■ 理2・大西秀・2

山の中でもどこでも、道がわからず、どうするすべもない所へ行ったら、落ち着いて金神様を拝んで、ふと心に浮かんだ方をうそと思わずに、その方へ進め。

■ 理2・大西秀・3

水神様について、
「水の神様であるから、井戸を拝んで、そこに小さい幣でも立てて拝め」
と、よく教えておられた。お神酒と塩とを供えて拝んでいた。そうすれば水にあたることはない。井戸と便所とだけはきれいにしておかないといけない。

■ 理2・大西秀・4

おかたと丸屋のこうさんと私との三人の娘が、当時、八重で鉄道の切り通しの工事をしていたのを、一緒に見に行ったことがあった。この工事に、内藤という人が子分を五十人くらい連れて来ていた。こうさんが、その内藤が好きで大騒ぎをしていた。その時も、「帰ろう」と言っても、こうさんが「どうしても、内藤の所へ行く」と言って聞いてくれなかったので、一人置いて帰った。(2)すると、丸屋の勘さんが「うちの娘を連れて行って、一人だけ置いて帰るような無茶をするなら、これからは一緒に遊んでくれるな」と、たいへんに怒って悪口を言って来た。それで、私は腹が立ってしかたがなく、夕ご飯も食べられず、生きても死んでもいられない気がした。
(3)そこで、夜になってからお参りして、お願いをした。ずいぶん遅かったので、灯がついているだけで広前にはだれもおられなかった。金光様はもう奥に入っておられたが、出て来ていただいて、「金光様、今夕ぜひお願いしなければならないことがあります。今日こうこういうことで、腹が立って腹が立ってたまりません。今夜、私は寝られないほどです」とお願いしたところ、(4)金光様は、
「腹を立てるな。立った腹は、そこへ置いておいて帰れ。あれこれと苦にするな。神様にお願いしていさえすればよい。あまり疲れているようなら、ちょっと寝て、それから帰れ。今晩中には向こうから断りに来る。苦にしなくてもよい」
と言われた。私は「本当ですか。本当ですか」と、しつこくたずねた。
(5)それから、心が落ち着くようにお願いして帰り、夕飯を食べずに風呂に入っていたら、勘さん方のおばさんが来て、「お秀姉さん、今日はお父さんが悪いことを言って、すまなかった。腹を立てないでおくれ。あの時は、お父さんが一杯飲んでいたからで、怒らないでおくれ」と断りを言ってくれた。(6)私はありがたくてありがたくて、東向きの風呂の中でお広前のある西の方へ向いて、金神様にお礼を言った。明けの日からは、勘さんはものをやさしく言ってくれた。

■ 理2・大西秀・5

「人にはできるだけのことをしてあげ、人に物をやりたくてしかたがないという心を持ち、自分だけよいことをしたいというような心を持つな」
と教えられ、(2)また、
「自分が困らず、さしあたりぜひ入用でなければ、何を人にやっても、人に食わせてもよい」
と毎日のように言われ、またあの話かと思われるほど話しておられた。

■ 理2・大西秀・6

金光様が、
「人が困って借りに来たら上米を貸してやり、そして、できないのに返すなよと言ってやるような心さえ持っておればよいが、今はそんな心を持つ人はないな」
と言われたので、(2)「それでもめいめいの流儀でしょう」と申しあげたら、
「いや、よい心を持っていればよいことがある。朝と晩とでも違うからなあ」
と仰せられた。

■ 理2・大西秀・7

どんな物でも、よい物は、人に融通してやれば人が喜ぶ。それで徳を受ける。(2)人にやるのでも、自分によい物を残しておくようなことではいけない。人に物をやる時には、たとえ前かけ一枚やるのでも、よい方を人にやり、悪い方を自分が使うようにせよ。

■ 理2・大西秀・8

たとえ人にたたかれても、けっして人をたたくのではないぞ。人に難儀をさすな。(2)よい心にならせてもらえばありがたいと思い、すれ違った人でも拝んでやれ。できれば、人を助ければよい。

■ 理2・大西秀・9

金光様は、
「日に日に悪い心を持つなよ。人に悪いことを言われても、根に持ってはいけない」
と言いぬいておられた。(2)私が「それでも、向こうが悪い心を持って来れば悪い心になります」と申したら、
「それでも、悪い心を持ってはいけない。よい心を持っているようにしなければ」
と言われた。

■ 理2・大西秀・10

盗人は盗人で拝んでいる。取られる方の信心が強ければ取られないし、また、盗人の方の信心が強ければ取られる。

■ 理2・大西秀・11

お願いをしない者は、先にはどうなるかわからない。信心をすれば、神様がよい方へ引き上げてくださる。間違いがございませんように、お金神様、お願いいたしますと、毎朝お願いをせよ。

■ 理2・大西秀・12

一心に頼めば、何事が起きても、できないことはない。

■ 理2・大西秀・13

悪いことが起きても、これをよい方にお執り成しをお願いしますとお願いすれば、すぐによい方になる。

■ 理2・大西秀・14

神様にお願いして、そのお願いがかなわないのが不思議である。

■ 理2・大西秀・15

勝手な欲をするな。勝手なことをしてはいけない。みな我欲なことをするから、困ることになる。

■ 理2・大西秀・16

「真の心を持って信心せよ」
と教えておられたが、多くの人は、おかげがいただきたくて信心する。

■ 理2・大西秀・17

物をいただく時に、額まであげていただいたら、腹にあたったりするような悪いことはなくなる。

■ 理2・大西秀・18

塩物断ち、火物断ちなどは、しなくてもよい。また、夜中寝ずに拝むようなことはせず、夜は寝てもよい。心の内さえ神様に届いたら、同じことである。

■ 理2・大西秀・19

金光様は、
「節句にはお神酒をお供えし、言い事や怒り事をするな」
と教えられた。この日に言い事や怒り事をすると、まんが悪かった。

■ 理2・大西秀・20

「普請をするのでも、百円かかる普請をしようと思えば、二百円くらいできたらせよ」
と萩雄(金光萩雄)さんに言い残しておられた。

■ 理2・大西秀・21

金光様は、心がよくて落ちついている人であられた。
「偉そうにするなよ」
と言っておられた。ご自身も偉そうにはしないお方であった。

■ 理2・大西秀・22

「私は布を織る時にも縫い物をする時にも、何をする時にも一代お金神様を放しません」と申しあげると、金光様は笑いながら、
「そういう心なら結構である」
と言われた。

 

..大本藤雄の伝え

■ 理2・大本藤雄・1

よそへ手伝いに行っても、客に行っても、下回りの、人の嫌うようなことを手伝ってみよ。後でいただけば、五つのごちそうは六つも残しておいてくれる。その六つが、また七つにも八つにもいただける。

■ 理2・大本藤雄・2

昼になると、「屋根屋さん、おりてご膳おあがり」「井戸屋さん、あがってご膳おあがり」と人は言う。自分が高い所にいれば人は下げ、低い所にいれば人は上げてくれる。屋根屋信心よりも、井戸掘り信心をせよ。おりて食うより、あがって食え。

■ 理2・大本藤雄・3

家内はかなり倹約者で、そのためにやせていた。ある時、同伴して参ったところ、
「信心をせよ。正月に年徳神に鯛を奉るであろう。鯛がお好きなから供えるのではない。何事も体がもとであるから体を作れということである。(2)食わないことが始末ではない。貧乏なら、金を借りても食べよ。もうけて払えばよい。払ってからもうけただけは、自分の得になるであろう。それが始末である。そのおかげを受けよ」
と仰せられた。

■ 理2・大本藤雄・4

尾道から十四五人参り、非常においさみがあった時、
「派手な信心をされるなあ。おいさみのないように願うがよい。
(2)桜の花の信心よりは、梅の花の信心をせよ。桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているから長く散らない」
と仰せられた。

 

..岡繁蔵の伝え

■ 理2・岡繁蔵・1

はじめて参拝した時は、産についてのみ教えがあった。
「神功皇后が戦の時から腹帯をするようになったが、腹帯はしないがよい。腹の子がいたむから」
と仰せられた。

■ 理2・岡繁蔵・2

三度目の参拝の時、白神新一郎先生から託されて金五十円を持って行き、古川参作氏に依頼して、おにわ(土間)に米俵を積んで奉った。古川で木札を作って米俵の上に立てたところ、ご裁伝に、
「神に供えるのか、人に供えるのか」
と仰せられ、厳しいことであった。

■ 理2・岡繁蔵・3

警察からさしとめられ、大阪布教が困難となり、その後をどうしようかということがあって、近藤、前田、森田諸師とともに、白神先生のお供をして参り、お伺いしたことがあった。(2)その時、ご裁伝の際、「森田、森田」と二度仰せられて、驚いていると、
「お上へは忠義を尽くせ」
と仰せられた。

■ 理2・岡繁蔵・4

白神先生に連れられ、大勢とともに参った。その時、先生が金光様に向かい、「私は三年間いんきんで困っています。時々ご祈念の時などに、かゆくて、まことに困ります。人のおかげは立ちますが、私のは治りません。もっとも、わが事はお願いしなくても、おかげをいただけると思い、お願い申しておりませんが、いっこうに治りません」と申しあげられたところ、
「それは、物を食うから治らないのである。いただけば治る」
と仰せられた。

 

..岡秀松の伝え

■ 理2・岡秀松・1

丑寅、未申、鬼門、裏鬼門ということを言うな。また、的殺ということを言うな。心さえ信心して真が届けば、おかげがいただける。

 

..岡田加津の伝え

■ 理2・岡田加津・1

十歳の長男高太郎が病気になり、丸亀港から船で出発し玉島へ向かったが、途中で風が強くなり本島へ避難し、翌日ようやく大谷の金光様のもとへ参拝できた。時節は春であった。(2)病気についてお願いすると、
「未の年の氏子、よくお参りされた。今日は、その方が讃岐からお参りに来ることを神様から知らされていたので、待っていた」
と仰せられた。(3)また、
「花や松などを神様に供えるよりは、榊とか、ひさかきのような年中青々とした物を供えよ。松は根もとから切ればそれで終わってしまって、もとから再び芽は出て来ないが、榊やひさかきは根もとから刈っても、また新しい芽が出て来るからなあ。松はもと切れがして一代だけであるが、榊やひさかきはもと切れせず、代々栄えていくからなあ」
とみ教えくださった。
(4)「方位方角は見なくてもよい」
とか、その他いろいろなお話があった。

 

..岡田キクの伝え

■ 理2・岡田キク・1

明治十六年旧正月二日、平高勝助氏に導かれて金光様のみもとに参拝した。「私は病身で、長生きはできないような気がしてなりません」と申しあげると、金光様は、
「人の命は人間の考えではわからない。神は向こうあけ放しであるから、信心して神徳を積んで、長生きするがよい」
とみ教えくださった。

 

..岡田寅次郎の伝え

■ 理2・岡田寅次郎・1

十四歳の春から十六歳の五月まで、二か月に一度くらいは岡山から徒歩で参拝していた。その都度、金光様は、
「遠方から参らなくても、家で一心に拝めばよい」
と仰せられた。

 

..岡本しげの伝え

■ 理2・岡本しげ・1

大きな石は一人ではあがらないが、大勢ならあがるからなあ。

■ 理2・岡本しげ・2

金光様のお家のまわりに麦わらの垣があったが、ある時、だれかが垣に火をつけて焼きかけになっていた。それを見たある信者が、「金光様、こういうことをする者には罰を当てておやりなさい」と申したら、
「こういうことをする者こそ願ってやって、心を直さなければならない」
と言われた。

 

..押木マスの伝え

■ 理2・押木マス・1

明治十四五年の秋、十六七歳のころ、父の福嶋儀兵衛とともに金光様のみもとに参拝した。金光様は、ご祈念座に平伏してご祈念しておられたが、頭をあげて神様とご対座の態度をとられ、さほど大きくはないが威厳のあるみ声で、
「氏子、人に物を頼むな。此方の道は唐傘一本で開くことができる。氏子、信心しておかげを受けよ」
と言われた。(2)それから、お結界にお座りになって、
「ただいま、神様はあのように仰せになったが、人の心は移り変わりやすいものである。その、人の心を頼りにするから、腹を立てたり物事を苦にしたりすることになる。人に向かう心を神様に向けよ。神様は、氏子の願いは何でも聞き届けてくださる。此方が傘一本と言うことは、真一心になりきることである」
とお諭しくださった。

 

..影山鶴吉の伝え

■ 理2・影山鶴吉・1

神様が「百姓をやめよ」と言われてから、三年間百姓をした。これをやめては、うちの者らがどうしようもなくなると思いながら、三年間した。(2)それから後、「今日から肥灰(農業)をさしとめめる」と仰せられたので、すぐにやめた。そうしたら、神様が「やめてもさしつかえなかったのに、どうしようもなくなる、どうしようもなくなると思って、してきたなあ」と仰せられた。

■ 理2・影山鶴吉・2

親族からたびたび、「信心をやめよ」と言って来たが、「やめない。あなた方こそ信心をするがよい」と言ってやった。親族は「お前のような信心はしない」と言っていたが、病気になって願いに来るようになった。

■ 理2・影山鶴吉・3

かみしもを着たような心で信心をせよ。かみしもを着たようなおかげがいただける。

 

..梶谷保蔵の伝え

■ 理2・梶谷保蔵・1

信あれば徳あり。信心せよ。

 

..柏原とくの伝え

■ 理2・柏原とく・1

病人がどのように引きつけていても、「金光様、お助けください」と言って、口を割ってでもお神酒をいただかせて、お頼みせよ。お医者へ行けば、医者には出違いがあるが、神様には出違いはない。

■ 理2・柏原とく・2

コレラがはやれば氏子らが恐れるが、悪いことをしておらねば、恐れることはいらない。向こうから警官が来ていても、悪いことさえしていなければ、恐ろしいことはない。悪いことをしていると、私をくくりに来るのではあるまいかと思って、恐ろしいであろう。天地の神様を力にしていれば、網のおりることもなければ、綱のおりることもない。

■ 理2・柏原とく・3

氏子、家の内は仲のよいのが神楽。言い事は家のしけ。船乗りは、しけといえば、命取りであろう。

■ 理2・柏原とく・4

いかなる大しけの時でも、金光大神を頼んで、助けてくださいと言って、船の向く方へやるがよい。船の行かぬ方へわが力でやろうとするから、命を失うこともある。

■ 理2・柏原とく・5

氏子らは、生きている時だけ天地金乃神様のお世話になるように思っているが、死んでもお世話にならねばならぬ。魂は天地の神様からお下げくださった身であるから、天からお暇が出たら、また天地の神様のおひざもとに納まって、お世話にならねばならぬものである。体は土から生じたものである。土に納まってお世話にならねばならぬものである。

■ 理2・柏原とく・6

氏子らは、金を人に貸し、催促をして相手を破産させたりするより、信心して、繰り合わせを願ってやれ。払ってもらって喜び、払って喜ぶように。訴訟をして、どうなるだろうかと心配すると、そのために病気になる。病気のために命を失う。命を失っては、金があっても何にもならない。

■ 理2・柏原とく・7

氏子らは、情けない、つらいことだと先を案じずに、今日もありがとうございます、今日もありがとうございますと思い、神様のおかげで雨にも遭わず露にも遭わず、ひもじい目も寒い目もせず、ありがたいことと喜べ。

■ 理2・柏原とく・8

氏子らは小さい所に気をつけて、夜分に提灯を借りても、手みやげをつけて、大きにありがとうと礼を言って返すが、日乃神様には、どのくらい大きなお礼を申しても、過ぎることはあるまい。

■ 理2・柏原とく・9

明治十一年、金五円を持って金光様のもとに参拝し、「金光様、あなたははじめてご普請ができますとか。これは笹につけて振るばかり(小額)の金ですが、お供えいたします」と申したら、金光様は喜ばれて、
「この金は真心である。神はすみやかに受け取る」
と仰せられた。

■ 理2・柏原とく・10

明治十一年からお取次を始めて、信者は日増しに参集するようになった。そのころ、栗原村氏神社の神主が来て、拝ませないと言って、さい銭、初穂を持ち帰ったり、また、山伏が来てお供え物を持ち帰り、無資格の者は神を拝んではならないと戒めた。(2)そのことを金光様に申しあげたところ、
「持って帰る物はやってしまえ。拝むなと言えば拝むな。拝まずに、機を織りながらでも着物を縫いながらでも、教えをしてやれ。教えてやれば人は助かる。何事も時を待っておれ」
と仰せられ、そのとおりにしておかげを受けた。

■ 理2・柏原とく・11

ある時、中庄辺りの名物である西条柿の熟柿を金光様にいただいてもらおうと思って持って行き、お供えをした。翌月お参りした時、やはり、その熟柿が神前に供えられており、ご裁伝で、
「戌の年の氏子(柏原とく)、真心から供えた物はこのとおりである。いつまでたっても、色も味も変わらない」
と仰せられた。

 

..片岡馬吉の伝え

■ 理2・片岡馬吉・1

「遠路のところをさいさい参るにはおよばない。天地の神はどこにでもおられるから、一心に頼みさえすればおかげは受けられる」
ということをたびたび話された。

■ 理2・片岡馬吉・2

「お守りをいただかしてください」と願ったところ、
「これはお守りと言えばお守りであるが、まあ、あなた方が岡山へ買い物にでも行く時、書付をして行けば忘れないようなもので、まあ、これを持って帰って、忘れないように信心するがよい」
と言われて、お書下をくださった。

■ 理2・片岡馬吉・3

普請については、
「四方に線香を立て、中にも立てて、お願いせよ」
と言われた。

 

..片岡次郎四郎の伝え

■ 理2・片岡次郎四郎・1

私(片岡次郎四郎)夫婦に子供が生まれては死に、生まれては死に、一番大きくなったのが四歳で、どうしても育たなかった。これは金神の祟りであると思い、家相地相を見てもらい、家を何度となく作りかえ、家の後ろにある溝まで替えた。片岡の家は代々かなり知恵もあり、金にも困らず、地方での家柄であった。それで、あらゆる手段を尽くして金神をよけ、また封じてももらったが、どうしても験が見えない。このうえは、どこかに金神の守りをする人があるであろうから、その人に会って談判してみたいと思っていた。
(2)たまたま、慶応二年のある日の夕方、村内の石村という者が来て、「今日、中井村の大森金子大明神(大森うめ)の広前に参ったところ、才崎に信心をしなければならない家があるから、参るように言ってくれと言われ、考えてみると、どうもお宅のことのように思われますが」と言う。当時、村内の者はみな、「片岡家は絶えるであろう。気の毒なことであるなあ」と評判していたのであった。(3)石村の言葉を聞いて大いに喜び、さっそく大森金子大明神の所に参った。しかし、無学の一老婆なので、心中少し物足らないように思っていたら、「そういうことは金光様のお広前へ参らなければならない」と言われた。そこで、慶応四年二月に、大森金子大明神に伴われて、はじめて大谷に参拝した。(4)大谷でも、なお少し物足らないように感じたが、金光様は、
「それは困っていることであろう。此方もそれで難儀をし、七墓も築かされた。信心すればおかげが受けられる。一緒に信心していこうではないか」
と、あたかも親が子を抱くような慈愛に満ちたお心持ちで迎えてくださったので、すっかり恐れ入り、此方こそと思いこんで信心さしていただくようになった。

■ 理2・片岡次郎四郎・2

はじめて参拝した時、金光様は、
「これまでは金神といえば、恐ろしい神様、お叱りになる神様とばかり人は思っているが、神信心をすれば、けっして罰を当てる神様ではない。氏子が頼む願うということなら、どのようなことでも聞き届けて、おかげを授けてくださる神様である。
(2)どうぞ神信心して、世間の手本、鑑になるようなおかげを受けてくれ。才崎の方でもありがたいおかげをいただき、お伺いがかなうようになる」
と仰せられた。

■ 理2・片岡次郎四郎・3

私は信心する前は、心は直いがかんしゃく持ちで、気性は激しかった。それで、人が曲がったことをすると承知できず、すぐにしっぺ返しをし、それが正しいと思っていた。(2)ところが、ある日、金光様から、
「人に悪く言われた時に、信心するからこらえなければならないと思ってこらえるくらいでは、まだいけない。先方の心を、どうぞ直してやってくださいと拝んであげるようにならなければいけない」
と教えられ、そのことが強く身にしみた。

■ 理2・片岡次郎四郎・4

はじめごろはご裁伝がはなはだきつかった。平島の人が才崎(片岡次郎四郎の広前)へ来て願うので、取次をしたが、疑って帰った。その後、大谷へ参った折、金光様からご裁伝で、
「神の言うことを聞かなければ明日の日にも取り殺してやると言っておけ」
とあった。これは、明治五年、才崎で取次をしだしてから後のことであった。

■ 理2・片岡次郎四郎・5

金光様は人によって異なった教えをされた。ある時、金光様は、
「才崎はお神酒は好きか」
とたずねられ、「いや、私は不調法であります」と申しあげると、
「一杯ずつはいただくがよい」
と仰せられた。(2)その後、弟の実三ジッサが参拝した時、同じように、
「お神酒は好きか」
とたずねられた。実三は、好きでもあるし、私へのお言葉を聞いてもいたので、「はい、少しはいただきます」とお答えしたところ、
「酒は飲まないがよい。酒に呑まれるから、飲まないがよい」
と仰せられた。

■ 理2・片岡次郎四郎・6

金光様が、
「『死ぬことはどういうものでありましょうか』と神様におたずねしたところ、『死ぬのは寝入っているのと同様である。死ぬことをいとうな』と仰せられた」
と言われた。

■ 理2・片岡次郎四郎・7

時の将軍に従う。

 

..桂松平の伝え

■ 理2・桂松平・1

山口県柳井町にいたころ、出入り商人明田角太郎から金光大神の話を聞いた。母親は早くからお道の話に心を寄せ、常に松平に信心をせよとすすめていた。ある時、
「若い者が信心すれば、四十までに家のめぐり、身のめぐりを取り払ってやる」
との金光様のみ教えを明田角太郎が話しているのを聞いて、松平の心は動いた。(2)松平は、それまで拝んでいた金比羅様にお伺いしてみようと、金比羅様の神前にぬかずいた。そして、おもむろに心気を静めて水晶の数珠をさらさらと押しもみ、「明田角太郎の信ずる金光大神が真の神なら、十回が十回とも『丁』の数でお示しください。述懐の内、一回でも『半』の数が出ましたなら、邪神と信じ、今日以後、心にも留めません」と、さっと両手を開けば「丁」、十回は十回とも「丁」、さらに三回試みても、いずれも「丁」であった。
(3)「これほどご神徳の高い神様を、狐とも狸とも得体が知れないなどと申しあげたご無礼をお許しください。金光様が明田角太郎を差し向けてくださり、この松平親子をお助けくださるのである」と思い、「今日から心を定めて一心に信心さしていただきます」と誓った。そして、何とかして備中の生神様にお目にかかりたいとの念願を起こし、常に心を金光様の広前に走らせていた。
(4)明治十六年の春のころ、新屋敷花屋の老婆の代参をすることになった。松平は「金光様、日ごろの念願をお聞き届けくださいまして、お引き寄せがいただけます」と合掌してお礼申しあげ、躍るような心で勇んでお参りをした。金光様はちらっと松平の姿を見られたまま、十数人の参拝者にねんごろにご理解をなさっていた。松平ははじめてのことであり、どうしてよいかわからないままに、人の後ろに小さくなって、じっとひとみをこらしていた。(5)やがて、金光様は、一とおりのご理解を終えられたのか、
「周防の国のお方、遠方をよくお参りでしたなあ」
と仰せられた。
(6)金光様のご神徳に打たれ、恐れ入ってしまった時、金光様は静かにご神前に進まれ、柏手を打たれて、すぐにご裁伝で、
「氏子、水が毒、水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病はさせない」
と仰せられ、続いて、
「氏子、水あたりということを言うなよ。水がなくては一日も暮らせまい。大地は何とある。みな、水がもと。稲の一穂も五合の水をもって締め固めるというではないか。水の恩を知れよ」
と厳かに仰せられた。
(7)松平はありがたくてありがたくて、身をふるわせて平伏していた。お結界の机に帰られた金光様は松平に向かわれ、お言葉いと優しく、目には微笑をたたえられて、
「周防の国の氏子、狐であろうか狸であろうかと思った疑いが晴れて、結構ですなあ」
と言われた。松平は千里見通しのご神徳に驚き入り、穴があれば入りたいほどの恥ずかしさで、ただただ恐れ入るばかりであった。

■ 理2・桂松平・2

数人連れで参詣した時、その中の一人が、税金を納めるのに困ると申しあげたところ、
「たとえて言えば、戸長役場や郡役所は手足で、警察署は鼻、裁判所は目、県庁は耳、大蔵省は口のようなもの。その口に税金というものが納まらぬ時は、四分板張った戸一枚で寝てはおられまい。どこの太郎やら次郎やらわからぬようになるぞ」
とみ教えくださった。

 

..桂ミツの伝え

■ 理2・桂ミツ・1

明治十五年、私が十三歳の時、金光様の前にちょこんと座って、「金光様、六根の祓がどうしても覚えこめませんが、なぜでしょうか」と申しあげた。金光様は、
「そうかなあ。覚えようと思えば、覚えられないことはない。六根の祓を覚えて、六根の祓のとおりの心になるがよい。そうすればおかげがある」
とのお言葉をくださった。(2)それ以来、六根の祓を覚えるとおかげになることならと、子供心に病のつらさを思いつめ、一生懸命、一里三合の山越えをする時も六根の祓をあげとおして覚えさしていただき、しだいに病も全治した。

 

..金光梅次郎の伝え

■ 理2・金光梅次郎・1

山で萩の枝が目に刺さったので、金光様にお願いをしたところ、
「私も眼病であったがおかげをもらった。その時は、目に灰をつまみこんで治してもらった。その方もそうしておかげを受けよ」
と仰せられ、帰ってそのとおりにしておかげをこうむった。

■ 理2・金光梅次郎・2

金光様が、ある時、
「お神酒をつけて接げば、割れた茶わんでも接げる」
と仰せられたことがあり、「それでは、私もいたしましょうか」と伺ったところ、
「それでは茶わん接ぎの仕事がなくなって、飢えてしまう」
と仰せられた。

 

..唐樋常蔵の伝え

■ 理2・唐樋常蔵・1

明治二年の春、はじめて参拝した時、
「その方は周防の本宮モトミヤとなる。疾病患難すべての諸難を救い、道を開き諸人を助けよ」
とのみ教えをこうむった。

■ 理2・唐樋常蔵・2

理屈があっても、みなまで言うな。理屈とくさびは八合詰め。詰める紙袋は裂ける。あいよかけよで世は治まるのである。

■ 理2・唐樋常蔵・3

明治十六年、森下兼太を伴って参詣した時、金光様は森下に、
「上を敬い、下を恵む心を厚くせよ」
と親しくみ教えくださった。

■ 理2・唐樋常蔵・4

明治十六年八月ごろ、尾道に船をつないで金光様のみ前に参上した。その時、金光様は、やさしく数々のみ教えをくだされた後、
「周防の国の氏子唐樋常蔵、此方金光大神は百日の修行が足れば神になるのぞ。西三十三か国は、その方らに頼むぞ」
と仰せられた。
(2)そのお言葉に胸迫り、「金光様、あなたがお隠れになりましたら、この道はどうなりましょうか」と思わず知らずお伺い申した。すると、
「氏子、心配することはない。形を隠すだけである。肉体があれば、世上の氏子が難儀するのを見るのが苦しい。体がなくなれば、願う所に行って氏子を助けてやる」
と仰せられた。

 

..北村周造の伝え

■ 理2・北村周造・1

私は、明治十一年旧正月にはじめて参拝した。普請のお願いに参ったが、その時、妻が妊娠中で、その無事をも併せて願ったところ、
「金神様をまつっていれば、そのお棚の方へ向いて産をするがよい。そうすれば安産をする」
と仰せられ、その十五日に安産した。

 

..国枝三五郎の伝え

■ 理2・国枝三五郎・1

はじめは黒住教の信者で、お祓を一週間に一万度もあげていたが、後、そのことを金光様にお話し申し上げたところ、
「拝み信心をするな。真でなければいけない」
と言われた。(2)また、
「神様を拝むのに手や口を洗っても、心を洗わねば何にもならぬ。心は火や水では洗えない。真一心で心を洗って信心をせよ」
とも教えてくださった。

■ 理2・国枝三五郎・2

片目がうずいて困った時、金光様にお願いしたら、
「春の花の四日(旧三月四日)を楽しめ」
と言われ、治ることと思っていたのに、四日にも痛みがとまらず、(2)五日に参って、そのことを申しあげたところ、
「午の年(国枝三五郎)、不足信心をするな。その方の命は、花の節句には花のごとくに散るのであった。それを助けてやったのである。命がなくては目はいらないであろう。生きておればこそ、目が痛いのがわかるのであろう」
と言われ、なお、
「五月の菖蒲を楽しめ」
と言われた。(3)その日までにはよほどよくなり、その時には、
「七月の七日を楽しめ」
と言われて、七月には痛みも治った。三五郎は六年の間に三度も盲目となった。

■ 理2・国枝三五郎・3

金光様のお広前に参って帰りの時、たまたま道連れになった人から、「目が悪いのなら灸をおろしなさい」と言われ、そうかなあと思っただけなのに、その次に参ったら、
「この間参って、帰る途中、落とし物をしたなあ」
と仰せられた。(2)「いや、落としはしません」とお答えしたら、
「よく考えてみよ。連れがありはしなかったか。氏子はおかげを落としている。天地金乃神よりほかに、目を治すのが上手な者があると言った者があろう」
と仰せられたので、恐れ入った。

■ 理2・国枝三五郎・4

氏子は、信心して病に苦しむ時は、刑のお取りさばきであると思えばよい。辛抱せよ。その辛抱が信心である。

■ 理2・国枝三五郎・5

信心していても、おかげが遅い、まだかまだかと思ってうろたえて、真の心が大事であるということを知らない。神様にお頼みして、一週間たっても治らなければ、まだ治らない、おかげはないと言って神を恨む。(2)三年、五年、医者にかかり薬をのんで、まだ治らなくても、医者には不足は言わず、また頼みすがっていく。神様はお気の毒なものである。

■ 理2・国枝三五郎・6

あがき貧乏ということがある。氏子は十銭もうけるのに二十銭も使うことがある。病気になると、銭もうけはできないのに、ご祈祷、まじないに行き、お札やお守りをたくさん買って来る。金持ちは、ご祈祷料やお札料を納めても、まだ後に金があるが、貧乏人で、毎日稼がなければ食べられない者は、参詣すると後に食べる金はない。気の毒なものである。
(2)神様は、だれにでもおかげをくださるのであるが、拝む者が分けへだてをして、金が先で真は後になる。それでは、拝む者のおかげではないか。

■ 理2・国枝三五郎・7

信心するのは海の上を船で行くようなものである。水先が分かれていくと後がつぶれていくから、跡が残らない。船は、港入りしないとおかげが知れない。港口で船をわる(成功直前の失敗)というが、港で船をわるなよ。港入りして、賃金をもらうか口銭をもらうかして、はじめておかげがわかるのである。一日に何十里か走って、何日で港入りしたということが知れる。
(2)船は梶取り、梶が大事である。信心もそのとおりであるから、大海で梶を取り損なうなよ。磁石をおいて、風に任せよ。人の力ではいかないから、神任せにして、大海に錨をおろすな。渡り風は時を嫌わないから、大海では安心ができない。信心は港入り信心が大事である。

■ 理2・国枝三五郎・8

氏子はかわいそうなものである。瓶にひびの入っていることに気がつかずに、水をくみこんで安心しているから、蓋をあければからっぽである。水をくみこむ心で、焼き接ぐ心になればよい。

■ 理2・国枝三五郎・9

ある時参拝していたら、山伏が来て提灯などを持ち去ったが、
「打ち向かう者には負けて時節に任せよと、神様が仰せられるが、ここのことである」
と仰せられた。

■ 理2・国枝三五郎・10

ある日参拝して、いろいろとご理解を承っていたが、金光様は、突然、私に向かわれ、
「午の年、十年先を見よ。大谷に津をこしらえてみせよう。見ていよ。金光大神は、伊勢が津でもつように、大谷も津にしてみせる。見ていよ。これから、おいおいに何かと変わってくるから」
と仰せられた。

■ 理2・国枝三五郎・11

午の年、その方は小さいことばかり考えているが、此方は、世界をこのお道で包み回すようなおかげがいただきたいと思っているのである。

■ 理2・国枝三五郎・12

「今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ」
と金光様は仰せられた。

■ 理2・国枝三五郎・13

わが身、わが一家を草紙(練習帳)にして、神様のおかげを受けて人を助けよ。

■ 理2・国枝三五郎・14

金光様が、
「信心をせよ。やがて、金神様と言われるようになるぞ」
と仰せられたので、「信心しますとも、あなたは目にも見えない的をねらってお当てなさった。私はあなたという的があるからは信心します」と申しあげたが、二十年後、乙島の金神様と言われるようになった。

 

..河本虎太郎の伝え

■ 理2・河本虎太郎・1

片岡次郎四郎師のもとで、いんきん全快のおかげをいただき、お礼のために金光様の広前にはじめて参拝した。「このようにおかげを受けましたから、お通夜(徹夜のおこもり)願ってくださいませ」と片岡師に頼み、願ってもらったところ、
「おかげでまめになったのに、お通夜をしなくてもよい。お通夜をして疲れると、それも病気であるから、宿へ行ってゆっくり休むがよい」
と仰せられた。

■ 理2・河本虎太郎・2

神様へは何でも願え。神は頼まれるのが役であるからなあ。

■ 理2・河本虎太郎・3

信心をしても、なぜおかげがないのであろうかと思い、悔やんではならない。たとえば、麦をまいて肥やしをしておいても、正月時分には肥やしをしないのといっこう変わらないが、彼岸時分になると、肥やしをしたのはずっと伸びてくる。信心もそのとおりであるから、怠らずに、直い心でせよ。

■ 理2・河本虎太郎・4

家内が産の時、生き死にの苦しみをしていたが、金光様から、
「信心をしていれば、産の方でし損なうようなことはない。隣知らずの安産をさしてやる。よかり物によりかかるようなことはするな。命がけと思って、横になって産むがよい。そうすれば、肥立ちも早いおかげをやる」
とのみ教えを受けて、安産させていただくようになった。

■ 理2・河本虎太郎・5

秋の忙しい時など、女にいたるまで足を汚しているので、ご飯を神様にあげなければと、よだって(大儀がって)あげるのでは、神は喜ばない。それよりも、釜の中で少々かき寄せて、神様と言って拝んで、それをよく混ぜていただけ。神はそれを喜ぶ。

■ 理2・河本虎太郎・6

家内一統、仲よくして信心せよ。彼岸もちなどをこしらえる時に、子供がそばで、くれ、くれと言うのを、神様にあげない先にと言って頭をたたいたりしては、神は喜ばない。先に子供にやって喜ばしておいて、それから神にあげてくれれば、神は喜ぶ。よそへ行っても、台所で子供の頭をたたいて泣かせたりしては、ごちそうを出してくれても、うれしくはない。

■ 理2・河本虎太郎・7

お祓をあげなくてもよい。朝は、今日も家内一統おかげをお授けください、おくり合わせを願いますと申してご拝をし、晩には、今日も家内一統におかげをくださり、ありがとうございますと言ってお礼を申せ。お祓を三、四巻もあげていると、仕事のじゃまになっていけない。

■ 理2・河本虎太郎・8

子供が用に行ったりすると、よその子が寄り合ってたたいたりするが、親がついて行っておれば何もできないであろう。たとえ夜分に山の中を通っても、神様に願って通れば、氏子の親であるから、賊がいても何も手出しはできない。

■ 理2・河本虎太郎・9

負けてこらえておれ。負ければ損をするのだからばからしいと思うかも知れないが、神がまた、くり合わせを授けてやる。そうして、人からも、よい人と言われるようになり、身に徳がついてくる。(2)村の中でも、肩をいからして歩いたり、欲をしたりしていた者の後を見よ。あのようなことになってしまったと言われるようなことがあろう。

■ 理2・河本虎太郎・10

お上もかみ、神様もかみであるから、お上の規則に外れたことをしたら神様のおかげはない。

■ 理2・河本虎太郎・11

わが氏神へは月々参らなければならない。氏神は、たとえて言えば、村の村長さんのようなものであるからなあ。

 

..伍賀慶春の伝え

■ 理2・伍賀慶春・1

明治七年九月二十一日、はじめて参拝した時、
「辰の年(伍賀慶春)、よく備前からお参りなされた。今日はお祭り日であるから、しっかり信心せよ。家内の代参で参ったとのことであるが、一流れ信心すれば、よくしてもらえるから」
と仰せられた。(2)翌日、帰ってお祓をあげていると、持っていた扇がしぜんに躍るような気持ちがし、ふと、口に「金神の道を勤めてくれるか、開いてくれるか。開いてくれれば、午の年(妻)の病気を助けてやる」とのお知らせがあった。
(3)それ以後、金神様が来られたと言って、みなが集まるようになった。そのため警官が来てさしとめ、ついに二里もある藤井という所の会議所に呼び出され、「君の方にはのりくら(神がかり)をしているそうだが、そういうことは、維新以来できないことになっている」と説諭された。
(4)信心をやめると、また家内の病が起こったので、ひそかに信心し、金光様のお広前へ参って、「金光様、ありがとうございます。おかげで家内の病もよほどよくなりましたが、会議所に呼びつけられて厳しく叱られました」と申しあげたところ、
「金光大神の道は、天地の神の教えのままである。おのずと、この道は盛んになる。今までは、金神を信心する道を興す者がなかったのである。この度、丑寅鬼門金乃神ということが変わって、天地金乃神ということになった。まあ、ひそかに信心しておれ。その方がこしらえたものでもなし、恐ろしいことはない。来てくくるということもない。道はおのずとぼつぼつ栄えてくるから、やめなくてもよい」
と仰せられた。(5)「あなたの弟子になることができますか」と問うと、
「弟子ということはない。岡山にもだんだん拝んでいる者があるが、みな出社と言っている。まあ、ぼつぼつ内分にでも信心していれば、おのずからおかげが立っていくから」
と仰せられた。

■ 理2・伍賀慶春・2

丑寅鬼門金神ということから天地金乃神と変わり、天地の間にある者で、おかげを受けない者はない。この道は幾億万年たっても衰えはしない。

■ 理2・伍賀慶春・3

丑寅鬼門と言ったりして人が恐れ、これまで教えをする者がなかったから、この道が立たなかった。信心して神様にすがっていれば、引き上げていただける。

■ 理2・伍賀慶春・4

庭瀬の藩士が参って、「日天四 月天四とあるが、四が違いはしませんか」と伺ったところ、
「金光大神の道を信心していて、あれを、日天よっつ、月天よっつと言う者はない。一二三四ということは、だれでもよく知っているから、人が忘れないために四と書いてある」
と仰せられた。

■ 理2・伍賀慶春・5

願う心は神に届くものである。天地金乃神は、くもが糸を世界中に張ったのと同じことである。糸にとんぼがかかればびりびりと動いて、くもが出て来る。神様も同じことで、空気の中にずっと神の道がついているから、何百里あっても、拝めばそれが神に届く。女郎ぐものとおりである。

■ 理2・伍賀慶春・6

参拝の途中、大雨で高梁川に水がいっぱい出ていたが、傘一本と弁当とを持って舟に乗り、二人船頭で渡って、体がずぶぬれとなった。金光様にそのことを申しあげたら、
「いくらずぶぬれになっても、体のぬれたのは乾くが、体の内が病気になったら自由にならない。明日は空が晴れるから着物は乾く」
と仰せられた。(2)そうして、また、
「天はあめ、地はつち。天地の間に人と生まれて、歩くにも、みな地を踏んで行く。大川の流れに水が出ている。その上に天があり、底には地がある。地はいくら掘ってもある。その天と地との間を水が流れている。天にも神、地にも神、水にも神がある。(3)天地の神は父母のようなものであるから、それにすがっていれば手は放さない。恐ろしいこともなく、死にもしない。心細くなったら、水を見ずに、神様に願って上を見ておれ」
とご裁伝があった。

■ 理2・伍賀慶春・7

田地ということがある。田は土である。地は天地の神がご支配なさる。地は幾億年たっても変わらないから、田地を動かすな。

■ 理2・伍賀慶春・8

今も昔も、昔も今も、これから何万年たっても、世の中は違いはしない。同じことである。人もきれなければ、人の食う穀もきれることはない。つぎつぎに種が生えて続いて行く。

■ 理2・伍賀慶春・9

食べ物でも、変わった物を食べると心配がある。みんな、変わらない物を食べていれば心配はない。

■ 理2・伍賀慶春・10

金光大神の道が盛んになって、信心していると、酒で病が治るということがある。
(2)備中足守の辺りに酒毒にかかった者があったが、「一日に一合ずつ神様へ酒を供え、晩にはそれをいただいておかげを受けよ。三十日ぶりには全快する」と言っておいたら、そのとおりにおかげを受けた。酒の毒が酒で治る。これが金光大神の教えである。
(3)まあ、信心せよ。先になれば酒に税がかかるようになるが、お神酒はやめはしないであろう。税が高いから酒が飲めないようになったと、みなが言うであろうが、それでも酒はやめないから、酒でおかげを受けるようにせよ。

■ 理2・伍賀慶春・11

月参りをしていたころのこと、
「今も昔も、物のいる方は人が好まない。物のいらない方へ基づいていくがよい。(2)ここへ参ると入費がいるから、たびたび来なくてもよい。おりおり参詣するのは自分の礼儀であるからよいが、毎月参って来なくてもよい」
と仰せられた。

■ 理2・伍賀慶春・12

信心するのに、黒住の道ではお祓をあげる。金光大神の道は、むずかしくしなくても、みやすく言って頼んでおけばよい。無学の者でも、信心すれば治る。また遠方まで参らなくても、わが家でおかげが受けられる。

■ 理2・伍賀慶春・13

黒住、黒住と言って、あのとおり盛んになっているが、この道はしだいしだいに広がって、幾億年たっても、信心する者は多くなっても減ることはない。

■ 理2・伍賀慶春・14

時が来て道が立つのであるから、よく聞き分けて信心せよ。

■ 理2・伍賀慶春・15

金光大神の道は、しぜんに盛んになってくるから、ここまで参って来なくても、辰の年(伍賀慶春)のうちで取次だけしていればよい。

■ 理2・伍賀慶春・16

むずかしく言えば限りはなく、みやすく言えば、また限りはない。

■ 理2・伍賀慶春・17

邑久郡射越の人が私の所に参り、「普請をしたく思いますが」と願ったので、ご祈念をし、「さしつかえないから、お建てなさい」と申しておいたのに、その人が、また金光様のお広前へ参ってお願いしたところ、
「このことは松崎新田(伍賀慶春の広前)ですんでいるではないか。近い所にあるのに、ここまで来なくてもよい」
とお叱りをこうむった。

■ 理2・伍賀慶春・18

信心するほど人間に位がつく。

■ 理2・伍賀慶春・19

世の中には、楽に、よいものを食べて渡世をしようと思う者が多いが、人がそうはさせないからなあ。

■ 理2・伍賀慶春・20

備中のある人に対し、
「みな分家をすると、うちには仏様がないと十人のうち九人までが言うが、それは大きな間違いである。人にはみな先祖というものがある。押し入れのはしにでも、先祖様と言ってまつらなければならない。(2)先祖をまつらずにいると、夫婦の間の子供が死んで新仏ができる。その方の家にも、新仏ができたであろう。先祖をまつっておりさえすれば、こういうことにはならなかったのに」
と仰せられ、その者が恐れ入っていたことがあった。

■ 理2・伍賀慶春・21

明治九年の秋ごろ参拝した時、いろいろとご裁伝があった後、金光様は、
「旧暦と新暦とがあるが、先で両方が九日十日と連れ合っていく時がある。その時には神上りする」
と小さな声で仰せられた。

 

..小谷くわの伝え

■ 理2・小谷くわ・1

明治十四五年の晩秋、親類の人たちと五人連れで四国巡りに出かけ、途中、岡山の三番港の船宿に一泊した。その時、一老人から大谷の生神様についてありがたい話を聞かされた。(2)その人から、「明日はちょうどお祭り日であるから、一緒に参ろう」と誘われ、同道の姉に相談したら、姉は、「私は疲れているからここで待っている。お前だけ参って来なさい」と言うので、土地の講社の人々に伴われて、その老人と二人引きの人力車で金光様のお広前に参拝した。(3)私はお供えを白紙に包み、名を記さないままで同道の講の人に託しておいた。金光様は神前にお届けされ、ご祈念が終わると、大勢の中の三人だけにお書下を授けてくださったが、その中の一人が私であった。(4)私ははじめての参拝なので、上がりはなに座っていると、ごあいさつもしないのに、
「丹波の氏子」
と声をかけられた。だれのことだろうかと思っていたら、
「その方のことである」
と仰せられ、
「丹波柏原カイバラの氏子、お四国参りのついでとはいえ、此方を訪ねて遠方をよく参って来た。後々信心しておかげを受けよ」
と仰せられたので、男まさりの気性の私も全く驚天動地の思いがした。(5)さらに、金光様は、
「その方は体が弱くて困っているのであろう。四国参りの間には苦しいこともある。薬をやるから三べんはせんじ、四へん目には煮出してのめ。そうして、後は川へ流しておけ」
と仰せられ、薬をくださった。この薬は四国巡りの間に全部いただいた。(6)なお、その時、私が改まって、「何と申して神様を拝めばよろしいか」と伺うと、
「備中大谷の生神金光大神と言って頼めば、私には届く」
と仰せられ、(7)ついで、「何を神様にお供えしたらよろしいか」と伺ったところ、
「神棚を別に作っておまつりをせよ。神酒、灯明を奉らない神はないからなあ。また、ご供(ご神飯)を供え、お祭り日には野菜でも供えたらよかろう」
とお答えになった。(8)さらに重ねて、「お祭りはいつでございますか」とおたずねしたところ、
「月の九日十日と二十一日二十二日とである」
と仰せられた。

 

..小林財三郎の伝え

■ 理2・小林財三郎・1

明治八年旧正月に浅野寅吉の手引きで金光様のお広前へお参りし、金光様にはじめてお会いした。金光様は神々しくて、私は頭をおさえつけられるような心持ちがした。その時、
「申の年(浅野寅吉)、よく聞けよ。物に不自由なと言うが、けっして不自由なことはない。神信心さえすれば不自由はないから、丑寅鬼門金乃神と言って願え」
と仰せられた。(2)また、お書付を下げられながら、
「神と用いれば神、ほごにしても一ぺんは使えるわい」
と仰せられた。

■ 理2・小林財三郎・2

「黒崎の者が熱病を病んで大患であったのを、おかげで全快し、お礼参りをすまして、やれやれ、お礼参りをしてくつろぎましたと言って帰ったが、帰るとまた患いだして、今度は裸で三人も参って来た。(2)その時に、『どうぞ、今度はくつろいだと言わないようにせよ。神のやっかいになって、くつろいだと言わないように』と言っておいたが、三人の者が途中まで帰ったら、人が、死んだとの知らせを持って来ていたそうである」
とお話しくださった。

■ 理2・小林財三郎・3

玉島を通ってちょっと見物をしても、すぐそのことをご存じで、次に参った時、
「あだを見物するのなら、日を変えてお参りして来るがよい。また、参拝の途中にくだらないことなどは言わないようにせよ」と仰せられた。

■ 理2・小林財三郎・4

中井の明神(大森うめ)や才崎(片岡次郎四郎)赤壁(難波なみ)などとともに、四十余人連れだって参っていた中に小盗人があったが、金光様から、その者に向かい、
「もう、来るな」
とご裁伝があった。(2)続いて、
「何の年は、不自由な不自由なと言うが、不自由はわが心からである。わが心から不自由をあてがっておいて、不自由不自由と言って神に願うな」
とご裁伝があった。

■ 理2・小林財三郎・5

みな、金神様を拝むと言って昼でも明かりをつけるが、神には明かりはいらない。氏子、神は宮の内へ入りはしない。(2)このお剣先(ご神米)をあげるから、膳の上でまつってもかまわない。ただ、白紙であるからなあ。神は氏子の手間は取らないのであるから、もう、ここへ参って来るにはおよばない。

■ 理2・小林財三郎・6

日に参って日を頼め。月に参って月を頼め。

■ 理2・小林財三郎・7

正、五、九月に、日待ちをしているが、日々、日待ちをすればよいのである。三百六十五日に五か日(五節句の日)の日待ちだけでは、すまないことである。

■ 理2・小林財三郎・8

代参の場合は、本人がおかげを受けなければ、代参の者がおかげを受ける。

■ 理2・小林財三郎・9

よそには、殿様を二人持つから負けてくれ負けてくれと言って、苦労をする人がある。そんな苦心をやめてみれば、楽になるであろう。

■ 理2・小林財三郎・10

よそには、ひやけがすると、天道様へ雨乞いと言って、雨をくれ、雨をくれと言う。天道様へ雨を預けたことがないのに、どうして雨をくださるであろうか。それより、あなた(神)のご地面と願って、三尺底のお湿りをいただけば、頭からかけるにはおよばない。
(2)また、運が立ちますようにと願うが、此方には、作徳、出来増し、食い余りがあるようにと言って願えばよい。

■ 理2・小林財三郎・11

悪かったと自分に得心してお断りを申せば、神様は叱ってはくださっても、罰はお当てなさらない。すぐにお許しくださる。神様は、常に氏子かわいいとの思いでおられるのである。

■ 理2・小林財三郎・12

お取次に学問はいらない。親切の心一つあれば、それでよい。お取次する者の口を借りて、神がものを仰せられるのである。取次者が間違ったことを言っても、その言うとおりに神がしておやりなさるのである。心配はない。

■ 理2・小林財三郎・13

道は人が開け。おかげは神が授ける。

 

..小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉の伝え

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・1

すべて神様のおかげであるのに、みな、私は利口だ、私は発明だと言って、神様の言われることを聞かないから叱られる。神様もお上も同じことである。悪いことを言ったり、したりすれば、お上に叱られる。お役人が連れに来る。(2)神様も、悪いことをすればお叱りがある。何も、神様が悪いのでもお上が悪いのでもない。わが考えが悪いのである。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・2

これまでは産をするのでも、明き方へ向かなければ悪いと言ってそうするけれども、だんだん難産があった。金神様は、神棚ミタナの方へ向いて産をすれば安産のおかげをくださる。
(2)普請をするにも作事をするにも、この方角が私の都合がよろしいと言って頼めば、この道では何もさしつかえない。さしつかえのございませんようにおくり合わせをお頼み申しますと言って頼めば、安心することをお授けくださる。これくらいみやすい信心はない。
(3)無理に此方の所に来なくても、朝夕信心をせよ。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・3

ある参詣人が、「金光様、昨日は大雨でした。今日は結構なお日和になりました」と申しあげたら、
「雨が降って困ると言う者もあるが、池がかり(農業用水を池から引く田)の所は喜ぶ。池に水がたまれば作徳の楽しみがあり、おかげともなる」
とありがたいお言葉があった。(2)また、「今日は高梁川にだいぶん水が出ています」と申しあげ、渡しのぐあいをお伺いすると、
「また帰りの時までには、おかげで舟も渡れるようになる。何事もおかげを受けて信心するがよい」
と仰せられた。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・4

金光大神のおかげを受けよ。おかげは、いくらやっても尽きることはない。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・5

子供を間引いたりするな。菜と同じことで、よい菜を捨てて悪い菜を残すことがある。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・6

産前産後の養生はいらない。ねぎが悪い何が悪いと言っていると、麦米さえ食べられないことになる。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・7

仕事のことで夜の目も寝ずに考えて、明日は東の方のことをしようと思っていても、西の方のことをしなければならないようになると、宵に思ったとおりにはいかない。夜が明けたら、今日と言って願えば、手都合は合っていくことになる。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・8

よそへ行くに当たってお届けしたところ、
「どのような地方へ行っても、膳をして待っていてくれる人はない。
(2)親の言うとおりをしておくと、末安心ということになる。怖い、恐ろしい、命を取られると言っても、神のものなら、命を取られることもないであろう」
と仰せられた。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・9

悪い病についてお願い申した時、
「亭主がどのような悪い病でも、家内が一心に信心すればおかげがいただける。亭主が病んでいると、家内は不自由であろう。巳の年(利守千代吉)のように家内が一心になると、夫婦連れで参れるようになる。病院、薬で治ったためしはない」
と仰せられた。

■ 理2・小林財三郎/角南佐之吉/利守千代吉・10

神名カミナを授ければよいのであるが、殿様がなくなり、天子の御殿に土足であがるようになり、ご時節がご時節であるから、それはできない。(2)神名をつけなくても、唐、天竺のことが拍手一つで知れる。神名をつけなくても、人から神にしてくれるようになる。

 

..金光宅吉の伝え

■ 理2・金光宅吉・1

金光様ご在世中、ある山伏が来て刀をもって金光様を殺そうとしたが、その徳に恐れてか逃げ去ったということがあった。その後で家の者に、
「金光大神の首を切るなら切ればよい。日乃大神のお出ましになる限りは心配はない」
と言われた。

■ 理2・金光宅吉・2

「苗代にひきがえるが入って卵を産んで困ります」と願う者に対して、金光様は、
「よそには封じると言うが、うちでは封じない。かえるに、あぜで遊んでもらうようにすればよい。うちの田に入らないようにすれば、よその田に入るから」
と教えられた。

■ 理2・金光宅吉・3

斎藤(斎藤重右衛門)先生が金光様に向かって、「そのような手ぬるいことを申しておられては、とてもお道は開けませんから、しっかりとなさっていただきたい」と申しあげられた時、
「もとおらぬ(はきはきしない)所へ参って来るな」
と神様の仰せがあった。
(2)その後も斎藤先生はごひれいが立っていたので、金光様に、「お知らせで斎藤さんを退けなさったのに、斎藤さんの所はやはりごひれいが立っていますが、不思議です」と申しあげたところ、
「神は一体。守り守りの力」
と仰せになった。(3)そうして、
「守りがよければ、その子は賢い。守りが悪ければ子はばかになる」
とご理解があった。

■ 理2・金光宅吉・4

おかげがいただけないのは氏子の不調法からであると思え。くくられて牢へ入ったら、わが心を恨め。

■ 理2・金光宅吉・5

信仰を忘れたらまた病気が起こると思っておれ。

■ 理2・金光宅吉・6

天地の恵みでできる作物は、実を持つほど頭を下げる。人は花実を持つほどそりかえる。

■ 理2・金光宅吉・7

富岡の信徒万吉の母が、その所にもいられないほど貧困であった時、金光様へ願いに来たところ、
「まあ、辛抱せよ。どこへ行っても一升の入れ物には一升で、四升も入れることはできないから、まあ、十年間辛抱せよ」
と仰せられた。

■ 理2・金光宅吉・8

「神様へのご恩返しは死んでからせよ」
と金光様は仰せられた。(2)そして、
「生きている間は、何事もいっさい頼みすがれよ」
と言われた。

■ 理2・金光宅吉・9

金光様は、
「生きている間は神様のお世話になれ。世話になるのが氏子である。(2)講社になっても神様の世話にならないのは、講社ではない。(3)死んで御霊になってから、それから神様にお仕えするという心になっておれ」
と仰せられた。

■ 理2・金光宅吉・10

金光様が、
「二十までは青少年、二十から四十までは壮年、四十からが老年である。壮年の間が大事で、年とってから願いはない。ただ、ぽっくり往生を願っておれ」
と話しておられた。

■ 理2・金光宅吉・11

金光様は、
「自分がおかげいただけないような者は、人に話すな」
と仰せられた。

 

..金光なほの伝え

■ 理2・金光なほ・1

父元右衛門は、私が五歳の時から十二年間、金光様のみもとに行っており、母とともに参拝していた。ある時、私が金光様のみ前で、うちわを踏んだことがあったが、その時、
「棟梁の娘、ちょっと来なさい。その方はうちわを踏んだが、踏むものではない。うちわの骨の数は、六十何か国の、日本の国数に合わせてあるもので、円い形は日天四様月天四様にかたどってあるものであるから、粗末にしてはならない」
と教えてくださった。

 

..金光萩雄の伝え

■ 理2・金光萩雄・1

はじめは、「こういう所に井戸を掘っているであろう。それで水神のとがめに遭って目が痛むのである」「こういう所に便所をこしらえたであろう。それが不浄で、障りになっている」「こういう方角へ嫁にやっているであろう。そのためにお気障りができている」などと言われ、
「おわびをしてやるから、その方も日々信心をせよ」
と仰せられていた。(2)しかし、後には、
「信心して、病気さえ治ればよいであろうが。めぐりやとがめを言うことはない。信心さえすれば、それでよい」
と仰せられた。

■ 理2・金光萩雄・2

どのような大きなめぐりがあっても、信心によって取り払ってもらえる。先祖からのめぐり、祟りは、神が道の立つようにしてくださる。

■ 理2・金光萩雄・3

「毒忌みは言わない。また、神様は好き嫌いはない。自分がよいと思えば神様にもよいのであるから、何でもお供えせよ。人間は好き嫌いがあるから、嫌いな物は食べなくてもよい。四つ足だけは遠慮せよ。魚も多いし鳥もたくさんいるから、そう無理に四つ足を食べなくてもよい」
と言っておられた。(2)その後、小田県と変わり、諸事改正とともに神前の模様もいろいろと改められた。その折、
「今までは、四つ足は食べなくてもよいと言ったが、時勢が変わって、僧侶でも肉食ご免の世となったから、頑固なことは言わず、嫌いでない限りは四つ足も食べてよい」
と言われるようになった。(3)牛乳については、
「親の乳が十分にあれば、それを飲ませよ」
と言っておられた。

■ 理2・金光萩雄・4

小田県となり、諸事改正される前は、
「信心する者は、戸締まりをしてはならない」
と仰せられていた。(2)それ以後は、
「十人なみのことをしていけ」
と仰せられるようになった。
(3)「人間の力に余るところをお願い申せ」
と教えられた。

■ 理2・金光萩雄・5

「お上のためになるように」
とは、常に仰せられていた。(2)しかし、布教資格のことについては、
「ただ、法にかなうだけになっていれば、それでよい。上へ出ようとはするな」
と言われた。(3)また、
「時節を待て。時節を待てば、遅いけれども堅い」
と仰せられた。

■ 理2・金光萩雄・6

今までは私が自由を言ってすんだが、これからは時勢に従っていけ。

■ 理2・金光萩雄・7

百姓をやめてお上へすまないようになるのは、自分一人のことである。世人を助けることこそ、大切なことである。

■ 理2・金光萩雄・8

旧暦九月二十二日を祭りとしたことについて、金光様は、
「金神が、今までは障りの神とされていたが、これからは福の神ということになる。それだけでは、まだ狭い。こうしておけば、日本休みということになって都合がよい」
と言われたことがあった。(2)それから後、この日が天長節と定まって、役人がそのことを知らせて来た。

■ 理2・金光萩雄・9

かつて、私が、「金光様、きもんとはこう書きます」と言って、鬼門と書いて示したところ、
「それでは、やはり昔の怖い金神になる。此方のはそうではない。きもんでよいのである」
と仰せられた。

■ 理2・金光萩雄・10

表向きは金神社であったが、日天四 月天四 丑寅鬼門金乃神大明神などと申しておられた。庭瀬藩主板倉摂津守から弓場という家臣を使いとして、「神号のことで恐れ入りますが、日天四 月天四の四を子としてくださればよろしいように思いますが」と言って来た。(2)金光様は、
「いや、字を変えておかげが立つのではない。四は死に通い、悪いように思うかも知れないが、始終幸せともいうて、これでよいのである。注連縄のしで(垂らす紙)も、すべて四にせよ」
と仰せられた。

■ 理2・金光萩雄・11

金光様のお考えでは、金乃神とは金神のことである。天地の神というのも、天は日天四 月天四、地は金神のことである。(2)ご在世中、ご神名についてかれこれ言った者があるが、
「神名はどうでも、おかげは一心にあるのであるから、まあ、わが一代はこのままでよい。また、お前たちの代になったら、何とでもよいようにするがよい。学問からはどうなっても、神様からの名はこうである」
と仰せられて、天地金乃神とお示しになった。

■ 理2・金光萩雄・12

金光様は、晩年には、ご祈念の時、お祓も心経も特別にはあげられなかった。ご祈念は、めぐり、ご無礼のお断りから、信者の身の上の願い事から、上のことも下のこともいっさいのことを、くり返しくり返しお申しあげになった。(2)それで、常に、
「お願い事を申しあげるのがご祈念である」
と仰せられていた。

■ 理2・金光萩雄・13

自分から日切りをして願え。一週間とか一日とか、今のことを今とお願い申して、おかげを受けよ。一度日切りをしてお願いして験がなければ、重ねて願え。それでも験がなければ、なおもう一ぺんと、三度までは押して願え。願主が閉口してはいけない。押して願って験を見よ。

■ 理2・金光萩雄・14

「風呂は神様のお水とお熱とでわくのであるから、ありがたくいただけばおかげが受けられる」
と仰せられたことがある。
(2)「身は垢にまみれても、心さえ汚れなければよい」
とも教えられた。

■ 理2・金光萩雄・15

「山の中や道の途中で思いがけない傷をしたという時などに、さあ、お洗米、さあ、お神酒と言っても、なければしかたがない。そういう時には、水があれば水を、やはり神様の御物と思っていただけば、お神酒と同じことである。それもなければお土をいただけ。お土なら、どんな山の頂にもある」
と常に教えておられた。

■ 理2・金光萩雄・16

家の内では土公神が一番、外へ出れば氏神が一番であるから、その手続きを経て金神に願え。この神を信心するからには、土公神を大切にし、氏神を大切にせよ。

■ 理2・金光萩雄・17

宗派は何であろうとも、大地の上に生きている者は、みな氏子である。また、金神の障りのない宅地は、一つもない。

■ 理2・金光萩雄・18

倉敷の天城という所の酒屋が、二十何間かの蔵を建てようとしたら、「主人の年回りで建てられない」と、ある人に言われ、困っていた。その時、「金光様のお広前へ参って、お断りをしてすればよい」と、ある人に教えられ、参って来て、金光様にそのことを話したら、
「三年ふさがりでもかまわない」
と言われた。(2)その人が「資材の買い入れもしているので建てさしてもらわなければならないのですが、どうすればよろしいか」と聞くので、金光様は、
「ご祈念やお初穂で成就するのではない。話を聞いてわかればよい。大工が入って準備の出来た日を吉日と思って建てればよい」
と言われ、(3)なお、
「ほかにも、困る者は参るにもおよばない。うちからでも拝んでせよと教えてやれ」
と仰せられたので、それを聞いて、その人は喜んで帰った。
(4)大工が来て、「どうでしたか」と問うたので、その人は「何のことはない。みやすいことである」と言って、金光様の教えを伝えた。すると、大工は「それはいけません」と言い、家内も大工に賛成し、「どこそこの先生(方位家)に見てもらわなければ」と言うので、しかたなく見てもらった。(5)方位家は「三日よけて、何月何日何時から始めて、何時までに棟木を収めてしまわなければならない」と言うので、その手配りをした建てたが、終わろうとするところで家が震動しだし、みな、あわてており終わると、家は内へ内へたおれた。(6)主人は「これがおかげである。あれだけの人にけがもなかったのはおかげである。みな、飲んでくれ」と酒を出したが、飲む者はなかった。
(7)みなに酒をすすめておいて、金光様のお広前へ参って来て、事の次第を申し、「内へ内へたおれたので、柱一本も役に立たなくなりましたが、だれ一人けががなかったのがおかげでした。後は、ぜひとも建てなければならないのでありますが」とお願いしたら、金光様は、
「神様の教えどおりにしなかったのであるからしかたはないが、後々のことははじめの教えどおりにすれば、おかげが受けられ繁盛さしてもらえる」
と言われた。(8)その人が「そうさしてもらいます」と言うと、次いで、
「見てもらった先生が悪いのではない。先生は本にあるとおりを言ったのであって、そのとおりにすればよいのであるが、そのとおりにできないから、たおれるようなことになったのである。それゆえ、先生を悪く言うのではない。この教えと先生の方とが敵になるようなことにしてはならない」
と教えられた。

■ 理2・金光萩雄・19

昔は成年を祝うことがあって、かみしもを着けたことがあった。その日に、「み教えがあった」と言われて、
「かみしもを着けた心を常に忘れるな」
と仰せられた。

■ 理2・金光萩雄・20

「百日の行をせよ」
と言われるので、「どういうことをするのですか」とたずねたら、
「心でするのである」
と仰せられた。

■ 理2・金光萩雄・21

明治十六年、お隠れの年の一月十六日、
「今日は、金光という名について話して聞かそう。金光とは、金光るということである。金は金乃神の金、光は天つ日の光である。天つ日の光があれば明るい。世界中へ金乃神の光を光らせておかげを受けさせるということである」
と言われて、
(2)「これは歌でも何でもないが、神が教えられたままを聞かす。
金光の真の道は明らけき天に貫き幾世久しき」
と示された。

 

..近藤ツルの伝え

■ 理2・近藤ツル・1

利守志野さんが「金光様、あなたはお達者で多くの人をお助けくださいまして、結構なことでございます」とごあいさつ申しあげたところ、
「此方も人間であって、体に塩をしてはいないから、いつまでも生きられるとはいかない。人間は生き通しが大切である。生き通しとは、死んでから後、人が拝んでくれるようになることである」
と仰せられた。

 

..近藤藤守の伝え

■ 理2・近藤藤守・1

はじめて参拝した時、ろうそくを二本もついで話してくださったが、その時、
「近藤さん、子供を寺子屋にやって字を書くようになれば、手が上がったと言う。手が下がったのは悪い。神様の前で何かお伺い申そうと思い、一心にお願いすれば、手が上がるようなことがある。これは、よいことをお知らせくださるのである。下がるような心地がするのは、悪いことをお知らせくださるのである。おかげを受けるがよい」
と教えられ、その翌日からおくじをいただき、天気などのお知らせをいただいた。

■ 理2・近藤藤守・2

「金光様、占見の金光(香取繁右衛門)様と申す方はご兄弟と承りますが、あちらは、方位方角、不浄汚れをやかましく言われるそうです。同じ神様でも神様が違うのですか」と申したら、
「神は社家のならわしといって、守りの心のとおりになられる。神様のおぼしめしにかなわないから、始終叱られている。(2)おなかが痛いと言って、占見の孫どもが此方へ願いに来る。神様は『捨てておけ、捨てておけ。命に別状はない。神の心にかなわないことばかりを言うから』と言われる。強いてお願い申しても、『二時の辛抱をさせておけ。捨てておけ』と言われる。神様のお気にかなわないのである」
と言われ、(3)さらに、
「神様に仕える者を神の守りというであろう。子供の守りをする者を守り子という。神様は子供のようなものである。守りに物をやれば、もらったもらったと言って喜ぶ。そうすれば子供も喜ぶ。(4)守りの頭をぽんとはれば泣くであろう。守りが泣けば子も泣く。守りが泣けば神も泣き、守りが喜べば神も喜ぶ。(5)そこで、守りは神のみ心にそむかないようにするのである」
とご理解くださった。

■ 理2・近藤藤守・3

「私は生神ではない。肥かたぎである。天地金乃神様に頼めばよい。私は、ただ神様に申しあげるだけのことである」
と仰せられ、(2)ご神前に進まれると、すぐ神様から、
「金光大神は『肥かたぎの金光であるから、天地金乃神に頼めばよい』と言うが、此方金光大神あって天地金乃神のおかげが受けられるようになった。金乃神は何千年来、悪神邪神と言われてきたが、此方金光大神あって神は世に出たのである。神からの恩人は此方金光大神である。氏子としても、此方金光大神があればこそ金乃神のおかげが受けられるようになった。氏子からも恩人である。(3)神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である。金光大神、と頼んでおけばよい。此方の言うことを聞いてそのとおりにすれば、神の言うことを聞くのと同じである。金光大神の言葉をそむかないように、よく守って信心せよ」
とお知らせがあった。(4)その後、金光様は、
「今、神様があのように仰せられたが、私は神様の番人のようなものであるから、私に頼んでもおかげはいただけはしない。なんでも、天地金乃神様、と一心にすがれよ」
と仰せられた。(5)そこへ田舎の人が参って来て熱病のお願いをしたところ、
「金光大神にすがれ。一週間目にはおかげをいただく。心配はない」
とご裁伝があり、(6)続いて、
「近藤さん、金光大神はあのように言うが、金光大神にすがっていればよい。まさかの折には、天地金乃神、と言うにはおよばない。金光大神、助けてくれと言えば、すぐにおかげを授けてやる」
とご裁伝があった。

■ 理2・近藤藤守・4

大工が悪いということについて、
「大工が古くなれば遊んでばかりいる。人が来れば話ばかりして遊ぶ。神様が何とも仰せられないからそのままにしておいたら、しばらくして神様が、『断わってしまえ』と言われた。『しかし、長らく来ておりますので、すぐな断りましても得意先ということもありませんが』と申したら、『一年の作料をあてがってやれ』と言われ、そうしてやった」
と仰せられた。(2)私が、「金光様のご神殿の成就には三千円の金子がご入用とのことですが、その三千円の金子は大阪の氏子がお供えさせていただきます」と願い出たら、金光様は、
「近藤さん、その三千円は積んではあるまい。いずれ、大阪に帰って寄付を募るのであろう。周防の国の氏子も三千軒の氏子があるから一円ずつも出せばよいからと願い出たが、神様は、さすなよと言われる。
(3)そこで、『せっかく氏子が願ったことをとめるのは悪いようであるが、よいと許した時には、国へ帰って、太郎さんも次郎さんもお出しなさい、お梅さんもお竹さんもおあげなさいと言って強いるつもりであろう。そうなると、喜んで出す者もあるが、数ある中には、出す金もなく悩む者もある。また後々では、あれは私がしてあげたと自慢する者も出て来る。(4)「神は憂いの金では宮は建てない。喜びの金で宮を建てる。神が、後に、一人でできるような信者をこしらえてやる」との仰せである』と言っておいた」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・5

明治十四年の春の半ばごろ、四度目の参拝をした。その時、
「近藤さん、世には妙なことがあるもので、人を助けると言って、かえってその人を苦しめている者がある。人が、困ったから金を貸してくれと頼みに来る。そこで金を貸してやると、その人は、ありがとうございますと喜んで帰るが、もともと困って借りた金であるから、返済の期限になっても返すことができない。そうなると、貸した方から訴え、借りた方が苦しむということになる。これでは、人を助けるのではなくて人を苦しめるというものであろう」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・6

ある時、絹川といううどん屋を伴って、多くの信者のお供え物をことづかって参った。その時、これだけことづかりましたと申して書付と共に出したら、
「私は字を知らないから読み損なうので、それはそちらで読んでくれ。私は書くから」
と金光様が言われたので、大阪東区○○町、と読みだしたところ、
「いやいや、大阪何の年でよい」
と仰せられた。(2)そこで絹川が「金光様、大阪は広うございます。四区二郡に分かれておりますから」と申したら、金光様が、
「ははは、大阪は広いなあ。しかし、けし粒よりは少し小さかろう」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・7

岡山の藩士で手厚い信者が奥州へ戦に出ていたのを、家内がしきりに心配して願いに来る。「神様は助けてくださるから安心していなさい」と言うけれども、毎日毎日参って来る。(2)それで、ある日、「毎日のことで気の毒であるから、神様の教えを話して聞かせよう。まずは向こうの虜になる。それを神が解いてやる。出る所がない。そこで、水門を出て堤へあがる。すると、人が見つけて鉄砲をうつ。それが刀のさやに当たる。それで助かって逃げて来て、船に乗って帰って来るのである」と申したら、安心して喜び、それでは、無精してすみませんが、うちで帰りを待ち受けますと言って帰った。(3)一月ほどして、亭主が帰って来て、助かった話しをしかけたから、家内が、私がしましょうと言って、引き取って話したら、亭主も驚いて、二人連れだって参って来て喜んだことがあった。
(4)近藤さん、一心に頼めば、地雷火の中でも助けてくださるからなあ。

■ 理2・近藤藤守・8

神には守りはいらない。氏子に守りがいる。

■ 理2・近藤藤守・9

ある時、ご裁伝で、
「此方金光大神の言うことにそむかないようにせよ。そのとおりを守っていれば、何事もおかげになる。天地金乃神には親族はないが、此方生神金光大神は天地金乃神の親族である。(2)この日本の親神として天照皇大神がある。此方生神金光大神は天照皇大神の氏子であった。そこで、天地金乃神が天照皇大神に、『此方を天地金乃神にください』と申し出たところ、天照皇大神の言われるには、『わが氏子ではあるが、このような氏子はほかに見いだせない。今にして思えば、まことに惜しいことではあるが、天地金乃神が見いだされたのであるから、さしあげましょう』ということになった。
(3)『それはありがたい。申し受けました』『そこで、一つ頼んでおくことがある。おあげ申すが、もと、天照皇大神の氏子であったことを忘れないために、一年に一度は伊勢へ参拝することを忘れないようにしてもらいたい』『それでは年に一度、此方が行かないとしても、代参を立てることにしよう』『はい、それはそれでよろしい』ということで、此方金光大神は天地金乃神の親族となったから、このことを忘れないようにせよ」
と仰せがあった。(4)それから、金光様のお話となり、
「このことは、あまり人には言ってはいけない」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・10

明治十四年の夏お広前にお参りすると、ほかに参拝者もなく、夫婦だけでご理解を承った。見ると、山蟻が何匹となく、ご神前の方へ這って行くので、お供え物にでもついてはならないと思い、「金光様、蟻がたくさんにまいります」と申しあげると、
「はい、蟻も参詣いたします。参詣すると、おかげをいただきます」
と言われただけで見向きもせず、ご理解を続けられた。

■ 理2・近藤藤守・11

ある人が参って来て、ぱんぱんと拍手しては、「天地金乃神様、生神金光大神様、ありがとうございます。金光様、こんにちは。毎日おかげをいただきまして、ありがとうございます。はい、さようなら」と言って帰って行く。(2)このことについて、ある人がその人にたずねたら、「私の腹の中は神様はよく知っておられますから」と言って、いつもそれだけであった。(3)そこで、私が金光様におたずねしたら、
「あれで、おかげをいただきます」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・12

明治十五年、佐伯文治郎に神がかりがあって、「ふんどし一つで修行する」と言い、屋根の上をはだしで歩いたりした。家主が不足を言うと、「神が歩くのに瓦が割れるか。よく見てものを言え」と言う始末であった。
(2)眼病の者が参って来たら、紙でその者の顔を三度ぬぐい、その紙はねずみ色になったが、目はそのまま晴眼となった。また、泥水の井戸に神鏡を投じ、それを拾いあげれば水は清水となるというようなことであった。(3)時には素裸で屋根を走り回るので、人々は狂気のように思っていたが、ついに違警罪に問われてしまった。どこで教えてもらったかとの詮索で、私も引かれ、拘留十日の刑に処せられた。
(4)拘留が解かれて金光様のもとに参り、佐伯文治郎がこうこうですと申しあげたら、
「あれは神であった。天地金乃神の大きさから思えば、人は灰の分子より小さいものである。神が人にお下がりになれば、だれでも気が違ったようになる。神様のお徳に人間の体が耐えられないから、一度は発狂する。かたわらから静かに見てやっていれば、神様のお徳が出る」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・13

岡山の漁師で、はじめは信心に熱心であったが、家のことが都合よくいかず、「当分信心をやめますからお社を預かってください」と言って持って来た人があった。金光様は、
「それもよかろう。またいる時にはいつでも取りに来なさい」
と申しそえておかれた。(2)その人が、また十年ぶりに取りに来て、「金光様、よい都合にいきません。信心している間はどうにかこうにかいっておりましたが、信心をやめてからは借金ができました」と言ったから、
「さあ、持ってお帰りなさい」
と言って持ち帰らせなさった。(3)その翌日、もとの殿様の娘ごの病気をその人の所へ願いに来、その人が神様に願ってあげて、さっそく娘ごがおかげをいただかれ、たくさんにお礼を持って来られた。それでおかげをいただいて再び信仰するようになり、借金はすべて返せた。
(4)私がお参りした時その人もいて、右のような話を承った。その折、金光様はあちらからこちらを向かれて、
「人は十年は長いように思うけれども、神様にとっては、あちらを向いてこちらを向く時間ほどもないからなあ」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・14

ある時、参拝し、「世の中もさらに変わりまして、蒸気船もできました。昔の大和船で参りますより、よほど速いものでございますが、おいおいには電報もできて、東京までも一時間で返事が取れます。また、電話というものができますと、いながら遠方の人と話ができます」と申しあげた。(2)それを聞かれて、金光様は、
「私は汽船も電報も知りませんが、まだ速いことがあります。日乃大神様は、朝から晩までに東から西野はしへ、ずうっとお入りになってしまう」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・15

金光様は広前の床の棚の上に、ごく粗末な小さなお社を安置しておられた。(2)私はもったいなく思い、「あまりにお社がお粗末なようですが」と思うままを申しあげると、
「天地金乃神が社に入られたら、この世は暗闇になる。神の社は、この天と地とが社である。金光の家なら、これでたくさんである」
とのお言葉が下がった。

■ 理2・近藤藤守・16

近藤さんはいつも夫婦で参られるが、結構なことである。天地の神は夫婦であるからなあ。

■ 理2・近藤藤守・17

「明石で烏をおとりにして雀を捕っていました。杭を打って烏をつなぎ、その前にえさをまいて、烏がいるからと雀が安心して来たところを、かすみ網をかけておりました。かわいそうなことをすると思いました」という話を申しあげたら、
(2)「かわいいと思う心が、そのまま神である。それが神である」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・18

近藤さん、話は聞くばかりが能ではない。少しは腹から練りだしておかげを受けるがよい。

■ 理2・近藤藤守・19

ある年、金光様のみもとに参拝した折、どこの人であろうか、信心に熱心そうな百姓ふうの人が、ちょうど金光様に、「こうして生神様のみ教えを信じて、いちずに信心させていただいておりますと、近所合壁(隣家)の者は、はやり神に迷ったと言って笑ってなりません」と訴えていた。(2)金光様は、お笑いになって、
「そうか。笑う者には笑わせておくがよい。このような話があるではないか。昔、千匹猿があった。その中の一匹だけに鼻があって、後の九百九十九匹には鼻がない。そこで、かえって、鼻のある猿を笑ったりいじめたりしたということである。
(3)世間の者は、自分が迷った信心をしているのも知らずに人の信心を笑うが、ちょうど、この話のようなものである。氏子、心配するな。おっつけ、自分の間違いに気がついて後悔する時がくる」
とご理解されていた。

■ 理2・近藤藤守・20

難波叶橋の西詰めでお取次をさせていただいていたころ、「こんな不徳な者では道は勤められない。もっと神徳をこうむらなければならない」と広前奉仕に責任を感じ、ひと修行しなければならないと思い立って、金光様にお指図を願った。「ぜひ、ひとつ、しばらくの間、山に入って修行させていただきとうございますが、いかがなものでしょうか」と申しあげると、金光様は、
「山に入ったら、どのようにして修行されますか」
とたずねられた。(2)「山に入ると、はじめは麦粉を練った団子で命をつなぎます。それをしばらく続けると、次には木の実や木の葉で生きられるようになります。またしばらくすると、ついには水ばかりで生きられるようになってまいります」と申しあげると、また、
「いったい、どんな山に入りますか」
と仰せになったので、「なるべく深い山に入って、浮き世を逃れるつもりでおります」と申しあげた。(3)金光様は、
「それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたら、それでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう」
と、ありがたいみ教えをくださった。

■ 理2・近藤藤守・21

近藤さん、人間の知恵は知れたものである。少しは神様から知恵をいただくがよい。

■ 理2・近藤藤守・22

神様を信ずる者は、何をするにしても遊ばせていただくのである。広前の奉仕で遊ばせていただき、商売でも農業でも遊ばせていただいているのである。みな天地の間に、うれしく、ありがたく遊ばせていただいているのである。

■ 理2・近藤藤守・23

金光様がマッチで灯明をあげておられたので、、お伺いすると、
「心に不浄がなければ、かまわない」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・24

明治十五、六年ごろ、信者三十名を連れて参り、宿の古川に入るや否や、多幾円七がしきりに帰宅を急ぎ、人をも誘いこもうとしたので叱りつけ、お広前にお参りしたところ、ご裁伝で、
「氏子、神に供えた銭はただ取りはしない。昔から一粒万倍というであろう。大地に米一粒をまいてみよ、一合になるであろう。神に供えた物を、めったにただ取りはしない。一粒万倍にして返してやる」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・25

信心する人は、めぐりを取り払ってもらっているのであるが、信心せず、うかうかと暮らす人は、めぐりを積んでいるのである。

■ 理2・近藤藤守・26

橋爪信三郎を伴って参拝した時、この人の右耳の遠いことを私が申しあげると、金光様は、
「この人はおかげをいただかれる。他の人は両方聞こえるから、右から左へ抜けてしまうのである」
と仰せになった。

■ 理2・近藤藤守・27

和田安兵衛と私と二人で参拝した時、金光様が、
「神徳をもらってあげようか、人徳をもらってあげようか」
と仰せになった。(2)和田さんは「人徳をいただかしてください」と言い、私は「麦飯信心で結構ですから神徳をいただかしてください」とお願いした。(3)すると、金光様はご神前に進まれ、ご裁伝で、
「神徳を受ければ、人徳はついて回る」
と仰せになった。

■ 理2・近藤藤守・28

何でも物事に急ぐから間違いができる。時節に任せばよい。

■ 理2・近藤藤守・29

金光様は、
「心配りする心で信心をせよ」
とも教えられた。

■ 理2・近藤藤守・30

信心は手厚くせよ。うちで信心いたしておると言うのは、信心の抜けはじめである。(2)手厚く信心をする者は夢でもうかつに見るな。神は、夢にでも良し悪しを教えてくださる。

■ 理2・近藤藤守・31

近藤さん、車屋さんの例えで話すとのう、客が、急ぎの用があるから明日は早く人力車を回してくれと、宵に頼みに来られても、その車屋さんが朝起きて、神様にお礼したり大祓をあげたりしておっては、そのために暇が費えて、せっかくの一番仕事をはずしてしまうことがある。それでは神様にご無礼となる。(2)そんな時は、顔を洗えばすぐ茶づけでもかきこんで、向こうで待つくらいに出て行け。そして、客を乗せてしまって、かじ棒を握ったら、それから、生神金光大神様、生神金光大神様と、走りながら神に礼を言え。客も喜び、仕事も間に合い、それで十分、神には届く。

■ 理2・近藤藤守・32

身に痛いかゆいができれば身の病。家に万事手違いが起きて不都合なのは家の病。家に極道息子ができれば家のわずらいである。

■ 理2・近藤藤守・33

米は、打撒、こめ、よね、としか言い方はないが、それは、神前に打ちまかれるから打撒と言う。また、これを食べて成人するので、子の芽である。そして、人ができて世を作るので、世の根とも言う。この世の根を食べても治らない病気が、草の葉や木の根を食べて治るということはあるまい。

■ 理2・近藤藤守・34

神に助けてもらった病は、再び起こらない。

■ 理2・近藤藤守・35

近藤さん、一週間でおかげをいただいたとか、二週間でおかげをいただいたとか言っているが、それは一時、神様がその病をつかまえていてくださるのであって、治ったと思うと当てが違う。大体、重い病気は三年とか五年とか、また十年もたたなければ治るものではない。
(2)近藤さん、あなたはおかげをいただいて一、二年になるが、十年たたなければもとの体にはなれない。その代わりに、もとの体になれば、もう患うことはない。神が病を助けてくださるというのは、病の根から取り払ってくださるのである。
(3)腹の中に病という一本の木が生えたとすると、それを枯らそうとして医者は薬を持っていくが、枝葉はすぐに枯れても根は残る。根が残るから、また生えることになる。神様が治してくださるのは、暇がかかる代わりに、病は澄みやかに治してくださる。
(4)近藤さん、金はこの世の浮き宝、体は生涯の宝。一度捨てたら二度と返らない。

■ 理2・近藤藤守・36

神様が毒を取ってくださる時には苦しいけれど、辛抱するがよい。すると、苦で体がやせてしまう。けれどもまた、おいしいものをいただくがよい。そうすると、また体が大きく肥えて丈夫になる。丈夫になった時に、神様がまた毒を取ってくださる。そして病が根から抜けてしまうから、生涯体が達者に暮らさせていただける。

■ 理2・近藤藤守・37

ある夏、頭巾をかぶった婦人が参って来たが、金光様のお話に、
「この方は岡山中島の娼妓であったが評判の美人で、玉島の材木屋が身受けをした。玉島へ来てからは毎日のように参って、『ありがとうございます、玉島に来てから毎日参って来られまして』と喜んでおられたが、神様から、『お前は長らくの勤めで体中が毒である。それを取ってやろうと思えば命が終わる。体に傷をつけて取れば命は助かるけれども、それでは亭主が捨てるであろう。それで、子供を授けてやる。子供ができれば亭主は捨てない』と仰せられ、その年に子が宿って、翌年、玉のような子ができた。亭主が喜ばれてな。(2)すると、この人の顔にぽつりぽつりと出来物ができて、それを願いに来られたが、神様から、『これから毒を取ってやる。もう、体が崩れてもさしつかえはない』と仰せられ、それからたくさんできてきた。あなた、この方に見せてあげなさい。この方は大阪の難波の土橋で先生をしておられる方である」
と仰せられ、その人が頭巾を取ったが、化け物のようであった。

■ 理2・近藤藤守・38

ある所の十六、七、八の娘で、黒い色をした子が、「嫁入りができません。色を白くしてください」と願いに来たのに対して、金光様は、
「おかげが受けられます」
と仰せられた。娘の頭に瘡クサができて頭中に広がり、しまいには、胸や肩の方までできたが、
「まあ、何かの都合であろう。神に任せておけ。喜ぶことがある」
と仰せられていた。(2)しまいにぽつぽつとかさぶたができ、瘡がかせてきて、その跡が真っ赤になり、頭髪もどんどん生え、肌は真っ白い色になった。その時、
「神様のおかげは、どうしてかわからないが、一時は悪くなっても、しまいにおかげが受けられる。しかし、氏子の中には辛抱できない者もある」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・39

みんな、やいとをすえると言って火を体につけるが、土用の炎天に背中をさらしておけば一ぺんに焼けるがなあ。

■ 理2・近藤藤守・40

産は女の大やくと言ってきたが、やくは災厄の厄ではない。一人の子をこの世にもうける大厄である。(2)その出産について、世上には出潮、引き潮を言うが、此方の教えを守れば、出潮、引き潮は言うにおよばない。昼夜というのも、そのとおりである。いつでも、自分の勝手のよい時におかげをいただかせてくださいと願え。年の終わりに生まれるので勘定が悪いと思えば、それも、年明けてと神に願え。一月くらいのことは自由にしてやる。

■ 理2・近藤藤守・41

ご養母が亡くなられた時のことについて、
「『今日は気分が悪い』と言われるので、ご祈念すると、『今夜は孫をつけておくがよい』とご神伝があった。そのとおりにし、休まれる前に、『今夜は、好きなお神酒をあがってお休みなさい』と言い、まことに心持ちよく休まれた。夜明けに孫が、『金光様、祖母が冷たくなっている』と言って来た。急いで行ってみたら、もう、こと切れていた。(2)このように、楽にもの言わぬようになったのが、本当にもの言わぬようになったことである。人は楽に逝かしていただかなければならない」
とお話しくださった。

■ 理2・近藤藤守・42

死にたくない死にたくないと言って、うろたえるから死ぬのである。俗の言葉に、やけくそになるということがあるが、そのとおりに、死んでもままよと、やけくそになって神に任せば助かる。

■ 理2・近藤藤守・43

人が生まれるのも死ぬのもみな、この神のみ手にかからない者は一人もないが、悪いことをした者は、死んだ後で神が地に伏せるぞ。

■ 理2・近藤藤守・44

此方は、この世を去って神のみもとに帰るまでが信心である。この肉体が隠れて後、はじめて満足に人を助けることができるのである。

■ 理2・近藤藤守・45

近藤さん、牛を食べると神罰を受けるというが、それは、めいめいの慎みからのことである。神様のご地面を汚して、牛や馬は歩いているではないか。口から尻まで往来であるから、通しておいてもよいではないか。

■ 理2・近藤藤守・46

「地面につばなどを吐くのはけしからんことです」と、申しあげたら、
「私も以前は田への往来の途中、道に大便などをしているのを見ると、お日さまのお照らしの所にもったいないと思って、土をかけておいた。しかし、思ってみると、日乃神様へは孝行をしたが、金乃神様へは無礼をしていたのであるなあ。ははは」
と笑われたことがあった。

■ 理2・近藤藤守・47

三つのご膳(ご神飯)は、日乃大神と月乃大神と金乃神とに供えるということを、人から聞いたので、金光様にお伺いしたら、
「それでもよいが、一つは天、一つは地、もう一つは天地の間に供えるのである。それは、信心する者みんなの先祖先祖からの御霊に、神が分け与えてくださるのである。一心に信心する者が神に供えた物は、神から先祖に分け与えてくださる。ありがたいことではないか」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・48

神様があってお上ができたのである。それであるのに、お上ができたら、神様がお上の支配を受けることになる。

■ 理2・近藤藤守・49

金光梅次郎氏のすすめで、金光様からご神鏡をお下げいただいた。その時、ご神鏡の由来について、
「以前、私がしばらく神様を拝まなかったことがある。それは、お上から拝んではいけないと言われたので拝まずにいたのであるが、ぜひ神様に頼んでくださいと言って来る氏子がたくさんあった。しかし、『お上から拝んではいけないと言われているので私は拝めない』と何度も断わっていた。(2)それでも、『どうしても拝んでいただかなければ病人が死ぬ』とも言って来る。それでも断りを言っていたが、それが三日や五日のことではなく、また五人や十人ではない。久しい間、毎日毎日言って来るのが度重なっては気の毒でならず、また、『拝んでくださらなければ死ぬ』と言われるとかわいそうでならず、それで、とうとう神様にお伺い申しあげた。
(3)『お上の仰せにそむけば神様の仰せにそむくことにもなりますが、氏子は、どうしても拝んでいただかなければ死ぬと言って参って来ます。それで、氏子の身の上を気の毒と思えばお上の命にそむかなければならず、お上の命を聞けば氏子が助かりません。どうしたものでございましょうか』と申しあげた。すると、神様は、『岡山へ八寸の神鏡をふかし(鋳造させ)に人をやれ。その鏡の裏には金乃神社と記せ』と仰せくださった。
(4)それで、すぐ、神様のお言葉どおり神鏡をあつらえにやり、できあがってきて神様にそのことを申しあげると、神様は、『床の間に置いておけ。そして、氏子が頼んでくれと言って来れば、その病気の都合で、日を切るとか時を切るとかして、その神鏡に向かって勝手に頼んで帰らすとよい』と仰せられた。
(5)その後、氏子がお願いにみえると、私は『お上から神様を拝んではいけないとおさしとめになっているので、頼んであげたくても頼んであげることができない。あの床の間のご神鏡に向かって、三日とか五日とか一週間とかでおかげのいただけるようにと、一心に頼んでお帰りなさい』と神様の仰せをそのまま伝えていたが、みな、願いどおり思いどおりにおかげをいただかれ、その間に、この神鏡に頼んでどれほどの人が助けてもらわれたか知れない。そういうことであるから、このご神鏡は大切にしておくがよい」
とご理解をしてくださった。

■ 理2・近藤藤守・50

拘留された年(明治一五)の旧正月、大本社に参拝した時、金光様は、
「近藤さん、悪いことをしていなければ、牢に入っても恥にはならない」
とご理解くださった。その後、拘留され、このみ教えが思い出された。

■ 理2・近藤藤守・51

「金光様、このお注連縄は、普通は七五三と申しますのに、しで(注連縄に垂らす紙)が四つありますが」とおたずねしたところ、
「此方の注連は、しでが四つ垂れて、よかれである。しとは言わない。死ぬということは言わないがよい。私も死ぬことはしない。このまま社に入るのである」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・52

大谷へ参拝して、金光様に向かい、「これからおいとまを」と申しあげたら、金光様は、
「なぜ、今日は、そう早く帰るのか」
と例のとおりのご親切なお言葉をくださった。(2)「はい、もう正月ですので、今日は注連を引くはずでございますから」と申しあげると、
「それはお注連ではない。飾りを引くのであろう。注連というのは、明くる正月の元日から暮れの大晦日まで引いておくのである。(3)ところが、世間の人は注連を引くのを知らずに、元日から飾りばかりを引いているから、ついに借銭に追われて、後にはお正月もできないようになるのである。(4)その方も、わかったら、今日は帰るがよいけれども、帰って飾りを引くなよ。お正月が来たら、忘れないように注連を引け」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・53

「道を世界中へ広めなければならない」
と常に仰せられていた。

■ 理2・近藤藤守・54

欲を捨てることについておたずね申しあげた時、
「いやいや、私にも欲がある。世界の人を助けたい欲がある。欲を捨ててはいけない」
と仰せになった。

■ 理2・近藤藤守・55

初代白神先生の大患の時、信心の手厚い小林太郎氏を代参に立て、金光様にお伺い申しあげたら、
「『道を急ぎ過ぎてはならない。時節を待て』と、かねがね白神さんには言い聞かせておいたのに、白神さんは世を憂えるあまり、一日でも早くこの天地の真の道を開きたいと、われを忘れ、日夜心を痛め、われからわが身をもみつぶされたのである。(2)神様は、ついた病は助けてくださるが、われからわが身をもみつぶしたのはしようがない。しかし、白神さんはお道のために身をつぶしたのであるから、生きても神、死んでも神である」
と仰せになり、(3)続いて、
「みな、死ぬのを嘆くけれども、月でも雲が隠すことがある。二十日が過ぎれば、二十四日が安心のできる日である。ここ七日の間を大切にせよ」
と仰せられた。

■ 理2・近藤藤守・56

明治十五年の春ごろ、西宮の信者池田ヱイの招きを受けて、海遊びと称して一夜を過ごして帰って来た。見ると、お広前のご祈念座近くの、天井につるしていた大提灯のろうそくの火が燃え移って、提灯が焼けて落ち、畳も半畳が焼け、床板が焦げていたが、それだけで火は消えていた。神様のおかげだと思い、すぐ大本社にお礼参拝した。(2)その時、金光様は、
「近藤さん、それはひとりでに燃えたのではない。提灯に火があって燃えたのである。消えたのも、ひとりでに消えたのではない。神が消してやったのである。振り売りをするなと言っておいたのに、出て行ったであろう。これからは、三百里や四百里は人を引きつけてやるから、出歩かないようにせよ」
とお諭しになった。

■ 理2・近藤藤守・57

神の広前を勤める者は、神の守り、神の前立ちである。神のお手代わりである。

■ 理2・近藤藤守・58

めでためでたの若松様よ枝が栄える葉も茂るとは、日に幾度も仰せられていた。(2)家業などを願いに来ると、
「一心に信仰せよ。信心しておかげをいただいていけば繁盛する。伊勢の音頭にも、めでためでたの若松様よ枝が栄える葉も茂るとあるから、そういうおかげを受けるがよい」
などとご理解なさった。

 

..近藤与左衛門の伝え

■ 理2・近藤与左衛門・1

明治十三年四月五日に参拝した時、「黒住は盛んで阿波の方から船で大勢参ります」ということを、ある信者がお話し申しあげたら、
「此方の道も、この身が隠れたら同じようになる」
と仰せられた。

 

..斎藤重右衛門の伝え

■ 理2・斎藤重右衛門・1

文久元年八月十五日、妻津志の病気がもとではじめて参拝した時、お広前には顔見知りの小平井村五軒家の勘六という人と西浜村字田方の万吉という人とがいて、二人に金光様が話されているのを障子の外から聞いた。
「とかく信心は真の心で、親に孝、人に実意丁寧、家業を大切にし、神仏を粗末にしないように。たとえ薮神小神でも、災いは下からということがあるから、どこの神仏も粗末にしてはならない」
とねんごろに諭しておられた。

■ 理2・斎藤重右衛門・2

妻の病気をお願いすると、
「笠岡の氏子(津志)は大病である。神は助けてやろうと思っても、根が切れた者はしかたがない。笠岡の氏子は根が切れている。三日の内におかげがあったら、また参って来い。それがなければ助からないから、もう参って来るな」
と仰せられた。

■ 理2・斎藤重右衛門・3

その夜、妻の寝汗が出なかったので、おかげに違いないと思って参拝し、お届けすると、
「神様の験は、商売人が入金を打ったのと同じことである。神は違えないが氏子が違える。このごろの者は薄情であるから、入金後に値段の上げ下げがあると、かれこれと言う。その方は一本気な者であるから、よもやおかげを取りはずすようなことはあるまい」
と仰せられた。

■ 理2・斎藤重右衛門・4

「もう、さいさい参って来るな。いかに病気を治してやっても、根は容易につかない。日にちを薬にしなければならない。忙しいのに参って来るな」
と仰せられた。家内の病気は必ずおかげが受けられると信じていた。しかし、参ればお話を承り、日に日にわが身に徳がつくのが知れる。それであるのに、参るなと仰せられ、心寂しく思った。それからは、雨の降る日などに参っていた。

■ 理2・斎藤重右衛門・5

文久元年九月二十五日に参拝したところ、神様が、
「笠岡の氏子(斎藤重右衛門)は、何から何までよく行き届く氏子である。神がいたわってやればやるほど行き届く。神も頼りに思う。神の片腕である。あまたの氏子が参って来るが、その方ほどの者は、まだ参詣したことがない。今日から下葉の氏子を許すから、神の取次をして氏子を助け、神を取り立ててくれ」
と仰せられた。

■ 理2・斎藤重右衛門・6

文久二年五月六日、節句の翌日に、たくさんの供え物を持ち、大勢の人を引き連れてお礼参りをした時、神様が、
「神も見こみが違った。神の片腕と思ったが、神の両腕である。きっと、神の頼りになる。日本国中に、三人と言いたいが、二人もめったにできまい。その方によって神も取り立ててもらう。神も恩があるが、此方の守りは笠岡を後ろにしては寝られない。大きな恩がある。此方の守りと笠岡とは、神の左右両脇立ちである。将来は、上三十三か国は此方、下三十三か国は笠岡と言う」
と仰せられた。

 

..斎藤松代の伝え

■ 理2・斎藤松代・1

私は、明治十六年三月十八日、二十歳で斎藤精一に嫁した。そのお礼参拝に、翌月一日、姑津志に連れられ、先代(斎藤重右衛門)様のめいで当時十五歳の千代野と三人連れで、はじめて金光様のみもとに参った。金光様は、姑の顔を見て、
「笠岡の寅の年、よく参って来た」
と仰せられた。(2)姑が「この度、井原から、ここにいる嫁をもらいました」とお届けすると、
「寅の年も、ない寿命をついでもらってから二十年になるが、よく家の切り盛りをした。女は家の家老である。女がよくないと家はもたない。家老の跡継ぎができて、寅の年も安心であるなあ」
とたいへん喜ばれた。(3)帰りに小坂の辺から雨に遭い、裾をからげてずぶぬれになって、今立から馬飼越えをして帰った。その時、草履を二足破った。帰るや否や、先代金光(斎藤重右衛門)様から、「車もあるのに、ふうが悪い。雨の中をよくも嫁を連れて歩いたことである」と姑が叱られ、嫁に来た早々であったし、自分が叱られたように怖かった。

 

..坂根利三郎の伝え

■ 理2・坂根利三郎・1

私は若いころ木綿商を営んでいたが失敗し、借金返済に苦心しているうちに肺病になった。二人の医師に診てもらったら薬をくれたが、いっこうによくならず、また別の医師に診てもらった。その医師は、「薬を用いても何の効もないから、薬はやめて好きな滋養物を食べ、適度の運動をしなさい」とすすめてくれた。(2)そこで、金光様のみもとに参ってお願いしたら、
「神は声もなく姿も見えないから、人をもって言わせるのである。(3)医師が、『薬を用いるな。薬を飲んでも何の効もない』などと言うはずはない。神が、昨日、医師をもって言わせ、その方を信心の道に入らせたのである。(4)神の導きであるから、何の心配もいらない。心配する心で一心に神にすがるがよい。命は助かる」
と仰せられた。(5)私はたいへんありがたく感じ、日参させていただいて、病気もおいおいによくなった。

■ 理2・坂根利三郎・2

その方は金を持って自由に暮らすことはできないのであるから、むやみに金をもうけて蓄えようと我欲を起こし、もだえ苦しんでも、そのかいがない。(2)欲を放して信心させていただき、信心をもととして商売もさせていただくがよい。その方は生涯、着るのに不自由したり食べるのに難儀したりすることはない。その代わりに金は持てない。

■ 理2・坂根利三郎・3

乙島から三年の間、夜半過ぎから夜明けの四時ごろまでの間を見計らって、金光様のみもとにお参りしたことがあった。その間、一夜の変わりもなく、金光様はお結界にお仕えになっていた。(2)ある夜、「生神様、今夜は月がさえてきれいです。外へお出になってはいかがですか。いつもいつも、そこにばかりお座りになってお仕えくださっておられるが、夜十二時が過ぎてお参りするのは私くらいなもので、だれも参る者はありますまい。外へ出て月でもご覧になると、命の洗濯になります」と申しあげると、(3)金光様は、
「坂根さん、此方がここを動けば、世の氏子がけが過ちをするかも知れない。どうか、世の氏子に、けが過ちのないように、本当のおかげが受けられるようにと願っていると、此方はここを動く暇がない」
と仰せになった。

■ 理2・坂根利三郎・4

人にもたれてはいけない。神に一心にもたれたら助けてやる。

■ 理2・坂根利三郎・5

神の守りをするには神心でしなければならない。みなは人心を出して利口でするから、人心は人心だけのことになる。神心は神心だけのことがある。

■ 理2・坂根利三郎・6

先に花がある。花が咲けば、実がなる道理であろう。

 

..佐藤礒五郎の伝え

■ 理2・佐藤礒五郎・1

人間は、まめなと言っても、みな、めぐりということがあるから、信心するがよい。信心は転ばぬ先の杖で、その杖をしておかなければ間に合わないからなあ。

 

..佐藤照の伝え

■ 理2・佐藤照・1

はじめて参拝した時、金光様は、
「神には遠い近いはないから、一心に信心すれば、どこにいてもおかげが受けられる。(2)知らず知らずにご地内にご無礼ができるから、神様にお断りを申すがよい。道で小用でもしなければならない時は、お断りしてするようにせよ」
とみ教えくださった。(3)その時、また、
「病気にでもなると、だれでも人には話すが神様に申しあげるということはしない。人には言わなくても神様に申しあげてお願いすれば、おかげが受けられる。拝み方は知らなくても、忘れないよう一心にすがればおかげをくださる」
とみ教えくださった。

■ 理2・佐藤照・2

母(平野登美)の病気がだんだんとよくなっていたのに、また悪くなり、お参りすると、金光様は、
「草の種でも、残っていると芽が出てくるが、出れば取るというようにしていると根が切れる。病気でも、発作が起こる間の延びるのは、だんだんとよくなっているのである。信心をやめてはいけない」
と仰せくださった。

■ 理2・佐藤照・3

金光様の所へは柏島への行き帰りにお参りさせていただいて、お話を承るのを何よりありがたく思っていた。(2)ある時、
「人には言うが、神に頼むのが遅れる。何事でも神様に頼むようにしなければいけない」
と教えてくださったこともあった。

■ 理2・佐藤照・4

近所の娘たちが裁縫を教えてくれと頼みに来たので、そのことを金光様にお伺いしたら、
「縫い物を教えるということはよいことではあるが、神の前立ちをする者の妻は、人が縫ってくれた物を着るようにならねばならない」
と仰せられ、(2)また、
「医者の家内が薬の匙を自分でとり、紺屋の妻が裏で糸を取りそろえるのと同じで、亭主が広前にいれば、妻は裏にひかえていて、お洗米のこしらえなど、何かと神のご用をしなければならない。(3)朝は、亭主が祈念にかかる前に、ご供(ご神飯)を供えるようにしなければならないから、縫い物を教えることはやめるがよい。(4)手暇があれば、亭主が広前で氏子の祈念をする時、妻は、そのご祈念が成就するように、後ろ祈念をするようにせよ。(5)祈念といっても、お祓の声をあげて拝んだりするのではない。心の中で一心に祈念しておれ」
とお諭しくださった。

■ 理2・佐藤照・5

年は若いし、徳も知恵もない私が、どうしてお広前を勤めさせてもらえるかと思い、心配していたところ、金光様が、
「力はなくても、神様に一心にお願いしていれば神様がおかげをくださる」
と仰せられた。

■ 理2・佐藤照・6

長男の一夫が胎内にいた時、金光様のみもとへお参りしたら、
「十人なみの子をと言って願え」
と教えてくださった。

■ 理2・佐藤照・7

金光様は、
「子どもにとんすな(落ちるな)とんすなと言うが、とんすなと言う暇に神様に頼む心になっておれ」
と仰せられた。

 

..佐藤範雄の伝え

■ 理2・佐藤範雄・1

私が、まだ大工仕事のかたわら人を拝んであげていた明治十一年のことであった。後月郡高屋村の鳥井治右衛門という人が四十代で腸満にかかり、どうしても助からないと言って、私の所へ頼みに来た。私は一意専心祈念をしたが、なかなかの大病で容易に助からない。(2)吉川喜七郎という人が、「あの病人は不治の病気であって、祈念してもだめだからやめよ」と言ってくれたが、私は祈念して助けたいと思い、やめようとしなかった。病人は良くなったかと思うと悪くなるというぐあいで、どうしても全快しない。(3)そこで、家に来て祈念をして欲しいと頼みに来たが、これは、金光様が、
「病者の所へ行って祈念することを、けっして、してはならない」
とお戒めになっているので、私は行ってやれない。それでも、たびたび頼みに来るので、ついに行って祈念したが、おかげにならなかった。世の下馬評が騒がしくなり、「あれは狸であるから、いくら頼んでも拝んでも助かるものか」と悪口を言うようになった。
(4)私は、この病人を助けなかったら道を汚すことになると思い、この辰の年の男(佐藤範雄)が助けなければならないと、最後の決心をした。そこで、入田の瀬戸廉蔵先生と金照明神(高橋富枝)とにも願い、金光様のもとへ参ってお願いしてもらい、私も「鳥井治右衛門という者が大病で願いに来ていますが、どうしても助かりません。この病人を助けてもらわないと世評も悪くなり、神様のみ名を汚すことになります。辰の年の命を、鳥井の命が助かると同時にお召し上げくださってもよろしいから、お助けください」とお願いした。(5)瀬戸先生も口ぞえしてくださったところ、
「辰の年、その方は人の命を請け合うと言う。此方は十何年も道を伝えてきているが、まだ人の命を請け合ったことはない」
とお戒めくださったので、「以後は請け合いはいたしません」と申しあげた。(6)その時、
「辰の年、その病人は一人である。氏子は何千人何万人あるか知れない。一人のために、何千何万の人を助ける体を失うことができるであろうか。病人が死ぬとすれば、一人である。(7)医者にはいろいろの言い抜けがあるが、神様の方には、絶体絶命、天命限りということがある。天命限りなら、いかに頼んでもしかたはあるまい。命の受け合いをせずにお願いせよ」
とお戒めをいただいた。

■ 理2・佐藤範雄・2

明治十二年のコレラ大流行の年のことであった。この近傍の人が金光様のみもとに参って、「金光様、大阪や岡山辺からは、みな、おかげをいただいたと言って、たくさん参拝して来ますが、少しは、この辺の者をも助けておやりなさってはいかがですか」と、暗に金光様をそしった。(2)その時、
「私は、もとが肥かたぎで、この辺の人とは一緒に汗を絞ったこともあります。それを遠方の人は知らずに、みな、生神様と言って慕って来ます。(3)私の力にかなうことなら、言われるまでもなく、みな助けてあげたいのはやまやまであるが、おかげをいただく信心は向こうの心にあるのだから」
と実に穏やかなお言葉で答えられた。

■ 理2・佐藤範雄・3

私は若い時、学問が好きであった。金光様のお広前に参って書物をお供えすると、金光様はご神前にそれを供えてご祈念くださり、
「此方は神徳は受けても学徳がない。その方は神徳と学徳とを得てくれ」
と仰せられた。

■ 理2・佐藤範雄・4

明治九年ごろは黒住教が盛んで、大谷の近傍などではなかなか勢いがあった。そのころ私は信心を始めて間もないことで、黒住教のことなどについて、金光様のみ前で他の人々と共にあれこれと議論ばかりしていた。(2)明治十四年ごろから平田篤胤の書を好んで読むようになった。「医者、医道を知らず、神道者、神道を知らず。われ、その真を講ぜん」という書き出しで、仏教のあらを拾って書いてある書物であった。それを読んだものだから、金光様のみ前でキリスト教や仏教の欠点を探し出して、あれこれと申したこともあった。参拝者の中には、金光様のみ前で宗教以外のこと、たとえば他人の家のことで、あの所の嫁はどう、この所のだれはこうなどと、陰口を言う者もいた。(3)ある時、金光様は、
「氏子らの中には、此方の前に来て、人のことをそしるばかりする者がある。やれ、黒住はどう、仏道がこうなどと、そしったりする。(4)自分の産んだ子供の中で、一人は僧侶になり、一人は神父になり、神主になり、また、他は役人になり、職人になり、商人になりというように、それぞれいろいろになった時、親は、その子どもの中でだれかがそしられて、うれしいと思うだろうか。(5)此方の前に来たら、他人のことを言うな。他人をそしるのは、神の機感(み心)にかなわないことになる。釈迦もキリストも黒住も、みな神の氏子である」
とご理解してくださった。

■ 理2・佐藤範雄・5

「なぜ拝んでいるのかと言ってとがめられた時には、身信心をしていると言っておけ」
と仰せられた。(2)身信心とは、自分一人の身を修めるための信心ということである。

■ 理2・佐藤範雄・6

信心は改まりが第一である。此方でも間違えば、いつ神様からお暇が出るかも知れない。

■ 理2・佐藤範雄・7

夜が明けたら、生まれ変わった心になれ。

■ 理2・佐藤範雄・8

八幡様は鳩、稲荷様は狐、木野山様は狼を使うというが、金光大神は、神の心を直々に氏子に伝える道を開く。

■ 理2・佐藤範雄・9

油断すると、後の烏が先になる。

■ 理2・佐藤範雄・10

私が金光様に向かって、「尊いお道でございますが、このままでは後へ何も残りません。世間には後で宗派争いなどが起きて、けんかの種となることもあります。何かお定めになりませんと、そのようなことにならないとも限りません」と申しあげたら、(2)金光様が、
「此方は、人が助かりさえすれば、それでよい」
と言われるので、「助からないことになります」と申しあげた。それ以後、金光様もそのことに留意されるようになった。

■ 理2・佐藤範雄・11

金光様は常に、
「慢心は神様がお嫌いになる」
と教えられ、(2)また、
「此方といえども心が違えば、いつお暇が出るかも知れない」
と仰せになった。(3)このことについて、
「飯がこぼれたといっても、拾って食べればよいが、神様からお暇が出ると、拾って食べられないようになる。神様からお暇が出るというのは、死ぬということである」
とご理解くださった。

■ 理2・佐藤範雄・12

人間は人間らしくすればよい。何も求めて不思議なことをしなくてもよい。

■ 理2・佐藤範雄・13

常に、
「金光大神の体や姿に目をつけるな」
と仰せられていたが、(2)ある時、
「死んだら、苞に入れて流しても焼いてもよいが、そうもできないであろうから、神の資格で葬り、ご神灯を先に立てて葬場へ行け。身を葬る時には大勢の人を呼ぶな。御霊を大切にせよ」
と言われた。

■ 理2・佐藤範雄・14

ご裁伝があって、ご祈念座から結界に下がられ、
「その方には神様がもうみ教えになることはないと思っていたが、また教えがあったなあ」
とお喜びになった。(2)一とおりの教えが終わって、もう変わったお伝えはないと思われても、変わったご神伝があると、お喜びになった。(3)金光様は、
「此方の話は、学者の話や講義と違って、ここが続き、ここが切れ目ということがない。天地のある間は、天地の話が尽きるということはない。此方は天地の道理を説くのである」
と教えられた。

 

..佐藤彦太郎の伝え

■ 理2・佐藤彦太郎・1

文久元年旧暦九月十六日に参拝した時、「何か墨をつけたお印をください」と願ったら、
「心で信心すれば、お札はあってもなくても同じことである」
と仰せられた。(2)しかし、押して願うと、

 日天四

きもん金乃神大明神

月天四    二上八小八百八金神のこらず金神

と書いてくださった。

■ 理2・佐藤彦太郎・2

「信あれば徳あり。おかげはわが心にある」
と口ぐせのように仰せられた。

 

..佐藤光治郎の伝え

■ 理2・佐藤光治郎・1

地から上三尺は金乃神様、それから上は天の神様のご支配である。金乃神様がおられるから、地が締まっているのである。それはちょうど、豆腐を造る時、にがりを入れるようなもので、神様がなかったら、のとろ(締まりのないさま)になる。

■ 理2・佐藤光治郎・2

神様の心をよく知ろうと思えば、いけすを掘って、それに水を入れて魚を飼ってみればよい。金神が祟る、いためると言うが、神たるものが氏子をいためるはずがない。氏子がいけすの魚を殺そうと思えば、一ぺんに殺せる。
(2)氏子は、ちょうど、いけすの中にいるのと同じことである。天地の神様は、氏子を、内の子であると言っておられる。憎い、かわいいはない。

■ 理2・佐藤光治郎・3

親は、心配さす不肖な子ほどふびんであろう。天地の神様も、神の心を知らずにいる者ほどかわいいと仰せになる。(2)親の手もとへ頼って来る子には、うまい物でもやれるが、親の手もとへ来いと言っても、何かと逆らい、親を敵カタキのようにして、よそへ出てしまうと、親は、どうしているだろうかと思ってふびんになる。(3)親がそうして子をかわいがるのも、天地の神様が氏子をかわいがってくださるのも、同じことである。

■ 理2・佐藤光治郎・4

天地金乃神、金光大神と言って声をかければ、私(金光大神)は知らずにいても、神様から私にお届けをせよと教えてくださるから、どこから願ってもよい。

■ 理2・佐藤光治郎・5

寺子屋に行って習った字を、心に油断があって忘れてしまっても、それで師匠がどれだけ得をしたということはない。子どもが覚えていて出世をし、あの人のおかげで、これだけ出世をしたと言えば、それで恩を返すことになる。
(2)神様の信心をして、おかげを落としてしまっては、神は喜ばない。おかげを受けてくれれば神も喜ぶ。金光大神の話を聞いて、それでおかげになれば、金光大神も喜ぶ。氏子がおかげを受ければ、神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜ぶ。

■ 理2・佐藤光治郎・6

此方が自分の腹から知ったのではなくて、神様から、「金光大神と言って頼んで来る氏子は、神がすぐ受け取る」と教えられたのである。

■ 理2・佐藤光治郎・7

熊本の城の石垣が崩れたことを例にして、
「天地の神様のことを何とも思わないから、地がぴりっと動いても崩れてしまい、広大なおかげが受けられない。(2)氏子、信心せよ。繁盛する時が来る。人に話してやり、ともにおかげを受けるがよい。三年先を楽しめ」
と仰せられた。それから四年ぶりに広前が建った。

■ 理2・佐藤光治郎・8

「神には口がない。氏子には口耳があるから、口耳のある者に言って聞かせよと、神様が仰せられる」
と言われた。

■ 理2・佐藤光治郎・9

「私のは心任せであるから、気が向けば話をして聞かせる」
と仰せられ、時としては、いつまで待っても少しもお話のないことがあった。

■ 理2・佐藤光治郎・10

私らが参りだしてからは、ご祈念なさったことはめったになかった。それについて、
「一人の氏子が参って来て、ご祈念をしていると、むだなことができる。急なことがあって参って来た者が、拝んでもらわなければおかげが受けられないと思って待っていると、一人は喜ぶであろうが、他の一人は待ち遠しいと思う。拝まなくても、金光大神様頼みますと言って届け出てさえすればおかげは立つ」
と仰せられた。

■ 理2・佐藤光治郎・11

金光大神の教えることについては、聞けよ悟れよが第一である。悟りを開かなければならない。

■ 理2・佐藤光治郎・12

天が下の者はみな、天地の神様の氏子である。天が下に他人はない。

■ 理2・佐藤光治郎・13

狐狸などと、金光様に悪い評判がたったころ、
「狐狸などと言って、これより偉いものはないように思っているが、人間は天地の神様の分け御霊である。
(2)体かぬくいのは日天四様のおかげ、体に骨筋があるのは金乃神様のおかげである。また口の内に水が回ってろれつが回るのは、月乃神様のおかげである。それでいて、天地の神様のみ心にかなった氏子がない。
(3)天地の神様のみ心にかなった氏子は、身代と人間と無病とがそろい、それが三代続いて家柄人筋となっていく。これが天地の神様のみ心にかなうということである。それを氏子が知らずにいるのがかわいそうであると神様が仰せられる。
(4)財産が百石米できれば、それだけの力がなければならない。しかし、天地の神様のみ心にかなわない者は、財産はあるが知恵がないのでしかたがないということが起こる。(5)また、この人は財産もあり力もあるが、まめ息災ならよいのに病身であるので、村のことや、あれこれと出て来て働いてもらうことができないということになる。(6)それで、人間の賢い、無病の者ができたと思えば、財産をなくする。財産をなくさないとしても、大切な者が死んで、財産は残しておいて子孫が絶えてしまう。(7)また、人間は賢く、相当の家筋であるが、物がないために人に無理をさせるから、それそれの筋(役)へ当てられないということになる。(8)こうしたことが天地の神のご機感(み心)にかなわないことである。天地の神のおかげを知らないから、互い違いになってくる。
(9)信心して神の恩を知って、無事堅固で暮らしていっておれば、子孫もでき財産もできて、安心になってくる。先を楽しめ。はじめは一年まさり一年まさりといい、十年一昔といっているが、後には代まさり代まさりのおかげを受けることができる。
(10)果物は花の時分には、なるものかならないものかわからないが、実がなってだんだん大きくなれば、御所柿でもできる。あのように、末へいくほど大きくなってこなければならない。(11)神様は天地中に満ちわたって、山の谷でも川の底でも同じことであるから、信心するがよい」と言われた。

■ 理2・佐藤光治郎・14

どの宗旨もくさすことはない。みな、天地の神様の氏子である。(2)あれこれと宗教が分かれているのは、たとえば同じ親が産んでも、大工になる子もあり左官になる子もあり、ばくちを打つ子もあり商売好きな子もあるというようなものである。みな宗教が分かれていると言っても、天台でも法華でも天地の神様の子で分かれているのである。そばの好きな者や、うどんの好きな者があり、私はこれが好きだ、わしはこれが好きだと言って、みな好き好きで立っているのであるから、くさすことはない。
(3)世界中、天が下の者は、みな天地の神様の子である。天地の神様のおかげは世界にいっぱい満ちている。そのおかげがなければ空気がないのと同じで、一時も人は生きてはおられない。

■ 理2・佐藤光治郎・15

子ができるのが氏子で知れるであろうか。こしらえると言うが、こしらえる、こしらえないということが氏子でできるか。人間ができてくるもとは、水の上のあわのようなものである。それで、月止まり、火止まり(妊娠)ということがあるが、それは、だれが名づけたのであろうか。(2)人間は天地の神様の氏子であるから、知らず知らずのうちに天地の神様のことは口に言いはしている。(3)さて、そうして月が重なり、満九月十日すれば生まれてくる。生まれた時に、息子、娘と言う。それはだれが名づけたのであろうか。天地の神様にかたどって名をつけているのである。
(4)腹の中にいる時には、だれが乳を飲ますということもないのに、へそがあって、そこから乳を飲んで骨ができ、筋ができたのである。そういったことはだれがするのであろうか。天地の神様のおあてがいでできたのである。お大師様の子でも阿弥陀様の子でもない。みな、天地の神様の氏子である。(5)それで、体へ魂を下げてくださってあるから、この世で生きているのである。袋を縫って、中が空では何にもならない。袋の中へ物を入れるように、魂をお与えくださっている。
(6)阿弥陀様の子でも仏様の子でもない。<ほどけ>である。人が死ねば、ほどけるのである。土から生じる体であるから、死んで魂が離れれば土に帰ってしまう。

■ 理2・佐藤光治郎・16

「古人は女の腹は借り物であるというが、借り物ではない。万代の宝である」
と仰せになり、(2)さらに、
「鋳物師屋に行ってみよ。釜をこしらえるには釜、鑵子カンス(茶がま)を造るには鑵子の型を造っておかなければ、できはしない。それであるのに、母親の腹を借り物というのは、おかしいではないか。(3)月止まり、火止まりといって、妊娠とともに不浄が止まる。その水気を受けて子は養われてくるのである。それを知らずにいる」
とのご理解があった。

■ 理2・佐藤光治郎・17

子供が腹の中にいて、どこから養われるのか。目口がついても、口をあけていては死んでしまう。へそから養いを受けるのである。それはだれがするのか。神様のありがたいことを知らなければならない。

■ 理2・佐藤光治郎・18

水をかぶって行をすると言うが、体にかぶっても何にもならない。心にかぶれ。寒三十日水行をすると言っても、それは体を苦しめて病気をこしらえるようなものである。家内や子どもの病気のために水をかぶって、一週間日参をしても治らなければ、氏子の体に傷がつくだけである。(2)水をかぶったから真である、水をかぶらないから真がないとは言えない。食わずの行をするのは、金光大神は大嫌いである。食うて飲んで体を大切にして信心をせよ。
(3)正月に鯛を供えるのは、氏子の一年中の体の丈夫を願って、神様に鯛を供えるのである。体に水をかぶらなくても、心に水をかぶれ。

■ 理2・佐藤光治郎・19

人間は、身代がよくなったり賢くなったりすると、そり返って歩き、下の者をばかにし、口不調法の者を言いこめる。(2)五穀は実が熟すほど頭を下げる。氏子は天地の神のありがたいことを知ったら、人に教えるにもかがんで教えてやるがよい。

■ 理2・佐藤光治郎・20

神様から、参れと仰せられるのではない。お参りをするのは、氏子が、参っておかげをいただこうと思って参って来るのである。

■ 理2・佐藤光治郎・21

ここで此方の話を聞いて遅くなり、さあ日が暮れると思って急いでいて、足でも踏み外すと、ああ、痛いと言う。にわの口(土間の入り口)まで帰りつくと、やれやれ暑いことであったとか、寒いことであった、つらい、つらいとか言う。それでは、おかげを道中やにわの口で落としてしまうことになる。

■ 理2・佐藤光治郎・22

「今日は一日をかけて参って来たのであろう。帰って仕事をするのでもあるまい。話を聞いて帰るがよい。少々早く帰っても、途中でぐすぐすしていれば何にもならない。まあ、聞いていくがよい」
と言われるときは、お話が長かった。

■ 理2・佐藤光治郎・23

天地の神のおかげを受けようと思えば、氏子の心の横着をするな。夢を見ても、これは何のお知らせであろうかと、起きて行ってみる気になっておれ。

■ 理2・佐藤光治郎・24

兄新五郎の病気についてお届けした時、金光様は、
「氏子の心しだいで、医者が、三年でなければ治らないという病気でも、信心すれば十日でおかげを受けることができる。医者が百日かかるという者は、三日でおかげが受けられる。(2)氏子は天地の神の子である。子供が手を切って来れば、親は、そうか血が出るかと言って、布で結んでやるであろう。親が子を叱っていても、願って来れば、かわいいばかりである。それと同じで、その病気も三日の間に湯水がのどをこしたら、おかげを受ける糸口である。神がおかげを授けて治してやる。(3)ちょうど、商人が手を打って入金を打つようなものと思え、それをおかげが受けられないのは、氏子の不調法からであろう。
(4)氏子(佐藤光治郎)、酒造りをすると言うが、そのおかげも受けなければならないなあ」
とご理解くださった。

■ 理2・佐藤光治郎・25

酒がくさるというのは、氏子の不調法もあり、天地の神のお叱りを受けているということもある。神のおかげを受けると、くさった物も直る。(2)現に富岡にも、醤油がくさって職人の自由にならないのを、亭主が日に三べん六根の祓をあげていたら、それが直ったということがあった。おかげを受ければ、火いらずの酒もできる。
(3)いくら、おかげを受けて品物をよく造っても、病気になったらしかたがあるまい。体はまめでも、品物がよくできなければ、これもまたしかたがない。品物がよくでき、体がまめでも、人に好かれなければ頼んでもらえない。(4)人に好かれれば神にも好かれる。神に好かれれば人にも好かれる。人徳神徳を受けるように信心せよ。
(5)一年まさり一年まさりといい、十年一昔ともいうが、年を拾うほど安心ができるような教えをするから、信心せよ。

■ 理2・佐藤光治郎・26

十分には食うな。腹八合。

■ 理2・佐藤光治郎・27

「人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。人を鉄砲でうったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。目に見えない心で人を殺すことが多い。それが神様のご機感(み心)にかなわないことになる。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれのお仕置きにあうから、それでかたづく。心で殺すのは神様からおとがめになる」
と仰せられた。(2)心で殺すとはどのようなことかということについては、
「病人でも、これは大病でとても助からないなどと言うが、これが心で殺すことになる。氏子の心では、助かるか助からないか、わかりはしないであろう。また、あの人は死ねばよいと言ったりもする。それがみな心で殺すのである。それよりは、どうぞ向こうが改心しますようにと、神様に祈念してやれ」
と言われた。

■ 理2・佐藤光治郎・28

「金光様、真宗では、死んだら西方十万億土へ行くと言うし、太夫様は、鈴を負って高天原へあがると言います。宗教がたくさんあっていろいろの教えがありますが、死んだら、魂がそのようにいろいろと分かれるのでしょうか」と伺った。(2)金光様は、
「そういうことはありはしない。十万億土へ行くのでもないし、鈴を負って天へあがるのでもない。真宗や神道ばかりではなく、真言宗でも天台宗でも、天が下の氏子の死んだ者の魂は、天地の間にふうふうと、ぶゆが飛ぶように遊んでいるので、どこへ行くものでもない。わが家の内の仏壇にいるし、わが墓所に体をうずめていることからすれば、墓所と仏壇とで遊んでいるのである。
(3)この世で生きている間に、人に悪いことをしたり、天地の神様の機感(み心)にかなわないことをしたりすると、死んでからでも、魂は神様のおとがめを受けるのである。御霊を仏でまつっている者は、このような時、先行きができないと言い、神道でまつっている者は、御先になると言うのである。
(4)それゆえ、この世で悪いことはできない。天地の神様は天と地とでじっと見ておられる。地におれば、天からじっと見ておられる。天知る、地知る我知るというであろう。それが、天地の神様が知っておられるということである。天は見通しであるからなあ。
(5)よくわかるであろう。左の目は日天四、右の目は月天四である。目の玉がいくらよく光っても、日天四 月天四のお光がなかったら何も見えないであろう。日天四 月天四のお光はあっても、わが目の玉があがっていたら明かりは知れないであろう。御霊をお授けくださっているということは、それでよくわかるであろう」
とご理解くださった。

■ 理2・佐藤光治郎・29

仏の教えと金光大神の教えとは違う。仏の教えでは、生き期は願われるが死に期(死に際)は願われぬと言う。金光大神は、死に期を願えと言う。
(2)みんな、天地の神様の分け御霊を授けてもらい、肉体を与えてもらって、この世へ生まれて来ているのであろう。そうしてみれば、この世を去るのに苦痛難儀をするのは、氏子の心からのことである。(3)天地の神様からお授けくださった体がこの世を去る時、痛いかゆいがないよう、ただ年病みのゆえというように長生きをして、孫子まで見て安心して死ぬのが、神様の分け御霊をいただいている者のすることである。
(4)金光大神の教えを守れば、末の楽しみをして、安心してこの世を去ることができるから、若い時は信心してまめで働いておいて、そのようなおかげを受けるがよい。

■ 理2・佐藤光治郎・30

仏では、無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神は、その無常の風に時を嫌わしてやる。
(2)人間の体を、病気の度に合わして生きる死ぬの見立てをするのは、医者がする。これでは生きられないと、医者が手を切ったら、死ぬのである。そのように医者が手を切った者でも、天地の神様のおかげをいただいて助かったら、無常の風が時を嫌ったことになるであろう。
(3)人間はちょうど氏子が機械を使うようなもので、使うのをやめたら、どんな機械でもとまってしまう。神様のお手が切れたら、ちょうど氏子が機械を放したように、体が動かないようになる。その時、天地の神様からお授けになったお水お神酒がのどをこさないようでは、薬ものどをこすまい。薬は、のんでもすぐ効くのではない。体へ回らなければ効かない。お水お神酒は、のどをこしたが最後、氏子の心一つで、そのまま効くのである。(4)医者が、もう助かりませんと言う者でも、一心、真を起こして助かれば、無常の風に時を嫌わしたことになる。氏子の心々にあるのであるから、一心になっておかげを受けるがよい。

■ 理2・佐藤光治郎・31

祭日について金光様は、
「神様が、金光大神祭り日は十日に定めよと仰せられ、また、二十二日は金乃神祭り日、二十三日は月乃神祭り日、二十四日が日天四の祭り日ということにせよとも仰せられるから」
と前々から言っておられた。(2)また、毎月の三日の祭日について、
「毎月、この日に三日月様を拝むことを忘れなければ、眼病ということはない」
と仰せられた。

■ 理2・佐藤光治郎・32

五月の節句に小紋付きの木綿の綿入れを着ておられたので、暑くありませんかと申したら、
「神様からお指図がなければ、着かえない」
と仰せられた。

■ 理2・佐藤光治郎・33

此方でもかぜをひくことはあるけれども、ひかえて休むようなことがあってはさしつかえるから勤めるが、少しも障りにならない。

■ 理2・佐藤光治郎・34

昼飯時になってもお広前をおひきにならないので、おひもじくはありませんかとお伺いしたら、
「金神よけとか言って、神を嫌う氏子もあるだろうし、天地の神のおかげを受けて、ありがとうございますと言って、ご供(ご供物)を供える氏子もある。それを神様が分けてくださるのであろうか、私はひもじくはない」
と仰せられた。

■ 理2・佐藤光治郎・35

千日の修行が肝心である。十年一昔、十年一昔。

 

..塩田茂八の伝え

■ 理2・塩田茂八・1

世の中の人は金神を恐れるが、恐れることなく、氏神同様に思って信心せよ。
(2)病人が出ると、世の人は氏神様に百度を踏む。それでも死ぬことがある。そうすると、氏神様でもかなわなかった、時が来たのであろうと言ってしまう。(3)また、他でお願いをしてもらって、金神の障りと言われたりすると、金神を非常に恐れるが、恐れることはない。困らせるために叱るのではない。おかげを授けるために叱るのである。

■ 理2・塩田茂八・2

願うことは何事も、かなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげをいただける。

■ 理2・塩田茂八・3

普請をするのに、日柄方角を言う必要はない。今日は吉日であると言っても、雨が降れば、棟木などの大木をあげるにもあげにくく、過ちがなければよいがと心配をすることになる。それゆえ、神にすがって、いつでも吉日にしてもらうのが安心であろう。

■ 理2・塩田茂八・4

金光大神は、もとは百姓であった。その方も百姓をしておかげをいただくがよい。金光大神は、まむしにかみつかれた時、お土をもって安心を得た。みなの者も、お土でもお水でも、おかげが受けられるから、不自由はない。医者に行き薬を塗っても、難儀をする者も多い。

■ 理2・塩田茂八・5

この金神を、みなの者が恐れるが、恐ろしい神ではない。この度は神が負け手を出して、金光大神をもって世の人を救ってやる。

 

..渋谷仙の伝え

■ 理2・渋谷仙・1

私は安政三年から血の道で、腸満を患い、困って黒住教を信仰した。しかし三年余、ほとんど四年間、寸分のおかげがなかったので、先方から謝絶された。(2)その時、近くに大本社があることに心づき、夫力造が参拝して右の次第をお願い申しあげたところ、金光様が、
「これは血の道がこうじてひどくなっている。もっと早ければ、神も時日を切ることができるけれど、もうこうなっては、時日を切ってどうということもできない。こうした血の道にはサフランがよい。小銭を持っておればよし、なければここにあるから、いくらでも用立ててあげる。鴨方へ回って買い求めて帰ればよい」
と仰せられ、お手ずから十銭くださった。
(3)その後しばらくの間、効果がなく、しだいに腹部がはれて四斗樽大となり、苦しくてたまらなかった。その時、ふと粟がゆをいただきたく感じ、清水で作って食べたら、はじめてサフランがご神言のとおりに効果を現し、便意も催して、七十日間、毎日、昼は三十余度、夜は四十余度、便通のお取り払いをいただいた。七十一日ぶりに、はじめて本体に復するおかげをこうむり、その後、何の障りもなく、しこを踏んでもさしつかえがなかった。(4)そこで、万延元年春のころ夫婦連れで参拝し、御礼申しあげた時、なにぶん貧乏で、尽くす道のないことをお断り申しあげたところ、
「子の代か孫の代にでもできるようになるのを楽しめ」
と仰せられた。

■ 理2・渋谷仙・2

三男弥吉がほうそうにかかり、五歳で死んだ時、夫の力造がお礼に参ったところ、
「それは、よく参って来られた。ほうそうをしあげて、お礼に参って来る者は多い。しかし、死んでお礼に来るという者はめったにいない。それはかわいそうなことをした。心配するな。代わりを授けてやる」
とのお言葉があり、慶応元年十一月二十三日、四男重吉が生まれた。

■ 理2・渋谷仙・3

三人の子供の内、中の子が不身持ちで淋疾にかかり、絶えず苦しんでいた。後に「金光様のお力で助けてください」と言いだしたので、夫婦ともに参拝した。(2)お願い申しあげたところ、
「親がよいこともなく、子が悪いこともない。ああだこうだと言って、七年このかた捨てているが、三人の子の中で、これが子一(一番いい子)であろう。これまでは、これが毒、それが毒であると言って、塩をさけてばかりいるが、これから帰って、毒断てをせず、根限り栄養をとらせてやれ。強い物ばかり食べさせてやれ」
と仰せられ、そのとおりにした。(3)ある日、小便の時、白く長い物が出て、張った腹もすいた。後、二度ばかり同様のことがあって、ついに全快し、かぜもひかなくなった。

 

..島田金次郎の伝え

■ 理2・島田金次郎・1

四、五人の者が寄って、神様をまつっていた。それをさしとめられてやめ、金光様のもとへ参ってお伺いしたところ、
「時節を待て」
と仰せられ、(2)さらに、
「遠方を参って来るにはおよばない」
と言われた。

 

..白神新一郎の伝え

■ 理2・白神新一郎・1

人を一人助ければ、一人の神である。十人助ければ、十人の神である。

■ 理2・白神新一郎・2

参拝の帰りに金光様に、「明日、船で帰りましょうか陸を帰りましょうか」とお伺いしたところ、
「それくらいのことはひとりで伺ってみよ」
と仰せられたので、(2)「一つ間違えば大変です」と申しあげると、
「その大変な目にも遭ってみないと、おかげがいただけない」
と仰せられた。

■ 理2・白神新一郎・3

金光様が、
「白神さん、たばこというものは助かりになるものですか」
と問われたので、「いや、ためになるものではありません。ただ、気をまぎらすために吸うのです」とお答え申しあげると、
「それなら、たわいもないものですな」
と仰せられた。

■ 理2・白神新一郎・4

ある時の参拝の節、金光様が、
「その方の広前の信者であろう。北の新地下原シタバラに住む入江カネと申す者が、此方に日参している。これを持ち帰って渡してやるがよい」
と仰せられて、お書付をくださった。(2)帰ってご祈念帳を調べてみると、まさにその名があったので、呼び寄せて金光様のお言葉を伝えると、カネは「その日稼ぎの忙しさに追われながら暮らしておる身でございます。どうして日参がかないましょう。一生にただ一度でも金光様のお顔を拝ませていただきたいと、明け暮れお願いしておるばかりでございます」と答えた。(3)そこで、「そうもあろう。その明け暮れのお願いこそ、金光様のみもとへのまことの日参である」と諭した。

 

..二代白神新一郎の伝え

■ 理2・二代白神新一郎・1

父の没後、金光様にお会いして、「後はどうしたらよろしいでしょうか」とお伺いしたところ、金光様は、
「その方の心はどうか」
と問い返された。(2)私が「なるべく親の跡を継いでお道を伝えたいものとは思いますが、これまで商売いちずに従事してきました私ですから何事も存じませんので、はなはだ不安に思います」と申しあげると、金光様は、
「親の跡を子が継ぐのが当然。その方の心がけが結構である。ぜひ、そうするがよかろう」
と仰せられた。(3)私が「それでは、おみくじでもお授けください」と申すと、金光様は
「それは信心しだいのもの。まずは、そんなことをせずに、信者に理解をしてやればよい」
と教えてくださった。(4)そこで、「その理解の方法を承りたいものです」と言うと、金光様は、
「理解は、その時その人についてするものである。あらかじめ、こうこうせよと、方法を授けるわけにはいかない。何も、そのように心配することはない。ただ一心に信心していれば、しぜんにわかってくる。
(5)人を頼まずに、父の跡を継げ。神様が教えてくださる。思ったことを、そのままに話してやれ。神様が合わせてくださればよいであろう」
と仰せくださったので、決心を定めて、道のご用を継ぐことになった。

■ 理2・二代白神新一郎・2

「世に神を信ずる者は多くあるが、真に神様のおぼしめしにかなった者は、これまで三人を数えるだけである」
と仰せられた。(2)私が「三人はだれだれでございますか」と伺うと、金光様は、
「その一人はその方の父である。他の二人はまだ生きているから名を明かせない。その方の父は、もう心が変わらない人となったが、生きている人間は、どのような機会に心変わりをするかもわからないから、今、それを言って聞かすことはできない」
と仰せられた。

 

..塩飽きよの伝え

■ 理2・塩飽きよ・1

金光様が、
「もとの神代に立ち返るのである」
と仰せられた。そのみ教えについて私どもは、「信心していれば、おかげを受けて、みなが神様にでもなるのであろう」と話し合っていた。(2)ある連れの婆さんは、「みんな、神道にでもなるのであろうか。神道になると、死んだ者は神様としてまつることになるという。そういうもったいないことはできないなあ」などとも言っていた。

■ 理2・塩飽きよ・2

ある時、「私は長らく信心させてもらっていますが貧乏で困ります」と申しあげたら、
「貧乏といって、食べない時があるか」
とおたずねになった。「いや、食べられないことはありません」と申しあげたら、
「いくら金や物を積み重ねていても、食べられないことがあってはどうにもなるまい。まめで麦のご飯が食べられれば、それが分限者ではないか」
と仰せられた。

■ 理2・塩飽きよ・3

夫は富岡で綿打ちをしていたが、あまり仕事が繁盛しないので、ある日、仕事を休み、弁当がけで、お初穂を持って参拝した。その時、
「氏子、神は徒手タダテ(何もしない手)を持たせはしない。暇のないようにしてやろう」
とご裁伝があった。それからは、いつも仕事があった。

 

..杉田つねをの伝え

■ 理2・杉田つねを・1

娘のひさよは生来体が弱く、かぜをひいては困っていたが、十歳のころ、ついに、ぜいたん(ぜんそく)持ちになった。讃岐に灸の名人がいることを人づてに聞き、娘を連れて灸点をおろしてもらいに行った。その時、大小二十も点をおろし、帰ってからも、毎日五つずつすえるのであった。すえられる娘も、すえる私も、つらくて泣き泣きすえていた。
(2)そのころ、家で織った白木綿を買ってくれる婆さんが、大谷に金光様というありがたい生神様があって、どんなことでもおかげがいただけるという話をしてくれ、私は、その翌日すぐに金光様のお広前にお参りをした。(3)すると、金光様は、
「一心になればおかげがいただける。子供の体に火をつけるということがあるものか」
と教えてくださった。(4)私は、艾など、お灸の道具を川に捨て、毎日三里の道をはだしでお参りした。だんだんと娘もおかげをいただき、十日後には一緒にお参りができるようになった。

■ 理2・杉田つねを・2

ある年の節季に夫の腹が急に痛みだした。私は正月の朝、祝いをすませてから大谷にお参りし、お届けした。すると、金光様は、
「これは運がよい。普段の時に寝ると仕事などにさしつかえて困るが、正月は、みなが遊んでいるのであるから困らないだろう。それだから運がよいと言ったのである。帰ったら治っている」
と仰せられた。帰宅してみるとそのとおりで、痛みもとまり、おもちがいただけるようになっていた。

■ 理2・杉田つねを・3

息子の下痢の時、私が「医者につかなくてもよい。一生懸命お願いするから治る。医者につくのが良いか悪いか、お願いして来る」と言ってお参りをした。金光様は、
「お剣先(ご神米)を黒焼きにして、薬と思っていただけば治る」
と仰せられ、そのとおりにして全快した。

 

..杉田政次郎の伝え

■ 理2・杉田政次郎・1

私が信心をしていると、親兄弟、親戚、友達、近所隣は申すまでもなく、みな、私が信心することに反対して、大攻撃をした。家内は絶えず病気になり、商売は暇になり、どうしようもないので、信心にいっそう励み、近藤藤守先生の広前に日に何度となく参拝していた。
(2)そのころ、大阪の大今里村の吉原留吉という信者がね私が別段に頼みもしないのに、金光様のもとへ参詣した時、「金光様、杉田という人は日々広前に参り、月三度のお祭り日には朝から広前に詰めてご用をしております。それなのに、しだいしだいに家の者が病気になり、まことに難儀なことが続きますが、どういうことでしょうか」とお伺いしてくれた。(3)その時、金光様は、
「吉原さん、帰ったら杉田さんに言ってあげてくれ。年の若い間に、神様はめぐりのお取り払いをしてくださるのである。年が寄ってからのお取り払いでは、体がもたない。一つでも若い間に、めぐりのお取り払いをしてくださるのであるから、ここが辛抱のしどころである。今はあせってはいけない。
(4)梅の木は、年に三尺も伸びるけれども大木はない。楠は年に一寸しか伸びないけれど大木になる。今あせらないようにせよ。末で枝葉が栄えて大木となる」
とご理解くださったと聞いた。(5)私は何物にもたとえられないほど心うれしく思い、勇ましい心が出て、困難の山坂を歩み、月日を暮らした。

 

..杉原岩助の伝え

■ 理2・杉原岩助・1

二十五歳ごろから脳が悪く、三十一歳の二月ごろ、金光様のもとへ参ってお願いすると、
「信心するがよい。一週間でおかげが受けられる」
と仰せられた。(2)七日目に鼻血がかなだらいに二杯出、あかえいの肝のようなものが混じって出た。朝から十時ごろまで出続けて、気分が確かになった。翌朝また、かなだらいに半分出た。その後七日ほどしたら、気分がすっかりよくなった。

 

..鈴木てふの伝え

■ 理2・鈴木てふ・1

売薬行商をしていたころ、山口県地方へ行商に行って、血塊(体内に血の塊ができる病)を患った。土地の人に大谷の生神様を教えられ、明治十四年六月十一日、はじめて金光様に病気のお願いをしていただいた。その時、
「一心になれ。おかげはいただける」
というお言葉をいただいた。(2)この時から向明神(藤井きよの)様のお宅に泊まって、一心に信心さしていただき、おかげで血塊が溶けて下った。血塊の毛の長さは一寸四分であった。その毛を金光様にお目にかけたら、
「その方は、若いのに、よくこれまで信心した」
と言って大いにお喜びくださった。(3)これは同年九月一日のことであった。大神様に、白木の三方二つ、かがみもち二重ねね幟一本を供えてお礼申しあげた。(4)この時、金光様から、
「加持祈祷、まじないごとは、いっさいいらない」
というお言葉をいただいた。(5)次に、
「自身がおかげをいただいた喜びに、万人を助ける心になれ」
というお言葉をいただいた。その後約一か年、向明神様のお宅におらしていただき、お道に入らしていただいた。

 

..砂田喜代松の伝え

■ 理2・砂田喜代松・1

はじめて参拝した時、
「とにかく、しっかり信心せよ。おかげは心にある」
と仰せられ、ご直筆をくださった。

 

..角南佐之吉の伝え

■ 理2・角南佐之吉・1

長男の平次が四歳の時に頭を病み、ある人にすすめられて五蟠出社青井サキさんの広前に参ったら、「あなたの信心一つで、おかげは受けられる。この神様は、拝んで助かる神様ではない。話を聞いて助かる神様である。心で何でも願えば、おかげをくださる」と言われ、妙なことを言われると思いつつ信心していた。
(2)青井さんに連れられて、連れの人々とともに、明治十一年の冬、はじめて金光様のお広前へ参拝することになった。途中、金光様は何でも見抜き見通しであるということから、「狐か狸でも使っておられるのであろうか」などとうわさしながら参った。(3)青井さんが金光様に私のことをお届けしてくださり、「おかげが受けられるでしょうか」とおたずねすると、
「氏子一人捨てるわけにはいかない。後のおかげを受けるがよい。さて、此方が狐を使うと言う者があるが、狐を使うなら、百人参れば百匹、千人参れば千匹使わなければならないな」
と仰せられた。(4)青井さんが、さらに、「この人の家には罪が多いに相違ないと言われるのですが」と申しあげられたら、
「家の内で罪をこしらえないようにしないといけないな」
と仰せられた。(5)「どのようなわけで、そう言われるのですか」とお伺いすると、
「うちの者が夜寝て体は休めても、その方のために、夜、心を休めることができないと、ご無礼になる」
と言われ、それから帰ってよく考え、得心がいって神様におわび申しあげた。

■ 理2・角南佐之吉・2

長男の平次は亡くなったが、次の娘からはおかげを受けられるようになった。その娘ができた時お参りして、「金光様、今度は女の子ができました」と申しあげたところ、
「ああ、そうか。それでも、女の子の十五にはかかれるが、男の子の十五にはかかれないからな。女の子の十五には二十の養子ができるが、男の子の十五には二十の嫁はもらえないからな」
と仰せられた。(2)また、その時、金光様は、
「罪という罪は、車の輪が回って来るようなものである。壊れた箇所があると、踏んでおれば、また回って来る。それでは子供が育たないから、信心をしなければならない。力を入れて信心をせよ。力を入れないと、どうにもならなくなるから」
とみ教えくださった。

■ 理2・角南佐之吉・3

「その方は何でもしてみよ。何でも、一つは修行のためにしてみよ」
と仰せられたので、卵買い、鰻買い、鯰買い、酢売り、醤油売り、牛博労、馬博労など、あらゆることをしてみた。それが、後、お取次をするようになって、だんだん参考になった。

■ 理2・角南佐之吉・4

信心が篤くなるほどお試しがある。お試しがあるのはおかげである。

■ 理2・角南佐之吉・5

兄の財三郎サイサブロウが養子に行った小林の家は日蓮宗であった。兄は日蓮宗の方にも相当信心をしていた。お題目を唱えると堂々としていた。養母の遺骨を携えて、九州の清正公様(発星山本妙寺)に千が寺姿(巡礼姿)で下ったこともあった。
(2)明治十一年、兄は病気をしたが、十日目に全快したので、兄を伴ってお参りした。その時、金光様は、
「今日は兄が弟で、弟が兄になって参ったなあ。これからは、兄は兄、弟は弟になって信心せよ。神様をお頼み申して、めぐりということを放れさえすればよい」
と教えてくださった。

■ 理2・角南佐之吉・6

ある時、青井さんらと金光様のお広前へ参った。途中、玉島辺から青井さんが足を痛め、みなに助けられて、ようやく広前にたどり着いた。だれも何も言わないのに、金光様は、
「親の心を子が知らない。親神様も涙を流しておられる。親の心を知っておかげを受けよ。すぐ、おかげが受けられる。明日は足もよくなり、帰られるようになる」
とみ教えになった。(2)それを聞いて、青井さんは泣きながら、「恐れ入りました。実は、今朝立ちます時、母が後掛草履アトカケゾウリの用意をしてくれまして座敷にならべましたので、縁起でもないと怒って蹴散らし、土間から履いて参ったということがありました」とおわび申しあげた。翌日は、み教えのとおり元気になって帰ることができた。

■ 理2・角南佐之吉・7

光政村字小仕切コジキリの小原利七という人が、家に病人が絶えないので、「たてこみ金神のしわざであろう。封じていただこう」と言って、五色の紙を買い、それを持って私とともに参拝した。金光様は、
「私は神を封じる力はない。どこか、よそへ行って封じてもらってくれ」
と言って笑われ、
(2)「意地の悪い者を金神というが、一家の内に意地の悪い者がいると、またい(おとなしい)者が病気になる」
と仰せられた。(3)私は、その家に非常に意地の悪いばあさんがいることを知っていたので、ああ、なるほどと、よくわかった。それから後、そのばあさんが亡くなってから、病人が出ないようになった。

■ 理2・角南佐之吉・8

父も私も気性が荒く、いつも意見が合わなかった。その時も何かのことで争い、参拝したところ、金光様はお書付(天地書附)をくださり、「おかげは和賀心にあり」について、
「和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である」
とご理解をしてくださった。(2)身にしみてありがたく感じ、帰って、翌朝、父に向かい、「お父さん、私が悪かった」と泣いてわびると、「お前がそういう心になったか。そういえば、わしが悪かったのだ」と父も泣いて喜ばれ、また母も、「私の梶の取りようが悪かったのです」と言い、三人が泣いてわび合った。それからは何も言い争うことがなくなり、私の仕事を父も快く手伝ってくださるようになった。

■ 理2・角南佐之吉・9

大本社に注連柱二組をお供えしようと、大喜田喜三郎さんらと相談して、山本という酒店で三百円を借って造らせた。ところが、できあがったものが粗末で、世話をした者が金を横領したとのうわさが立って、寄付金が集まらなくなってしまった。私がその責任を問われ、未決(留置場)にまで入れられたが、金を調達することにして許された。
(2)そこで姉婿に金を借りに行ったが、大阪に行って留守中でらちが明かず、帰途、道端に座り、西方へ向かって金光様に泣きながらお願いした。そこから帰っていたら、光政村字小仕切で藤原万三郎マンザブロウという人が、「どこへ行かれたのか」と話しかけてくれたので、事情を話すと、「それなら私方に、ちょうど人から返してもらった金があるから貸してあげます」と言って貸してくれた。それに加えて私も田地三反ばかりを売って、その借金を払った。(3)そして山本酒店から取りもどした証文を持って金光様のもとに参り、お届けしたら、金光様は、
「よいことをしたなあ」
と仰せられた。(4)私が、「この証文を持っていて、金を横領した者に金ができたら取り返してやろうと思います」と申しあげたら、
「もう、そのようなことはするな。罪ほろぼしをしたと思って、証文は神様に供えておけ」
と仰せになり、そのとおりにした。金光様は、
「辰の年(角南佐之吉)、これでおかげが受けられることになる」
と言ってくださった。

■ 理2・角南佐之吉・10

光政村の某には盗癖があった。その者がある時、連れの者らと一緒に金光様のお広前に参拝する途中、玉島西方の堤の上で、普請用の材木につまずき、川の中に落ちてけがをした。(2)それを私が金光様にお届けし、お願い申したところ、金光様は、
「天の鏡ということがあるが、神様のみ心には、氏子がすることは善いことも悪いこともみな、鏡に物が映るように映るのであるから、悪いことをしてはならない。私がおわびをしてあげる。明日は、よくなって帰れるようになる」
と仰せられ、ともに参拝した者はみな恐れ入った。某も、それから改心した。

■ 理2・角南佐之吉・11

ご帰幽になる二十日くらい前、青井さんら四、五人と、金光様のお広前に参った時、
「少し泊まって帰ったらどうか」
と仰せられた。(2)その時、金銭の用意がなかったので、「帰ります」と申しあげたところ、
「信心に力を入れよ。先では喜ぶことがあるからなあ」
と仰せられた。その時、金光様のお姿は少し衰弱しておられるように見えた。

 

..千田志満の伝え

■ 理2・千田志満・1

子供がないのを苦にして、ある時は四国八十八か所を巡拝し、ある日は石の地蔵様を抱いて寝たこともあった。その後、林村の金光梅次郎さんのもとに参拝し、教えを受けた。(2)その人に連れられて、明治のはじめごろ、はじめて金光様にお会いした。金光様は、その時、
「子供を授けてやるから、手厚い信心を続けよ」
とお諭しくださった。

■ 理2・千田志満・2

ある日のこと、かねて金光様が子供を授けてやると、お約束くださったことについて、おたずねしたところ、金光様は、
「子どもは授けてあるはずである。芝居を見ても、子を持って泣く芝居はあるが、子がなくて泣く芝居は見たことがなかろう。そなたは世の中の人をたくさん助けて喜ばしている。そなたには、腹を痛めないで、教え子という子を幾人も授けてあるはずである」
と仰せられ、何とご返事申しあげてよいかわからず、ただ感泣するだけであった。

■ 理2・千田志満・3

ある日、出社の三村佐野さんとともに金光様のみもとに参拝した時、三村さんが「金光様、私はこれまで広大なおかげをいただいていますので、何か神様にお礼をさしていただきたいと思いますが、何を奉ったら、この神様は一番お喜びくださるでしょうか」とおたずねした。(2)金光様は、
「三村さん、神様にお礼をするのに物を奉ってすむのならば、これまであなたが神様のおかげを受けられたそのお礼には、何もかも奉っても足りはすまい。神様はそんなものをお喜びになるのでもなく、また望んでおられるのでもない。(3)あなたがおかげをいただかれたことを、神様のありがたいことを知らない世の中の人々に教えてあげよ。そうすれば、その人々が助けられ救われる。それが神様の一番喜ばれるお礼である」
と仰せになった。

 

..千田種治の伝え

■ 理2・千田種治・1

稲を作るのに、よその稲がよくできているから、うちのもよくしようと思って一度に肥やしをやると、青返って何にもならないことになる。信心も同じことで、平生からしておかなければ、いざ、病気という時に、間に合わないことになる。

■ 理2・千田種治・2

「秋の田の刈り穂寂しく悲しきはおのが真の足らぬ恥なり」
と金光様は口ぐのように仰せられていた。

 

..高橋富枝の伝え

■ 理2・高橋富枝・1

汚い所もきれいな所も死人の所も、日天四は平等に照らす。金神も平等に守る。したがって、天地の神は不浄汚れは忌まない。

■ 理2・高橋富枝・2

人間は、ものを知ると慢心をして、人を見下す。三宝様は実が熟すほどかがむ。三宝様を粗末にすれば目がつぶれるというであろう。麦や米の名が三宝様ではない。三宝様とは、日天四 月天四 金神のことである。

■ 理2・高橋富枝・3

道端の地蔵でも、礼拝して通れ。けっして乗り打ちにしてはならない。「金神の氏子は教えがよいから私の前でも拝んで通る」と喜んで、地蔵としての力だけの守りをくれる。(2)薮神でも小神でも、粗末にして無礼をすれば、腹を立てて、出来物でも出す。小神は小神だけの当たりをつける。天地の神に無礼粗末をしては、立ち行かない。

■ 理2・高橋富枝・4

丑寅未申は金神の通りかう遊び場所、楽しみ道である。それに向かって亭主が知って無礼をすれば、主から取って七墓築かす。(2)丑寅未申鬼門金乃神大明神とあがめて断りを願えば、氏子の勝手のよい所へ普請作事をさせてやる。(3)大小便所を、ほかにする所がなければ断りを頼め。許してやる。

■ 理2・高橋富枝・5

此方はほかの者とは違う。此方に頼んで、神が世に現れる。ほかの者は身の難儀を神に頼み、神のやっかいになって信心して、おかげを受ける。(2)世の人が、金神は悪神邪神であると恐れをなして、逃げとけよけとけ回っとけと、明き方ばかりを選んでいるから、この度は神が負けて、福神、金乃神となって世の人を助けてやる。(3)此方がいなければ、神も芽吹くことはない。

■ 理2・高橋富枝・6

「ご裁伝については百人百色に説く」
と仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・7

「お互いに、もとをとって道を開く者は、あられぬ行(人のしない修行)もするけれども、これから後の者はそういう行をしなくてもよい。みやすくおかげを受けさせる」
と常に仰せられていた。

■ 理2・高橋富枝・8

おかげを安売りしてくれるな。祈念祈祷に出歩くなど、不見識なことはするな。隣同士でも拝みに行ってはならない。参って来る者だけを助けておけ。

■ 理2・高橋富枝・9

「私は厄年に四国を巡って、戸閉てずの庄屋というのへ泊まったが、土間の敷居に鎌とかんなとが置いてあって、みんな、それをけずって、いただいて帰るので、私も、それをけずって、いただいて帰った。どうも、あらたかなものである。(2)私も、神様が戸を閉てるなと仰せになるから、戸を閉てない。あなたも、これから家を建てても戸を閉てるな。かやもつらないようにしたいものである」
と仰せられた。(3)そのころ、金光様のお広前でお話をいただく間は、金光様も私も蚊にちっともさされなかった。

■ 理2・高橋富枝・10

金光様は門の敷居に板を打って、戸の開け閉めができないようにされた。そのことについて、
「神の家には戸を閉めるようなことではならない。氏子は、いつ参って来るかも知れない」
と仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・11

金光様は、
「きれいな婦人が参って来たので気を取られるようなことでは、神のご用は勤まらない」
と仰せられ、金光様と笠岡の金光(斎藤重右衛門)様と私の三人は、三年間、夫婦別間の修行をした。

■ 理2・高橋富枝・12

走り人(逃げた人)、家出人のお伺いはするな。人は障子一重がままならない身である。家出人が障子の内にいて、こちらがそこへたずねて行っても、いないと言われればしかたがあるまい。走り人がどこそこにいると言っても、その人がまた他の所に行けば、いないようになるであろう。足どめを願ってやれば、そこにいるか、またはもどって来るかする。

■ 理2・高橋富枝・13

子守りの意地(機嫌)が悪ければ、背の子も意地が悪い。神の取次をする者は、心を清浄に、身持ちを正しくせよ。神の前立ちと子守りとは同じことである。

■ 理2・高橋富枝・14

母千代が参拝した時、金光様は母に、
「親が呼ばない名は人も呼んでくれないから、その方から明神様と呼んでやれ。親子とは思うな。神の守りに取るから、神と思え」
と仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・15

神を本気で拝むには、柏手を打って神前に向かったら、たとえ槍先で突かれても後ろを振り向いてはいけない。物音や物声を聞くようでは、神に一心は届かない。(2)たとえば、どら打ちが走っているのを後ろから呼んでも、振り向きもせず先へ行くであろう。あれが本当の一心である。それくらいの一心を定めなければ、神に伺いはできない。

■ 理2・高橋富枝・16

竹本嘉十郎という人が息子の大病の時、本社に参ってお神酒をいただいて帰ろうと思い、参拝した。その時、金光様はご裁伝で、
「辰の年、酒は酒屋のほぞにある。此方の酒が効くのではない。(2)その方の所の出社を何と思っているのか。その方は、若い婦人と思って軽しめて、子守りのように思っているであろう。その婦人は此方の出社であり、金神の眷族である。神と尊め。(3)おかげを受けるのも受けないのも、その方の心にある」
と仰せられた。(4)嘉十郎は恐れ入って帰り、私の所へ、「御神酒をいただかせてください」と言って参ってきた。そうして、病人は間もなく全快した。

■ 理2・高橋富枝・17

神を拝む時に手を振ると、のりくら(神がかり)と言われる。大切な物は、蔵に入れるというであろう。のりくらというのは、神が体に入って、神に取ることである。手がいさむ(震う)と、のりくらのように言われるから、手を組んでおればふるわない。

■ 理2・高橋富枝・18

「おみくじだとか、のりくらだとか言うが、のりくらとは、神が蔵に取るので、守りが神になるのである。しかし、のりくらのりくらと言われてはよくないから、そう言われないように、神名をつけてやるのである」
と金光様は常に仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・19

神様には、金神様のお土地からできた穀物を、日天四様の火で蒸し、月天四様の水を加えて三宝様のともどものお力でできるお神酒を供える。世に、水と火とは相性が悪いというが、水を火でたくように、水と火との相性はよい。

■ 理2・高橋富枝・20

祓ということは、罪汚れを払うということで、罪汚れさえなければ祓をあげるにはおよばない。

■ 理2・高橋富枝・21

「狐狸と言われても、こらえておれ。烏や雀が糞をかけても、神は何とも言いはしない。神の前立ちとなってお取次をするからには、神の心になっておれ。たとえ胸を掻き裂くように思うことがあっても、こらえておれ。神ということを知らないために言うのであるから、こらえてやれ」
とのご裁伝があった。

■ 理2・高橋富枝・22

文久三年、笠岡(斎藤重右衛門)が牢に入れられたが、その後、笠岡と私とが一緒に参った時、
「今は徳川の時代であって、石垣を積んだようにぴりっともするものではないが、三十年先では世も変わり、この道が貫く。神は守りが徳をいただくまで待つ」
とのご裁伝があった。

■ 理2・高橋富枝・23

笠岡が牢に入れられた事件の後二年くらいたったころ、金光様が、
「この道も今はこのように世に立たないけれども、守りの修行ができるまで神は待つ。今から三十年先で道は開ける。それまでは、たとえその方の身にはぼろをまとい、かゆの湯を吸っていても、修行をして時を待て」
と仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・24

三年辛抱せよ。三年また三年、十年一昔すれば、よほど徳がつく。しだいに先を楽しめ。

■ 理2・高橋富枝・25

「道を開くといっても、目上の者から開くのならみやすいが、匹夫、下郎の俗人であるから、ものがむずかしくて暇がいる。神様のおかげで開かせてもらうのである。時を待たなければならない。此方ももとは肥かたぎであるから、あれこれと疑われたりするけれども、辛抱していく間に徳をいただくのである」
と常に仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・26

道を立てる者は、目先の欲を放して末の徳を取れ。どれほど艱難苦労をしても、人の杖とも柱ともなるがよい。

■ 理2・高橋富枝・27

信心の道を立てる者は、人が悪口を言っても腹を立ててはならない。堂宮の上に雀や烏が糞をかけても、黙って神は耐えている。人には負けて、後を勝て。相手に取ると五分五分である。

■ 理2・高橋富枝・28

常にかみしもを着けた心になっておれ。

■ 理2・高橋富枝・29

金光様は、よく、
「人はみな、金神様を、逃げとけよけとけ回っとけと言うが、それはいけない。よくお断りとお願いとをして何事もさしていただけ」
と教えられた。

■ 理2・高橋富枝・30

明日塩辛を食べるからといって、今日から水を飲んで待つわけにはいくまい。取り越し苦労をするな。

■ 理2・高橋富枝・31

水を大切にせよ。渇水といえば、手くぼの水もあるまい。水を粗末にすると水の罰が当たる。

■ 理2・高橋富枝・32

黒住にはお水をいただくけれども、此方には、金神の地から生じて、日月の雨露によって実る米をもって造るお神酒をいただかす。どこの神々でも、お神酒を供えない神はない。

■ 理2・高橋富枝・33

木のもとへ肥をやれば、枝振りまで栄える。ご先祖や親を大切にすれば繁盛させてくださる。

■ 理2・高橋富枝・34

何事も神様に伺ってすれば失策はない。神様に伺ってわからない者は、親に伺ってせよ。

■ 理2・高橋富枝・35

物を売るにも値つじ(最高値)を売るな。あの家の物を買って損をしたと言われる。七、八合のところを売れば、あの家で物を買って少しでももうかったと喜ばれる。

■ 理2・高橋富枝・36

娘が嫁に行って、節季に鰤を親もとへ持って来ても、明くる年に頼母子講の借金のことを言って来るようでは、親が心配するであろう。

■ 理2・高橋富枝・37

よい水を飲ませなければならないといっても、ない時には田の水でもすくって飲ませよ。それが気つけとなっておかげがいただける。

■ 理2・高橋富枝・38

わが子の病気でも、かわいいかわいいと思ってうろたえてはいけない。言うことを聞かない時は、憎いと思ってたたくであろう。どうなってもままよと思ってほっておくような気になって信心をしてやれ。おかげが受けられる。

■ 理2・高橋富枝・39

病気で寝ている人を見舞うにも、お食事ができますかと言ってたずねる。命メイは食にありということがある。食事ができないと、根コン、精が切れる。食物がいただけなければ体がもたない。

■ 理2・高橋富枝・40

千俵の俵を積んでいても、病気では食べられない。たとえその日暮らしの身でも、まめ息災であれば、麦飯でも大根飯でも味よくいただける。常に丈夫達者を願え。

■ 理2・高橋富枝・41

つわりということは、ないようにしてやる。食事がおいしくなくなると、根が衰えて親も弱り子も弱る。親が食事をおいしく食べて達者であれば、産もみやすい。(2)腹帯をするな。子孫の種取りであるから、腹帯をして親も苦しみ子も苦しんでは、よい子孫はできない。(3)産後でも平生のとおりに足を伸ばして寝よ。体を自由にしてよく寝れば、血もよく巡って血の道はつかない。窮屈に座っていれば血の巡りも悪くなる。夜もろくに寝られず、うとうとして、血の道がつく。(4)よかり物に寄りかからず、神に寄りかかって、丈夫、肥立ちを願え。

■ 理2・高橋富枝・42

夫婦の交わりをするといっても、月の三日の一日、十五日、二十八日、月の祭り日の十日、二十二日、二十三日、二十四日と、節句日、氏神の祭り日を慎め。そこで夫婦思いそろって改まり、信仰せよ。
(2)明き方に向かって産をせよと方位家などは言っているが、これからは金神のお棚の方に向かって産をせよ。産に失敗はさせない。

■ 理2・高橋富枝・43

夫婦でも親子でも、言いたいことはあろうけれども、耐えておれば治まっていく。

■ 理2・高橋富枝・44

此方には百姓のことからさして見せたが、その方は婦人であるから、布のことからさして見せる。

■ 理2・高橋富枝・45

縁組みをするといっても、心がそろわないといけないから、お道の者はお道の者同士やり取りをするがよい。だんだんお道も開けていけば、縁組みの範囲も広くなる。牛は牛連れ、馬は馬連れ。

■ 理2・高橋富枝・46

慶応三年に参拝した時、
「その方は一人暮らしをしようと思っているけれども、一人では、一代仏と人が言う。神は一代仏と言われるのを嫌う。子孫がなくては神の機感(み心)にかなわないから、夫を迎えよ。十年若く見せてやる。二十一歳と思え」
と仰せられた。(2)明治元年の暮れ、金光様にお伺いして夫を迎えた。翌明治二年正月、夫婦同道してお礼参りの時、金光様は、
「夫婦というものは膳の上のはしのようでなければならないから、亭主にも今日から金子大明神という名を授けて、徳を持たせてやる」
と仰せくださった。

■ 理2・高橋富枝・47

氏神様には、太鼓をたたいてたいそうなことをしておまつりをするが、天地の神からは日々のおかげを受けておりながら、その祭り日にも特別のことはしないで、ろうそく一本を供えるくらいのことである。(2)白いご飯を炊いて、おなますでもつけて供えるようにせよ。そうすれば子供でも、お母様、何事ですかと言って聞くようになる。わけを話してやると、天地の神のご恩を知るようになり、大きくなって、だんだん自分でも尊ぶようになるから、そうせよ。

■ 理2・高橋富枝・48

九日十日は、守り、眷族の祭り日である。眷族と言っても、狐狸は連れない。

■ 理2・高橋富枝・49

金光様は、
「豊かでない人たちから少しずつの金を集めたりして、宮の建築などをしてくれるな。神はうるさい。日本国を助けていってみよ。千両箱が万ほどもある者が助かれば、一箱ほどのお供えは何でもあるまい」
と仰せられ、(2)私がご寄付をした時、
「金一封とせよ。金目を出すと、それだけになって、後のおかげが受けられない」
と仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・50

私がはじめて参拝した時、すでにご神米を下げられるようになっていた。
「神米は手を漬けずに七へん洗うもので、それでしゃんと水が澄む。それを干しあげたところで、お下げしたお神酒をかけて、再び干すものである」
と金光様から教えられた。

■ 理2・高橋富枝・51

頼まぬ門は守れぬ。

■ 理2・高橋富枝・52

あなた方でも、いつごろお死になさるかと人がたずねても、言ってはならない。先のことはわかりませんと答えておくがよい。死ぬ日を切るのは、神様もお喜びにならないから。

■ 理2・高橋富枝・53

「此方も生き通しというわけにはいかない」
とは、亡くなられる三年前から、正月ごとに教えられた。
(2)「たびたび参って来て、教えを聞いて、人に伝えてくれ」
と仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・54

先の世のことについては、
「わからない」
と仰せられた。

■ 理2・高橋富枝・55

徳のないうちは心配する。神徳をいただけば心配はいらない。

■ 理2・高橋富枝・56

疑心のある者が参れば、
「此方の言うことを真に受ける者には、そのとおりのおかげを差し向けてやるが、あれが何を言うかと思っている者は、おかげは受けられない。どちらでもせよ」
と厳しく仰せられた。

 

..竹田与十郎の伝え

■ 理2・竹田与十郎・1

私は明治十五年九月まで三か年間、肺病のため大いに苦しんでいたが、由宇村の唐樋常蔵先生に頼って非常なおかげをいただき、病気がたちまち治ったので家内とともに無常の喜びを味わった。そこで翌十六年二月、御本社へ唐樋先生に伴われて参拝し、直接にご神訓を頂いた。
「一心におかげを受けて、二心にならないようにせよ。信心すれば長命ができる」
とみ教えくださった。

 

..田辺民五郎の伝え

■ 理2・田辺民五郎・1

はじめ、妻が信心して子明神という神号をいただき、出社となっていたが、明治六年六月二十九日に死去したので、その旨を金光様に申しあげたところ、
「民さん、百姓をやめて、神様に身を任せてしまって、人を助けたらどうか」
と仰せられた。(2)「百姓が大切でありますから」と申しあげたら、
「その方は、おもな者が百姓をやめては、食べられないようになると思うであろうが、食べられれば食べる、食べられなければ食べないという気になったらどうか」
と仰せられた。(3)しかし、なおご辞退したので、
「それでは、いつまでも百姓をするがよい」
と仰せられた。

 

..田淵愛造の伝え

■ 理2・田淵愛造・1

日柄方位はいらない。いつでも普請はできるから。方角を見て、ぐるぐる回っておられる留守をねらって建て、今度回って帰られた時には取りのけるのか。(2)人間でも留守の間に門先へ黙って物を置けば、帰って来た時に、「けしからん。だれがこれを置いたのか」と言って蹴散らす気にもなるであろう。それを、在宅の時に、「これを少しの間ここに置かせてもらいます」と言っておいてみよ。晩に遅くなれば、「これは、こうしておいては」と言って取り入れて守りをしてもくれる。
(3)神様も同じことである。留守ばかりねらわないで、おられる時に断わって建てよ。「ここは丑寅であるから」と言ってあけておくようではなるまい。丑寅へ百間長屋でも建てるようにならなければなるまい。使い勝手のよいのが、よい家相である。

■ 理2・田淵愛造・2

娘が生まれて、口を利くことが少し遅かったので、そのことをお願いしたら、
「それもそれであるが、まだ願うことがあろう。かかる子がいるであろう」
と仰せられ、そのおかげを受けて長男金一が生まれた。

■ 理2・田淵愛造・3

神様へ願うには長いお願いはいらない。今月今日で頼んでいけ。朝起きたら夜中のお礼をし、その日のお願いをせよ。夜になったら、その日のお礼をし、夜のお願いをせよ。今月今日で毎日達者であったら、それでよいであろう。

 

..田村忠平の伝え

■ 理2・田村忠平・1

体にはぼろを着ても、心に錦を着ておれ。信心は正直がもとである。

 

..津賀某の伝え

■ 理2・津賀某・1

岡山から参拝していたが、ある日、
「昼参って家業をおろそかにしては信心にならないから、晩から出て来て広前に一晩泊まれ。蚊は神様が追ってくださる。夜中に帰ると疲れて明日の仕事にさしつかえるから、朝早く帰れ」
と仰せられた。

■ 理2・津賀某・2

ご普請用の屋根をふく桧皮が朽ちかかっているので、「金光様、早くふかれてはいかがでしょうか。くさってしまいます」と申しあげたら、
「くされば、また実になって生えるから、ほっておくのである。時節を待っているのである」
と仰せられた。

 

..津川治雄の伝え

■ 理2・津川治雄・1

私だけでなく、すべての人々が神様のお力を受け、おかげをいただいて、金神様に叱られることがなくなったらよいのにと思う。
(2)私は信心し始めてからまだ浅いが、ほぼ、金神様はお叱りになる神様ではないということがわかった。そこで、あなたも私と一緒に信心していってはどうか。(3)人であるからあくびはつくが、信心にあくびがつかないように心がけ、わがことは次にし、人の助かることを先にお願いしていくがよい。そうすると、自分のことは神様がよいようにしてくださる。

■ 理2・津川治雄・2

「帰りにシャッポに気をつけよ」
と仰せられたことがあったが、水江まで帰り、橋を渡る時、川風がさっと吹いて来て帽子を川に落とした。くるりくるりと回って、水辺に落ちてとまった。(2)その次に参拝した時、このことを申しあげたら、
「そうか。それくらいのおかげは珍しいことではないが、人間業ではないなあ」
と仰せられた。

■ 理2・津川治雄・3

お札をくださいと願ったところ、
「お札はない。あれは人間の目当てにするもので、お札からおかげが出るのではない。神様は目にこそ見えないが、そこら辺りいっぱいにおられるので、神様の中を分けて通っているようなものである。このご神米をあげるから、願うのは壁を当てに頼んでもよい」
と仰せられた。

■ 理2・津川治雄・4

寄島辺の漁師らしい人が大病を患い、おかげで直ったが、長い間参らなかった。その後、ひょっこり参って、「金光様、久しくご無沙汰いたしました」とあいさつすると、
「はい。あなたはどなたかなあ」
と金光様がたずねられた。(2)「私はこうこうで、ご無沙汰をいたしまして」と言い、「ご普請の費用にたった十円でございますが」と言って出したところ、
「これは神様がせよとおっしゃった普請ではない。私も普請はして欲しいが、まだ時節が至らないので、あれまでになってはいても、いつ建つものやらわからない。川手(川手与次郎)がどうするかわからないが、私はご普請は当分あれまでのものであろうと思う。それなのに、その方は今こうして供えると言う。10円と言えば大金である。それを供えたところで、その効がない。それよりも、その方は病気をしたりして入用がいったであろう」
と仰せられた。(3)「はい、たくさんいりました」とその人が答えると、
「人間には薬が必要であるから、神様へ供えたものと思って、この金を使うがよい。そして、参って来るといってもいろいろと入用もいるから、この金の利子をもって参って来なさい」
と言われた。(4)その人は驚いた顔で、「私はおかげを受けましたので」と強いて言ったが、
「まあまあ、そうあせることはない。また先で供えることができるから、その時にするがよい」
と言われた。(5)しかし、その人は聞き入れないので、金光様は、
「それでは、私はご普請のことは知らないから、あなたがぜひ供えたいと思われるなら、川手へ行ってご相談なさい」
と言われた。

■ 理2・津川治雄・5

「お供えにした物は何でもいただけ。お供えにした物があたれば、ご神米もあたる。好きな物は何でもいただけ」
と仰せられた。(2)「たばこをやめようと思います」と申しあげたら、
「やめるにはおよばない。吸わせるために神様がこしらえてくださっているのであるから。私は嫌いであるから吸わないのである」
と仰せられた。

■ 理2・津川治雄・6

願い事があると、遠方からわざわざ参って来て願いを頼む人が多い。人を頼むにはおよばない。真の信心をして、自分で願っておかげをいただけ。(2)人を頼まなければ、おかげがいただけないとすれば、お取次をする者のそばにつききっていなければなるまい。神様はそういうものではない。自分で願って、自分でおかげをいただけ。

■ 理2・津川治雄・7

家老など立派な人が参って来るのに対して、応接するにはどのようにするべきか迷い、困っていたが、金光様は、
「信者に不同の扱いをするな。物をたくさんに持って来ると、その人を大切にするようなことではいけない。信心の篤いのが本当の信者である」
と仰せられた。

■ 理2・津川治雄・8

人間はみな同じように神様の氏子であるから、神様のお取次をする者は、氏子に対して不同の取り扱いはするな。人のことと思わずに、わがことと思って、不同のないように力を入れて願え。

■ 理2・津川治雄・9

人間は、生まれるときに証文を書いてきているようなものである。生まれたといったら、その時に悔やみを言いに行ってもよい。それくらいのものである。(2)どういう災難があるとか、こういう不幸せがあるとかいうことは、決まっているのである。神様はよくご承知なのである。(3)信心を強くすれば、大厄は小厄にしてくださり、小厄はお取り払いくださるのである。それが、おくり合わせをいただくということである。

■ 理2・津川治雄・10

信心するのに巧者がある。なぜかと言うと、朝から長く拝むばかりでおかげがいただけるとはいかない。千度祓とか万度祓とかは、いらないことである。たった一ぺんの心経でもよい。(2)お祓をあげていても、入り口の障子があくと、だれが来たのであろうかと思うようなことでは、何にもならない。忙しい時には、ゆっくりと拝んでいることはできない。さあ降りだしたという時に、ゆっくり拝んでいては、干してある稲や麦がぬれてしまう。忙しい時には、今日は、こうこうでございますからと申して仕事に出て、麦を刈りながらでも肥をかけながらでも、清浄な心で拝めば、それで神様はお受け取りくださる。
(3)ここへたびたび参って来なくてもよい。参って来ても、金をこれだけ使った、これだけあればあのことができたのにと思うようでは、神様にご心配をかけるようなものである。神様は親であるから、氏子が心配するのはかわいそうだと思われる。無理にたくさんの金を使って参らなくても、うちで信心しても守ってくださる。

■ 理2・津川治雄・11

津川さん、おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。

■ 理2・津川治雄・12

人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。(2)幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。(3)その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。(4)これほど信心するのにと思えば、もう、それきり信心の筋はとまっているのである。

■ 理2・津川治雄・13

手で香をたいたり断食をしたり、寒中に垢離を取ったり、好きな物を断ったりする者がある。津川さん、あなたもだんだん断っておられよう。しかし、そういうことはやめて、神様と約束を変えるがよい。そういうことは行ではない。迷いというものである。これからは食べられるがよい。(2)その代わり心を固めて、どこまでも変わらず、一升の信心でも八合の信心でも続いていくのが大事である。神様は、信心の固い者とそうでない者と、すべてご承知である。口と心が違っては、何にもならない。(3)玉というものは丸いものである。とかく転びやすくてどうにもならない。もう、ここと思ったら、それを動かさないようにしなければならない。むずかしいであろうが、そうしなければならない。(4)こうして大勢参って来られるけれども、神様の目からご覧になれば様々であろう。

■ 理2・津川治雄・14

信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らないおかげを受けることが多い。後で考えてみてはじめて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者である。

■ 理2・津川治雄・15

縁談、普請作事について、ご無礼のお断りを頼み出る人は数が多い。このお断りを申すにも、ただ、自分が叱られては困るということで、この神様を悪神のように思って願い出る者ばかりである。(2)本当のお断りは、ご無礼をしては神様に相すまないということである。

■ 理2・津川治雄・16

とかく、ものを堪忍することをよく心得ておれ。堪忍さえ強かったら人と仲違いをすることはない。(2)「ああ、ふびんなものだ。私はこうしてこらえているが、信心気のない者は、ああいうことを聞いては青い顔をするであろう。あれは、神様に願って、直してもらってやりたいものだ」という気になっておれ。

■ 理2・津川治雄・17

何事も辛抱ということが肝心である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。(2)車でも心棒が弱ったり折れたりしたら、車が回らない。信心ばかりではない。人間の業では何事も辛抱が肝心である。辛抱をせずに幸せを得た者は、あまりない。漁師でも農民でも商人でも、辛抱のない者は出世はできない。漁師や農民には風雨の天災があり、商人は損をしたりして、不幸せなことがある。それを辛抱していかなければ、よいことにはなれない。
(3)これと同じことで、信心するにも辛抱が大切である。その証拠には、神様のお扉を開いてみよ。ご幣か、み鏡のほかは何もない。ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。(4)神様からおかげが出ると思わずに、信じんからおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。

■ 理2・津川治雄・18

「信心する人は、第一の心得が、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家内の不和を起こす。人と仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を捨てる者がある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ」
(2)このご理解があって数年を経た後に、
「あなたは、ものの堪忍をよくされるから、神様も非常におほめになっている。結構なことであるが、もう一つ進んでおかげを受けるがよい。(3)神様が『申の年(津川治雄)はよく聞け。堪忍はよくするが、腹の立つのをおさえこんでいる。そのおさえこむので気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないというようにせよ。そうすれば、身の薬である』とおっしゃる」
と仰せられた。

■ 理2・津川治雄・19

このお広前へある山伏が来てかれこれしたことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれしてはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。(2)それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。ご承知のとおり、今日なくなっても明日はまたあがる。神様というものはお気のよいものである。(3)そして、その山伏は何もないようになる。この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子、先で合点せよ。

■ 理2・津川治雄・20

「津川さん、あなたもよく堪忍なさる。神様が感心しておられる。それでなければならないが、もう一つ進むがよい」
「はい、どのようにでございますか」
(2)「あなたは、腹が立ってもこらえてこらえて、それを腹の中へおさえこんでおられる。それではわが体をこわす。もう一つ進んで、腹の立つことを知らないということになるがよい。それには、悪いことがきても、『これは自分が犯した罪のめぐりか、先祖が犯した罪のめぐりであろう。これで、一つめぐりを取り払ってもらうのだ』と思うがよい。また、それに相違ないのであるから」
と言われた。(3)恐れ入った。そして、困った。なかなか信心はできるものではないと思った。

■ 理2・津川治雄・21

金吉様が道楽で、総社で女やばくちにふけっておられたが、金光様は、いっこうお嘆きなされなかった。(2)ある時、相撲取りが素足でわき差し一本差して来、「金光様というのはあなたですか」と言った。私は大刀と小刀を横に置いて金光様とお話をしていた。(3)「金吉というのはあなたの息子かな。どこにいる」
「総社にいますが、それは私の息子です」
「わしは、この間ぶち殺してしまおうかと思った。金を貸しているのに払わない。わしは球磨川という者だが、仲に立って、ここに来て相談せよと言う者があるから、来たのだ。金を出してくださるかどうか。二つに一つの話だ。どうしてくださる。一貫目ばかりの金だが」と言う。
(4)私も黙っておられず、「そのお話は私が聞こう」「いや、こうしてお目にかかった以上は直接に話す」「いや、そうだが、話は仲に立つ者がなければならない。私も聞きたいことがある。あなたが金吉と言い、金光様も、わが子ですと言われれば、間違いはあるまい。しかし、借りた者が払ってくださいと頼んだ手紙を持って来なければ、足らないではないか。偽りではないにしても、疑われてもしかたがないではないか。手続きだけはつけなければならないのではないか」(5)こう言っているうちに、金光様が、
「ちょっと部屋に来てくれ」
と言われ、
「ごもっともですが、やりましょう。借りているものを、返さないとも言えないでしょう。うそであっても、これは私の家のめぐりです。もし、うそであったら、私の家のめぐりを負って帰ってくれるのです。やりましょう」
と仰せられて、とうとうやられた。

 

..堤清四郎の伝え

■ 理2・堤清四郎・1

商売仲間である京都の相宗豊次郎という人から、「あなたも参りなさい。もうかりますよ」と言われ、「それなら一ぺん参ってみようか」ということで、はじめて京都の中野米次郎先生の広前に参った。(2)そこで、備中の大谷に大本社があることを聞かされ、「それでは大谷へ参って来る」と言うと、中野先生が「ご献備をことづかってくれ」と言われた。そこで、それをお預りして金光様の広前へ向かった。道中、大阪の川口で乗船する際、過って海に落ちた。(3)金光様の広前に参った時、金光様が、
「堤さん、あなたは方々歩かれるから、面白いこともつらいこともあったでしょう」
とおたずねになった。私は「江戸から長崎まで歩いて、知らない所はありません」と、得意げにお話しした。(4)すると、金光様が、
「それでは、根の国、底の国もご存じでしょう」
と言われたので、「そんな国はございません」と申しあげると、
「大阪の川口で行ったのが、根の国、底の国でありましょう」
と仰せられた。すべてを知っておられたので、恐れ入った。

■ 理2・堤清四郎・2

また、その時に、「もうかりますように」とお願いし、「もうかったら半分をお供えしますから」と、自分勝手な約束を金光様にした。(2)その後、信州に出稼ぎをして大いにもうかったので、「これはありがたい」と、約束どおりその半分の金を包んで、さっそく金光様のもとに参り、「お約束どおり、もうけの半分を持って参りました」と言ってさし出すと、金光様は、
「それはあなたがもうけたのだから、持って帰られるとよろしい」
と突き返された。(3)しかし、「いや、お約束したのだから」と言って、またもさし出すと、金光様は竹の先の割れ目に、その包みをはさんで、お結界の上の天井裏の所に突きさされた。それを見て、あんな所に突きさしたが、私が帰ったらあけて見るに違いないと思って帰った。(4)相当の日数を経て後、金光様のもとに参拝した時、金光様は、
「江州の堤さん、これは持って帰りなさい」
と言われ、前のままの包みをすぐ取りおろして私の前に出された。(5)その時、私は、欲得を放すと言うが、なるほどと、大いに感心し敬服した。

 

..寺政与三兵衛の伝え

■ 理2・寺政与三兵衛・1

私は明治十六年二月、はじめて由宇村の堀本利吉氏の船で本社に参拝し、お広前で金光様から直接にご理解を頂いた。
「その方らが山に行ったら、まむしにかみつかれることもあろうが、その時には、お土地から湧く水をつけなさい。水のない時には、お土をつけなさい。すぐにおかげがいただけます。
(2)信心しなさい。はじめは一人でも、後には日本中の人がみな信心をするようになります。外国の人までもみな信心をするようになります。私もはじめは一人でありましたが、今ではこのとおりに大勢になりました。世界の金は海に七分あります」
右のとおりご神訓をいただいた。

 

..土居力造父の伝え

■ 理2・土居力造父・1

商用の途中にたびたび参って、わらじがけのまま、あがらずにお礼をしていたら、金光様がお書下をくださった。(2)私が「このように私は貧乏忙しゅうございまして」と申したところ、
「それが結構なのである。商売に忙しいのが一番である」
と仰せられた。

 

..土岐周治郎の伝え

■ 理2・土岐周治郎・1

ある日のお参りの時、お広前の周囲の壁にたくさんの寄付札がかかっているのを見て、「金光様、ご普請ができますようですが」と申しあげると、金光様は、
「寄付札をかけることは神様のご機感(み心)にかなわないが、世話人衆があのようなことをする」
と仰せになった。(2)「ご普請のことに、私も少しおかげを受けたいと思います」とお金を出すと、金光様は、
「寄付札をかけて欲しいのか」
とおたずねになった。「寄付札はかけていりません。神様へお供えさせていただきます」と申しあげると、金光様は、
「それならよい」
と仰せられて、お机の引き出しにおしまいになった。(3)その後参拝した時には、いっさいの寄付札は取り除かれてあった。

 

..利守志野の伝え

■ 理2・利守志野・1

お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである。

■ 理2・利守志野・2

子供も、おかげの中に生かされて生きている。生きていれば、病気にもなる。その時、かかえあげて拝むような信心ではおかげにならぬ。かわいそうだが、ほっといて神の前に願うような気になって信心してやるがよい。おかげがいただける。

■ 理2・利守志野・3

「今日は船で参詣しました」と申しあげたところ、
「板子一枚下は地獄であったなあ」
と仰せられた。金光様がおっしゃるとおりで、帆柱が折れて実に恐ろしいことであった。

■ 理2・利守志野・4

「お手みくじをいただきましてありがとうございます」と申しあげると、金光様は、
「どれほどの家督かわからないなあ」
と仰せられた。

 

..富田トミの伝え

■ 理2・富田トミ・1

私一人が参った時には、金光様は、
「さいさいよく参って来るなあ。参って来れば、来るだけのおかげがあるからなあ」
と言われた。(2)しかし、大勢連れだって参り、途中、渡し銭を払わなかったり、ひばりを捕ったりした時には、
「遠方を参って来なくても、うちで壁でも拝んでおくがよい」
と仰せられた。

 

..冨永勝治郎の伝え

■ 理2・冨永勝治郎・1

唐樋常蔵先生のお供をして参った時、先生が金光様へ、「雨風で海が荒れ、思ったより少し遅れました」と申しあげられたところ、金光様は、
「遠方から参って来るにはおよばない。おかげは家で受けるがよい」
とみ教えくださった。(2)また、
「神棚に塵がたまるのは、参拝道に草が生えたようなものであると思って、気をつけて信心するがよい」
とのみ教えを承った。

 

..鳥越四郎吉の伝え

■ 理2・鳥越四郎吉・1

「先祖からのご無礼がありましょうとも許してくださいませ。日々信心いたしますから、信心の徳をもって、どのようなめぐりもお取り払いくださいませ」と言って願うがよい。

■ 理2・鳥越四郎吉・2

人は、身代をこしらえたり先生と言われるようになったり、とかく人からあがめられるようになると、人をあがめることを知らないようになる。人をあがめて、わが身があがるものである。(2)身があがってくれば、五穀のまねをしなければならない。米でもきびでも、実が熟してくればかがむではないか。
(3)よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。天は高いから、天で頭を打つことはあるまいと思うであろうが、打つことがある。天は大声を出して叱ったり手を振りあげたりすることはないけれども、天で頭を打つことがある。

■ 理2・鳥越四郎吉・3

明治十三年旧正月お礼参拝した時、金光様は、
「一に大食、二に腐敗物、三に大酒、この三つを慎まなければ無病長寿は保てない。大食は身に斧を打つようなもの、くさった物を食べるのは身にまさかりを打ちこむようなもの、大酒は身にかんなをかけるようなものである」
と仰せられ、(2)また、
「茶屋の二階で三味線をひく姐さんを見ては、どれ、おれもと、はじめは自分の懐中の物を出して使うが、二度が三度、四度が五度と重なるうちには、親の寿命も縮み、家蔵の傾くのもわからないようになる哀れな者もいるからな」
とも仰せられた。

 

..中村茂次郎の伝え

■ 理2・中村茂次郎・1

蔵を建てようと思い、木取りをして家相を見てもらったら、八月に建てればさしつかえないとのことであった。しかし、八月になっても気が進まず、翌年一月、はじめて参ったところ、
「それはかまわないが、私が願ってやっても、その方が信心しなければ何にもならない。用意ができしだいに建てよ。日は選ぶにはおよばない」
と仰せられた。(2)私はまだ不安に思い、「障りはありますまいか」とおたずねしたら、
「障りはない。しかし、その方の家で信心しなければならない。遠い所に参って来なくても、わが家で信心せよ。(3)東の方の総社という所に向こう見ずの人があって、門と蔵とを鬼門へ建てたところがたおれてしまい、今度は竿を振れば(方角を見れば)大丈夫だと言って建てたら、またたおれた。『今度は二つ用意しておいて、一つを建ててたおれたら次のを建てよう』と言って建てたが、二つともたおれた。『今度は竹で建てよう』と言って建てたら、またたおれた。そこでついに金神様と言って、ここに参って来た。(4)私が『信心をせよ。断りを言って建てればよい』と言ってやったら、『何かお札をください』と言うので、書いてやった。それをたてこみ金神にしたら、障りがなかったから、その方の家にもそうせよ」
と仰せられた。(5)そこで、お札の下付を願ったところ、
「うちにはお札はない。帰って、準備ができしだいに建てよ」
と仰せられた。(6)ところが、できあがった後、父信次郎ノブジロウの体のぐあいが悪くなったので、障りであろうかと思い、ある所で祈祷をしてもらった。障りはないということであったが全快しないので、金光様のお広前へ参ってご祈念を願ったら全快した。

 

..成本初市の伝え

■ 理2・成本初市・1

ある時、一間半に三間ばかりの店を建てることについて願ったところ、
「氏子、金光大神を疑うか。この屋敷については三年前に願ってあって、もう許してある」
と一口に仰せられた。

 

..難波幸の伝え

■ 理2・難波幸・1

明治九年七月二日から、夫が脚気のために非常にはれてきたので、十一日にはじめて参拝してお願いしたら、ご裁伝があり、その後で、
「十五日、二十二日、二十八日がおかげ日である。おかげをいただくことができる。おかげ日には神様がお立ち会いくださってご療治をなさるから、病状が悪かったらご療治が激しいのである。病状が悪くても、神が金の関(堅固な関所)を入れて先へ越させはしないから、心配をするな。病状がよかったら喜べ。(2)今日は、道で遭う人ごとに大谷への道をたずねながら参って来たが、やがて人に道を教えるようになるぞ」
と仰せられた。(3)十五日は勘定日で心をつかったために病状が悪かったが、二十二日には人の肩にすがって二時間も小便が通じ、胸がすっとして、八月一日までには、はれが全く引いた。
(4)翌年五月十二日に参拝した時、
「真心を貫いたからおかげをやる。わが身の難儀を忘れずに、人の難儀を取次げよ」
と仰せられた。

■ 理2・難波幸・2

人が私のことを、生神、生神と言うが、これは、私は生神ではないのに、氏子が、生神と名をつけてくれるのである。

■ 理2・難波幸・3

話を聞こう聞こうと思って来る者には、神様が一人一人にお話をさせなさる。神様は「けいこであるから二度までは教えてやるがよいが、聞こうと思う者は三度目には向こうからたずねて来る」と仰せられる。教えをたずねて慕って来る者には、神様がいくらでも途切れないように話をさせてくださる。
(2)「二度まで教えてもたずねて来ないような者は、けいこが嫌いなのである」と仰せられて、そのような者に対してはお話は全くさせてくださらない。

■ 理2・難波幸・4

信心すれば、わが身に徳をいただき、ありがたいことであろう。天に親類ができるのである。何事も教えてくださる。雨の降る降らないも教えてくださる。こういうことは、いちいち人に言わなくてもよい。(2)学問と世とは合っていない。

■ 理2・難波幸・5

田の口から大谷までは、水江、片島と二か所も、高梁川の渡しを渡らなければならなかったが、その渡し舟の中で、参拝のことをあれこれと言う者があると、それを金光様はご承知で、
「渡し舟の中で、ほかの者が、おかげを捨てるようにと言ったが、捨てずに参って来たなあ。おかげを道に捨てる氏子が多い。ご神米をいただかせても、中の米だけをいただいて、包み紙は捨ててしまうがなあ」
と仰せられた。

■ 理2・難波幸・6

夜は五十目ろうそくを立ててお話しくださり、
「ここへは信心のけいこをしに来るのであるから、よくけいこをして帰れ。夜中にどういうことがないとは限らないから、おかげはわが家でいただけ。子供がある者や日雇いの者は、わが家を出て来るわけにはいかない。病人があったりすれば、それをほうっておいて参って来ることはできないから、家族中が健康な時に、ここへ参って来て信心のけいこをしておけ」
と仰せられた。

■ 理2・難波幸・7

「人に教えをしてやれ」
とたびたび仰せられたが、「私は無学不徳ですから」と言ってご辞退申しあげていたら、
「学者でも道を勤められるとは限らない。真さえあれば道を勤めることができる。女は世界の田地であるからなあ。神様は『世界の田地を肥やしておかなければ貴いものができない』と仰せられるからなあ。(2)どこの男でも、親に不孝をしようと思うわけではないが、男は、いつも父母のそばにいるわけにはいかず、外で働くものであるから、女は家の家老のようなものである。家老がよくなければ城がもてないというが、家老がよくなければどうにもならない。よい種をまいても、やせ畑にはよい物ができない。田地が肥えていないと、よい物ができない。
(3)女は妊娠の時が大事である。みなによく教えておけ。火事を見ると赤あざができるというが、目で見た物さえうつるのであるから、心の良い悪いは子にうつる。(4)体に子が宿ると、食事が進んだりして、珍しい物でも欲しいという心になるものであるが、隠して物を食べるようなことでは、よい子はできない。陰ひなたの心を持った子ができるから、そばの者がよく気をつけて、『欲しい物は陰で食べるようなことをしないで、みなの前で食べるようにせよ』と言ってやれ」
と仰せられた。

■ 理2・難波幸・8

人間はみな、血で生きている。血の多い者は達者なのである。女には種が宿るために余る血を授けてくださっているから、それを月に一度除いてくださるのである。それが体の中にあるからないからといって、忌みがあるとかないとかいうことはない。(2)種をまくのでも、乾いた所にまいてみよ。生えはしない。女には種が芽ぐむために余分の水気を授けてくださっているのであるから、汚れ不浄を言わないようにして信心せよ。

■ 理2・難波幸・9

子供が大勢あると、妊娠したら月流しをのんだりして、流してしまったと思っていると、それが障って産の時にむずかしくなり、末子に命を取られるようなことにもなる。何人できても、丈夫でさえあれば育てていけるからなあ。

■ 理2・難波幸・10

親が子に教えるのに、ひなたの熱くなった水を飲めば暑気あたりになると言うが、「ご陽気を受けている水だから、これをいただけばありがたいと思っていただけよ」と教えればおかげになる。毒と思うのとありがたいと思うのとで、おかげになるのとならないのとの違いができる。

■ 理2・難波幸・11

ある時、隣家の商人の子が、一緒に参拝してみたいと言い、親は、今日は都合が悪いから他の日にせよと言ったが、強いて一緒に参ったところ、
「今日は親にそむいて参って来たなあ。神はどこへも行きはしない。親にそむかないようにして参拝するがよい」
と戒められた。

■ 理2・難波幸・12

子供が死んでも、おかげがなくて死んだというようなご不足を神様へ向けてはならない。先祖代々私どものめぐりでこういうことになりましたと、お断りを申すようにせよ。

■ 理2・難波幸・13

「田植えよし」と暦に書いてあっても、水がなければ植えられまい。「田刈りよし」とあっても、雨が降れば刈れまい。日食様と月食様とはよく氏子にもわかるが、ほかのことはわからないであろう。
(2)死ぬというのは、みな日のもとへ帰るのである。仏でいうのも神道でいうのも同じことである。魂は生き通しであるが、体は死ぬことがある。体は土から生じて、もとの土に帰るが、魂は天からお授けになって、また天へ帰るのである。(3)こういうことは一心の者でなければ言わない。何も証拠があって言うのではない。死ぬというのは、魂と体とが引き分けになるのである。(4)「先の世のことは知るまい」と言って、神様が三日の間、先の世のことばかり教えられた。こういうことはめったに話さない。話しても、真に受ける者もあるし、受けない者もあるから。

■ 理2・難波幸・14

ある年、節季に参ったところ、
「神様へお注連を下げられたか。手で綯ったお注連は容易に供えられるけれども、帳に締めをしなければ、本当のお注連は供えられない。注連の内にも鬼が来る」
と仰せられた。

■ 理2・難波幸・15

正月に年をとらない氏子もなく、正月に年徳神をまつらぬ家もないが、一番大切な年をとらしてくださる年徳神を正月にだけまつって、普段には、そこにおられるかとも言わない。一年中、願い事が多くあっても、年をとらしてくださる親神様にと言っては願わない。そういうことでは一心の信心にはならない。
(2)正月には、代々家が伝わるようにといって、だいだいを供え、一年中、喜ぶことがあるようにといって昆布を供え、家内中打ちそろい、めでたいことが続くようにといって、懸鯛をするではないか。(3)また二日には、その職分職分で、爺ジイは縄の綯い初め、婆バアは糸の引き初め、子供は書き初め、商売人は売り初め、侍は具足の祝いというではないか。年をとるとは生き延びることで、まめでその日その日の家業をうれしく勤めさせてもらうことを、生き延びるというのである。
(4)年徳神が年をとらしてくださるといえば、それが一年中お守りくださることではないか。年をとらしてくださり一年中お守りくだされば、親神様であろう。世間の氏子は、正月にだけ思い出して参って、平生には、わが家にこの親神様がおられることも忘れているではないか。うちの親を忘れて、よその親にばかり頼む。それで、親心にかなうか。親の心にかなわないような子が出世できるとは思うな。

■ 理2・難波幸・16

洋傘の流行しはじめのころ、
「人より先にさそうと思うな。体に派手なことをしていると、心にぼろを下げなければならない。心に錦を飾っているがよい。弱くて高い物を着るよりは、安くて強い物を着るようにせよ」
と仰せられた。

■ 理2・難波幸・17

明治十六年春ごろのこと、難波栄造という村役場の会計係をも勤めた人が肺病にかかったので、私が代参して金光様に向かって、「その人は牛や鶏を食べておられますので、私はよくないと思いますけれども、利口な人ですから、申しましてもやめられません」と申しあげたところ、
「それは釈迦に説法であるから、おかげを受けることができない」
と仰せられた。(2)私が「信心する者は牛や鶏を食べない方がよろしいでしょうか」とおたずねしたところ、
「開けた開けたといって、開けたものはよいようにいうが、水で開けた、火で開けたといえば、こわれたということである。開けないのが値打ちである。(3)生きた物の命を取ってわが身が助かるというのは無理である。生きた物の命を助けてわが身の命が延びるというのが、この道である」
と仰せられた。

■ 理2・難波幸・18

日本は豊葦原といって、よい国とされ、また神国ともいわれて、神様のお住みかと定まっており、神代という言葉もある。あちらの国の者も、こちらの国の者もみな、神様からいえば子であるけれども、こちらの国は豊葦原といって、よい国と定められているのである。あちらの国とだんだん交際して、あちらのことをまねられるけれども、日本の国は違うのである。

 

..難波なみの伝え

■ 理2・難波なみ・1

明治二、三年ごろのある夜、小便に起きて庭におりると、ぐしゃっと音がし、点灯してみれば、まむしを踏んでいた。家の者を起こして殺してもらった。(2)翌日、金光様のお広前へ参拝したところ、金光様は、
「卯の年(難波なみ)、よく参ったなあ。その方は夜前、百日道具(治療に百日かかる傷)ができるところであったなあ。その方の一心が貫いて助かった。その方が踏んで、しっぽの所を三寸ほども皮をむいだであろう」
と仰せられた。

■ 理2・難波なみ・2

日が暮れても夕飯も召しあがらず、
「福泊の卯の年が来たら、いくらでも話をして聞かす」
と仰せられて、教えをしてくださった。そうすると、連れて参っている大勢の信者の内には、居眠りをする者もあった。(2)金光様は、
「早くみなさんを広前から下がらせて、宿でご飯をいただかせて休ませてあげなさい」
と仰せられ、私だけ残っていろいろとお話を承っていたが、
「どうも、卯の年は、いつ来ても、ひざを崩さずに、一心の真が強いから、いくらでも話をして聞かせる。金光は寝たい時に寝るから」
と仰せられた。

■ 理2・難波なみ・3

その方のように信心する者は、勝ってしだいにさしてやる。丑寅鬼門へ普請をすれば、身代を吹きつけるようにしてやる。そうすると、人が何と言うか。「八人家内がみな、取り殺されるに違いない」と言うであろう。そう言われるのを楽しみにせよ。守って、助けてやる。

■ 理2・難波なみ・4

「落とす神があれば、この神が引きあげてやる。お互いは人を取次する身分になっているが、その方も信心するからには何もかも教えてやる。いろはのいの字から教えてやる。卯の年、いの字が書けたら、ろの字が書ける」
と仰せられた。(2)「恐れながら、私はいの字もわかりません。お祓をあげるすべがわかりません」と申しあげたら、
「お祓修行したといっても、いざりが立ったとも、盲が目が明いたとも言って来た者はない」
と仰せられた。

■ 理2・難波なみ・5

おかげを受けるのも受けないのも、わが心である。卯の年、よく考えてみよ。信心のしかたしだいである。

■ 理2・難波なみ・6

おかげを受ければ、一銭持って来ても五厘持って来ても一握り持って来ても、何も言わないのである。

■ 理2・難波なみ・7

おかげを受けた者や村方の者が、「人力車に乗ってでも、少しは出てお歩きなされてはどうですか。祈祷をしておやりなされば、みんなが助かります」と言うが、神様がお出しなさらない。(2)出て歩けば、「あれがぬれる。これがぬれる」と言って、手をつけ通しにしなければならない。見て見ない振りをしているのである。

■ 理2・難波なみ・8

金光様が帰幽された年の夏には百日の照りがあった。そのために多忙で、「金光様、月参りが一月延びました。また、早く参ります。忙しいと言えば勝手でありますが」と申しあげたところ、
「周囲が忙しければ、どことなく忙しいから、少々延びてもよい」
と言われ、
(2)「今年の日照りは金光の身に当たった。卯の年、金光は患って棺カンの中に入ると思うか。生きていても棺の中に入る」
と仰せられた。

■ 理2・難波なみ・9

金光大神は形がじゃまになって、よそへ出ることができない。形がなくなってからは、来てくれと言う所へ、すぐに行ってやる。

 

..難波三代の伝え

■ 理2・難波三代・1

遠方であるから、ここまで来なくてもよいけれども、午の年(難波三代)、諸学諸芸でもさらいということがあるから、おりおりには参って来なければならない。

■ 理2・難波三代・2

船には乗らない方がよい。板子一枚下は地獄ということを知っているであろう。歩けるだけは歩いて参るがよい。

 

..仁科松太郎の伝え

■ 理2・仁科松太郎・1

金光大神の姿に目をつけないようにせよ。金光大神の衣服や形におかげはない。金光大神の御霊の働きにおかげがあるのである。

 

..仁科和市の伝え

■ 理2・仁科和市・1

明治十五年九月、養父仁科松太郎に連れられて参拝した時、金光様から、
「その方は子供であるが、大きくなってお道の先生となり、人の願い事をお取次をして人を助ける身となるのであるから、信心を篤くしておかげを受け、偉い人になりなさい」
と言い聞かされた。

 

..野上仁十郎の伝え

■ 理2・野上仁十郎・1

明治十年、私が二十五歳の時、地方の人たちに連れられてはじめてお参りし、その後、三、四回、金光様にお目にかかった。(2)ある時、身の上の不幸せとか、病気のことを申しあげたところ、
「辛抱していると、病気も治り、出世もできる」
と、ありがたいお言葉をくださった。

 

..野田儀平の伝え

■ 理2・野田儀平・1

この神様を信心すれば、願い事は何事でもかなえてやる。

■ 理2・野田儀平・2

普請、種まき、旅立ち、その他いっさいについて、日の良し悪しは言わなくてもよい。

■ 理2・野田儀平・3

この神様を信心すれば、室木ムロキ(蚊いぶしの木)を家の内で焼いてはならない。特に、穀象虫がわいたからといって、室木をもって燻フスべてはならない。

■ 理2・野田儀平・4

三月十日と十月十日とを祭り日と定めてお祭りをせよ。なお、毎月九日十日を祭り日と定めてお祭りをせよ。

 

..八方又吉の伝え

■ 理2・八方又吉・1

ある日、私は金光様のもとに参り、信心の相続のことを心配してお取次を願った。その時、金光様は、
「今はこのような様子であっても、そのうちに、この大谷の野も山も人をもってうずめるようにしてみせる。その時には、その方の家の者もみな出て来て、こちらの用をせねばならないようになるぞ。若い者は何も知らぬから、このことをよく話して聞かしておけ」
とご理解くださった。

 

..鳩谷古市の伝え

■ 理2・鳩谷古市・1

この世は欲の世の中と言い、欲がなくては生活することはできないと言うが、我欲をするな。(2)貸し借りは世の習いであるが、借りた物は約束より三日早く返す心になれ。そうすれば不義理をすることもなく、後々また借ることができる。

■ 理2・鳩谷古市・2

水垢離を取らなくても、心のこりを取って信心をせよ。

■ 理2・鳩谷古市・3

岡山から参っても、金光様は、
「ここは遠いから、西川の秋山(秋山米造の広前)へ参りなさい」
と、よく仰せられた。

 

..樋口鹿太郎の伝え

■ 理2・樋口鹿太郎・1

はじめて参拝した時、父が大酒飲みで、しかも酔狂であるということをお願いしたところ、
「親の好きな酒なら、よそへ行って買って来てでもあげるくらいのものである。好きな物をやめてくださいと言っては、よくない。まあ、信心するがよい。おかげがいただける。よく参って来られた。今年の二度の祭りを安心させてやろう」
と仰せられた。(2)八月十四日に至って、まったく酒をやめ、翌日も翌々日も、来客などがあってすすめても一滴も飲まず、酒という名を聞くだけでも気持ちが悪いと言って、甘酒だけを飲んでいた。九月の祭りにも、十四、十五日の両日、まったく禁酒していた。

■ 理2・樋口鹿太郎・2

明治十三年春、家内中が熱病にかかったが、
「神は氏子へ直接に話す口がないから、金光大神の口を借りて言って聞かせる。助けてやる」
という仰せがあって、みんな全快した。

■ 理2・樋口鹿太郎・3

病人の守りは神様がしてやると言われるから、あなた方も病人のそばについていなくてもよい。

■ 理2・樋口鹿太郎・4

子供が大勢できても、人間考えで間引くことはするなよ。ちょうど、綿作りをするのと同じことである。綿ができる木と、できない木とを、よく見分けて抜く。神は、氏子の寿命があるのとないのとは、よく承知している。氏子ではそれがわからない。
(2)世間によくあることである。「私は子供を四人育てたが、みな死んで、かかる子がない」ということがあろう。四人しかできなかった人もあるが、八人も十人もできたのに、四人しか育てなかった人もある。神が間引いて、寿命のないものなら引き取ってやる。

■ 理2・樋口鹿太郎・5

子供が生まれても、みな寿命があるとはいえない。寿命がないからといって、七夜の内に死ぬとは限らない。娘なら、嫁に行かないうちに死んだら、おかげと思え。息子なら、嫁のないうちに死んだのは、おかげと思っておれ。
(2)嫁に行ったり子ができたりしてから死んでは、自分はさておき、先方が難儀をする。嫁や子供を持ったら、五十までの寿命を願え。そうすれば、後も立つようになる。

■ 理2・樋口鹿太郎・6

「静め静まることをつかさどるべし」と六根の祓にもあるが、あれは神様を拝むことばかりではない。家の内でも司といえば取りしまるものである。それがうろたえてはいけない。病気の時でもじっと静まって、うろたえないようにしないと、法者ホウジャ(祈祷者)だ、医者だと言って、うろたえてしまう。

 

..人見峯の伝え

■ 理2・人見峯・1

妊娠中でも腹帯をするな。また、食物は何をいただくにも、あたらないであろうかなどと思わずに、ありがたいと思っていただけばよい。

 

..姫路まきの伝え

■ 理2・姫路まき・1

お広前には絵馬がいっぱいあった。それについて金光様は、
「一生懸命にお願いすればおかげがいただけると船乗りの人に教えておいたところ、その人の船が難破しかけた時、六根の祓をあげたら船の傾きが直って、おかげをいただいた」
と言われた。(2)その人のお供えした絵馬で、難破しかけた船と、空にご神米か何かが現れている様子を描いた絵を指して、
「このようなおかげをいただきなさい」
と仰せられたことがあった。

 

..平野五郎四郎の伝え

■ 理2・平野五郎四郎・1

吉備津神社へ参った帰りに、金光様のお広前に参った時、
「このごろは拝むことはできないことになっているから、自分で拝んで帰れ。とにかく、実意丁寧が第一である。実意丁寧にしていればおかげが受けられる。(2)信心していれば、先で出世できる。枝も栄える葉も茂るというように、子が生まれた孫ができたと栄えてくれば、死んだ時にはにぎやかな葬式がしてもらえる」
と仰せられた。

■ 理2・平野五郎四郎・2

ある時、他行の途中に参拝し、「金光様、あなたはよく信心ができますなあ。私は不信心者で、いっこう信心ができません」と申しあげたら、
「私方の若い者でも、こうして半日も座ってはいられないと言います」
と仰せられた。(2)私が「信心はどうしたらできましょうか」と伺ったら、
「信心といっても別にむずかしいことはない。親にものを言うように、朝起きたらお礼を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへ行く時には、行ってまいりますと言ってお届け申しあげよ。そして、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言い、夜寝る時にはまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心になる」
と教えてくださった。

 

..平野登美の伝え

■ 理2・平野登美・1

私は三十二歳のころから脳が悪くなって頭が冷え、後には、手が焼けるほどに温めた石を載せておかなければならないまでに冷えるようになった。四十五歳の年、塩飽きよさんにすすめられて信心を始めた。(2)翌年の閏三月八日に、きよさんが来て、金光様の教えについて、産のこと、おかげの実話などを話して聞かせてくれた。それを聞いている間に頭がしだいに温かくなって、頭を覆っていた綿布や、載せていた座布団などを取り除き、着物も薄くするほどになった。その時までは、手足まで冷えて、灸をすえるなどしていたが、その日限りやめ、薬も飲まないようになった。
(3)その年の七月には鼻血が多量に出て気分は軽くなったが、なお朝夕は多少冷え、気分の悪いこともあったので、そのことをお願い申しあげたところ、
「大病の後である。畑にたとえれば、大草を取るにしても、一度取っただけで捨てておけば、また生える。始終、信心に力を入れて、草を取るような心持ちでいるがよい。そうすれば、後には根が切れる」
と仰せられ、その後ついに全快した。

 

..福嶋儀兵衛の伝え

■ 理2・福嶋儀兵衛・1

明治二年七月一日、酒井佐吉さんとともにお広前に参った。参ると、金光様は、はやご存じで、
「大阪の氏子、遠方から、ようこそ参って来られた」
と声をかけてくださった。お机のそばに進み、前年来ご縁をいただき、おかげを受けている事情を述べて、お礼を申しあげた。(2)金光様は、さっそくご神前に進まれ、
「卯の年の氏子(福嶋儀兵衛)、大阪からはるばる参りました」
と神様にお届けのご祈念をしてくださった。(3)そして、後ろに振り向き、
「卯の年の氏子、信心して神になれ」
と仰せられ、(4)やがて机にもどられて、
「人は此方のことを生神であると言うが、此方でも、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。(5)大阪には天神祭りとかいうにぎやかなお祭りがあるそうだが、その天神様も、あの役の行者も弘法大師もみな、もとはただの人間である。わが心から神にも仏にもなられたのである。(6)あなたも、神様の仰せどおり真一心に神信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい」
とご理解くださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・2

その時また、
「人はみな、金神様を祟り障りをなさる恐ろしい神様のようにばかり言うが、それは間違いである。天地を回り巡って万物を守り、生かしてくださっている神様である。(2)此方は、日天四 月天四 金乃神様と申して拝礼し信心している。人間はみな天地金乃神様から人体を受け、御霊を分けていただき、日々天地の調えてくださる五穀をいただいて命をつないでいる。(3)昔から、天は父なり、地は母なりというであろう。天地金乃神様は人間の親様である。此方の信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである」
と教えてくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・3

同じ時、
「天地金乃神様は天地を一目に見とおし、守っておられる。人間は神の氏子、神様のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神様に向けて信心せよ。(2)何事も無礼と思わず一心に取りすがっていけば、おかげが受けられる。枯れ木にも花が咲くし、ない命もつないでいただける。(3)わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてやるがよい」
と仰せられた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・4

同じ時、
「神様を拝礼するには、此方では別に決まりはない。実意丁寧正直、真一心がかなめである。(2)日々生かしてもらっているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身であるから、知らず知らず、ご無礼お粗末お気障りなどをしている道理、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい」
と仰せられた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・5

また、
「一時に積んだ石垣は崩れやすい。ぼつぼつ積んだ石垣は、念が入っているだけに崩れはしない。信心する者は何事にも実意丁寧、行き届いた働きをするようになれ」
と教えてくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・6

「遠方からさいさい参って来ることはむずかしい。おかげを受けて参って来るのであるから、参った限りは、舟にも車にも積めないほど、十分に神徳を身に受けて帰れ」
と言われた。(2)帰途につくに当たってお書付を五枚お下げになり、
「これを目当てにして信心せよ。金銭でこれを売買してはならない」
とのお言葉を添えてくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・7

妻あいは生来体が弱く、お産には難儀をした。はじめて参拝したその時、妊娠していた妻の身の上について、心にかかるままを申しあげると、
「子供は神様からの授かりものである。胎内の子は神の氏子である。神様のおかげで生まれてくるのであるから、此方の道では喜び(出産)にしくじりはさせない」
と仰せられ、(2)さらに、
「腹帯をするにはおよばない。物忌みも毒断ちもいらない。好きな物をいただいて体を作れ。産の汚れは言わなくてもよい。どの方角へ向いて産をしても障りはない。神様が後ろ神と立って、隣知らずの安産をさせてくださる。金乃神様、と一心に取りすがって、おかげを受けよ」
とお諭しくださった。(3)その年の十二月二十三日、み教えどおり、あいは隣知らずの安産のおかげを受けた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・8

明治四年は私の四十一歳前厄に当たるので御本社オンモトヤシロに参拝し、心にかかる不安を申しあげたところ、金光様は、
「天地の神様は氏子の親神である。かわいいわが子を、どうして難儀に遭わせなさるであろうか。わが子をもって合点するがよい。常平生、神様に取りすがっていれば、神様と心安くならせてもらっているも同然である。無理も聞いていただける。大難は小難にまつりかえてくださり、小難は無難にお取り払いくださる」
と仰せられた。(2)そこで、どの信心にも行があるが、どのような行をしたら神様のみ心にそわしていただけるかということをお伺い申しあげると、
「世間には、水の行、火の行などがあり、いろいろの物断ちをする人もあるが、此方にはそのような行はしなくてもよい。巡礼のように白い着物を着て所々方々巡り歩く暇に、毎日の家業を信心の行と心得て勤め、おかげを受けるがよい。(3)世のため人のため、わが身の上を思って、家業をありがたく勤めることができれば、それがおかげである。それが神様のみ心にかなうのである」
とみ教えくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・9

明治五年は厄年なので、正月に厄晴れの祈念をこめて御本社へオンモトヤシロヘ参った。その時、
「此方の道では、やくとは世間でいう厄ではなく、役人の役という字を書く。やく年とは役に立つ年ということである。大やくの年とは、一段と大きな役に立つ、大役を勤める年と心得て、喜び勇んで元気な心で信心をせよ。
(2)草木でも節から芽が出て、枝葉を茂らせているであろう。しかし、節は固くて折れやすい。人間も同じこと。信心辛抱していけば、節年を境に年まさり代まさりの繁盛のおかげを受けることができる」
とのご理解をいただいた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・10

長男が疳の病を患い、腹がふくれ、骨皮となって日々苦しみぬき、医者も手の打ちようがなくなった。しかし、半年におよぶ大病も信心のおかげで全快し、大みかげのうちに厄年を送った。(2)明治六年の旧正月に御本社オンモトヤシロに参拝し、御礼申しあげると、金光様はご神前でお届けご祈念の後、
「天地金乃神のご神体は天地である。宮社に静まり納まっておられるのではない。真一心の心に神がおられて、おかげになる」
と仰せられた。(3)そして、ひかえの間から串を持って出られ、美濃紙で幣を切り、串にさしてお下げになり、
「これをご神体としてまつるがよい。人が改めに来ても、これがご神体であると言っておけばよい。これは拝む目当てである。取り違えないようにせよ」
とご理解くださった。(4)続いて、
「金光大神あって神は世に出た。金光大神の話していることを、そのまま人に聞かせてやればよい。そなたが、これまでおかげを受けてきていることを話せば、それでよい。何も、そう心を使わなくてもよい。後ろに此方金光大神がひかえている」
とみ教えくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・11

翌日、帰路につくに当たり、広前に参ると、金光様は、
「神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。(2)信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神様に使われることを楽しみに信心せよ」
と重ねてお諭しくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・12

その年、再度御本社オンモトヤシロに参拝した時、金光様は、
「助けてくれと言って来ても、拝んであげましょうとは言うな。そなたがおかげを受けていることを話して聞かすだけにせよ」
と仰せられ、
(2)「何事にも実意を立てぬけ。信心をもとにして辛抱をせよ。そのうちには世の中も広くなっていくであろう。(3)天地の神様は、天地の守り神、氏子の守り役モリヤクである。神の中の神である。何も案ずることはない。天地金乃神様、と一心にすがっていけ。(4)金乃神様、と一心にすがっているからといって、ほかの神仏をおろそかにしてはならない。残らずの金神様とあがめて拝礼するがよい。残らずの金神と申さなくても、みな様と申して拝んでもよい」
と仰せられた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・13

明治七年、御本社オンモトヤシロに参拝した時、金光様がお書付(天地書附)を四枚授けてくださった。その時、
「これは、そろばんの粒のようなものである。二一天作の八と置いたら合わないが、二一天作の五と置けば合うように、この書付どおりを守っていけば、必ずおかげが受けられる」
と教えられ、(2)さらに、
「信心の真のある者で、いただきたいと願い出る者があれば、分けてやるがよい」
と仰せられた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・14

明治九年の春のころ御本社に参拝した時、金光様はお書付四枚をお下げになり、
「大阪から参って来た仁村という人にこれを授けたが、わがことにかまけて人の難儀を思わず、自分だけの信心に固まっておかげを落としてしまった」
と話され、
(2)「氏子がおかげを受けてくれなくては、神様も此方もうれしくはない。氏子がおかげを受けずに難渋しているようでは、神の役目が立たない。氏子が立ち行かなければ、神も金光大神も立ち行かない」
と仰せられた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・15

同じ時、金光様は、
「一年に三尺も四尺も伸びる梅の木に大木はないであろう。一寸ずつ太る楠は大木となる。神信心もそのとおりで、伸びるばかりが能ではない。人より遅れても一寸太りに大木になるのが、ありがたいのである」
と仰せられ、(2)また、
「天地の親神は人の口を借りて教えてくださる。信心している者は、子守りの歌もあだに聞いてはならない」
ともお諭しくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・16

明治十年の秋近くなったころ御本社オンモトヤシロへ参拝した時、金光様はご一身のことをあれこれと物語って聞かせてくださった。中でも七墓を築かれたことを伺った時には、感無量の思いがした。
(2)その時、ちょうど参り合わせていた備前の人が、お包みを供えて取次を請うた。金光様はそれに手を触れようとされず、
「これは持って帰れ」
と仰せられ、そのまま神前に進んでご祈念に入られた。(3)ほどなく、顔を赤らめて、
「神に供える物を何と心得ているのか。神は取り捨てにはしない。一粒万倍にして返してやる。惜しいと思って供えてはならない」
と仰せられ、(4)振り向いて、
「卯の年の氏子(福嶋儀兵衛)、そうではないか。神あっての氏子、氏子あっての神であるからな」
と言われた後、お机にもどられて先の話を続けられた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・17

明治十二年卯の年の元旦を金光様のお広前で迎え、金光様にお年賀を申しあげ、お礼申しあげると、お書付(天地書附)を二十体お授けくださり、
「おかげを受ける者がおいおいにできてくるであろう。信ある氏子に分けてあげよ。これは、言うまでもないが、守り札ではない。心の守りである。売り物ではないから、人がどのように言って来ても、銭金で受け渡しをしてはならない」
と仰せられ、
(2)「真の信心をすれば、敵倍の徳が受けられる。人心を出すな。人心は人心だけのこと。神の守りをする者は、何事も神心でしなければならない。神心は神心だけのことがある」
とご理解くださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・18

講社結成のことが信者たちの間に話題になりだしたのは、明治十二、三年のころであった。そのことについて金光様にお伺い申しあげた時、
「氏子が神として立ててくれなければ神も立たない。神は氏子を痛めては喜ばない。氏子が神のことを喜んですれば神も喜ぶ」
とのお言葉があり、
(2)「何事にも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ」
とのみ諭しをいただいた。

■ 理2・福嶋儀兵衛・19

明治十五年正月の十日のお祭り日にかけて、長男の儀助を伴い、正栄組結成のお礼を兼ねて御本社オンモトヤシロに年始の参拝をした。金光様は儀助に対し、
「親子助け合って家業に励み、進んで難儀な氏子を助けるご用ができていることは、まことに結構なことで、神様もたいそうお喜びである。氏子も喜び、此方にも喜びである。このうえとも父の信心を受け継ぎ、みずからも打ちこんで真の信心をせよ。それが神の機感(み心)にもかない、そなたにとっても末々の幸せとなる」
と諭され、(2)儀兵衛には、
「卯の年の氏子は大福神である。末永く神の用に立て」
と仰せられ、ご神前からご神鏡を下げられて、
「これは、そなたのしるしである」
とお授けくださった。ご神教の裏面には「大福神」と刻まれてあった。(3)その時、金光様は、また、
「細くても長く続き、末広がりのおかげを受けるようにせよ。やがて世間の者の考えも広くなり、心安くご用に立てるようになる。日まさり、月まさり、代まさりのおかげが現れる」
とみ教えくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・20

近藤藤守師は明治十五年五月十四日違警罪に問われて、南警察署に十日間拘留されたが、その後も難儀な家を訪ね、信者の宅に出向き、神様を拝み、教えを説いていた。
(2)そのことについて近藤師は大阪神道事務分局の田畑説教師と激論の末、立腹して、「もう神を拝まない」と言い張って、広前を退いてしまった。途方に暮れた梅子(藤守の妻)さんが、中野儀太郎に連れられて相談に来たので、梅子さんを伴って御本社オンモトヤシロに参拝して、お取次を願った。(3)金光様は、ご祈念の後、
「お上からさしとめられたのであるから、神を拝むことはできない。けれども、近藤さんには話のおかげを授けてあるから、拝むにはおよばない。人が来たら話をしていればよい。神を拝まないのであるから、宮をまつるにもおよばない」
と諭され、
(4)「信者の家へ拝みに行くな、振り売りをするなと言っておいたのにな。神の機感(み心)にかなわないと、七堂伽藍も一夜のうちに灰になるであろう。神の一言はおろそかにはできない」
と厳しく梅子さんに仰せられた。(5)さらに儀兵衛に向かわれて、
「うちにいて、人が訪ねて来たら話していさえすればよい。それで、おかげが現れる。あなたからも、近藤さんによく話してやって欲しい」
とのお言葉があった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・21

明治十六年の旧正月、儀助ほか数人の信者を伴い、御本社オンモトヤシロに参拝した。難波の広前(近藤藤守の広前)もすでに筋道が立ち、公に布教の道が開けたことのお礼を申しあげ、みずからの広前のことについて願い、お取次を仰いだ時、
「時節を待って、おいおいにおかげを受けるがよい。取次をする者は、神の前立ち、氏子の守り役である。ただただ人が助かり、立ち行くことを願うばかりである。日々その心で勤めるのである」
とお諭しくださった。

■ 理2・福嶋儀兵衛・22

その時のこと、声をひそめて、
「月も雲に隠れることがあろう。隠れても月は雲の上にある。此方とて生身であるから、やがては身を隠す時が来る。形がなくなっても、どこへ行くのでもない。金光大神は永世生き通しである。形のあるなしに心を迷わさず、真一心の信心を立てぬけ。美しい花を咲かせ、よい実を結ばせてくださる」
と仰せられた。(2)思いがけないお言葉に、思わず身をのり出して、「それはいつのことでございますか」とお伺いすると、
「此方はどこへも知らせないが、真ある者には神様がお知らせになろう。凧の糸を引くようにな」
と仰せられた。

 

..藤井キチの伝え

■ 理2・藤井キチ・1

明治十一年五月末、私の三歳になる男の子が死に、その後十四日目に夫が死んだ。次いで三十日ほどして父が大病にかかったが、この道を信じ、一心に願い、おかげで全快した。その時から、早く信心していたら、夫も子供も助かっていたであろうにと、残念に思っていた。(2)翌十二年正月、金光様のお広前へ参り、父の全快のお礼を申しあげたところ、
「すんだことを思い出して、苦をするな。一心になって信心せよ。おかげを授けてやる」
と仰せられた。ただ、父のお礼をしただけなのに、金光様は私の心の中を察してお話しくださり、ありがたかった。

■ 理2・藤井キチ・2

その後、商いのうえにもおかげをいただき、父の方の都合のよくなかった商売を引き受けて、回復することができたので、そのお礼を金光様に申しあげたら、
「金は尽きることがある。一心になって、真心をもって信心せよ。身の上に徳のつくおかげがある」
と仰せられた。

 

..藤井きよのの伝え

■ 理2・藤井きよの・1

金乃神様は、けっしてうそを言われない。氏子がうそをつく。氏子が易者や法者ホウジャ(祈祷者)などにだまされて、「何日の何時までにしなければならない」などと言って、職人までをも困らしている。金光大神の教えを守ればよいのに、守らずに、家相や方角を見ていろいろのことを言う。(2)それよりも、金乃神様に初穂を供えて、「あなたのご方角やご眷族様のお広前をお貸しください」と言って頼み、普請作事や縁談をすればよい。金乃神様は、むやみに叱るものではない。人がうそをついて回ったり、それにだまされて建物に手を入れたりしているのである。

■ 理2・藤井きよの・2

此方がうそを言うと言っている者があるが、金光大神の教えでは日柄方角も言わないが、けっしてうそもつかない。それなのに、易者や法者に頼んで年切り日切りをして金乃神様の留守をねらおうとするから、叱られるのである。(2)金光大神の教えでは、けっして金乃神様の留守はねらわない。金光大神の教えを守ろうとする人は、よくここを考えて金乃神様に信心をせよ。金乃神様や金光大神はうそを言うものではない。

■ 理2・藤井きよの・3

先祖代々からのご無礼があっても、氏子の食べる物の初穂を供えてお断りを言えば許してやる。道の立たない死霊でも、願えば道を立ててやる。何事も失態のないように成就するようにと、金乃神様にすがればよい。
(2)何事をするのでも、一つは願い一つはお礼を言うというようにすればよい。無理に神棚の下へ来て願わなくても、手に鍬や鎌を握っている時でもかまわない。一心に願い、お礼を言えばよい。

■ 理2・藤井きよの・4

月経や産の汚れがあっても、親が死んだり子が死んだりしても、忌まなくてよい。(2)日天四様と月天四様とは天の神様で、これほど高い神様はない。金乃神様は地の神様で、これほど低い神様はない。親が死んでも子が死んでも、月経や産をしたりしても、天地金乃神様のお屋敷へしかばねは納め、汚れ物も納めるのである。(3)金乃神様は目先のうそを言っておられるのではない。金乃神様は、うそはけっして言われない。

■ 理2・藤井きよの・5

おこりやいぼを落とすために地蔵様や観音様を縛ったりする者があるが、そういうことをしてはならない。そういうことをすると、三代後には必ず縛られる者ができる。

■ 理2・藤井きよの・6

連島の人が組を作って、豊後へ鳥網でうわみ(鵜の一種)という鳥を捕りに行っていた。行く前に鳥の祭りをしていた。金光様はこのことについて、
「うわみという鳥は、自分らを捕るためにしかけられた網であることを知っているから、雄鳥が先に行って、くちばしで網をくわえて雌を通し、自分が雄面をして網にかかるというくらいに思いの深い鳥である。それをしかけをして捕れば、その家は繁盛しないことになる」
とご理解された。

■ 理2・藤井きよの・7

金光様は、
「金乃神様は三千世界の地下二丈から上の地は好きなようにされる」
と教えておられた。

 

..藤井くらの伝え

■ 理2・藤井くら・1

「此方が亡くなってから六十年後には道も立ち、世のお役に立つようになる」
と言われたので、(2)私が「五十年としたらどうですか」と言うと、
「五十年ではない。六十年である」
と仰せられたことがあった。

 

..藤井恒治郎の伝え

■ 理2・藤井恒治郎・1

金光様がお広前をお引きになって、私にもお手代わりをするように言われたので、「私のような者では、信者がお伺いした時などとても勤まりませんから、お断り申し上げます」と申した時、金光様は、
「それは心配ない。口に出たことを言っておけ。神がそのとおりおかげにしてくださるから、心配はないむ
と言われ、およそ十日間お手代わりを勤めた。

■ 理2・藤井恒治郎・2

お手代わりをしていた時、金光様は、
「戌の年(藤井恒治郎)、神様に氏子の願いをお届けしたら、必ず三日の日を切って、おかげをやると言っておけ。その日にはおかげを授けてやるから」
と仰せられた。

 

..藤井広武の伝え

■ 理2・藤井広武・1

見たこともない所のことを見たように、ないものをあるように歌に詠む歌人もある。此方は、見ない所を見たように、ないものをあるようには言わない。(2)この六畳一間の内を動かないが、ここにいながら天地の大道理を伝えるのである。

■ 理2・藤井広武・2

大阪の高麗橋三丁目に住む中西嘉七という人が、ある年の夏のはじめに参って来て、広武が同道してお広前に参った。『古事記』にも『日本書記』にも、思金神オモイカネノカミ、金山彦命カナヤマヒコノミコトというのはあるが、ただ金乃神というのはないということを、金光様にご意見申すつもりであったようである。(2)その時、
「生神というのは、世の人が、此方を生きながらの神として、そう言うので、此方から生神と言っているのではない」
と仰せられ、(3)さらに中西が、「大神というのがいけない」と申すと、
「それは、国の守カミからいただいたものである」
と仰せられた。(4)神名については、
「天地金乃神という名は、日天四 月天四 金乃神という名をつづめて申しあげているのである」
と言われ、中西という人は、これはまさに生神様であると、恐れ入って帰ったことがある。

■ 理2・藤井広武・3

虫も天地の間にわいて来ているのであるから、うんかがわいても、一反の内一畝くらいでも残して、ここはお前にやるからと言って、油はほかへ入れよ。

■ 理2・藤井広武・4

盗人も憎いと思わず、かわいそうなという心で、その者が善心に立ち返るようにお願いしてやれ。

 

..藤原嘉造の伝え

■ 理2・藤原嘉造・1

はじめて参拝した時のこと、金光様は、
「私に拝んでくれと言うけれども、拝んで達者になるものなら、天の下に病人はないようにしてやる。神の教えの理解をして聞かせるから、遠方から参って来て、足が痛いのに、そのように座っていなくてもよい。寝ころぶとか、足を投げ出すとかして、よく話を耳に聞いて腹に持って帰れ。(2)そうして、それを日々用いていれば、日参であるとか月参であるとか人は言うけれども、金神の道では日参も月参もいらない」
と仰せられた。

■ 理2・藤原嘉造・2

明治四年ごろであった。ある時参拝したら、川辺のある婦人が参って来ていた。その人が「夫がこの度、家を買いました。その家は川辺で一か二かという立派な家でありますが、その家に前に住んでいた者が、七人の内五人まで死んだということがあって、若夫婦は嫌いまして折り合いがつきません」と願っていた。(2)すると、金光様は、
「信心さえすれば、恐れることはいらない。信心をせずに我が強いから、そういうことになる。普請をするのに、金神様はどこかじゃまにならない所にまつっておけばよいと言って、たばこ入れに火打ち石くらいのこと(わずかなこと)をして、下の間の隅の方にまつっている。
(3)金神といえば、この世はじまっての神である。ほかの神々は、ここに、あそこにとまつっておきながら、この世はじまっての神は末座にしている。それが神の規定にかなわないことになるのである。手厚く信心すれば、たとえ神の戒めを受けた家であっても、その家を買って、そのまま入って住もうと、解体して持ち帰って住もうと繁盛する」
と教えられた。

■ 理2・藤原嘉造・3

とかく氏子は、普請をするのに方角とか日柄とか狭いことばかり言うが、身代ができてくると前座敷とか裏座敷とかいうものを建てるようになり、雪隠(便所)でも座敷に一ついるようになる。そうなると、この方角は悪いからと言って、片方へばかり建て増すわけにはいかないであろう。広く建て増しをするようになれば神も喜ぶ。(2)神に願って建てれば、あの方角この方角と言うにはおよばない。代がわりには、うちにはこのようなぐあいで建てさせてもらったのであると伝えてやれ。そうすれば繁盛する。

■ 理2・藤原嘉造・4

天と地とは夫婦にたとえてある。天がなくてもならず、地がなくてもならない。天が夫なら、地は妻である。ご夫婦であっても、日天四様がお照らしになっている時には月天四様は何ともなさらない。また、月天四様が雨をお降らしになるのは、家のことにたとえれば、家内が乳を飲ませるのと同じことであるが、その家内の役目を日天四様はじゃまされない。
(2)そのとおりで、一家の内で亭主が一家のことを取り締まるのを、かれこれ言わないように、また、家内のすることは、家内の心をくんで、たいていのことはかれこれ言わないようにしないと、一家のことは立たない。

 

..藤原善平の伝え

■ 理2・藤原善平・1

貧乏していた時、「金光様、仕事は人の倍くらいもしますが貧乏で困ります」と申しあげたら、
「それで貧乏ということはあるまい」
と言われた。(2)「でも、銭が残りませんから貧乏に相違ありません」と申したら、
「それは、どこかに無駄があるのであろう。よばれて(招待されて)行くのに、先に茶づけを食べて行くようなことをしてはならない。ごちそうをいただく時には十分にいただき、ごちそうをする時には十分にしなければならない。(3)十銭の無駄をすれば十円の罰バチをこうむる。それは天地が許さないからである。百円の無駄は何でもないと思うであろうが、千円の罰をこうむるから貧乏をする。無駄をしないようにすれば出世もできる」
と仰せられた。

 

..古川このの伝え

■ 理2・古川この・1

金光様はお供えについては、
「難儀な者は、しなくてもよい」
と教えておられた。

■ 理2・古川この・2

「世間には、火難除けや盗難除けの守り札を宮寺からいただいてきて、表戸に張りつけているものがあるが、此方にはそのような守り札はない。信心する者は、夜寝床に入る前に神様を拝んだら、火の気のあった所を見回り、戸締まりを確かめてから寝よ。それから後は神様が夜どおし守って下さるから安心である」
と金光様はよく仰せになっていた。

■ 理2・古川この・3

「寝きり(熟睡)をよくしておかないと、明日が勤まらない」
と金光様は常々仰せになり、私どもに熟睡のできるけいこをせよと教えられた。

■ 理2・古川この・4

「値切って物を買ってはならない」
と金光様は常に仰せになっていた。

■ 理2・古川この・5

「何事にも無理をしないように用心せよ」
と金光様はよく仰せられた。

■ 理2・古川この・6

ある人が子供の数が多く、それぞれ性格が違うので困っているとお願いした。金光様はその人に、
「五本の指が、もし、みな同じ長さでそろっていては、物をつかむことができない。長いのや短いのがあるので、物がつかめる。それぞれ性格が違うので、お役に立てるのである」
と教えられた。

 

..古川参作の伝え

■ 理2・古川参作・1

「金光様、あなたはいつも神様神様と言われるが、まさかの時には米がないと困ることになります。子供も大勢いるのだから、田地を買われてはどうですか。ちょうど売り物が出ているのでお買いなさい」と申しあげたら、(2)金光様は、
「親切に、よく知らせてくれた。しかし、私は先の用意はしないことにしている。こうして、神様のご用をさせていただいておれば、神様が家のことを引き受けてくださり、ご心配くださるので、何ともない。なければ食わないだけである」
と仰せになった。

 

..古川てるの伝え

■ 理2・古川てる・1

「家が焼けてもどうなっても、じっとこのようにして私は座っている。どのようなことがあっても動きはしない」
と言っておられた。

 

..法月健助の伝え

■ 理2・法月健助・1

神様は神棚のごみはお許しくださるが、心のごみはお許しにならない。よく心の掃除をして信心すれば、おかげは心のままにいただける。

 

..堀本利吉の伝え

■ 理2・堀本利吉・1

明治十三、四、五年ごろ、私は船頭をしていた。それゆえ、一か年には、三、四回ずつ大本社へ多くの信者を伴って参拝し、その度ごとにご理解をいただいていた。
「たびたび参られても、何も手から手に渡すものはない。私のは話がおかげであるから、帰られたら話を人にして、おかげを受けさせよ。世の中に他人ということはない」
と、たびたびのみ教えをいただいた。

 

..槙つねの伝え

■ 理2・槙つね・1

金光様から、
「参る所がなくても、土地の氏神に参ってお願いすれば、氏神が天地の神に届けに来るから、氏神に参って信心をせよ」
という意味のことを教えられた。

 

..益村関太郎の伝え

■ 理2・益村関太郎・1

明治十六年の旧三月十四日ごろに参拝した時、金光様は、
「遠路のところを参って来るにはおよばない。おかげはわが家で受けよ。神棚に塵がたまるのは、参拝道に草が生えたと思って、気をつけて信心せよ」
と仰せられた。

 

..松本太七の伝え

■ 理2・松本太七・1

先の世まで持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳である。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。神徳は尽きることがない。

■ 理2・松本太七・2

親のしつけよりも、神を頼め。

■ 理2・松本太七・3

たとえ畑で肥をかけていても、道を歩いていても、天地の神の広前は世界中である。

■ 理2・松本太七・4

信心していても、いよいよ困難に陥ることがあるが、その時に信心を落とさず、たるまず信心をせよ。

■ 理2・松本太七・5

金神様の所へ参ると、人は狐や狸の所へ参るように言うであろうが、ばかになって信心をせよ。こらえておれ。

 

..松山勝蔵の伝え

■ 理2・松山勝蔵・1

遠いのに、ここまで参って来なくても、近い所で信心するがよい。ここまで参るには、こづかいもいる。神様はどこにでもおられるのであるから、近い所で信心せよ。

■ 理2・松山勝蔵・2

「日天四 月天四 八百八金神様、たとえ、あなたにご無礼をしておりましても、お許しください」と言って拝礼せよ。日天四は父神様で金神様は母神様である。お母様が、よい方へよい方へと連れて歩いてくださる。

■ 理2・松山勝蔵・3

妊娠しても腹帯をするにはおよばない。腹帯をしなければ、子もよく太る。また、産婦は高枕をしなくてもよい。じっと楽に休みさえすればよい。欲しい物を食べるがよい。産児に、乳つけ、五香などはいらない。初乳を飲ませ、お神酒をいただかせよ。毒はない。

 

..万代光造の伝え

■ 理2・万代光造・1

広前でひそひそ話をするな。一語万金。

■ 理2・万代光造・2

金光様にはいつでも会えるということなので、金光様に伺ったところ、
「日が暮れたら、会おうと思えば会える。また、夜が明けたら会える。丸いものが頭の上に上がって来る。それを見たら、私であると思え」
と仰せられた。

 

..水谷善七の伝え

■ 理2・水谷善七・1

ある時参拝の節、金光様に、「あなたでも腹の立つことがありますか」とおたずね申しあげると、
「はい、私も耳があり目があるから、心に障ることもある。けれども、神様が『腹を立てるな、腹は立てるな』と仰せられるので、腹は立てられない」
と仰せられた。

 

..三村佐野の伝え

■ 理2・三村佐野・1

はじめて参拝した時、金光様が、
「あなたはさいさい見るが、どこの人であったかなあ」
と問われるので、「私は初めてですが、広江の方(千田志満の広前)へは、たびたびお参りをして、おかげをいただいています」と申しあげると、金光様は、
「広江でおかげを受けるので、此方にまで知れるのであろう」
と仰せられた。(2)「金光様、なにぶん、突然にお参りをしましたので、何もお礼を持って来ておりませんが、何をお供えすれば神様がお喜びくださるでしょうか」とお伺いすると、
「何もお礼を出すことはいらない。自分が受けたおかげを手本にして世の中の人を救ってやれば、お礼になる」
と仰せになった。(3)そこで、「私のような学問も何もない者には、それはむずかしいです」とお答えすると、
「学問のある者しか神は使わないというわけはない。学問はなくても真の徳をいただけば、さしつかえはない。自分が受けたおかげを手本にしていくのであるから、むずかしいことはない。それゆえ、学問はなくてもさしつかえはない。ご用をさしていただけ」
と言われた。

■ 理2・三村佐野・2

ある時、笠岡の人が倉庫を建てようとしたが、人々はみな、鬼門に当たるからやめよと言った。その人は気にもとめず、神も何もあるものかと言って、三間に八間の倉庫を建てたが、夜の間に倉庫はたおれてしまった。その人は根比べをすると言って、また同じ所に倉庫を建て、瓦もふき、壁も塗りおわったところ、またたおれ、瓦も柱も使えなくなった。(2)そこで、その人は金光様のことを思い出し、一家で相談して、ひそかに金光様の広前にお参りした。そして、これまでのことを話してお願いしたら、金光様は、
「この大地もその他の物も、みな神様の御物であるのに、わが物である、わが金ですると思い、神様にお願い申さずにするから、叱られるのは無理もない。神様にお願い申して、神様のご地内をお借りし、今までのご無礼をおわびして建てれば、さしつかえない」
と教えられた。(3)その人は、この度は三階建てを建て、一番上は神様のお間とさせていただきますと約束して帰り、三度目の普請でおかげをいただいたということがあった。

■ 理2・三村佐野・3

この天地金乃神様は清い所も汚い所もお守りくださる。(2)女には月経ということがある。この時になると、不浄を忌むと言って、神様にお礼をせず、供え物もせず、神様の前に行かないようにする者がある。それは大きな誤りである。
(3)この月経というものは、女の月々の役である。この役の時は、神様にお礼を申しあげて、日切りをして、その日までには、なにとぞこの役を終わらしてくださいと願い、終わったら手厚くお礼を申さなければならない。
(4)この大天地は、みな神様の体であるから、人はどこにいても、神様のおかげでなければ一日も過ごすことはできない。そうであるから、神様の前に行かないようにするのは、神様への大きなご無礼である。

 

..宮永助四郎の伝え

■ 理2・宮永助四郎・1

金光様がお隠れの十二三日前に参拝すると、
「今日を限りに、これからはもう、此方の手続きでと言わずに、どこからでも神様に願え。此方はいつまでも生きてはいないから」
と、ねんごろにお話しくださった。

 

..宮永延蔵の伝え

■ 理2・宮永延蔵・1

父助四郎は毎日お酒を一升五合ずつ飲むという酒豪であった。ある時、父とともに参拝したが、父が、「金光様、家が貧乏で困りますから今日限り酒をやめさせていただきます」と申しあげると、
「午の年は今日限り酒をやめるのか。それもよい。酒をやめて、今晩からお神酒をいただけ」
と言われて、お神酒をお下げになった。

■ 理2・宮永延蔵・2

父に連れられて三回目にお参りした時のことであった。相当なお供のついた人が参り、みな席をゆずった。その人が、「妻の病気のおかげをいただきたい」とお願いすると、金光様は、ご祈念の後、
「信心すればおかげが受けられましょう」
と仰せられた。(2)その人が帰った後、父が金光様に、「あの方はどなたですか」とお伺い申しあげると、
「今のは庭瀬の殿様で、お参りに来られたのである」
と仰せられた。(3)父が、「殿様なら、もう少しご待遇があるのではないでしょうか」と申したのに対して、
「氏子、人間にはへだてがあるが、神には、殿であろうが職人であろうが、上下はない。信仰する人がおかげをいただくのであるから、そのつもりで今後は一心に信心せよ」
と言われ、父はそのお言葉で一生涯のおかげをいただいた。

 

..村木マスの伝え

■ 理2・村木マス・1

他人を助けておけば自身が助かるのである。他人の娘をもらっても、嫁はわが身の死に枕(死ぬ時の世話人)であるから大切にしなければならない。(2)また、自分の子をよそへやったら、たとえ病気になっても、たずねて行かなくてもよい。他人が大切にしてくれる。(3)内輪がよく治まれば、近所との折り合いもよくなり、家も繁盛する。

 

..室山本造の伝え

■ 理2・室山本造・1

十八歳ごろのこと、家を新築するのに金神の祟りを恐れて、金光様の所に参った。金光様は、
「普請をするのに、八方ふさがりなどと言って困っているが、神は氏子がかわいいから守ってくださる。そんなことは恐れなくてもよい。(2)また、早くから縄を引いたりしなくてもよい。氏子の勝手のよい時に、お神酒とご飯を供えて願えばよい。早くから頼んでも、さしつかえがあったら建て前ができない。今月今日という心持ちで祈れば、おかげをくださる」
と仰せられた。

■ 理2・室山本造・2

ある時、金光様が、
「灯台もと暗しということがあるように、大谷の辺りにはお参りする者が少なく、かえって遠い所の人が多い」
と嘆かれたことがあった。

 

..森きくの伝え

■ 理2・森きく・1

白神先生の代参をしたことがたびたびあったが、その度ごとに金光様は、
「人に向かい、寄進勧化を言ってくれるな。神を汚すようなことをしないようにせよ」
とことづてをされた。

■ 理2・森きく・2

神は一体、守り守りの心しだいである。

 

..森政謙吉の伝え

■ 理2・森政謙吉・1

明治十六年一月に参拝した時、金光様は、
「医者は病気を治すが、命を延ばすことはできない。その方は信心して命を延ばし、それから学問せよ」
と教えられた。

■ 理2・森政謙吉・2

金光大神の祭り日は九日十日であるから、十日十日のおかげを受けよ。

 

..森政さだのの伝え

■ 理2・森政さだの・1

明治十二年十月十五日に参ったら、金光様が、
「氏子のうちには、亭主の病気が神様のおかげで助かったと思っていない者がある。寿命があったから助かったと思っている者がある」
と仰せられた。(2)実は、十月十二日の晩、妙見様の祭りで、そば切りを打ちながら、母が谷下のおばに、「禎治郎テイジロウが治ったのはおかげであったと言うが、、寿命があったから治ったのです」と言い、おばも「そうに違いない」と話し合っていた。(3)金光様はそれを聞いておられたかのようにお諭しになり、さらに、
「氏子の家には、棺おけに足を突っこんでから出たものでないと、おかげとは思わない者がいるが、今度のは、いよいよ寿命限りであったのが、氏子の一心で助かったのであるぞ」
と仰せになった。

■ 理2・森政さだの・2

夫がおかげを受けたが、まだまだもとの体ではないと思い、参拝した時、
「氏子、十里の坂を九里半登って、それで安心してはいけない。十里を登り切って向こうへおりたら、そこで安心せよ。途中で気を緩めると、すぐに後へもどるぞ」
と仰せられた。

■ 理2・森政さだの・3

夫が全快し、夫婦ともにお礼参りした時、金光様は夫に向かって、
「氏子、自分の妻と思っているであろうが、体は妻であるけれども、氏子の一心で病気が治ったのであるから、心は命の親である」
と仰せられた。

■ 理2・森政さだの・4

夫婦は家にたとえれば合掌と同じことである。一方がたおれると一方が立たなくなる。

■ 理2・森政さだの・5

おかげをいただいた時、
「氏子、ふとん牢に入らないようにせよ。ふとん牢に入ると、食べる物も寝たままでいただかなければならず、大小便も寝たきりで取らなければならないようになるからな」
と仰せられた。

■ 理2・森政さだの・6

氏子はみな、おかげを受けるために参って来ているはずであるが、中には、神様が「おかげをやろうやろう」と言われるのに、「いや、結構です」と言って帰る者もある。おかげをくださっても、くださらなくても、ぜひいただかなければ帰らないという気でいる者こそ、おかげをいただけるのである。
(2)大勢の子供たちに、親が豆を配ってやろうとしている時、「ありがとう」と言って手を重ねて出す子には、一握りのものは二握りもやる気になるであろう。ところが、「いや、よろしいよろしい」と言って後ずさりする子には、握ったものも放す気になってしまう。

■ 理2・森政さだの・7

神棚に供えた水でなければおかげは受けられないとは言えない。道を歩いていて、馬の足跡にたまった水でも、いただけば気つけにしてやる。それもない時には、お土をつけておいてもおかげは受けられる。

■ 理2・森政さだの・8

祓、心経ではおかげは受けられないから、わが心の一心でおかげを受けよ。祓、心経でおかげが受けられるのなら、太夫や山伏はみな、おかげを受けそうなものであるが、そうはいかない。

■ 理2・森政さだの・9

子供が大勢いても、大勢であるからもういらないと思ってはいけない。九人あって、十人目にできた子はいらないと思っていても、その十人目の子の世話になって死ななければならないことがあるかも知れない。(2)一人の子しかなければ、その一人が貧乏なら、みな貧乏である。大勢育てておけば、その中には幸せな子もできる。

■ 理2・森政さだの・10

子は産むが、心は生みつけられないというが、心が生みつけられないでどうなろうか。生みつけないから、生みつけられないのである。
(2)懐胎中に、悪い根性を持って、うまい物を一つでも姑に隠れて食べようという気になるようでは、よい子はできない。親の心を改めよ。そうすれば、子の心はよくなる。

■ 理2・森政さだの・11

体にはぼろを下げていても、心にぼろを下げてはならない。体の垢は、ぬかやせっけんで落ちるが、心の垢は、ぬかやせっけんでは落ちない。

 

..森本伸の伝え

■ 理2・森本伸・1

おかげは、自分の心で受けようと思えば受けられるのであるから、他人からいろいろと言われても、心をわずらわさず正直に家業を勤めて、おかげを受けるがよい。信心は人がするのではない。自分が信心するのである。

 

..山形春蔵の伝え

■ 理2・山形春蔵・1

「伊予の川之江で酒屋をしている者が、酒がくさって此方へ願いに来たので、お神酒をつぎこんでお願いしておけばよいと言っておいたら、それでおかげをいただき、よくなった」
と金光様から承った。

■ 理2・山形春蔵・2

ここへ、たびたび参って来なくてもよい。真さえあればおかげはいただける。参って来れば、来ただけのおかげは授けるけれども、昔から、近い火で手をあぶれということがあるから、林の広前(金光梅次郎の広前)へ参れ。

■ 理2・山形春蔵・3

今信心したからといって、今おかげがあるとはいえない。たとえてみれば、魚でも味のよいものといえば、かつお節であるが、それも、今けずって今味が出るのではない。長く煮ている間には、よい味が出てくる。信心もそれと同じで、十年信心をしてみると、ありがたいことがわかってくるであろう。

■ 理2・山形春蔵・4

ある時五人連れで参ったら、捕亡(警官)が二人来ていた。金光様は上がり口に出て、、極めて謙虚なご態度で応接しておられた。(2)私らが参拝したのを見て、捕亡の一人が、「貴様らは何をしに来た」と言うので、金光様が、
「おかげを受けに来たのでありましょう」
とお答えになると、捕亡は、「何を言う。お前らが拝んで、おかげが受けられるものか」とののしった。(3)私らはしばらく外に出て、捕亡が帰ってから金光様のみ前に出たところ、
「あの人らはあのように言われるが、お上のことであるから、言われるようにしていなければなりません」
と仰せられた。

 

..山下佐之市の伝え

■ 理2・山下佐之市・1

まだ暦が改正になっていなかったころ、金光様は、
「暦が改正になり、日柄や方角がわからないようになるから、信心をしておかげを受けるがよい」
と仰せられた。

■ 理2・山下佐之市・2

明治十三年旧正月お礼参拝した時、金光様は、
「氏子、体を大切に扱え。どれほど丈夫な道具でも、乱暴に使えばこわれるからな」
とのご理解をしてくださった。(2)そのころ私は元気盛りの身で、ずいぶん無理な労働をしていた。何も金光様にお願いしなかったのに、このお言葉をいただき、非常にありがたく感じ、それからは我慢気を去ることに務めた。

 

..山下清作の伝え

■ 理2・山下清作・1

農業のかたわら灸術を心得て、大勢の人を助けていたが、明治十二年旧正月お礼参拝した時、金光様から、
「氏子、灸をやめて信心で助けよ。灸ではみなは助かるまい。信心でもみなは助からないが、灸は行くか来るかしなければ助かるまい。そして治らない時には熱い目をさせ、子供などは泣かせて、罪を作るようなものである。(2)信心は座っていて、どのような遠方からでも願えばかなうからな」
とのお諭しを受け、悟るところがあって灸術を廃し、ご理解のとおり信念をこらして、神の道で人を救うようになった。

 

..山下よしの伝え

■ 理2・山下よし・1

信心する者はめいめいの心で信心して、遠方を参って来なくてもよい。心を広く持って、安心しておかげを受けよ。

■ 理2・山下よし・2

夫佐太郎が明治八年旧五月に亡くなったが、その前の四月ごろに参った時、私の心配を承知しておられたかのように、
「どうしようと思っても人間の思うようにはいかないから、神様にもたれておれば神様がよいようにしてくださる」
と仰せられた。

 

..山田又助の伝え

■ 理2・山田又助・1

心にないことは言うな。

 

..山本定次郎の伝え

■ 理2・山本定次郎・1

弟伊平を出産した時から、母が血の道で足が立たなくなり、そのことで、父は日柄方位を見てもらったり、祈念祈祷を諸所の山伏修験者にしてもらったりしたが、治らずに困っていた。ある人から、大谷の金光様にお願いすれば、すぐにおかげがいただけると言われ、元治元年に金光様のもとへお参りした。(2)お願いすると、
「その方の家は南向きで、家の横から裏へあがると、人の通り道があり、家の所から曲がり道になっている。この度の出産についても、方位を見てもらい、三度も後産を埋めかえた。神様を頼むことを知らない者は、どうにもならない。神様の留守をねらうことばかり考えだして、うろたえている。留守をねらう心を改めないと、おかげは受けられない。
(3)隣三軒は京の子にもかえなと、ことわざにもいう。その隣同士でも留守ばかりをねらうと、つまらないことになる。仲よくしようと思えば、隣から何か貸してもらおうという時には、前夜から頼んでおけば快く貸してくれる。それを留守をねらって勝手に持ち出すと、小言が出る。
(4)今度のことも、天地の神を頼むという心になり、金光大神の手続きをもって頼むと言えば、自由自在におかげが受けられる。天地の神の氏子であるから、あなたも私も同じこと、神様から直々におかげが受けられる」
と教えられた。(5)父が「おかげはどのようにしたら受けられますか」と押して金光様にお伺いすると、
「それは別にむずかしくはない。神様が母親の胎内に氏子をお与えくださり、当たり前の人間にお造りくださるといううのが、神様のお恵みである。お産のために足が立たなくなるということはない。懐妊したら神様におすがりし、日々食べる物をありがたくいただいておれば、お産をしても、足が立たないようなことにはならない。(6)これからは、神様に一心におすがりしていくがよい。方位方角に迷い、神様のご地内に忌み汚れなどと言って、ご無礼をしてはならない。ご地内にできた物をありがたくいただいておれば、心配はない。心配する心で信心をすれば、楽におかげが受けられる」
と、こまごまと教えられた。
(6)私は、父からこのような金光様のみ教えを伝え聞いて、常々、どうして五里もへだてた所の建物、道、方角のことなど金光様に知れるのか、不思議に思っていた。(8)ある日そのことをお伺いすると、金光様は、
「目をあけてみると、目に見えることしかわからない。目を閉じて願っておれば、神様が心に知らせてくださる。以前に、その方の家のことを言ったことが、よく合っていたということであるが、私は目を閉じて、じっと願って心に浮かんだことを言っただけである。神様がお知らせくださったのである。あなた方でも、真の心になってお願いすれば知らせていただける。
(9)人はいろいろと言うであろうが、金光大神は、ほかほかの神々のように使わしめを使うのではない。神様の教えを受け、おかげを受けているのであるから、みんなも、そのおかげを受けるという気になれば、同じように受けられる。
(10)神様には遠い近いはない。稲木と大谷とで、天地に違いはない。神様は満ちわたっておられるから、心を改めれば改めるほど、神様から尊いおかげがいただける。疑いは去ってしまって信心しなければならない。
(11)信心しているからといっても、みんなの身の上のことが何もかも同じになるとはいかない。あなたは山の中の人であるそうだが、山の木が三十年たっている、五十年たっているといっても、同じような木ばかりはない。ある人は信心しないのに分限者になることもあるし、信心してもなれないということもある。米麦を作っても、白穂もできるし黒穂もできる。そのように、全部同じようにとはいかないので、心を広く持って信心していなければならない。
(12)神様が、あなたの父親にそれほどに教えをなさったことがあるのは、よほど、家相方位に心を曇らしたその方の家のことが、み心にかなわなかったのであろう」
と教えてくださった。

■ 理2・山本定次郎・2

はじめてお参りした時、私がまだ何も申しあげないのに、金光様の方から、
「人間は、どうして生まれ、どうして生きているかということを知らねばなりませんなあ」
と話しかけられたので、私は、金光様は何を言おうとされるのだろうかと思った。その時の天地のお恵みについてのみ教えは、一言一言が胸に突きささるようにこたえて、たいへんに感激した。

■ 理2・山本定次郎・3

天地の神のおかげで生かしてもらっている者は、合わせ鏡の間に置いてもらっているようなものである。悪いことも善いことも、みな鏡に現れるように神様はご承知である。信心して、真の心にならなければならない。

■ 理2・山本定次郎・4

三宝様をこぼすと目がつぶれると言うが、そういうことは言わない方がよい。子供を叱るより、教えてやれ。食べ過ぎると腹が痛くなるとも言うが、そういう悪いことも言わないがよい。(2)三宝様を作るのは百姓であるが、それも、神様のお恵みがなければできるものではない。神様のお恵みをいただくという心になるようにと、子供に教えてやるがよい。

■ 理2・山本定次郎・5

鳥や獣がどうして生きていくかを考えてみると、神様のお恵みがわかる。冬になったといって、重ね着をするでなく、夏になっても一枚脱ぐこともないが、神様は、それでちゃんとさしつかえないように育てておられる。牛など子を産んでも、別に親が温めてやるということもないが、それでも大きくなる。
(2)木を見ても、はじめは目にも見えないような双葉であるが、だれが育てるということもないのに、大木になって世のためになる。人はみな、家の中で木をたいて、その恩を受けている。家事を取り運ぶ婦人などは、このようなことを考えてみても、神様のありがたいことがわかる。(3)みんな、よく物の道理を知って信心しなければならない。

■ 理2・山本定次郎・6

人間は万物の霊長であるから、善いことと悪いこととを知らなければならない。
(2)土用の炎天下、暑さに万物がさしつかえなく生きておられるのは、自分力でそうしているのか。そこから考えて、神様のありがたいことを知らなければならない。暑くて暑くて、もう根が切れそうなと言う。そのような時でも、健康に生きていけるかどうかということを、神様は知らせてくださる。(3)そのような時、腹に手を当ててみれば冷たい。天地の神様は、外の火気カッキ(熱気)がひどい時は腹を冷やして生かしてくださる。それは人間に限らない。犬でも牛でも同じことである。それを考えても、神様が守ってくださるのがわかるであろう。もし腹が熱かったら油断ができない。
(4)寒中になって、寒くてつらいという時は、腹の中へ十分に陽気をくださって楽にしてくださっている。寒さで性根がなくなったといっても、じっとふとんの上に座っていると暖かくなってくる。神様は、そうして四季にわたって守ってくださる。
(5)痛いのを治してもらいたいということだけで信心していると、治って礼を言えば、それで信心は終わる。今日でも、何人もありがとうございますと言って帰ってしまったが、そういう人はこのようなことも聞けない。
(6)神様が金光大神に教えてくださり、話して聞かせよと言ってくださるから、話してあげる。それを聞いて、子供にでも他人にでも話して聞かせてあげよ。(7)めいめいにそれを心得、天地の神様はありがたいとわかって信心する人が一人でもできれば、神様がお喜びになる。そうなれば、あなた方も神様のご用に立つこととなる。

■ 理2・山本定次郎・7

信心には何を目的にすればよいか。病人は痛いのを治してもらいたいと願い、健康な者は、作がよくできるようにとか、商売が繁盛するようにとか願って参るが、それは一時のことである。信心するには、末の安心を楽しみにしないと信心が続かない。(2)末の安心のためには、自分一人がおかげを受けただけではならず、子孫に伝わる信心をすることが大切である。家の内が円満で、あるじが信心しなければ、子孫には伝わらない。
(3)痛いのを願うのは信心の糸口ではあるが、それでは、治ればお礼参りをして、その後は参らないということになる。自分の心を改めて、よい子供を得るということを、信心の第一の目的としなければならない。一代の信心は神様が喜ばれない。
(4)末の安心が得られるかどうかは懐妊十月の間にある。その間、親が心を磨いていなければならない。赤い物を見れば子に赤いあざができるというが、それは形の上のことである。心にあざができると、せっかく大きく育てても、後で困るようなことになる。母の胎内は器である。水は方円の器に従い、人は善悪の友によるというが、その器であるから、母親が心を改めて自身からおかげを受けていかなければ、心にあざのできた子が生まれる。
(5)この懐妊中の心得が信心のもとであるから、そのためには家内中、円満にして、懐妊中の者を泣かしたり、怒らしたりしないようにしなければならない。嫁と姑の仲がよければ天下が騒ぐというが、とにかく仲よくしなければならない。
(6)六根の祓にも「静め静まることをつかさどるべし」とあるが、家では家のあるじの女が司である。司が心得をよくして子供のよいのを産めば、信心が伝わる。人に笑われないようにならなければならない。これを信心の目的にして、子孫に伝わるような信心をしなければならない。

■ 理2・山本定次郎・8

金光様は常に、
「たびたび参るのもよいが、親に心配をかけてはいけない。信心は孝行が第一である」
と仰せられ、(2)ある時は、
「牛は、牛小屋に入れておけばそれでよいというものではない。草を与えておかないと鳴く。牛が鳴くと、親は口には出さないが、定次郎が草を刈っておいてくれればよいのにと心で思う。(3)お参りをするには、三日前から考えてお願いしておけば都合がつく。朝少し早く起きて草を刈り、昼みんなが茶を飲む時に心がけて草を刈るというように、三日前から用意しておけば、親が心配することも牛が不自由することもない」
とみ教えくださった。

■ 理2・山本定次郎・9

山本の家に不幸が続いたことがあったが、前もって金光様から、
「若死にをすると、みな嘆いて心を苦しめるが、稲にも、早稲、中手、晩稲とあるようなもので、早く死んでも、子供ができてから死ぬのは、早稲のようなものである。まだ子のないのに死ぬのは、白穂になったのと同じである。
(2)死ぬということは、もみを臼でひいた時、殻と実とが分かれるようなものである。時が来れば魂と体とが分かれるのである」
とのみ教えがあった。

 

..山本留の伝え

■ 理2・山本留・1

人力車ができて、はじめて夫婦ともに参った時、
「夫婦連れで参るのは、まことに結構なことである」
と金光様が仰せになり、日柄方角のことなどを教えてくださった。(2)また、
「腹帯をすることはいらない」
と言われた。

 

..湯浅甚五郎の伝え

■ 理2・湯浅甚五郎・1

二十七歳の時普請をし、家の中に金神様をまつらなければならないと思い、大谷の金光様へ参って、お札を一枚いただきたく思いますと願った。(2)お書付をお下げくださって、
「よく参って来られた。無理に遠い所を参って来なくても、毎朝、壁をにらんででも、心を正しく持って信心するがよい。そうすれば、障りも何もない。(3)私もはじめは百姓であったが、信心をして、今年は何がよい、今年は何がよいなどと神様から教えてもらって、作徳をいただいたのである」
と教えてくださった。

 

..湯浅津伊の伝え

■ 理2・湯浅津伊・1

長男が三歳の時病気になり、はじめてお参りした。お願い申しあげると、
「心配することはない。一心に信心すれば必ず治る。おかげを受けるがよい」
と仰せられた。

 

..横田ヒサの伝え

■ 理2・横田ヒサ・1

明治十三年春から胃病に悩み、いろいろと治療の道を尽くしたが効果がなく、困っていた時、ご神縁をいただいた。私と母午の年女とが横田粂三郎氏の導きを受け、母子一心におすがりした結果、願いどおりに難病も全快のみかげをいただいた。(2)そこで、大本社へ御礼参拝のうえ、家族全員の郷里讃岐へ移住のことをお伺い申しあげ、日取りとともに、ご神命を仰いだところ、金光様が、
「このおかげは自分にとめず、讃岐へ移住しても人を助けてやれ」
と仰せられ、(3)また、
「日を決めても、風が吹けば行かれまい。支度のできた日を、よい日と定めて行けば、おかげが受けられる」
と仰せられた。(4)そこで、明治十六年正月に讃岐へ引っ越すことになり、大本社へ参拝し、将来の事をお願い申しあげ、渡航した。

 

..吉田多三郎の伝え

■ 理2・吉田多三郎・1

息子が六歳か七歳の時、脾疳(小児病の一種)で目が見えなくなった。四里四方、まじない、灸など手を尽くしたが、命にもかかわるようになり、石原銀造氏について信心し、金光様のお広前に連れて参ってもらった。(2)お願いすると、
「信心をすれば治る。信心は、一週間とか十日とか、日を切って願え。その間に、ただの少しでも験が見えたら、商売人でいえば入金のようなものであるから、それを取り逃がさないように信心せよ」
と言われ、それから七十日ほどして片目は見えるようになり、おかげをいただいた。

 

..吉田芳助の伝え

■ 理2・吉田芳助・1

明治十二年のコレラ流行の時お参りした。その後、金比羅様の木札のような大きな「須佐之男神社」という木札を御本社オンモトヤシロからいただいて帰った。それを由宇の人が見て、大谷で受けて来て欲しいと言い、二、三人に頼まれたので、金光様にお願いしたが、だれが言っても、もう出さないとのことで、やめておられた。(2)さらにお願いすると、
「神の仰せに逆らうから、逆さ事に遭う」
と言って悲嘆された。そのご意味は、神様がお札を出すなと言われるのに萩雄様が出されるから、息子の桜丸が死ぬということであった。
(3)「信心している間はもったいないと思い、お札を大切にするが、信心がすたると粗末になるから出せない」
と仰せられた。

 

..吉原良三の伝え

■ 理2・吉原良三・1

ご普請の大工小屋ができていた。私はたびたび棟梁にご普請について金を用立てたことがあったが、十年ほどもそのままになっていた。明治十年ごろ、ある日ご普請の寄付金にと五十円を用意して参り、「金光様、ご普請はどうして早くできませんか。木がくさってしまいますが」と申しあげると、
「私が入るのであるから、急がない」
と言われた。(2)「今日は少々ご寄付をしようと思って参りました。よそでは寄付札を立てたりしますが、こちらでは、そういうことはなさらないのですか」とお伺いすると、
「あの人が五円寄付したので、私も五円しなれば、私も三円しなければということになり、それがたちまち神様への信心に不浄を入れることになるから、いくら寄付されても、そういうことはしないのである」
と言われた。(3)「寄付帳とか受付とかはありませんか」と申しあげると、
「はい、それもない。神様へあげられるのなら、ただ、さい銭箱に入れておかれても同じことである。金がなければ信心できないとなれば、貧乏人は、みな死ななければならない。私の方には乞食が参って、お供えする物がないと言っても、ご神米を下げるのである」
と言われた。(4)私は五十円も持って来たので歓待されるかと思っていたが、調子はずれの話で間が抜けたことであった。そこで、五十円を出して、「ご普請の方へご寄付いたしたい」ともうしあげると、
「はい」
と言われ、ご祈念くださった。(5)ご祈念が終わってお結界に下がられ、何も仰せられずただお座りになっていた。私は心の内で茶づけでも食べよと言われるかと思っていたが、何のこともなかった。お礼を申して帰ろうとしたら、平生のとおり、
「それは、ご苦労であった」
と言われただけであった。

■ 理2・吉原良三・2

「天は日天四 月天四、地は金神である。(2)三年ふさがりとか回り金神とかいうが、よく考えてみよ。ふさがっている間は普請ができないと言う。そうして、留守に普請をしている。(3)人間にしても、そうされると、帰って来た時に、私の留守に普請をして不都合ではないかと、小言を言うであろう。神様でも同じことで、留守をねらって、後、知らん顔をしていては、お叱りを受ける。断わっておいてすれば、神様は守ってくださる」
と教えられ、私の代になって十年ばかり普請を続けてしたが、み教えどおり、一回もお叱りをこうむったことはなかった。

■ 理2・吉原良三・3

私は吉原家の入り婿であった。明治十年ごろから妻かねが病気になり、しだいに悪くなっていった。明治十二年十月二十日の明け方いよいよ悪くなり、私が金光様のもとに参拝し、「どうも、ぐあいが悪うございます」とお願いすると、年を帳に書いてご祈念くださって、
「もう一週間たてば、薄紙をはぐように全快する」
と言われた。「ありがとうございます」とお礼を言って帰途についた。岡山の町外れの大供まで帰ると、使いの者が来て、亡くなったと知らせてくれた。(2)金光様の仰せとは大いに違った。しかたがないと思って帰ると、妻は死んでしまっていた。義母は気丈夫で、人に会っても涙一滴もこぼさなかった。七日七日の法事、四十九日のしあげもして、五十日に墓参をした。(3)その翌日、隣家の手伝い人もあり、道具もかたづけ、母は「やれやれ、くつろいだ。なんとなくくたびれた」と言って横になった。それから大熱が出、八日後に死んでしまった。たまったものではなく、言う言葉もなかった。
(4)幾日か過ぎて金光様のお広前に参り、金光様にお目にかかるや否や、「先だって、私が妻の大患をお願い申したら、全快すると仰せられましたが、死にました。その後、型どおりのことを行い、その間、母は人々に愁いも見せなかったのですが、中陰(四十九日の法要)の八日後に大熱で死にました。二人とも死んでしまい、残念でたまりません。あなたのおっしゃることの、どこを信じてよいか、わかりません」と申しあげた。(5)金光様は赤い顔に筋を浮かべて、
「それはお気の毒なことで、さだめし残念であろう。いっこうに当てにならないから、以後は信心しないとの決心なら、かれこれ私は言わないが、参考までに一口申しておこう。人の命ばかりは、どのように医者にかかっても、信心しても、命をいくらか延ばしてもらうだけで、命数のない者はいたしかたのないものである。
(6)岡山の池田の殿様は、御典医が七人も八人もついていて、出費をいとわず、じゃこうの風呂でも自由にできる人である。しかし、殿様のみならず、天下様でも天子様でも、病気もなされば、死なれることもある。
(7)当てにならないから信心しないと言われれば、それまでのものであるが、まあ、物の道理から考えてみるがよい。あなたの家にとって、あなたの代わりになる人といえばむずかしいが、あなたの家内になる人は、だれでももらうことができる。まあ、不幸中の幸いと思い、あなたの身代わりに家内が立たれたと思ってはどうか。(8)その看護をした人が亡くなられたのは気の毒であるが、もし男二人が死んで女二人が残ったとしたら、子供の養育もむずかしく、商売もその日限りとなる。まあ、その辺をよく考え、これもおかげであると思われてはどうか。このうえは、あなたの思いしだいである」
と言われた。(9)私は「一応は申しましたが、ごもっともです。よくわかりました。相変わらず信心もいたします。どうか、このうえともよろしく願います」と申しあげて帰った。

■ 理2・吉原良三・4

「金神様を信心しても、その人の心でおかげは受けられるのである。私は取次をするだけで、私がおかげをもらってあげるのではないから、今月今日がありがたいと思って、あなたがよく信心せよ。その心におかげが受けられるのである」
と話してくださった。

■ 理2・吉原良三・5

「無理に参るにはおよばない。どこの家でも金神様をまつっていない家はないから、朝夕、手を合わして、今日もおかげをいただかせてくださいと言って拝めば、それでよい。遠方を参って来るにはおよばない」
と仰せられた。(2)そこで、「忙しくて、朝でもご拝礼を怠るようなことがありはしないかと思います」と申しあげると、
「それはまあ、用があっても、やはりお願い申しておいて、それから仕事にかかるがよい」
と言われた。

 

..和田嘉平の伝え

■ 理2・和田嘉平・1

明治八、九年ごろ、父の嘉太郎が大病にかかり、そのうえ、おじの巳代吉が気が違っていたので、兄弟分の某と、親族で法華宗信徒某との両人が、金光様のお広前へ参ろうと言い、倉敷付近まで来た時、ふと、父の年がはっきりとわからないことに気づいた。(2)どうしようかと思ったが、引き返すこともできず、そのまま参拝し、そのことを金光様に申しあげたところ、
「年ぐらいのことはわかる。これは子の年である。普請をしているであろう」
と仰せられた。(3)「はい、建てました」とお答えすると、
「普請をするのに、家相見に見せて、方角は悪いけれども、往来が境になるから屋敷が変るのでかまわない、建てよと言われて、建てているであろう。そのために悪くなっているのであるから、お断りを言ってあげよう。そうすれば治る」
と仰せられ、そのとおりに全快した。

 

..和田安兵衛の伝え

■ 理2・和田安兵衛・1

明治十二年の十月ごろ、はじめて参拝した日の翌日のことであった。普請小屋は草が生えて、久しく作業中止の様子であったが、中にお宮の破風だけ造られたものが置かれてあった。小屋のかたわらに、人名だけ記した札が二枚立ててあった。(2)それを見て金光様に伺ったところ、
「大工に神意にかなわないことがあって、中止しているのである。宮が建てば、天地金乃神が入ると思うであろうが、神が宮の中に入ったら天地は暗闇である。あれは私が入るのである。
(3)氏子はだんだん寄付札のことを言って来るが、神は寄付札は嫌いである。札にたくさんの金額を書いて立てればよいように思う者もあろうが、たくさん書く人は、後に財産があるからよい。しかし、少ない人は、毎日働いてもうけた内を少しずつ書くのであるから、身代限りをしてお供えをするようなものである。神は、それがふびんでならない」
と仰せられた。

■ 理2・和田安兵衛・2

ある時、布教のことについて、
「焦ってはいけない。時が早い。時節が来なければ、上へ水は流れない。時節が来れば、水が上へ流れる」
と教えられた。

■ 理2・和田安兵衛・3

当時、おいさみということがあった。初代白神先生には、特にはなはだしかったが、それに対して、金光様から戒められたことがあった。
「手みくじは、此方から授けてやっているのであるけれども、手が激しく動くと、人がのりくら(神がかり)のように思うから、昼間はただご理解だけしてやっておけ。ありがたいと思えば、それでおかげはいただく。願うのは夜分にゆっくりと願えばよい」
と仰せられた。(2)そして、
「みな、のりくらと言えば狐や狸のように思うであろうが、狐や狸は山の奥にいるものではない。里の方にたくさんいる」
とみ教えくださった。

■ 理2・和田安兵衛・4

明治十五年四月に参拝した時より後のことだったか、参拝の節のご裁伝に、
「ご理解をしてやらなければおかげを受け得ない。しかし、してやれば、金光大神がどう言った、こう言ったと言って、先から先へ間違いばかり伝える」
と嘆かれ、
「これからはご裁伝はやめる」
と仰せられた。

■ 理2・和田安兵衛・5

ある信者が金光様に向かって、「このお道を信心していて途中でやめる者があるのは、どういうわけでありましょうか」と伺ったところ、
「みんながこの神様の信心をしては、他の神が立たない。世間でも、みんな賢い者になっては世が立たない。五本の指でも、高いのも低いのもあって立つのである。おかげを受けた者は、また、ありがたいことを思い出すことがある」
と仰せられた。

 

..渡辺登免の伝え

■ 理2・渡辺登免・1

私は熱心に金光様のみもとにお参りしていた。ある時、金光様は、
「そうたびたび参らなくてもよい。
(2)私の達者なうちに、この前の道から西、北川手の酒屋まで町になり、それをこの目で見て死にたい」
と仰せられたことがあった。その道は、上へ登って木綿崎山を越えて津へ渡る小道であった。

 

..伝承者不明の伝え

■ 理2・伝承者不明・1

桜町のある老婆が、西大寺町のある人と参り、道々、「参詣するのはよいが、宿がもう少しきれいだとよいのになあ」と言った。参って行くと、ご裁伝に、
「氏子の家にも神様はまつっているであろう。宿が汚いと思えば参って来なくてもよい」
と言われ、その老婆は恐れ入った。

■ 理2・伝承者不明・2

岡山のある人が商売上のことを願ったところ、
「その方の家には病人があるのに、それをほっておいて願いもせず、不幸な者である」
と言われ、「よく考えてみると中風で動けない老人がいます」と申したら、
「それをほっておいてもよいか」
と仰せられた。(2)「治るでありましょうか」と申したら、
「老人だからといって治らないことはない」
と仰せられ、信心して全快した。

■ 理2・伝承者不明・3

私の娘が眼病で、家内が方々を拝んだが、どうしても治らず、大谷へ参ったところ、金光様が、
「氏子、石金でも舟に積んだら浮かぶであろう。人はおかげの舟に乗るがよい」
と仰せられ、ありがたいことだなあと思って信心したところ、それからしだいに全快した。

■ 理2・伝承者不明・4

金光様に、「お道は結構ですなあ」と申しあげると、金光様は、
「お道は、ちょうど山の中のわら雪隠(わらで囲った便所)のようなものである。人が糞をしようと走って来て用を足してしまう時のうれしさは、言うに言えない。ここへも病人たちが来て、おかげをいただいて喜ぶのである」
と仰せられた。

■ 理2・伝承者不明・5

金光様の家の近隣の女の人が、信心すればおかげは受け得で、いくらでもいただけると人から聞き、広前に一反風呂敷を持って参拝して、朝早くから座っていた。(2)金光様が、
「あなたは朝から何をしているのか」
とおたずねになったので、その人は「私はおかげをいただきたいと思い、風呂敷を持って参って待っています」と答えた。(3)金光様は笑いながら、
「一反風呂敷ぐらいではない。おかげは家いっぱいにいただける。帰って信心してみよ。おかげがいただける」
と仰せられた。

■ 理2・伝承者不明・6

私は若い時、たびたび金光様のお広前に参り、ご飯をいただいて、二、三日も泊まって話を承ったりしていた。私は軍人で、いつもお話に反対していた。(2)ある時、金光様が、
「まあ、私の言うことを、そんなに逆らわずに守るがよい。この金神様は、大将軍様が八将金神様をお使いになり、八将金神様が時々の金神様をお使いになり、世の中に満ち満ちておられる。(3)『丑寅未申鬼門金神、八将金神、時々の金神、日の金神、大明神様、あなたの氏子になりますから万事お守りください』と言って、日々願っておくがよい。まさかの時には助けてくださるから」
と仰せになった。

■ 理2・伝承者不明・7

金光様は、いつも、
「たとえ、この身は八つ裂きの仕置きにあい、村々辻々に曝し者となるようなことがあっても、私の屋敷跡に青草が生えるようになっても、少しもいといません。世界の氏子が、生神金光大神、と真心で一心に願えば、どのような願い事でもかなえてくださいませ」
と願っておられた。

■ 理2・伝承者不明・8

金光様に向かい、陰祈念についてお伺いしたところ、金光様は、
「それくらいの道理がわからないか。哀れな者である。信心もせず、おかげも受けられない者は、そのような結構なことはわからないであろう」
と仰せられた。

■ 理2・伝承者不明・9

金光様の親類のある方が、大谷よりも笠岡のお広前(斎藤重右衛門の広前)が盛んになっているのを知って、ある日、「金光様、せっかくあなたがお広めになったこのお道も、出社の笠岡がだんだんと栄えて、肝心の大谷は日々参拝人が減るようですが、まことにつまらないことではありませんか」と申しあげたのに対し、
(2)「そうかなあ。私は、何とかして、この天地の親神様のお徳を世間の人に広めたいと考えている。それが大谷で広まっても笠岡で広まっても、少しもかまわない。ただ、この神様のお徳を一人でも多く世の中の人が知ってくれれば、それでよいのである」
と仰せられた。

■ 理2・伝承者不明・10

金光様に、「世間では、死んだ後に地獄へ行くとか極楽へ行くとか、いろいろに申しますが、いったい、人間は死んだ後どこへ行くのでしょうか」とお伺いした時、
「此方もまだ修行中で、死んだ後のことまではわからないが、この世に生きて働いている間に、日々安心して正しい道さえ渡っておれば、死んだ後のことは心配をしなくてもよい」
と仰せられた。

■ 理2・伝承者不明・11

富岡の人が参拝して、「私方には子供がどうしても育ちません。これまで五人死にました。今一人おりますが、これもいつ死ぬかわかりません」と申しあげると、金光様は、
「まあ、信心するがよい。おかげがいただける」
と仰せられたので信心したが、これもまた死んでしまった。(2)そこで、その人は、「信心はしたが、また死んでしまった。どうしてであろうか」とかけ合ってみようと思って参拝したが、金光様は、
「これは、あなたの家の何代か前に人に不義理をして財をこしらえたので、そのめぐりというものが来て、そうなったのである。親の借金を子が払うようなものである。今また妊娠しているが、その子からは神様のおかげで育つ」
と仰せられ、その子から育つようになった。

■ 理2・伝承者不明・12

長崎のある大金持ちの人が難病にかかった。金に任せていろいろと治療したが、治らなかった。ある人から、備中大谷の生神様のことを聞き、大谷まで行き、泊まりこんで毎日お参りした。(2)その人に金光様が、
「病気が治りさえすれば、それでよいか」
とたずねられたら、その人は、「病気さえ治れば、ほかに何もいりません」と答えた。(3)次の日に金光様は、また、
「病気さえ治れば、それでよいか」
と仰せられ、その人はやはり、「病気さえ治れば、ほかに何もいりません」と答えた。おかげで病気は治り、長崎へ帰った。しかし、その人はしばらくして死んでしまった。

■ 理2・伝承者不明・13

金光様に向かって、「いつ参っても同じご理解で結構ではありますが、今日は何か変わったお話を聞かせてください」と頼んだところ、金光様は、
「此方も早く変わった話を聞かせてやりたいと思っているが、あなたはまだ行えないからなあ」
と答えられ、その人は頭もあがらず、おわび申しあげた。

■ 理2・伝承者不明・14

「私のところの信者は、なんぼう言うて聞かせてやりましても、ちっとも聞きませんが」と金光様に申しあげたところ、
「言うて聞かせてやって、それで聞かんのなら、腹まで立てなくてもよいではないか」
と仰せられた。

■ 理2・伝承者不明・15

神様は火打ち金のようなもので、取次は火打ち石、信者は火口のようなものである。いくら金や石がよくても火口が湿っていてはどうしようもない。火口を乾かさなければ火はつかない。

■ 理2・伝承者不明・16

普請をするなら、その場所で線香を立て、「さしつかえがありますなら、この線香が途中で消えますように」と願え。全部燃えてしまったら、いつ建てさしていただいてもさしつかえはない。
(2)病になると、水を供えておき、その水をいただき、痛む所があればそのご神水をつけさせていただけば、すぐに治る。そうすれば医者も薬もいらないではないか。
(3)親先祖からの罪が消えず、罪が巡る間は、神は十分に守ろうとしても思うように守れない。万事、罪が消えれば思うままに出世できる。それが時節が来るということである。

■ 理2・伝承者不明・17

ありがたい時節になってきた。備前にも黒住様という神様ができ、此方には金神様のみ教えもできた。天に親類ができたからなあ。世の氏子はみな信心をするがよい。

■ 理2・伝承者不明・18

取る者は取って帰るであろう。これだけの物がなくなるうちには、道さえ立てば、神様から、また、どのようにでもして養ってくださる。神様のご用のないものなら、二十俵や三十俵の米を大切にしておいたところで、食べてしまえば飢え死にしなければならない。
(2)夜は寒いからと言って、戸を閉めたりしていては、氏子が参って来るのにじゃまになる。神の広前には門や戸はいらない。

■ 理2・伝承者不明・19

死んだ者のそばで泣いたり悲しんだり、悪いことを言うものではない。御霊が苦しむ。ほめてやれば御霊が浮かぶ。

■ 理2・伝承者不明・20

人を助ければ、神様がほうびとして、わが罪を許してくださる。

■ 理2・伝承者不明・21

ある信者に、こりを取って信心せよと教えたら、その人が、冬の寒いのに水垢離を取って信心しだした。私が言ったのは水垢離ではない。寒い時は、こたつにあお向けに寝て、胸に手を置いて心のこりを取って神様に向かえとすすめたのである。大変な受け取り違いをしたものである。

■ 理2・伝承者不明・22

氏子は、人から出る日給はわかるが、神から出る日給はわかるまい。

■ 理2・伝承者不明・23

信心する者は、山へ行って木の切り株に腰をおろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれ。

■ 理2・伝承者不明・24

今の人は何でも時勢時勢というけれど、時勢に合うたばかりでも、ご神徳をいただかなければおかげにはならない。

.第三類

..    御道案内                    白神新一郎 著

■ 理3・御道案内・1

神儒仏いずれにおろか(不十分)はなけれども、ここに金乃御神様の、そのあらたかなることを聞けり。(2)小子、近ごろお道に志し、おかげをこうむらんと欲して、日夜、信心のまねせしところに、かたじけなくも、日増しにそのしるしあり。
(3)新参未熟の小子、お道の兄コノカミたちにはばかりありといえども、あまりありがたさに、三つの宝(日天四 月天四 金乃神)のあまりあるおかげを知らぬ貴賎の御氏子とともにいただかんと誘わんがために、「御道案内」と表題し、不知不才の小子、文々句々前後混乱たりといえども、見聞するところ思い出のまま、そのあらましを書き記すのみ。つたなきところは、見る人哀れみ許したまえ。
明治四辛未年晩春                岡山住  白神新一郎 謹誌

■ 理3・御道案内・2

一つ、大御本社は正直をもととする神のお道にして、勧善懲悪はいずれも同じことなり。(2)神国に生まれて、信心せずんばあるべからず。(3)異事ある時には、神の綱の切れたるのと言うことあり。(4)この広大のお道のわけを知りて得度し、信心なる人は、その身はもちろん、先祖をはじめ子々孫々の幸福、徳なるべし。(5)また、せっかく聞きても疑い、なお空吹く風のように聞き流しにする人においては、是非もなき次第なり。
(6)そもそも、備中の国浅口郡玉島港より一里北西に大谷村大御本社生神金光大神様と申し奉り候は、ご壮年のころは歴々のお百姓にて農業あそばされしが、ゆえありて常にお金神様へご信仰なさせられて、日増しにおかげをこうむらせたまうにしたがい、ますますご修行あらせられ候ことは、言語筆紙に尽くしがたし。
(7)当今は白川御殿の派にましまし、生神金光大神様とは金神様よりご直許にして、お道開きの親神様なり。日々夜々そのあらたかなること申し述ぶるに尽きず。
(8)時に文化十一甲戌の御年ご誕生ましまし、今コン明治四辛未年、御年五十八歳。(9)ご健勝にて、ご生質温和にして、威ありて猛からず。うやうやしく、御安く、寛仁大度に、毎日、お広前に早天より暮れまでご鎮座ましまし、農民より出でたまい、大神の御位ミクライ、生きながら神とならせたまうことは前代未聞のことならずや。
(10)初心の人、家業余力ある時は参詣し、謹みてご拝奉りて、そのありがたきことを知るべし。
(11)大谷の深き恵みを汲みて知れ
哀れなりけり聞き流す人

■ 理3・御道案内・3

一つ、日天四様月天四様のあらたかなる諸人知るといえども、地に金神様の、そのありがたきことを知らずや。(2)里はもとより、山川海、日月様の照らしたまうほどの所は異国に至るまで、地の王、大氏神なり。天地日月金光様、合わせて三宝様なり。(3)日夜、世界中をご守護ましまし、なお御激しきこと諸人知るとおりなれども、またその代わり、善事にはご柔和なる大慈大悲大吉神。
(4)金乃御神一のご眷族には三年ふさがりの大将軍様、ご縁日三日なり。
(5)己が日々夜々ご無礼お粗末お気障り等の罪業をなして、お知らせ、おとがめをこうむれば、己がことは言わずに、金神様と申せば、もったいなくも、なんぞ邪鬼のごとくに恐れ、悪心のように申して、意地悪き、難しき人をば金神、在郷にては村金神、町にては町内金神などと申す人もありて、慎むべきことなり。

■ 理3・御道案内・4

一つ、日月金神様のご恩光と申すは、いっさい衆生の生まるるより、五穀をはじめ、物のできるも、死して葬らるるにいたりても、悉皆、金神様の御地にして日々夜々おかげをこうむらざるはなけれども、日本国中に日月金神様の御社あることを、いまだ聞かず。(2)金神様は、地をば諸神に貸してあるとのたまいしなり。
(3)この尊き御神様を、たまたま信仰するようの人ありとも、隅の方に言いわけほどのお棚をなして、どうぞ、お叱り、おとがめのなきようにとばかりにて、おかげをこうむろうという心はなく、ただ恐れ恐れ、逃げ逃げご拝するのみ。なんぞ、これを真の信心と言わんや。氏神として、氏子を憎みたまわんや。(4)とくと勘弁し、これまで、ありて過ぎたることは是非もなし。過ち改むるに、はばかることなかれ。きっと心を取り直して信心し、そのあらたかなることを知るべし。

■ 理3・御道案内・5

一つ、大氏神金乃御神様には、「氏子一統に心安く、いっさいさしつかえなきよう。(2)病ありては家業なりがたし。諸病を平癒させ、無病、体の丈夫達者となし。(3)また寿命なくてはかなわず。延命を守り、開運出世、家業繁盛、渡世に不自由なきよう、その身一代ばかりのこしにあらず、子々孫々末代長久、先祖をはじめ、いっさい精霊を浮かませ、その身は生きながら神に取り立つる」との御誓いなり。(4)このおかげを取りはずすべからず。浮気信心は、おかげ薄し。力を入れて信心いたさるべし。
(5)お道に入る、信心と申して、何もむつかしきことにあらず。神文(神への証文)ということもなし、お初穂いらず。お祓をあげ、経巻を読誦することも気任せ。(6)産汚れ、死汚れ、婦人月役の汚れとも言わず。わが宅にお棚あればよし、なくとても、その家々に金神様はお詰めきりおわしますなり。(7)壁なりと柱なりと、建具なりとも向かい、丹誠をぬきんで、左のとおり、

 日天四       金光大神
丑寅
きもん金乃神
未申
月天四     のこらず金神         (御本社お書下かくのごとし)

ご神号を唱えご拝奉り、真実ありがたきお道と合点し神心起これば、これ、お道の氏子なり。まことに、いとやすきことならずや。

■ 理3・御道案内・6

お道信心の平生心得の第一には、
一つ、御上様へ忠義を存じ奉り、ご法度を相守り、ご年貢さしつかえなきよう家業出精し、倹約を専らにし。倹約がお道肝要なり。

■ 理3・御道案内・7

一つ、父母に仕え孝行にして、何によらず心配かけぬよう安心なさしめ、家内中、一家親族イッケシンゾク、眷族にいたるまでむつまじくし、世間には信義をもって交わり。(2)信は神、神は信の心なり。(3)神を敬い下を哀れみ、困窮なるを救い、また信心の者にはなきはずなれども、もし悪しき人に出会い、不慮にけんか口論いたしかくることありとも、負けて退くべし。負けて勝つのお道なり。

■ 理3・御道案内・8

一つ、嫉妬、偏執の者ありて、ひそかに災いをなすとも、腹も立てず、意趣(恨み)遺恨にも思わず、何によらず堪忍し。堪忍がお道を守る根元なり。(2)また、盗人に物を盗られても怒らずに、大厄を小難で逃れた心になりて、われは格別、ほかほかにてかようのことありては、取られた本人はさぞ困る。この凶徒らの行く末のことを思い哀れみ、なにとぞ、以後、善心に立ち返るようにと、祈念しつかわし。何によらず、とかく陰徳を積むべしとのたまい。(3)盗まれて腹立ちまぎれに、足どめの、腹の苦るようににしくだされなどと願うては、お受けなし。(4)いかなる悪人たりとも、みな御氏子のうちなれば、嘆きたもうて、その罪を憎みたまうとも、その人を憎みたまわず。(5)ぜんたい、失せ物のことはお断りなれども、ぜひ入用の品なれば、前に申すごとく哀れみ含みて願う時は、まるでもどるか減じてもどるか、御くり合わせあるなり。それも信心しだいなり。

■ 理3・御道案内・9

一つ、神社仏閣、御前を過ぐる時は、謹みて敬拝して通るべし。

■ 理3・御道案内・10

一つ、わが子たりとも、天地のご分身、御たまものなりと心得べし。賎家には、ついには打擲し。叱るにも、出て行けなどと言うまじく。買い食い、諸勝負事はお嫌いなり。慎むべし。(2)自他、悪しきことは少しも思わず、言わず、せず。お道の不浄と申すは、悪しきことを犯すが不浄にて、ほかに不浄ということなし。

■ 理3・御道案内・11

一つ、お道不案内の人は、第一、普請作事、家移り宅がえ、他行タギョウ、嫁入り婿取り、相談事、竹木を切り、畜類やり取り、産の向きよう、捨て物等、何によらず、己が年回り、鬼門、未申、年月日回り、熊王神クノオウジ、時ふさがり、ご方角のことに吟味立てして、わずらわしきこと多し。
(2)どこそこにて見てもらいたれば、何月何日何時ナンドキにはかまわぬなどと、お留守をねらい、嫁入り、何にも、他行せんに、ほかの方へ回りて行きて、金神をだます。だますとも、だまされはせじ。(3)なお、金神よけとて注連を引きおくとも、注連には恐れぬ。(4)また死人を葬るには、穴を掘るにも方角日柄を見ず、勝手しだいのことをいたすとのたまいし。

■ 理3・御道案内・12

一つ、お道信仰の氏子においては、これに表裏の違いなり。己がさくまい(処理)勝手によりては、年回り、八方的殺とも言わず、鬼門、未申、いずれのご方角に向かい、蔵を建てようが、手水場をなすとも、三隣亡の建て前、何方イズカタへ行くとも、右申すところの条々何なりとも、以前お断り申しあげ奉り、ご神許をこうむれば、暦を見るにおよばず、その日より勝手しだいに自由自在にいたすなり。(2)お道のわけを知らぬ者は、用向きありて他行せんに、「今日は熊王神に当たる。よける」と言うて、恐れ恐れ過ぐるなり。(3)それを、お道の氏子は「今日、幸い金神様の御回り合わせなり。おかげをこうむらん」とご拝し、小児の母を慕うがごとくおすがり申す心になれば、氏子とのたまいしかば、なんぞ、これをお叱りおとがめなさらんや。平生の信心が肝要なり。
(4)かくのごとく、年月日柄を選まず、御暦を見ず、いずれのご方角に向かい、普請作事、何によらず勝手しだい、自由自在にいたすのお道は、天が下にほかにあるべからず。

■ 理3・御道案内・13

おかげのことは尽きせねども、見聞するところ、そのあらましを左に記す。
(2)一つ、お武家様には、去る年、防州御戦争(長州征伐)の節、かねがねご信仰のお方様ご出張のみぎりに、鉄砲弾来りてお袖をこすり、またお刀のさやに当たり、さやは割れても御身に障りなく、ご難を逃れたまい。(3)また、ほかに同じご出張のお方様、鉄砲傷をこうむられ、弾の骨に煮えつきたるは、種々ご療治なされても取れがたきも、ご信心なされて、いつの間にかは取れ失せしとなり。

■ 理3・御道案内・14

一つ、お百姓の申さるるを承るに、他の肥やしを入れし田と、わが肥やしを入れざると比ぶるに、わが作、取り実よほどよろしき由。(2)また、虫気ある時は、お神酒を笹につけて振りて、失せしとなり。

■ 理3・御道案内・15

一つ、さる鍛冶職に、鉄床いたみ、仕事できかね、鉄床しかえるまでお願い申し、毎朝、鉄床にお神酒をつけて刃物を打ちしに、格別のできにて、向こうづちの者までも、ありがたくあきれしとなり。(2)そのほか種々ありがたきことども書き尽くしがたし、略す。仕事にかかる時ご拝奉りていたせば、し損ないなく結構成就す。

■ 理3・御道案内・16

一つ、商人おかげをこうむりたる多き中にも、さる酒屋に、しこみの酒桶サカオケ、あまたいたみかけ、身上(財産)にもかかわるべきところ、ご信心してお神酒を少しずつ入れおきて、もとのごとくに直りしなり。(2)すべて、みそ、つけ物、何によらず、作り物、味違いかけアジタガイカケにお神酒を入れおきて直るなり。また、はじめより入れおきて、違うことなく結構成就するなり。

■ 理3・御道案内・17

一つ、妊娠の婦人、お道には腹帯をせず、産座ウブザにもおよばず。お棚の御前にて、平生の床に向きようは勝手しだい、寝ていたすべし。後ろ神に立ちて安産さしょう、との御誓いなり。詳しきことはお道に入りて知るべし。

■ 理3・御道案内・18

一つ、ほうそう、はしかは子供の大厄なりと恐れて、近ごろ、植えぼうそう(種痘)。(2)また、いたす時は、汚れ不浄、忌み嫌い、毒養生。とぎ(看病)する者まで、さかやき、髪結い、沐浴等遠慮するといえども、お道にはさようのことは少しもなし。(3)平生も同じこと。本人好まば、えび、あみ、たこ、なた豆、柿、酒の類、何なりとも飲食させ、体を丈夫にいたさすべし。めでたく早くしあげるなり。

■ 理3・御道案内・19

一つ、御本社一町おわきに向明神(藤井きよの)様と申すあり。ご婦人にて御盲なり。今コン明治四年、御年四十三歳、丑の御年なり。(2)先達てご眼病の節、外方ホカカタにおいて種々ご養生なさせられ候えども、しるしなし。しだいに重らせたまい、ついにご一命にもかかわらせたまいしによりて、御本社へお願いに参られしに、「延引なり。早く来らば、かくはせまじきものを。しかし、願うとあらば、目は見えずとも不自由はさせまじ」とのたまい、ただいま御盲なれども、昼夜のおへだてなく、針のみみそ(穴)をお通し、縫い物、機織り、穀物のごみ選り、継ぎの色を知りたまい、女の業おさしつかえということなし。(3)初心の人、御本社へ参詣ついでにはお立ち寄り、ご拝しかるべし。諸人をお助けなされて、ありがたき、そのあらたかなることを知るべし。

■ 理3・御道案内・20

一つ、御氏子、信仰なして、盲の目の明き、いざりの足の立ちたのは珍しからず。いかなる難病たりとも、日を限りて平癒なさしめたまうなり。(2)途中にて、けが過ちして血の出るとき、お洗米でもあらばよし、なき時は、その所の草にても土でも、ご拝奉りて用ゆる時は、血速やかにとまるなり。(3)このほか難舟を助かり盗難を逃れ、おかげのことは書き記すにいとまあらず。(4)なすところの願いとして、成就せずということなし。

■ 理3・御道案内・21

一つ、お道には何病気にも、毒忌み毒養生ということなく、己が好物、何なりとも飲食し、体を丈夫にいたすべし。御地に生ずる物に毒はなしとのたまいしなり。

■ 理3・御道案内・22

一つ、寿命なき者には寿命お授けくださるなり。(2)それに、当世の人、六十くらいになると先ぐりをして、頭を丸めて隠居姿になり、また多き中には、死ねばくつろぐに、お迎えが来らぬなど、わが身として覚悟をし、命を縮めるようのこと申す。愚かならずや。死なねばくつろげぬくらいの人なら、後世ゴセ(死後)とても、安楽のほど、おぼつかなし。(3)くつろぐ考えでいたすことが自業自得、不慮に死する者嘆き悲しみ、祟ることあるを見て、よくわきまうべし。
(4)改めて生くる覚悟をし、六十七十はさておき、八十九十にも限らず長命する気になり、陰気を廃し陽気を含み、朝は日天四様に起き負けず、時のはやりかぜ、何病気にも、のまれぬよう押し勝つべし。(5)善事を尽くし、ご信心なる時は、死なぬうち、目前におかげを受けてくつろぎ、その身ばかりか子々孫々末代にいたるまでくつろぐなり。

■ 理3・御道案内・23

一つ、金神様には、世界一統だれかれとなく氏子とのたまい、おかげは、日月様の照らしたまうかげのごとく充満のおかげを御授け、御助けたきおぼしめし。(2)信心はし得、おかげは取り勝ちなるを、人によりては、私にはおかげがないの、なにほど信心しても同じことのと、捨ててしまう者あり。大きな誤りなり。これ、疑う心あるゆえなり。
(3)たとえば、この方角へ普請作事、何によらず、いたしては悪いと思い、また、この品を飲食してもあたりはせぬかと、己が心が濁るゆえお障りもでき、飲食も毒とならんか。この疑念をさっぱり廃し。(4)すでに、さるご信心家に、普請いたすにつき、まずお断り申しあげ奉り、かからんとせしに、ほかより人々来りて口々に故障申すにつき少し迷い、再応お願い申され候ところ、「人界の言うことを用い、神の申すことを疑う。神はうそを言わず。勝手にせよ。以後、おくじもやらん」とのたまいしかば、ふと心づき、大いに誤れり、ようやくお断り申しあげ奉り、はじめのごとくいたして、今ますます繁栄なり。(5)人は何を言うとも、神に空言はなし。
(6)汚れ不浄はご免なされて、普請作事、何によらず、方角日柄は勝手しだい、何病気にも毒忌みなし。(7)自由自在、ありがたきこのお道、おかげを取りはずしてはならず。取り勝ちのおかげを取らずしては、わが心を人に察しられ、恥辱なりと、われを捨て、神に身を任して、日天四 月天四 金神様と一心決定ケツジョウする時は、目前におかげは顕然たり。力を入れて信心あるべし。
(8)金言耳に逆らうの習い、このありがたきお道のわけを知らぬ人の大き中には、疑うて狐狸の類にあざける者あり。愚かにも、もったいなき次第なり。
(9)天地の神にいつわりなきものを
疑うならば何がまことぞ
(10)大氏神運勢第一大吉神、金乃御神様、愚かなる者嘲弄し、もしお気障りとも相なりて、おさえを受くることある時は、運勢にかかわり左回りとなり、ついに患いの端ともならんか。諸人知るとおり、御激しき時は七代七殺、なお、にわかに日の暮れたるように身上(財産)をもばたばたにしまい、跡には青草の生え。(11)また畳牢の病人、いかなる良医良薬を用ゆるとも効なし。いずれの神仏様のおかげも受けがたし。何方イズカタにおいてご祈祷いたしても、金神様お障りある時、御筋立てご納受なくては祈祷成就せず。(12)また諸人も、おとがめをこうむらざる者は少なし。慎むべし。
(13)新たに家蔵堅固に建てしも一度に崩し、微塵になしたまい。日天四様お気障りは旱魃、暴風、月天四様お気障りは暴雨、洪水、金神様お気障りは地震なり。この三つの難は人力をもって防ぐことあたわず。世界中を震動なさしめ、一時にくつがえしたまうほどのことなり。また、おかげの大きこともかくのごとし。

■ 理3・御道案内・24

一つ、お道には、病人、何によらず、いかなることにもご祈祷ということなく、それゆえ、身に付きたる着物、木綿切れ、白米のと、何にても、捧げ物入用ということなし。(2)事ある時は、お願いに参詣いたしても、お初穂の多少にもよらず、有るも無きもお変わりなくご祈念なしくださせられ、日を限りて、ご裁伝、ご理解あり。謹みて聴問いたすべし。(3)お札、守りは、出で申さず。(4)暦は諸人知るとおり元日より大晦日まで日月金神様の御事のみ。おまつりいたすは、暦をご神体に用ゆべし。暦を見てもだれも信心せずとのたまい。神儒仏、かたくなに何宗かに宗のと分けへだつるよう申せども、暦は別にあらず、世界中一つにして、みな氏子なり。(5)この広大無辺のお道、志あらば己が帰依するところをもって信心いたすべしとのたまいしなり。
(6)まっすぐな広きお道のあるものを
よこしまに行き迷いぬるかな

■ 理3・御道案内・25

一つ、御祢宜、御神子ミコ、修験者、お医者、易者等の多き中には、もし、その道のさまたげともならんかと思う人ありとも、さにあらず。広大のお道にして、みな氏子とのたまいしかば、なんぞ氏子のさまたげをなさらんや。(2)信心いたせば、その道々の業、繁盛ご守護との御誓いなり。

■ 理3・御道案内・26

一つ、御本社には近来、御本社ご造営のご普請中なれども、ご勧化ご無心筋等、そのほか平生にも、お初穂、さい銭等にいたるまで、むさぼりがましきことは毛頭なさせられず候えども、諸方よりご寄進集まり、いかほどご寄付いたしても、飾りがましき板札あぐることなされず。(2)中には多分(多額)ご寄付の人、名前、員数、書き記し、板札かけたく願われ候えども、それにては、彼、なにほど寄進いたさば、われはなにほどいたすべしと、枷カセギ(束縛)になりて表を飾り、身分不相応の寄付し、後で心配いたすようのことありては、かえって信心にならず。(3)志ある者は、ただなにほどなりとも己が気安に、心任せにいたすべし。心のほどは、神はみな承知なりとのたまい、ご普請も、できしだい、急がず時を待つとのゆるゆるたる、ありがたきおぼしめしなり。

■ 理3・御道案内・27

一つ、お道は人に罪科とならぬよう心配かけぬよう、さしつかえのなきよう腹を立てさせぬよう、喜ばすよう助けるよういたせとのご神教なり。(2)お道広まりたる所の者御本社へ参詣いたすと、だれにても、「わざわざ遠方のところ参らずとも、そこもとにご信心家あり。これへ参りておかげを取られよ」と、いつもご辞退なり。(3)ご信心家はどこにても御本社に変わることなし。初心の人参詣いたしても、何によらず心安く、心配いたさるまじ。

■ 理3・御道案内・28

一つ、諸人いずれの神仏様へ参詣いたしても、先祖より続きて、度ごとに願かけのみして御礼届けということせず。たとえば神仏様へ借銭に相なりおる道理にて、これ、ご無礼、罪科と相なりおるとの、のたまい。(2)諸人ご拝奉りても、まず、このお断りを申し奉り、朝は夜前無事の御礼申しあげ奉り、暮れには、その日の無事の御礼届け申しあげ奉るべし。
(3)あるいは、わが子が患う時には、屋床ヤトコに離れて(家屋敷を手放して)も彼さえまめになればよしと申し、病気全快すると、言うたことは忘れた顔をして、長の患いに物がいったの、いろいろ申しならべ立て、肝心のお礼も延引に相なりがちの者ままあり。不埒のことなり。忘るべからず。病気も再返サイカエることあり。(4)また後々お願い、お礼不足の障りということあり。願うより、とかく御礼届け肝要なり。
(5)そのうえ、お祓をあげ、経巻を読誦するとも、捧げ物は供えようと供えまいと、気任せ。供える志あらば、四つ足の類を除けば世界中の品物何なりとも、人界の用ゆるほどの物は苦しからず。供うべし。(6)何よりも、このお道を助け助けお広めいたすが第一のごちそうなり。
(7)初穂なくて信心ならぬものなら、貧窮なる者は、病気、何によらず助かることできぬとのご理解なり。まことにありがたき神様なるかな。信ずべし、仰ぐべし。

■ 理3・御道案内・29

一つ、朝暮ご祈念いたすとも、わがことは捨ておきても、ご神歌に、
心だに真の道にかないなば
祈らずとても神や守らん
とのたまいしかば、天下泰平、宝祚動きなく、御知事様ご武運長久、五穀成就、万民安く平けく、穏やか安心、祈念すべし。(2)これ、他のことのようにあれども、わがことなり。祈らずとても、わがことはしぜんおかげをこうむるなり。力を入れて信心いたさるべし。
(3)信心届く時は、世界中のこと、しぜんに知れるように相なり、諸人も慕い願い来り、病気、何によらず助ける時は、その人のためには生神なり。時の氏神ならずや。(4)初心の人は知らずとも、お道にはあまたあり。ご信心家と申すが、これなり。(5)だれにても、慢心出やすし。御戒めなり。慎むべし。(6)おいおいお道に入り、信仰の人、かほどありがたきお道とも知らず、信仰延引のことを後悔する人多し。(7)余は、小子ごときの愚かなる筆紙には尽くしがたし。詳しきことは、お道に入り、ご信心して知るべし。
仁王町   備中屋

 

..    慎誡                    神道金光教会 編

■ 理3・慎誡・1

真の道の心得

一 神国の人に生まれて神と皇上との大恩を知らぬこと。
(2)一 天の恩を知りて地の恩を知らぬこと。
(3)一 幼少の時を忘れて親に不孝のこと。
(4)一 真の道におりながら真の道をふまぬこと。
(5)一 口に真を語りつつ心に真のなきこと。
(6)一 わが身の苦難を知りながら人の身の苦難を知らぬこと。
(7)一 腹立てば心の鏡のくもること。
(8)一 わが心の角でわが身を打つこと。
(9)一 人の不行状を見てわが身の不行状になること。
(10)一 物事に時節を待たず苦をすること。
(11)一 まめな時家業をおろそかにし物毎におごること。
(12)一 信心する人の真の信心なきこと。

 

..    教祖御理解                 二代白神新一郎 編

■ 理3・教祖御理解・1

天地の大神様は親神なり。人は氏子なり。神人は、親子むつまじくするごとく。金神様を恐れるは違いなり。(2)親子の間柄ゆえ、氏子と仰せらる。信心するは、親子仲よくする道理。何事も心安くするがよろし。

■ 理3・教祖御理解・2

従来、十二の干支が十二の氏子の自由にならぬようなりておるゆえ、さしつかえ多し。および、難儀多し。お願い申せば、将来、自由にさすとのこと。(2)十二の干支と申すは、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支なり。十二の氏子と申すも同様なり。
(3)普請作事、あるいは縁組み、転宅をするに、金神様にお障りなきようとお願い申すは違いなり。障りてお守りあるようにとお願い申すがよろし。(4)お障りなきようと言わば、何事もいたさぬよりほかなし。空たつ鳥にても、障りなければ生くることできず。海底も同断なり。金神様に当たりていただかねば立たず。

■ 理3・教祖御理解・3

普請作事をするに、どちらのご方角へ何間四面とか何坪とか、お許しくだされと言うて願い、または、ご方角をお許しくだされ、お土地をお許しくだされとお願い申せば、さしつかえなし。

■ 理3・教祖御理解・4

良し悪しをかれこれ言わば、信心する人もせぬ人も同様。神様は信心すれば楽、お上様は税金を納めれば楽。納める人も納めぬ人も同様ではつまらず。(2)ご方角、年月日のことにつき、良し悪しを言うは氏子の勝手との御こと。

■ 理3・教祖御理解・5

出産あるいは離縁、および死去する時、良し悪しを選む者なく、ただ楽な時に言うなり。信心すれば、ご方角は自由になる。

■ 理3・教祖御理解・6

親も、子に任すことできねば親も満足せず。子に任すことできれば親も安心とのこと。

■ 理3・教祖御理解・7

旧暦には三年ふさがり、あるいは何のふさがりと書き記しあれども、普請作事すなとは書いてなし。ただ無礼せぬため知らせてあるとのことなるに、ただ恐れるばかり言うなり。

■ 理3・教祖御理解・8

三隣亡のこと。金神様空中におわすとの御ことゆえに、お願い申してすれば建築心配なし。

■ 理3・教祖御理解・9

日金神様のお障りと申すは、天地の大神様のお叱りなり。日というは日天四様の御ことゆえ、すなわち天地の神様にお叱りこうむるゆえ、はなはだ重し。(2)父親に叱られても、母親きげんよければ、断り言うてくださるなり。両親に叱られては、断り言うてくださる人なし。(3)月金神様ということも同様。日月様につき回らるる金神様あり。(4)世の中のことすべて、だいたい金神様のこと多しとの御こと。

■ 理3・教祖御理解・10

明き方のこと。十干と十二支とを交え二十四に割り、二つ余る所を明き方としたとの御こと。

■ 理3・教祖御理解・11

井戸掘りかえは、甲の井戸前にて水神様を御まつり、乙井戸へお移りをお願いいたすべし。また、埋めきりは、ほかへおまつりかえいたすがよろし。または、大神様へお願い、お任せいたしてよろし。ただし、ご方角はお願いいたさねばならず。

■ 理3・教祖御理解・12

ほうそうの時、その神様をまつりてよろし。

■ 理3・教祖御理解・13

春夏     秋冬
木火  土  金水
丑寅 辰巳 未申 戌亥
鬼門 風門 地門 天門
右四門、神様の門ともいう。

■ 理3・教祖御理解・14

世間に、たてこみ金神という家あり。あるいは、障りある家というて嫌う家あれども、信心する人は、金神様がたてこめてあれば幸いに守りていただくという心になりて住居すれば、家繁盛するなり。(2)また、金神様が当たり障りをなされたと言う人あり。なされたにあらず、氏子が受けたのとの御こと。

■ 理3・教祖御理解・15

大神様をおまつりいたし、信心すれば、普請作事、あるいは縁組みするも勝手と心得、お願いいたさずする人、お叱りを受くるなり。自由をするは勝手なり。お願いいたさねばならず。(2)普請作事をするに、法者(修験者)に方位を選みてもらうは、建てはじめの日を選むのみ。その人に一生のことをたずねても、先のことは知らざる由。

■ 理3・教祖御理解・16

神徳をお願い申しおけば、一生楽なり。また、子孫変わらず信心すれば、末代繁盛するなり。

■ 理3・教祖御理解・17

法者、祈祷者に依頼し、障りを聞く人ありても、過去のことのみ言う。それを聞きて、よくわかると言い、喜びても、先のことはわかり申さず。

■ 理3・教祖御理解・18

神様は、先を楽しめと教えあり。

■ 理3・教祖御理解・19

天文者、一年先の暦を作りても、神様のおかげを知らず。

■ 理3・教祖御理解・20

賢き人は書物を開き見、またはかれこれ調べて、わが物自由にならず。信心してすがる人は、わが物自由になるなり。

■ 理3・教祖御理解・21

人の腕にてはゆかぬように神様よりなさる。万事、神任せにせよとのこと。

■ 理3・教祖御理解・22

現今は学問の世の中ゆえ、理屈はよく言うことになりたれども、天地と神様との恩義をしだいに知らぬようになりたゆえ、難儀しだいに多くなる。理屈ではゆかず。

■ 理3・教祖御理解・23

お照らしありて目の見得るということを知らぬようになるゆえ、眼病多し。

■ 理3・教祖御理解・24

信心が足らぬというは、神様と親との教えや言うことを聞かん者のこと。教えの道にはずれては、参拝しても神人は足らぬなり。

■ 理3・教祖御理解・25

学者でも信心を知らず。人の知らぬことを先に知るは実地学問なり。学者よりまさる徳なり。

■ 理3・教祖御理解・26

万事、お土地のご恩深きということは、土へ種をまきつけ、雨露かかりお照らしありて、生え出るというか湧き出るというか。また、妊娠するも、婦人の腹内へ種をまきつけ、後、出産す。(2)お照らしを受け、水にて洗うなり。お土地の大恩、よくよく考え知るべし。ゆえに、天地の大神様へお任せ申せば、出産後、神様にお願いいたし、横に寝さしていただく心にて寝さしていただくこと。

■ 理3・教祖御理解・27

家業のこと、職業の食をいただかねば生くることできざるに、食物を毒になると言う者あり。

■ 理3・教祖御理解・28

お社の建築、また神器あげ、神様へお供え物をするに、献上するという心にては、お喜びなし。献上さしていただくという心、ご受納なり。(2)お社を建ててあげますと言う、お気障りなり。建てさしていただくという心にてさしていただけば、家繁盛にて成就さすとの御こと。

■ 理3・教祖御理解・29

神と皇上とは、正直にして信心しておかげをいただくも、ご無礼しておとがめを受くるも、わが心なり。(2)忠義を尽くし、功を立て、位階あるいは勲章、賞状をいただくも、悪事をしてくくらるるも、みなわが心なり。

■ 理3・教祖御理解・30

大正直の人と悪心の人、よくおかげをいただく。中くらいの人、熱心うすく、おかげ少なし。

■ 理3・教祖御理解・31

信徒へは、ただ理解をするのみ。ぜひこうせよとは教えず。教えてしたくらいは、信心に力入らず。みずから心より、なるたけのこといたせば、おかげあるなり。

■ 理3・教祖御理解・32

はじめての信者は一年生のごとく、詳しく教えても覚えず。順序に教えるがよろし。

■ 理3・教祖御理解・33

七、八、九の年に、めぐりの難、出ることあり。七難八苦の難という。

■ 理3・教祖御理解・34

人の身に痛しかゆしということあるものなり。なければ哀れみなし。しかれども、持のつく病は地のおとがめより生ずる病なり。

■ 理3・教祖御理解・35

病気の時薬をのむに、神様よりいただく心にてのめば、よく効くもの。(2)また、不信心の人にても、効く薬は、二、三服のみて効くもの。七日間のみて効かねば、病に合わぬなり。(3)合わぬ薬を多くのむと、しだいに腹中弱り、食事いただくことならぬようになり、衰えて、ついに死す。

■ 理3・教祖御理解・36

うまき物を食して体を作れば、病は治るものなり。(2)また、日にち薬という伝えあり。日にちを薬として養生すれば、病は平癒するなり。(3)また、合薬という伝えあり。好きな物を食するを合薬という。

■ 理3・教祖御理解・37

病気にて総身弱りたる時、普通にこなれせぬ物、および強き物を食する時は、ご神前へお供えいたし食すればよろし。(2)また病ある時入湯するも、心任せにてよろし。出産後入湯するも同様。ただし、本人に疑心あらば見合わすべし。また腫れ物出、また傷ある時にても、入湯さしていただくという心にて入湯すればよろし。

■ 理3・教祖御理解・38

老病の時は御くり合わせを願い、信心すれば、楽に死すなり。

■ 理3・教祖御理解・39

牛乳を飲みて力のつくよう言う人あり。草やわらを食したる物の乳を飲み、力つくことなし。

■ 理3・教祖御理解・40

縁組みに乳筋を厳しく改むる人あり。当今は牛乳を飲みて育つ人あり。乳筋乱れたり。

■ 理3・教祖御理解・41

正月三日の内に体を作れと教えあるは、鯛を食するにあらず。家内和合して喜び祝い、好物を食して体を丈夫に作れば一年中達者に暮らすとのこと。

■ 理3・教祖御理解・42

諸神諸仏様へ一心にて願えば、万事おかげを受くるものなれども、お力におよばぬことは、やはり天地の大神様へ手続きをなさるなり。

■ 理3・教祖御理解・43

わが教祖の神の教え子、各先生も同様なれども、軽く考えれば軽くなり、重く考えれば重きものなり。

■ 理3・教祖御理解・44

神主も僧侶も信心するよう教えるがよろし。

■ 理3・教祖御理解・45

おかげは、分限者になるも同様、限りなきものなり。

■ 理3・教祖御理解・46

まかぬ種は生えぬという例えあり。よき種をまきおけば、よき物生えるなり。自分、種をまかねば、生えることなし。悪き種も同様なり。

■ 理3・教祖御理解・47

農家、平素信心すれば、作物に大風雨ありても、風雨、当たりなし。

■ 理3・教祖御理解・48

各信者は、正直実意丁寧をもととして信心すれば繁盛するなり。

■ 理3・教祖御理解・49

先生らは、欲しい、惜しい、憎い、かわいいということを放れて信心すれば、ますますごひれい立つものなり。右すなわち真誠マコトという。

■ 理3・教祖御理解・50

従来の法者(修験者)祈祷者は、人より依頼され、祈祷してあげる、あるいは、拝みてあげると言いて、自分が祈祷するのみ。信心のわけを人に教えず。(2)大神様より金光様への大教にはも「万事、氏子に頼ませよ。みずから信心すれば、一代、楽。子孫、受け継ぎて信心すれば、末代繁盛」とのこと。

■ 理3・教祖御理解・51

先生ら、人心を去りて神心になれ。人心をもって神心を失うなかれ。

 

..    神訓                    金光教本部 編

■ 理3・神訓・1

...道教えの大綱

一 今月今日で一心に頼め。おかげは和賀心にあり。
(2)一 疑いを放れて広き真の大道を開き見よ。わが身は神徳の中に生かされてあり。
(3)一 生きても死にても天と地とはわが住みかと思えよ。
(4)一 天に任せよ、地にすがれよ。
(5)一 神はわが本体の親ぞ。信心は親に孝行するも同じこと。
(6)一 神は昼夜も遠き近きも問わざるものぞ。頼む心にへだてなく祈れ。
(7)一 清き所も汚き所もへだてなく天地乃神はお守りあるぞ。わが心に不浄を犯すな。
(8)一 表行よりは心行をせよ。
(9)一 大地の内において金乃神の大徳に漏るる所はなきことぞ。
(10)一 ご地内をみだりに汚すなよ。
(11)一 今より何事にも方位は忌まず、わが教えの昔に帰れよ。
(12)一 わが身はわが身ならず、みな神と皇上との身と思い知れよ。
(13)一 食物はみな、人の命のために天地乃神の作り与えたまうものぞ。
(14)一 神信心してみかげのあるを不思議とは言うまじきものぞ。
(15)一 信心してみかげのなき時は、これぞ不思議なることぞ。
(16)一 わが信ずる神ばかり尊みてほかの神を侮ることなかれ。
(17)一 信心する人の真の神徳を知らぬこと。
(18)一 慾徳にふけりて身を苦しむることなかれ。
(19)一 四季の変わりは人の力におよばぬことぞ。物事、時節に任せよ。
(20)一 天地のことは、人の眼マナコをもて知りて知りがたきものぞ。恐るべし恐るべし。

■ 理3・神訓・2

...信心の心得

一 信心は家内に不和のなきがもとなり。
(2)一 真の道に入ればイレバ、第一に心の疑いの雲を払えよ。
(3)一 真にシンニありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。
(4)一 神徳を受けよ、人徳を得よ。
(5)一 生きたくば、神徳を積みて長生きをせよ。
(6)一 わが心でわが身を救い助けよ。
(7)一 信心する人は何事にも真心シンジンになれよ。
(8)一 真の道をゆく人は肉眼をおいて心眼を開けよ。
(9)一 神の恵みを人知らず、親の心を子知らず。
(10)一 神信心のなき人は、親に孝のなきも人の道を知らぬも同じことぞや。
(11)一 我情我欲を放れて真の道を知れよ。
(12)一 わが心でわが身を生かすこともあり殺すこともあり。
(13)一 大酒大食するは絶食のもとになるぞ。
(14)一 食物はわが心で毒にも薬にもなるものぞ。
(15)一 何を食うにも飲むにも、ありがたくいただく心を忘れなよ。
(16)一 体の丈夫を願え。
(17)一 体を作れ。何事も体がもとなり。
(18)一 心配する心で信心をせよ。
(19)一 障子ひとえがままならぬ人の身ぞ。
(20)一 まめなとも信心の油断をすな。
(21)一 信心は本心の玉を磨くものぞや。
(22)一 若い者は本心の柱に虫を入らせなよ。
(23)一 慢心が大けがのもとなり。
(24)一 用心せよ。わが心の鬼がわが身を責めるぞ。
(25)一 打ち向かう者には負けて、時節に任せよ。
(26)一 過ぎたることを思い出して、腹立て苦をすなよ。
(27)一 心で憎んで口で愛すなよ。
(28)一 信心する人は常に守りを心にかけておれよ。
(29)一 心にかくる守りは汚るることはなきものぞ。
(30)一 わが子のかわいさを知りて、神の氏子を守りくださることを悟れよ。
(31)一 信心して、まめで家業を勤めよ。君のためなり、国のためなり。
(32)一 不浄のある時は先に断りおいて、願いあることをたのめよ。
(33)一 人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身もみな人。
(34)一 天が下に他人ということはなきものぞ。
(35)一 陰とひなたの心を持つなよ。
(36)一 縁談に相性を改め見合わすより、信マコトの心を見合わせよ。
(37)一 家柄人筋を改むるより、互いに人情柄を改めよ。
(38)一 子を産むは、わが力で産むとは思うな。みな親神の恵むところぞ。
(39)一 懐妊の時腹帯をするより、心に真の帯をせよ。
(40)一 出産の時よかり物によかるより、神に心を任せよかれよ。
(41)一 疑いを去りて信心してみよ。みかげはわが心にあり。
(42)一 わが身がわが自由にならぬものぞ。
(43)一 忌み汚れは、わが心で犯すこともあり払うこともあり。
(44)一 祈りてみかげのあるもなきも、わが心なり。
(45)一 用心は、前からたおれぬうちの杖ぞ。
(46)一 悪いことを言うて待つなよ。先を楽しめ。
(47)一 やれ痛やという心で、ありがたし、今みかげをという心になれよ。
(48)一 神の教えも真の道も知らぬ人の哀れさ。
(49)一 神は声もなし、形も見えず、疑わば限りなし。恐るべし。疑いを去れよ。
(50)一 真心の道シンジンノミチを迷わず末の末まで教え伝えよ。

 

..    金光教祖御理解                    金光教本部 編

■ 理3・金光教祖御理解・1

今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。

■ 理3・金光教祖御理解・2

先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。

■ 理3・金光教祖御理解・3

天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受けおる。(2)この度、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす。

■ 理3・金光教祖御理解・4

此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。(2)金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。

■ 理3・金光教祖御理解・5

これまで、神がものを言うて聞かせることはあるまい。どこへ参っても、方便で願い捨てであろうが。それでも、一心を立てればわが心に神がござるから、おかげになるのじゃ。(2)生きた神を信心せよ。天も地も昔から死んだことなし。此方が祈るところは、天地金乃神と一心なり。

■ 理3・金光教祖御理解・6

目には見えぬが、神の中を分けて通りおるようなものじゃ。畑で肥をかけておろうが、道を歩いておろうが、天地金乃神の広前は世界中である。

■ 理3・金光教祖御理解・7

天地金乃神は昔からある神ぞ。途中からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。(2)信心はせんでもおかげはやってある。

■ 理3・金光教祖御理解・8

子供の中にくずの子があれば、それがかわいいのが親の心じゃ。不信心者ほど神はかわいい。信心しておかげを受けてくれよ。

■ 理3・金光教祖御理解・9

天地金乃神は宗旨嫌いをせぬ。信心は心を狭う持ってはならぬ。心を広う持っておれ。世界を広う考えておれ。世界はわが心にあるぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・10

神が社へ入っては、この世が闇になる。

■ 理3・金光教祖御理解・11

神は天地の守りじゃから、離れることはできぬぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・12

神に会おうと思えば、にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神。

■ 理3・金光教祖御理解・13

神は向こう倍力の徳を授ける。

■ 理3・金光教祖御理解・14

神は荒れ地荒れ屋敷をお嫌いなさる。

■ 理3・金光教祖御理解・15

氏子が真から用いるのは神もひれいじゃが、寄進勧化をして氏子を痛めては、神は喜ばぬぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・16

無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・17

神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな。

■ 理3・金光教祖御理解・18

此方のことを、神、神と言うが、此方ばかりではない。ここに参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。(2)生神とは、ここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめである。みんなもそのとおりにおかげが受けられるぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・19

金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。

■ 理3・金光教祖御理解・20

此方が天地金乃神よりおかげを受けておることを話にして聞かすのぞ。疑うて聞かぬ者は是非におよばず。かわいいものじゃ。また時を待っておかげを受けるがよし。(2)めいめいに子を持って合点せよ。親の言うことを聞かぬ子が一番つまらぬ。言うことを聞かぬ子は、親もしかたがあるまいが。

■ 理3・金光教祖御理解・21

信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。
(2)カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。

■ 理3・金光教祖御理解・22

天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。(2)神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・23

氏子が神と仲ようする信心ぞ。神を恐れるようにすると信心にならぬ。神に近寄るようにせよ。

■ 理3・金光教祖御理解・24

人に誘われて、しょうことなしの信心は、つけ焼き刃の信心じゃ。つけ焼き刃の信心は取れやすいぞ。どうぞ、その身から打ちこんでの真の信心をせよ。
(2)世に勢信心ということを言うが、一人で持ちあがらぬ石でも、大勢かけ声で一度に力をそろえれば持ちあがる。ばらばらでは持ちあがらぬぞ。家内中、勢をそろえた信心をせよ。

■ 理3・金光教祖御理解・25

信心は大きな信心がよい。迷い信心ではいかぬ。一心と定めい。

■ 理3・金光教祖御理解・26

信心に連れはいらぬ。ひとり信心せよ。信心に連れがいれば、死ぬるにも連れがいろうが。みな、逃げておるぞ。(2)日に日に生きるが信心なり。

■ 理3・金光教祖御理解・27

昔から、あの人は正直者じゃ、神仏のような人じゃという者でも、だんだん不幸なことが重なって、世間では、どういうものであろうというようなことがあろうが。(2)なにほど、人に悪いことをせぬ正直者でも、人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別物ぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・28

病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするに、八、九分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておるようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。(2)井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよ。

■ 理3・金光教祖御理解・29

桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。桜の花は早う散る。梅の花は苦労しておるから長う散らぬ。

■ 理3・金光教祖御理解・30

神を信ずる者は多いが、神に信ぜられる者が少ない。

■ 理3・金光教祖御理解・31

信心する者は、気の切り株に腰をおろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれよ。

■ 理3・金光教祖御理解・32

女が菜園に出て菜を抜く時に、地を拝んで抜くというような心になれば、おかげがある。(2)また、それを煮て食べる時、神様いただきますというような心あらば、あたることなし。

■ 理3・金光教祖御理解・33

お供え物とおかげは、つきものではないぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・34

ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。(2)神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。(3)神に一心とは迷いのないことぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・35

信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない。

■ 理3・金光教祖御理解・36

日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。(2)人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でも芯というたら一つじゃ。(3)神信心もこの一心を出すと、すぐおかげが受けられる。

■ 理3・金光教祖御理解・37

生きておる間は修行中じゃ。ちょうど、学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・38

垢離を取るというが、体の垢離を取るよりは、心のこりを取って信心せよ。

■ 理3・金光教祖御理解・39

此方の行は水や火の行ではない。家業の業ぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・40

重い物を負うておるか担いでおれば苦しいが、そうでないから信心は楽じゃ。家業を勤め勤めするがよい。

■ 理3・金光教祖御理解・41

信心は話を聞くだけが能でない。わが心からも練り出すがよい。

■ 理3・金光教祖御理解・42

これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる。

■ 理3・金光教祖御理解・43

死んだからというて、神のおかげを受けずにはおられまいが。死に際にもお願いせよ。

■ 理3・金光教祖御理解・44

狐狸でさえ、神にまつられることを喜ぶというではないか。人は万物の霊長なれば、死したる後、神にまつられ、神になることを楽しみに信心せよ。

■ 理3・金光教祖御理解・45

世に、三宝様踏むな、三宝様踏むと目がつぶれるというが、三宝様は実るほどかがむ。(2)人間は、身代ができたり、先生と言われるようになると、頭をさげることを忘れる。神信心して身に徳がつくほど、かがんて通れ。
(3)とかく、出るくぎは打たれる。よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。天は高いから頭を打つことはあるまいと思おうけれど、大声で叱ったり手を振りあげたりすることはないが、油断をすな。慢心が出ると、おかげを取りはずすぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・46

痛いのが治ったのがありがたいのではない。いつもまめながありがたいのぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・47

祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ。

■ 理3・金光教祖御理解・48

わが子の病気でも、かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ。言うことを聞かぬ時に、ままよと思うてほっておくような気になって、信心してやれ。おかげが受けられる。

■ 理3・金光教祖御理解・49

信心は相縁機縁。

■ 理3・金光教祖御理解・50

とかく、信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば、肥をせんでもひとりでに物ができるようなものぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・51

天地の間に住む人間は神の氏子。身の上に痛み病気あっては、家業できがたし。身の上安全を願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身の上のこと何なりとも、実意をもって願え。

■ 理3・金光教祖御理解・52

信心する者は驚いてはならぬ。これから後、どのような大きな事ができてきても、少しも驚くことはならぬぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・53

信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。

■ 理3・金光教祖御理解・54

徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない。

■ 理3・金光教祖御理解・55

賃を取ってする仕事は、若い時には頼んでもくれるが、年をとっては頼んでくれぬ。信心は、年が寄るほど位がつくものじゃ。信心をすれば一年一年ありがとうなってくる。

■ 理3・金光教祖御理解・56

日にちさえたてば世間が広うなってゆく。ひそかにして信心はせよ。

■ 理3・金光教祖御理解・57

金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。

■ 理3・金光教祖御理解・58

人が盗人じゃと言うても、乞食じゃと言うても、腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねばよし。乞食じゃと言うても、もらいに行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯をせよ。

■ 理3・金光教祖御理解・59

習うたことを忘れて、もどしても、師匠がどれだけ得をしたということはない。覚えておって出世をし、あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば、それで師匠も喜ぶ。(2)おかげを落としては、神は喜ばぬ。おかげを受けてくれれば、神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃ。

■ 理3・金光教祖御理解・60

おかげは受け徳、受け勝ち。

■ 理3・金光教祖御理解・61

神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。(2)信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。(3)これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな。

■ 理3・金光教祖御理解・62

昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれというておるが、神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ。(2)神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。にわかに先生にはなれぬぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・63

一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。

■ 理3・金光教祖御理解・64

此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。

■ 理3・金光教祖御理解・65

日柄方位は見るにおよばぬ。普請作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦を見て天赦日じゃと言うても、雨風が強うては、今日は不祥のお天気じゃと言うではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。

■ 理3・金光教祖御理解・66

人間は勝手なものである。いかなる知者も徳者も、生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる。

■ 理3・金光教祖御理解・67

何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。

■ 理3・金光教祖御理解・68

神参りをするにね雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。(2)いかにありがたそうに心経やお祓をあげても、心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ。拍手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも、大声をしたり節をつけたりせんでも、人にものを言うとおりに拝め。

■ 理3・金光教祖御理解・69

信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。(2)日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けてゆけば立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・70

人間は万物の霊長であるから、万物を見て道理に合う信心をせねばならぬ。

■ 理3・金光教祖御理解・71

ここへは信心のけいこをしに来るのである。よくけいこをして帰れ。(2)夜夜中、どういうことがないとも限らぬ。おかげはわがうちで受けよ。子供がある者や日傭取りは出て来るわけにはゆかぬ。病人があったりすれば、捨てておいて参って来ることはできぬ。(3)まめな時ここへ参って信心のけいこをしておけ。

■ 理3・金光教祖御理解・72

人間を軽う見な。軽う見たらおかげはなし。

■ 理3・金光教祖御理解・73

変人になれ。変人にならぬと信心はできぬ。変人というは、直いことぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・74

かわいいと思う心が神心じゃ。

■ 理3・金光教祖御理解・75

人を殺すというが、心で殺すのが重い罪じゃ。それが神の機感にかなわぬ。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれのお仕置きにあうが、心で殺すのは神が見ておるぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・76

人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。(2)牛馬はわが子が水に落ちていても助けることができぬ。人間が見ると助けてやる。(3)人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ。

■ 理3・金光教祖御理解・77

人の悪いことを、よう言う者がある。そこにもしおったら、なるたけ逃げよ。陰で人を助けよ。

■ 理3・金光教祖御理解・78

神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。(2)神の機感にかなわぬと、身代もあり、力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたす(尽くす)ことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。(3)信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・79

商売をするなら、買い場、売り場というて、もとをしこむ所と売り先とを大事にせよ。人が口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。(2)体はちびるものでないから働くがよい。

■ 理3・金光教祖御理解・80

年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先へ生まれてきたのではない。みな、神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。(2)若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるがよい。

■ 理3・金光教祖御理解・81

氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・82

大蔵省は人間の口をみたようなもので、その口に税金が納まらぬ時は、四分板張った戸一枚で寝てはおられぬ。どこの太郎やら次郎やらわからぬようになろうぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・83

一年に分限者になるような心になるな。先は長いぞ。一文二文とためたのは、みてる(尽きる)ことはないが、一時に伸ばしたのはみてやすい。(2)神信心をすれば、我慢我欲はできぬぞ。ぬれ手で粟のつかみ取りの気を持つな。人より一年遅れて分限者になる気でおれ。

■ 理3・金光教祖御理解・84

おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。

■ 理3・金光教祖御理解・85

女の身の上、月役、妊娠、つわりに、腹痛まず、腹帯をせずして、産前、身軽く、隣知らずの安産。産後、よかり物、団子汁をせず、生まれた子に五香いらず、母の乳をすぐ飲ませ、頭痛、血の道、虫気なし。(2)不浄、毒断ちなし。平日のとおり。

■ 理3・金光教祖御理解・86

女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。(2)女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ。

■ 理3・金光教祖御理解・87

腹は借り物というが、借り物ではない。万代の宝じゃ。懐妊の時は、神の氏子がわが胎内におると思うて大切にせよ。

■ 理3・金光教祖御理解・88

昔から、親が鏡を持たして嫁入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりではない。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである。

■ 理3・金光教祖御理解・89

此方の道は傘一本で開くことができる。

■ 理3・金光教祖御理解・90

上から下へ水を流すのはみやすいが、下から上へ流すのはむつかしい。(2)道を開くというても、匹夫の俗人から開くのじゃから、ものがむつかしゅうて暇がいる。(3)神のおかげで開かせてもらうのぞ。たとえ一時はむつかしいことがあっても、辛抱してゆくうちには徳が受けられる。

■ 理3・金光教祖御理解・91

もとをとって道を開く者は、あられぬ行もするけれども、後々の者は、そういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせる。

■ 理3・金光教祖御理解・92

神は一体じゃによって、此方の広前へ参ったからというて、別に違うところはない。あそこではおかげを受けたけれど、ここではおかげが受けられぬというのは、守り守りの力によって神のひれいが違うのぞ。(2)神の守りをしておれば、諸事に身を慎み、朝寝をしてはならぬ。早く起きると遅く起きるとは、氏子が参詣の早い遅いにかかわるぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・93

氏子は神の守りをしておる者を神と心得て参詣する。(2)守りが留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。(3)万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着けておれ。
(4)人には上下があるが、神には上下がない。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしてはならぬぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・94

信者に不同の扱いをすな。物を余計に持ってくると、それを大切にするようなことではならぬ。信心の篤いのが真の信者じゃ。

■ 理3・金光教祖御理解・95

世には神を売って食う者が多いが、此方は銭金では拝まぬ。神を商法にしてはならぬぞ。

■ 理3・金光教祖御理解・96

世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。(2)いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。

■ 理3・金光教祖御理解・97

神を拝む者は、拍手して神前に向こうてからは、たとえ槍先で突かれても後ろへ振り向くことはならぬぞ。物音や物声を聞くようでは、神に一心は届かぬ。

■ 理3・金光教祖御理解・98

心は神信心の定規じゃによって、お伺いする時には、とりわけ平気でなければならぬ。落ち着いて静かに願え。

■ 理3・金光教祖御理解・99

無学で人が助けられぬということはない。学問はあっても真がなければ、人は助からぬ。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしておる者がある。此方は無学でも、みなおかげを受けておる。

■ 理3・金光教祖御理解・100

めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというではないか。金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ。

 

..    御理解拾遺                佐藤範雄 編

■ 理3・御理解拾遺・1

信心する者は、道のわけを知らねばできぬ。そのわけを教えてやる。

■ 理3・御理解拾遺・2

信心は別にむつかしいことはない。親にものを言うように、朝起きたらお礼を申して、その日のことが都合よいように願い、よそへ行く時には、行ってまいりますとお届け申し、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言うようにし、夜寝る時にはまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心になる。

■ 理3・御理解拾遺・3

信心しても胸が違えばおかげは立たぬ。二度まで教えてもたずねて来ぬような者は、けいこが嫌いなのじゃ。

■ 理3・御理解拾遺・4

此方の話を聞いて、それでおかげを受ければ、神も喜び、氏子も喜び。

■ 理3・御理解拾遺・5

石金でも、舟に積めば水に浮かぼうが、人はおかげの舟に乗れよ。

■ 理3・御理解拾遺・6

にわかに金持ちになる者には、たいてい無理があるのぞ。

■ 理3・御理解拾遺・7

金はみてる(尽きる)ことがあるぞ。一心となって、真心をもって信心せい。身の上に徳のつくおかげがあるぞ。

■ 理3・御理解拾遺・8

何やかや心配して、かれこれ思うておろうが。神に任せて、足り不足を言うな。安心して時節を待っておれ。

■ 理3・御理解拾遺・9

人にもたれてはいかぬ。神に一心にもたれたら、助けてやるぞ。

■ 理3・御理解拾遺・10

神の守りをすれば、神心でせねばならぬ。みなは人心を出して利口でするから、人心は人心だけじゃ。神心は神心だけじゃ。

■ 理3・御理解拾遺・11

先に花がある。花が咲けば実がのる道理じゃ。

■ 理3・御理解拾遺・12

百姓は、春もみをまく時は、神様へ、今日お土地へまかせてくだされとお願いし、田植えには、苗三把を供え、今日より植えさせてくだされと願いあげ、供えたのをお土地に植えて、ありつき(根つき)出来ばえをお願いし、そのほか五穀をしつけ(植えつけ)いたすも同じことなり。よくよく心得て、天地の恩徳をいただけい。

■ 理3・御理解拾遺・13

百姓の人は、自分の田の水を見に行き、人の田の水まで見てやれば、人もまた自分の田の水を見てくれる。(2)互いに親切にし合えば、神様もお喜び、人もなお喜びである。

■ 理3・御理解拾遺・14

山にもいろいろの物ができ、川にも海にもいろいろの魚がおる。漁師が取りて商人が売買し、だれでも好きな物を買い求めて食い、体を丈夫にして国のために働くように、天地の神様がお守りくだされてある。

■ 理3・御理解拾遺・15

今も昔も、これからなにほど年がたっても、人もきれねば、人の食う五穀もきれることはない。つぎつぎに種が生えて続いてゆく。

■ 理3・御理解拾遺・16

なんぼう積み重ねておっても、食われぬことがあってはどうもなるまいが。まめで食えれば、それが分限者じゃ。

■ 理3・御理解拾遺・17

思うたことは口には出さんでも、神は受け取っておるぞ。

■ 理3・御理解拾遺・18

家内中親切にし、信心をすれば、心がそろうようになり、みなおかげを受けられるのである。親子でも、心が一つにならねばおかげにならぬ。

■ 理3・御理解拾遺・19

治るじゃろうかと思うてはならぬ。治してもらいに来たのじゃろうが。今日からしだいに全快におもむくと思え。

■ 理3・御理解拾遺・20

行は無理によそへ行ってせんでも、わがうちでできる。

■ 理3・御理解拾遺・21

世の神は鳥や獣を使わしめにするというが、此方は鳥や獣を使わしめにせぬ。神の氏子たる人を使わしめにして、取次をする。

■ 理3・御理解拾遺・22

氏子、繁盛というて、子供がたくさんおれば国の強みである。(2)親のところでは心配が多いが、けっして心配せぬがよろしい。神様からそれ相応のあてがいがあるから、生き物にえじき絶えずというて、らくなものじゃ。
(3)神様からお造りくださる懐妊中に、考え違うてご無礼をする者もあるが、神様からお与えくださるだけは産んで養育するがよろしい。(4)金は人間の力でこしらえられるが、子供は天地の親神のおかげでなければ、わが自由にならぬことである。子を産む者は、神様のご用を勤めると思うて辛抱すれば、これが信心になる。

■ 理3・御理解拾遺・23

人間には病苦災難のある家も富貴繁盛の家もある。田畑でも一様の物ばかりはない。なにほど悪い田地でも、肥やしをたくさん入れるように、その田畑へたびたび行きて作ることに心がけておれば、一年増しに田畑もよくなり、これ信心も同じこと。田は、水の出るごとに見に行かねばならぬ。土手が切れたら、人の世話にならねばならぬ。

■ 理3・御理解拾遺・24

国のため、人のため、わが身の上も思い、万物を粗末にせぬように、真の信心をせい。

■ 理3・御理解拾遺・25

病人に品物を与える親切だけが見舞いではない。見舞いの言いようで、気分が強くもなる、弱くもなる。せっかく見舞いに行く親切があるなら、病人の心が丈夫になる見舞いを言うてやると、病人の心が広く大きくなる。この時より神様のおかげをすぐにいただくことができる。此方の話したことを、病人、家内の人に話しておくと、常に悪いことを思わず、安心して全快することばかり楽しむ。ただ一時でも早くよくなれば、だれそれが見舞いに来てくだされた時より急によくなったと喜ぶ。(3)それに引きかえて、見舞いに行き、病人を見て涙を流し、病人をなでさすりして、病人の顔色を見て嘆き、家内の者へは世間の悪いことを集めて話す。そのようなことは、見舞いに行きて見舞いにならず。
(4)病人の心が大丈夫になるように話し、また、貧乏の者には金でも穀物でも、助ける道はだんだんある。何事も行き届く信心をせよ。

■ 理3・御理解拾遺・26

医者にでも常に親切にしておれば、痛い時に早く親切にして来てくれ、常に神様へ信心しておれば、病気災難の時に早く助けてくださる。心をとめておらねばどうにもならぬ。

■ 理3・御理解拾遺・27

わがうちの人はあまり心安立てが過ぎて、敬い尊むことがむつかしい。別に、お礼に行くこともなし。医者のうちには、わがうちの薬は効かぬと言うておるが、これも、先生様のお薬と敬いがないからいである。(2)わがうちでも神様に違いはせぬ。わがうちの薬も薬に違わぬ。敬い尊むがよい。

■ 理3・御理解拾遺・28

此方は参って来いと申さぬが、さいさい参った人はさいさい参っただけのご神徳はいただかれるのである。

■ 理3・御理解拾遺・29

人は善悪の友によるというて、此方へ参って、何かありがたい話と思うて聞いておる時には、心が円い。

■ 理3・御理解拾遺・30

夫婦は他人の寄り合いである。仲よくすれば、一代安心に暮らされる。

■ 理3・御理解拾遺・31

此方の話を聞いて信心する人は、子孫が安心に日を暮らすようになる。子供に安心のことを伝えるのは、真の信心であるぞ。

■ 理3・御理解拾遺・32

若い時の信心、老いての楽ぞ。

■ 理3・御理解拾遺・33

遠方から参って広大なおかげを受けて喜び、しだいしだいにおかげをいただいた人もあり、この大谷の土地でも参らぬ人もある。たとえば、なにほどよい料理屋が隣にあっても、その料理屋のごちそうを食うたことのない人は味を知らぬ。(2)これは例えであるが、天地の神のおかげは、受けずにというわけにはゆかぬ。

■ 理3・御理解拾遺・34

遠方じゃから、ここまで来んでもよいけれども、諸学諸芸でもさらいということがあるから、おりおりは参って来ねばならぬのう。

■ 理3・御理解拾遺・35

此方も人間じゃから、体に塩をしてはおらぬから、いつまでも生きられるとはゆかぬ。生き通しとは、後の人が拝んでくれるようになることじゃ。

■ 理3・御理解拾遺・36

天が下の氏子の死んだ御霊は、天地の間におるのじゃ。どこへ行くのでもない。わが家の内の御霊舎におるのぞ。わが墓場へ体を埋めておるから、墓場と御霊舎とで遊び鎮まっておるのじゃ。まつる所には、どごても、そのまつりを受ける。
(2)この世で生きておる間に、天地の神の機感にかなわぬことをすな。この世で悪いことはできぬ。天地の神は見てござる。地におれば、天から見てござる。天知る、地知る、我知るといおうが。天地の神が知ってござる。

■ 理3・御理解拾遺・37

新たに分家をすると、十人が九人まで、うちには先祖がないと言うが、大きな間違いじゃ。みな先祖というものがある。先祖様と言うて家々にまつらねばならぬ。

■ 理3・御理解拾遺・38

人は一代、名は末代というて、人間は一代の内に、死んだ後に名の残ることをしておかねばならぬと思うて働き、若い者が喜んで、祖父、祖母様の話が聞きたいと言うような信心をせい。

■ 理3・御理解拾遺・39

氏子、信心するという心におかげはないぞ。信心さしていただくという心におかげはあるぞ。

■ 理3・御理解拾遺・40

氏子、商売するというが、商売さしていただくという心になれば、神はつきまとうて守ってやる。

■ 理3・御理解拾遺・41

信心すれば、人も、よい人と言うようになり、身に徳もついてくるが、肩をいからしてあるいたり欲をしたりしていた者の後を見い。ああいうことになったと言われるようになろうがな。

■ 理3・御理解拾遺・42

わが氏神へは月々参らねばならぬ。ちょうど、村の戸長さんのようなものじゃ。

■ 理3・御理解拾遺・43

木の恩を知っておる人は少ない。田畑に植える物には肥やしを施すが、山には肥やしを施す者がない。それでも、大木となる。家を建てるについては、第一、天地の神のご恩を知らねばならぬ。(2)毎日、薪の恩を知って食い物の支度をする女が少ない。春、芽を出し、秋は木の葉が落ちるのを見て、神様のおかげであるということを知らねばならぬ。

■ 理3・御理解拾遺・44

神様を拝むのに、手や口を洗うても、心を洗わねば、何にもならぬ。心は湯や水では洗えぬぞ。真一心で心を洗うて信心をせよ。

■ 理3・御理解拾遺・45

時勢が変わればそれに従うて、嫌いでない限り四つ足も食うがよい。牛乳については、親の乳が十分にあれば、それを飲ませよ。

■ 理3・御理解拾遺・46

忙しい時には、ゆるゆる拝んでおることはできぬ。今日はかようかようでございますからと申して、仕事をしてよい。
(2)百姓の忙しい時など、女にいたるまで足を汚しておるので、ご飯を神へあげませねばと思い、よだって(大儀がって)あげるのでは、神は喜ばぬ。それよりも、釜の内で少しかき寄せて、神様と言うて拝んで、それをいただけい。それを喜ぶ。

■ 理3・御理解拾遺・47

「静め静まることをつかさどるべし」とあるが、あれは神様を拝むことばかりではない。家の内でも、病気の時でもじっと静まってうろたえぬようにせよ。

■ 理3・御理解拾遺・48

お上もかみ、神もかみじゃから、お上の規則にはずれたことをしたら神のおかげはないぞ。

■ 理3・御理解拾遺・49

道で物を拾うても、役場へさし出すことが肝要なり。

■ 理3・御理解拾遺・50

おかげは長命と出世とがおかげの一等じゃ。

 

..    尋求教語録                  片岡次郎 編

■ 理3・尋求教語録・1

どのくらい、人が「あの人なら心配はない。よい人間じゃ」と言うても、人ばかりによいのではどうならぬ。神様に「よい人間じゃ。危なげはない」とご信用いただいたのでなければどうならぬ。神様がご信用になると、何もかもが、よい方へよい方へなってくる。

■ 理3・尋求教語録・2

信心しながら次へ次へ不幸せが重なると、「なんぞの所為(ショイしわざ)ではないでしょうか。なんぞの罰バチではないでしょうか」と言うて参る者があるが、どうして、神様がかわいい氏子に罰をお当てなさろうぞ。(2)「心得が違うておるぞ。気をつけい」とお気づけがあるのじゃから、今までとは心を改めてご信心すれば、不幸せがおかげになってくる。叱って教えてもらうのはありがたいのぞ。叱られるくらいでなければどうならぬ。(3)「あんなものはしかたがない。どうになりとなれい」と思えば、人間でも叱りはすまいが。「どうぞ。あれが」と、ためを思うからこそ叱りもするのであろうが。

■ 理3・尋求教語録・3

神様は親、人間は子、親子の情はどこまでも変わるものではないぞ。親神様は人間氏子がかわゆうてなられぬのぞ。

■ 理3・尋求教語録・4

同じように腹を痛めた子であれば、かわいいに違いはないはずじゃが、それのに、足らわぬ子ほどふびんがかかろうがな。親神様もそのとおりで、難の多い、不幸せな者ほど、おぼしめしが強いのぞ。

■ 理3・尋求教語録・5

広い世間には、鬼のような心を持っておる者もないとは言えぬが、しかし人間であったら、気の毒な者を見たり難儀な者の話を聞けば、かわいそうになあ、何とかしてやったらと思うものじゃ。親神様のお心は、このお心ぞ。かわいいのご一心ぞ。

■ 理3・尋求教語録・6

ご信心しておりますと言う者は多いが、本当にご信心な者というのは少ないようじゃ。本当にご信心であったかなかったかは、代でもかわってみねば、世間の者には確かなことはわからぬわい。

■ 理3・尋求教語録・7

「此方の道は喜びから開けた道じゃから、喜び(出産)ではしくじらせぬ」
と金光様は言うてござったぞ。

■ 理3・尋求教語録・8

金光様は喜びの道を開いてくだされたのじゃから、それをご信心申す者が、喜ばぬつらい顔をして日を過ごしてはならぬ。天地の親神様をご信心するのじゃもの、天地のような広い心にならねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・9

信心する者が迷い気であったり、移り気なようではならぬぞ。昔から、天地にはやりすたりのあったことはあるまいが。

■ 理3・尋求教語録・10

心配が増したり、物事に苦を病むようになるのは、ご信心が落ちた証拠ぞ。この折、これをありがとう思うてご信心すると、これが修行になって、また一段とご信心が進んでくるが、そうでないとご信心が落ちてしもうて、心配や難に負けて、どうならぬようになってしまう。

■ 理3・尋求教語録・11

神様は、荒れ地にしたり荒れ屋敷になっておるのを一番お嫌いになる。それはそうじゃろう。神様のお体を掃除もせずに荒らしておくのじゃもの。人間でも、風呂へ入らずに垢がついたら心持ちがよいか。

■ 理3・尋求教語録・12

神様は、氏子を救い助けてやろうとこそ思うてござれ、このほかには何もないのじゃから、氏子の身の上にけっして無駄事はなされはせぬぞ。ご信心しておるがよい。みな末のおかげになるぞ。

■ 理3・尋求教語録・13

お洗米には神様のおかげがついてござるのじゃから、粗末にしてはならぬぞ。このお洗米一粒で、死ぬるような病人でも、おかげで助かるのじゃもの。(2)金光様は、
「神信心をしてお洗米を千枚いただけば、身に徳を受けることができる」
とまで言うてござったぞ。ありがたいことじゃないか。

■ 理3・尋求教語録・14

「無礼粗末と知ってご無礼お粗末をすると、主から取るぞ。知らずにすれば七墓築かするぞ。しかし、神一心に取りすがれば、神から手は放さぬぞ。氏子から取りはずすのが多い」
と金光様は言うてござった。(2)はじめには、怖いことを神様は言われるわいと思うたが、考えてみれば、なんとありがたいことじゃないか。氏子の方から、ご一心にすがって神様を放さぬように信心さえすれば、神様からは「手は放さぬ。無礼粗末の段は許して、そのうえになお、おかげをやる」とおっしゃるのじゃ。(3)人間のことじゃから、どんなことで知らず知らずにご無礼お粗末をしておらぬとは限らぬから、とにかくお許しを願っておすがりすることじゃ。

■ 理3・尋求教語録・15

金光様は、
「神から手は放さぬが、氏子から取りはずすのが多い」
とおっしゃったことがある。
(2)金光様も、そのはじめは前々からのご無礼お粗末から、数々難を受けられたり、七墓築かされるようなこともおありなさったが、天地金乃神様にご一心なさっておかげを受けられたのじゃから、神様の首へすがりついて、神様と首引きをするというくらいご一心であったら、おかげの受けられぬということはない。

■ 理3・尋求教語録・16

平生は、ご一心、ご一心と言うておるが、肝心のおかげを受けねばならぬ時に、みんな、よくうろたえるので、せっかくのおかげを取りはずしてしまう。ご信心する者は、まさかの時に値打ちを入れられぬ(見限られない)ような信心をせねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・17

平生は平生でおかげを受けねばならず、まさかの折にはなおのことおかげを受けねばならぬから、どのような時にでも置き場を忘れて探しまわることのないように、信心の心は肌身離さずに持っておらぬと、用心が悪いぞ。まさかの時には裸でも田んぼの中でもよい、「金光様、お願いします」と頼めば、すぐおかげを持って来てくださる。

■ 理3・尋求教語録・18

辛抱するがよい。辛抱というぼうは強い棒じゃ。何を担うても折れるようなことはない。もし折れたり曲がったりしたら、それは辛抱じゃない。(2)金光様は、
「信心辛抱」
と言うてござったが、おかげを受けようと思えば辛抱になければならぬ。(3)信心は長う続かねばならぬ。長うて強い信心辛抱には、どのくらいなおかげを担えるやらわからぬぞ。先を楽しんで信心辛抱さしてもらうがよい。

■ 理3・尋求教語録・19

「天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ」
と金光様が教えてくだされた。(2)しかし、なかなか、ままよという信心の腹がすわらぬもので、どうやら、ままよという心になったかと思うと、やけのままよを出す。やけではならぬ。やけや無茶を考えだすから、せっかくのよい受け物がめげて、漏るようになるのじゃ。

■ 理3・尋求教語録・20

「日天四の陰もなくお照らしなさる所は、天地金乃神は一目に見ておる」
と言わっしゃるのじゃから、神様のおかげを身いっぱいに受けるように、いつも身も心も神様の方へ向けておらぬと、十分のおかげは受けられぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・21

広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。

■ 理3・尋求教語録・22

武士はお扶持を殿からいただいておるから、このご恩のためにはいつでも命を捧げて死ぬるという覚悟を持っておるが、立派な心じゃ。この真あってこそ、立派な武士なのじゃ。(2)金光様は、
「ままよの心にならねば、十分に神の徳は受けられぬ。死んでもままよの心になれい」
とおっしゃった。(3)人間は、神様のお守り、天地のお恵みで生きておれるのじゃから、このご恩のためにはいつ死にましてもかまいませぬ、いといませぬというくらいの真を捧げる信心の覚悟がなければ、立派な信心を持つ信者とは言えぬ。もちろん、十分な徳は受けられぬ。

■ 理3・尋求教語録・23

神様のおかげで生まれてきた人間じゃもの、死ぬるのも神様のおかげでのうて死ねるものか。それじゃから、生まれたのがめでたいなら、死んで金光様のもとで神様になるのは、なおのことめでたかろうじゃないか。(2)世間に、死ぬるのがつらいと言うのは、まだ、死ぬるのをいとわぬだけの安心ができておらぬからじゃ。ご信心して、早く安心のおかげを受けておかねばならぬ。(3)神様のお計らいでは、いつゆかねばなるまいも知れぬのに、その際のやれそりゃ信心は間に合わぬ。平生から、まさかの折にうろたえぬだけのご信心をしておかねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・24

此方(片岡次郎四郎)が話して聞かすと、みんなよく親身に聞くが、わがうちへ帰り、えらい信心家になって、うちの者を叱るばかりして困らしてはならぬぞ。(2)よく、世間には、あの人は講釈はよいがという講釈だおれががある。信心する者は、神様のお話を聞いて合点がいったら、第一、自分がしてみせてから、それから言い聞かさねば、口ばかりの先生では、うちの者も聞かず、神様にももったいないことができるぞ。

■ 理3・尋求教語録・25

教えてもろうたことが、ようやくでもできるのは結構じゃが、自分からも少しは練り出さねば、教えてもろうたお礼が立つまいが。

■ 理3・尋求教語録・26

教えてもろうてご信心しておかげを受けたら、人にも教えてあげねばお礼にならぬぞ。信心する者の役目がすまぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・27

信心修行じゃと言うて、白い着物を着て杖をついて出て行くが、ああして一人残らず出て行ったら、後の家業はだれがするのか。金光様の行には、そのような行はない。(2)その代わり、毎日の業を信心修行と心得てするのじゃから、「今日は仕事が大儀なから横着をしよう。主人が見ておらぬから遊ぼう」というような了見では、信心の行にはならず、おかげは受けられぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・28

親神様のおかげで生きておれる人間は、日々神様のご用を勤めねばならぬぞ。毎日勤める家業は信心の行であるから、業をありがとう勤めれば、日々ありがたいおかげが受けられるぞ。

■ 理3・尋求教語録・29

ここへ参るのに手間が欠ける、暇がかかると思うてはならぬぞ。神様が、それだけの手間暇は、すぐに取り返さしてくださる。

■ 理3・尋求教語録・30

みんな、信心じゃ、行じゃと言うて、白い着物を着て、ああして諸所を巡らねば信心でないように思うておるが、金光様のご信心の行はあのようなことはせぬのじゃ。うちで業をしいしいできるのじゃ。(2)事の欠けぬように仕事を早うすましたり、仕事のくり合わせをつけておいては参って来て、お話を聞いて信心の勉強をするのじゃ。そうすると、ひとりでにおかげが受けられるようになる。

■ 理3・尋求教語録・31

みんな、「おかげを受けて忙しいから、なかなかお参りができません」と言う。無理に、「忙しい時に参れ」と言うのではないが、おかげを受けておれば、暇な日という日があるものか。(2)「今日は雨が降ったからお参りしよう」「今日はお休みじゃからおかげを受けよう」と、暇をこしらえて参っておかげを受けるがよい。

■ 理3・尋求教語録・32

「天地金乃神はこの世の親神じゃによって、天地金乃神に信心しておるからというてもせぬからというても、天地の間に住みはい(生活)をしておるうえは、天地金乃神の氏子に相違はないぞ。
(2)神信心をしておれば神と心安いも同然じゃによって、大難は小難に、小難は払い取りのおかげをやる。これほど信心をしても、まだこのような難を受けるというのは、真の神徳を知らぬ者の言うことぞ。すべて、難は人間では寸尺の取れぬものと知れい」
と金光様がおっしゃった。(3)熱心に信心しておる者の中にでも、難が強うて信心をやめる者がある。信心をして難の根の切れるおかげを受けねばならぬのに、難の根よりも先に信心の根を切るのは、やっぱり神様の真の神徳を知らぬ者のすることぞ。信心すれば、神様の真の神徳を知らねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・33

「よそには不思議なおかげを受けられるのに、どうして、うちにはよそのようなおかげをよう受けぬじゃろうか」と、よそのおかげばかりけなりがる(うらやましがる)者がよくあるが、それは、そういう信心じゃからおかげが受けられぬのじゃ。(2)「よそに受けられるおかげじゃもの、うちにじゃというても受けられぬことがあるものか。まだ真が足らぬのじゃ」とご一心を出せば、おかげのもらえぬことがあるものか。真の一心が神様に届かなかったら、それこそ不思議じゃ。

■ 理3・尋求教語録・34

みんな、病気の名や病気のもとは不思議によく知っておるが、おかげの受けられるもとを知らぬわい。病気のもとよりは、おかげのもとをたずねてみよ。

■ 理3・尋求教語録・35

みんな、おかげをくだされい、おかげをくだされいと言うが、いったいぜんたいおかげを知っておるのか。自分の思うとおりを聞いてくださるのがおかげとは限らぬぞ。死んでおかげの者もあり、命をつないでもろうておかげの者もある。いっさいがっさい、この世のことは神様のご支配じゃから、親神様のおかげに任すよりほかはない。
(2)ご信心しておれば、その時は都合が悪いようでも、神様の仰せにそむかずにおると、後になってから、あれもおかげじゃった、これもおかげじゃったということがわかってくる。これがわかるくらいの信心をせねば、信心するかいがないぞ。

■ 理3・尋求教語録・36

ご信心しておるのに死んだりすると、おかげがなかったと言うて、信心をやめる者があるが、信心しても死ぬる者は、うちの者の身代わりになっておることがあるから、後々の者がご信心して達者で繁盛せぬと、せっかくの身代わりになった者を犬死にをさしたことになり、なお不幸せが続くことがあるぞ。うちの者が難に負けぬご信心をすることが第一ぞ。

■ 理3・尋求教語録・37

金光様がお一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。(2)一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。
(3)信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ。種が悪いと悪い伝になって、なんぼうよいぐあいに育てようと思うても、なかなかよくならぬ。

■ 理3・尋求教語録・38

みんなが習う読み書きも、お手本と先生が一番大事じゃ。お手本がようなければならぬ。ご信心して、みんなのよいお手本になるおかげを受けてみよ。みんながそれに見習うてくる。一人おかげをもろうたのがもとになって、何人おかげをもらうようになるかも知れぬ。それこそ一粒万倍じゃ。よいお手本になる信心をせねばならぬ。
(2)此方(片岡次郎四郎)のは金光様から直伝じゃから、神様のお手筋ぞ。世間には、少し神の徳を受けると自分の流儀を出す者があるから、お手本や先生が大事ぞ。

■ 理3・尋求教語録・39

「昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれ、ということさえあるから、神信心をしても、第一にわが身の上のおかげを十分に受けてから、後に人を助けてやれ。
(2)お通夜(徹夜の行)などの苦行をさすよりは、安心に寝ておっておかげを受けさせい。神信心も小学校生徒の手習いも同じことぞ。一段一段と進んでゆく。にわかに先生にはなれぬぞ」
と金光様が言わっしゃったことがある。(3)金光様は氏子に苦労をさせまいと思うて、ご修行してくだされたからこそ、みんな寝ておっておかげが受けられるのじゃ。それじゃもの、このご恩を忘れてはならぬぞ。わが身におかげを受けたら、みんながおかげの受けられるようにしておかげを受けねば、もったいないぞ。

■ 理3・尋求教語録・40

「神信心をしておりながら、神をたばかり無礼粗末をすると、神は綱はつけぬけれども手足が動かぬようになるぞ。前々からの無礼粗末じゃというても、神一心に取りすがれば前々の無礼粗末はとがめぬぞ。
(2)しかし、神もお上も道理は同じことぞ。お上にでも永牢というのがあるし、大悪になれば縛り首になるなるようなもので、神においても同じことぞ。無礼粗末をすれば、一代難儀をせねばならぬ。(3)無礼粗末が重なると七墓築かするぞ。直取りぞ。七墓築かされてからの信心は遅いぞ。永牢を仰せつけられるようになってから慎んだのでは、お神にもさっそくご免はないぞ」
と金光様は教えてくだされたが、ありがたいことではないか。今はこのことを心得てご信心するから、おかげがもらえる。
(4)人間のことであるから、難儀でもさせられぬと悪いところへ気がつかぬ。悪いことが出てくると、おかげをもらおうと思うて信心する。信心すると心が真になる。信心すると、もうご無礼お粗末をせぬようになる。これがありがたいのぞ。これがおかげのもとぞ。

■ 理3・尋求教語録・41

天地金乃神様といえば、天地を一目に見てござる神様じゃ。天地を一目に守ってござると言うと、天は何なら、地とは何かと、むつかしゅう言うてくる者があるが、むつかしゅう言うことはない。この二つがなければどうならぬが、この二つがばらばらでは、また、どうならぬ。これを一つにして役に立たしてくださるのが天地金乃神様じゃ。
(2)人間にたとえれば、天が男なら地は女じゃ。男女めおとになって、安心で結構なのじゃ。男女ばらばらではどうならぬ。一緒になって立ち行くのじゃ。一緒にして、そろうて立ち行くようにしてくださり、夫婦そろうて父になり母になりして繁盛さしてくださるのが天地金乃神様じゃ。であるから、天地金乃神様にご信心すると、一方欠けて不都合のないように、互いにかかり合うて末々まで繁盛するぞ。

■ 理3・尋求教語録・42

人間じゃもの、生きておる間は先々のことを考えもしようし、心配の尽きる時はあるまいけれど、心配がみなおかげになれば、心配はあるまいが。心配は、信心しさえすれば、みなおかげになる。心配は体に毒、神様にご無礼。今日からは心配する心を神様に預けて、信心する心になるがよい。おかげになるぞ。

■ 理3・尋求教語録・43

人間じゃもの、先のことを考えるなと言うのも無理じゃが、判断にあたわぬ先のことを考えて、どうなるじゃろう、あんなにならねばよいが、こんなになったら困るがと、心配ばかりするのも、また無理ぞ。(2)神様でなければわからぬことを、人間が、ああか、こうかと心を配るのを、心配というのじゃ。心配は、神様に任して信心せぬからぞ。信心してお徳を受けると心配はないがな。

■ 理3・尋求教語録・44

先へ先へ、これで、先がどうなるやらと、わかりもせぬことを心配ばかりなさるなよ。ご信心しておられたら、神様が、さしつかえるようなことはなさりはせぬわい。日々おかげをもらえば、先がなんぼうあろうと心配はないじゃないか。(2)日々身や心にまつわるお断りをして、昨日のお礼を申し、今日のおかげを願うてありがとうに暮らし、来る明日を楽しんで迎えれば、みなおかげになって、先の心配はないぞ。

■ 理3・尋求教語録・45

「神信心も生徒の手習いも同じことで、一段一段進んでゆく。にわかに先生にはなれぬ」
と金光様は言わっしゃった。(2)広い世間を見ておると、信心が少しできだしたと思うと、すぐに拝み手になって、神様を笠に着て、神様のお顔を汚す者ができる。自分が過ちをするばかりか、人にまで過ちをさして、お上へもすまぬ、もったいないことができる。先生とはいうても、別に偉いことはない。結局、氏子じゃがな。

■ 理3・尋求教語録・46

「いかに学問があり理屈を言うても、わが身上(財産)をよう持たぬ者は、本当はあほうじゃ。ただ物知りというまでのものじゃ。また、いかに位の高い、役儀の重い人へでも、人が、命を助けてくだされいと言うては頼みに行くまいが。(2)身に徳を受けておると、人が、命を助けてくれと言うて頼んで来るから、身に徳を受けておる者はよう心得ておらねばならぬぞ」
と金光様が言わっしゃった。
(3)此方(片岡次郎四郎)へも人が、命を助けてくれいと言うて来る。命の助かるおかげを受けさせぬと、此方を悪うは言わずに、神様を引き合いに出すから、人を助けるだけの徳を受けておらぬと神様に相すまぬ。(4)此方のような者をでも、神様が人の命を助ける神のお仕事に使うてくださるかと思うと、恐れ多うて拝まずにはおられぬがなあ。

■ 理3・尋求教語録・47

心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。

■ 理3・尋求教語録・48

命がけの信心をせよ。命にかかわることでもおかげが受けられる。

■ 理3・尋求教語録・49

めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂ると、めでたい時に歌うが、枝も栄え葉も茂るのは幹が太るからじゃ。幹が太るのは、地の底に目には見えぬが大きく根を張っておるからじゃ。もとになる根が枯れると、太い幹も茂った枝葉も枯れてしまう。(2)日々信心の根張りをよくしておると、無常の風が吹いても、たおれることがない。おかげで枝葉も茂って繁盛する。これがめでたいのじゃ。

■ 理3・尋求教語録・50

ものの道理というものは何でも一つじゃ。天地の道理を説き教えられたのが、この道じゃ。此方(片岡次郎四郎)の日々話すことは、この理を説き聞かしておるのじゃから、よく物の道理をわきまえて、道理に違わぬように信心せねばならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・51

事のわからぬ無茶な者でも、信心しておると、打って変わってようなってくるものじゃ。それというのは、信心すればものの道理を聞かされるから、ものの道理をわきまえてくるからぞ。神様の道に入れば、ひとりでに人の道をふむようになるが、人の道をわきまえておると言う者の中には、神様の道をわきまえぬ者がある。

■ 理3・尋求教語録・52

天に口なし、人をして言わしむということがあろうがな。神様は人の口を借って言わされることがあるから、信心しておる者は子守りの歌でも気をつけい。うっかり聞いてはならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・53

実意丁寧、これが金光様が神様からご信用を受けられて生神様になられたもとじゃ。天地金乃神様を信心する者は、このもとの実意丁寧を一番に見習わねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・54

「なんぼうご信心じゃというても、金光様のようなまねができるものか。金光様は神様に生れついてござった」と言う者がある。(2)金光様は、
「此方じゃというても、はじめから生神じゃなかった。言うて聞かすとおりにしてこい。此方のようになれる」
と言うてござったから、できぬのではない、せぬのぞ。(3)命を助けてもらおうと思う時の一心があったら、できぬということはない。

■ 理3・尋求教語録・55

「みんなが、おいでくだされい、おいでくだされいと言うが、此方は神の前を留守にすることはできぬから、ここから外へは出ぬのじゃ。それでも、助けてくだされいと言うて、一心に願うて来た者の所へ行ってやらなんだことは、一度もないぞ」
と金光様はおっしゃった。(2)恐れ多いことじゃと思うがなあ。いつ参ってもいつ参っても、変わらずご苦労になっておって、願うことを聞いてくださる。ありがたいことぞなあ。

■ 理3・尋求教語録・56

此方(片岡次郎四郎)がお参りすると、金光様はたいへんお喜びになって、
「才崎の金光は、いつ参ってもいつ参っても、お礼参りじゃ。参る者の大方はお願いに参るのに、その方は、いつもおかげを受けておるお礼に参って来る。神も満足に思うぞ。
(2)氏子がお礼に参って来ると、神も喜び、金光大神もいっそうにうれしいが、氏子もうれしかろうが。氏子がおかげを受けてうれしゅうに喜ばぬと、神も喜べぬ」
とおっしゃった。(3)みんなもおかげを受けて、神様にも喜んでもらい、自分もうれしゅうにお礼参りのできる信心をせねばならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・57

「氏子がおかげを受けてくれねば、神も金光大神もうれしゅうない。氏子がおかげを受けずに寝ておっては、神の道は立たぬ。氏子が立ち行かねば、神も金光大神も立ち行かぬ。神の役目が立たぬ」
と、いつも言うてござった。(2)天地金乃神様は本当の親神様じゃ。つまらぬ子では、親がよう安心せぬ。ご信心して十分におかげを受けねば、親神様がようご安心なさらぬ。親神様がようご安心なさらぬような信心では、わが身の出世にならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・58

人目の届かぬ陰で、わからぬと思うて悪いことをしたり横着をしたりする者くらい、つまらぬ者はない。その時は得をしたように思うたり、利口なように思うておるじゃろうが、神様は見てござるから、つまりは自分の損になるのじゃ。上利口底鈍になるなよう。

■ 理3・尋求教語録・59

食べ物では体を取り立てるもの、ご信心では心を取り立てるもの。しかし、食べ物じゃとて親神様がお恵みくだされておるものじゃから、ご信心すれば身も心も取り立てられて、まめになるぞ。

■ 理3・尋求教語録・60

何というても一番大事なのは心じゃ。心は人間の芯になるものであるから、大事に折らぬようにして伸ばさねばならぬ。虫に食わさぬようにせねばならぬ。芯は一つに決まったもの。芯が二つも三つもある木は、いがやり(質の悪いもの)じゃ。ご信心の芯は金光様の真一心じゃ。

■ 理3・尋求教語録・61

外へ出て畑のしょうやく(手入れ)をするにしても、神様と一緒にさしてもろうとるつもりですると、仕事がよくできる。麦の谷(畝と畝の間)をかくのにも、神様のありがたいことを思い思いするとえろうない。

■ 理3・尋求教語録・62

明治六酉年正月二日礼参のみぎり、
「片岡次郎四郎子の年、神が片腕に思う。百万石の殿様には多くの家来があるけれども、主の片腕になる家来は少ない。信心する人も多くあるけれど、神の片腕になる人少なし。金光大神の片腕は片岡次郎四郎、一乃弟子に用いる。神の手前では才崎を出社にする。
(2)若葉(片岡幸之進)十五歳におよんだら、何事にでも名代に立てい。
(3)犬も歩けば棒に遭う。金光大神も、悪いことをせぬから立ち行かぬとは思わぬ。
(4)金光大神とお前とは親と子ほど年が違うから、まだ先の長いことじゃ。たとえわしがおらぬようになっても、お前方があるからと思いこむ」

■ 理3・尋求教語録・63

金光様は、
「若葉が十五歳におよんだら、諸勤めに名代に立てい」
とおっしゃったが、子供も十五になれば若い衆の仲間入りをする年じゃから、ぼつぼつ身しのぎをする術を教えこまねばならぬ。自分のことは自分でご信心しておかげを受けさすようにせねばならぬぞ。
(2)親から見れば、大きゅうなっても子供のように思うけれども、かわいがり過ぎたり耐えがた振り(手助け)をしてやると、先のためにならぬぞ。かわいい子には旅をさせいということがあろうがな。信心のありがたいことを話してやっておれば、ひとりでに親の跡を継いでご信心するようになるからな。

■ 理3・尋求教語録・64

今までは、神様といえばお社の中に納まってござるものと思いこんでおったのじゃが、金光様がおかげを受けられてからは、天地金乃神様が天地いっぱいにござることがわかってきて、それからはこの世が明うに自由になったのじゃ。

■ 理3・尋求教語録・65

明治十一寅年五月十日礼参のみぎり、
「片岡次郎四郎子の生、神が頼りに思い、金光と位をつけ。(2)若葉の出世なる諸勤めに、名代に立てるようになれ。神と許し。その間には此方も世もかわり、二十五年にもなり。子の年(片岡次郎四郎)巳の年(片岡庄)夫婦、辛抱してくれ。氏子が用いてくれねば神も立たぬ。金光大神、五月十日に子の生に申したこと、覚つけおけ」
と仰せつけらる。
(3)「おいおい、内輪の相談にて名字につけるがよし。金光とは金光る。いなずま光、光れば明かろうが。世に暗の闇では見えまいが。明い方へはだれでも見ようが。諸事、先を楽しみ」
子の年へご理解なされ。
(4)「今は正面覚つけおけ。お上へ対し正面とは申さぬ。神と氏子とのこと。これは神になること」

■ 理3・尋求教語録・66

「犬も歩けば棒に遭うということがあろうが」
と金光様は言うてござったぞ。(2)医者が病家見舞いをするように病人の枕もとには立たぬぞ。此方(片岡次郎四郎)がここを離れたら、みんながようおかげを受けぬ。じっとしておっても、間違わぬようにご信心しておれば、人はひとりでにおかげを受けにたずねて来るし、みんなおかげを受けて喜ぶぞ。

■ 理3・尋求教語録・67

此方(片岡次郎四郎)も慶応年中から月々欠かさず金光様へ月参りをいただいておるが、十二年間というものは、ただの一度もお参りに障りのない日がなかった。
(2)お天気がよいと思えば用事ができる。今度はありがたいことじゃ、都合よう参れるわいと思うておると、お天気が悪うなる。うちの者が病気する。親族や村内に用事が起こる。時には、お参りの途中で自分が病気になったり、難儀に遭うというようなことばかりじゃったが、こんなことがあるのをくり合わしたり、えらい目をして参ると、金光様は、「道が悪うて困ったじゃろう」とも「えらかったなあ」とも、そういうことは一言も言わっしゃらぬ。(3)いつもにこにこしいしい、
「よう参られた。よい修行じゃったなあ」
とか、
「おかげを受けられたなあ」
とおっしゃるだけじゃった。

■ 理3・尋求教語録・68

金光様は、
「此方もいつまでも人間のままではおらぬ。やがては神になるが、神上りの後、此方の手もとへ来る者が二人ある。その方も金光大神の両脇立ちとして、ひざもとへ呼び寄すぞ」
と始終言うてくだされておった。(2)ご信心する者はみんな、お手もと近う行けるように、お手厚うご信心をいたそうぞ。金光様は、みんながうちそろうて行くのを喜ばっしゃるのじゃから。

■ 理3・尋求教語録・69

「金光(片岡次郎四郎)様、あなたが、ご一心してさえおったらおかげを受けられると言うてくだされましたので、ありがとうて、何でもご一心しようと思えば思うほど、拝んでおってもほかのことが思えてどうなりませぬが、金光様、こういうことではご一心が届きませぬわいな」
(2)「ふむ、お願いに参られてから、ぐあいはどうかな」
「いや、それはおかげを受けまして、しだいによろしいのです」
「そんなら、あなたが願うておることを、神様はそのとおり聞き届けておられるがな」
(3)「ありがとう存じます。それでも、私のような者の一心が、とても神様に通じるようには思えませぬ」
「そんなら、通じぬ方がよいのかな」
「いや、それはどうしても通じねば困りますので」
「それみなさい。聞き届けてもらおうと思うてご信心しておるのじゃろうがな。そこを神様がお受け取りくだされておるのじゃ。此方も、そこをくんでやってくだされいと願いそえて、信心を足してあげておるのぞ」

■ 理3・尋求教語録・70

金光様神上りのみぎりに、此方(片岡次郎四郎)へは御形見としてご紋付きかみしも一領を下しおかれ、その御書付に「かみしもをかけた心を常に忘れるなと御申しおきのこと」とあった。(2)信心する者は、いつも、かみしもをかけた時の心でなければならぬぞ。しかし、人の上に上下をつけてはならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・71

「なんぼう天地の親神に信心しておるからというても、他の神を薮神小神と侮り、無礼粗末をしてはならぬぞ。物にたとえれば、子供じゃと思うて油断をしたら、小またを取ってこかされたというようなもので、薮神小神じゃとて、無礼粗末をすれば、出来物を出したり、頭痛くらいのことはさするぞ。(2)しかし、子供が悪さをしておっても、親が叱るとやめるようなもので、天地の親神に信心しておれば心配はない。親神の手にかなわぬことはないからなあ」
と金光様のお話があった。(3)親ほど強い者はない。手をにぎっても、一本の親指がほかの四本をおさえておろうが。

■ 理3・尋求教語録・72

今はご時節柄、植えぼうそうができるようになって、厄神の仕事が減ってきたわいな。しかし、「よぼう、よぼう」と言うと、「行こう、行こう」と言うて来ることがあるから、予防も、おかげを受けて、やり損ねのないようにせねばならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・73

「たとえ田地田畑の境をせせる者があろうとも、いいしょ(言い合い)いい論(自分に有利な主張)などするものではないぞ。知らぬ顔をしておればよい。すべて物事は負けて勝つがよいぞ」
と金光様が言わっしゃった。(2)ご信心しておれば、何事でも神様が負けて勝たしてくださるから、強情張ってはならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・74

「病気で死んだと言うが、体は死んでも病気は後々へ残ることがあるぞ。これが、何の孫ソン(血統)かにの孫ということになるのじゃ。信心すれば、悪い孫の種を切ってやる」
と金光様は言うてござった。(2)みんな、ご信心しておかげを受けて、悪い孫の種の生えぬように切ってもらわねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・75

人に物を頼むのにでも、ただ「頼む、頼む」と言うだけなのと、「あなたでなければほかに頼む人がありませぬから、どうでもごやっかいにしてくだされい」と思いこんで頼むのとは、頼んだ者の心も違うが、頼まれた者はなお違うぞ。(2)神様にお願いするのにでも、「天地金乃神様、あなたよりほかにおすがりする神様はありませぬ。どうぞお願い申します」と金光様にご一心でなければどうならぬ。

■ 理3・尋求教語録・76

五貫目の物を担う力しかない者に十貫目の物を頼んでは、わしの力にはかなわぬと言う。村内のことなら村長さん、郡のことになれば郡長さん、それが一県のことになれば、知事さんに頼むのが至当としたものじゃ。大工さんに、壁が落ちましたから塗ってくだされいと言うて行く者はあるまいが。(2)天地の間の人間はみんな、天地の親神様の氏子であるから、氏子の身の上に起こることは、天地金乃神様のごやっかいにならんで、おかげがもらえるものか。

■ 理3・尋求教語録・77

別に日を決めて説教はせぬというても、参る人には毎日一人一人に説教はしておる。

■ 理3・尋求教語録・78

「金光(片岡次郎四郎)様、おかげで無事に参宮して帰りましたが、どこまで行きましても、別にこれという変わったことは、めったにあるものじゃありませぬなあ」
(2)「少しは変わった所があろうが。家の格好とか田畑の作り物でも、気をつけて見れば、珍しい違うたことがあろうが。旅をするというものは面白いもので、気をつけておると次へ次へ変わった所が見えるぞ。
(3)ご信心でもそのとおりで、気をつけておらぬとわからぬが、気をつけておると、しだいに変わったありがたいことに気がついて、ありがたいことが増えて、いっそうありがとうなってくる。ご信心する者は、よう気をつけておらねばならぬ」
(4)これも参宮した信者、
「旅をすると、金光様、面白うてよろしい。見る物、聞く物みんな変わってきますから」
(5)「面白いぞなあ。旅は行くほど違うたことが見えてなあ、楽しみなものじゃ。ご信心もそのとおりぞ。深く進むほど、違うたありがたいことに気づいて、ご信心が深う深う、広う広うなりますぞ」

■ 理3・尋求教語録・79

ご無礼じゃ、お粗末じゃというても、商売人が斤量の目を盗んだり、人の目をくらましたり、百姓が山や田畑の境目を勝手にいろうたり、水や食べ物を粗末にしたり、自分の勤めをおろそかにしたりするほどご無礼はないぞ。(2)人の目をくらまして得をしようとするから、損をしてたおれる。境目を欲張るから、その田畑を放さねばならぬようになる。食べ物を粗末にするから食べられぬようになる。勤めをなおざりにするから仕事は逃げる、働けぬようになる。(3)みんな、ご無礼お粗末の心がもとでなるのぞ。

■ 理3・尋求教語録・80

此方(片岡次郎四郎)はごついことが好きで、鉄の棒を杖にしてお参りしておりまするとお話ししたら、
「鉄の杖でも強くつくと曲がることがあるし、竹や木じゃと、折れたりしわったりしやすいから、やはり神を杖につくのが一番楽なぞ」
と金光様が言わっしゃった。(2)なるほど、神様を杖につかしてもろうてみよ、一番気丈夫なぞ。それからは、お参りに鉄棒の杖をつくのをやめて、神様の杖にしたが、これは心でつく杖じゃ。無手勝流じゃ。

■ 理3・尋求教語録・81

ここへ参るのに、途中で無駄口をついてはならぬ。注連鳥居をくぐってからは、いっそう慎めい。お参りしいしい思うたり言うたりすることは願いになるから、不浄口をついてはならぬ。

■ 理3・尋求教語録・82

正直な者といえば子供じゃ。子供の病気がどさくさする時は、親の信心にだり張りのある証拠ぞ。子供は自分で何も思うてはおらぬから、親のがすぐ映るのじゃ。子供は正直な者じゃからな。

■ 理3・尋求教語録・83

「悪いことをする者がありますがな、金光(片岡次郎四郎)様。しばらく行って見ずにおりましたら、山の若松のつじを切ったり、田の境を動かしたりしておりますが、ああしておったら、だんだんに私の田は狭うなってしまいますわいな」
(2)「うちにもそういうことがあって、金光様にお話ししたら、
『そうまでして人の物が欲しい者には、やっておけい。まるでは、よう取らぬわい。狭うになっても、その内で作徳をさしてもらえば同じじゃ』
とおっしゃった。(3)狭うなったからというて、別に取れ高が違いはせぬ。見端ミバ(外見)は悪うても、こなし実(収穫)がある。あなたもご信心しておるがよい。神様は見てござるから、作徳をさしてくださるぞ。(4)取られた者は立ち行くが、取った者は繁盛せぬ。やがては、買うてくだされいと言うて来るようになる。我欲から悪いことをしておると、心持ちはよくあるまい」
(5)その時、これを聞いていた、ほかの信者、
「それはそうでございますが、取られた方も、あまりよい心持ちではありませぬぞ。世間の者は、あのようなことをせられておっても何もよう言わぬのかと思うて、ばかにしますしな」
(6)「それはそうも思えるが、だれがどう言うた、あれがこう思おうも知れぬと、気をもめばきりがない。人を相手にすると腹が立つから、ご信心する者は人を相手にせずに、神様に見て守ってもらえばよい。気を広う持たねばならぬ」

■ 理3・尋求教語録・84

「久しく参られぬじゃったが、お達者にあったかな。そうかな、それは結構結構。よく参られた」
(2)「いや、もう、金光(片岡次郎四郎)様、だいぶんお正月をしましたので、大きゅうなり過ぎて、何をしてもどうなりませぬ。役には立たぬようになるし、たびたびはお参りもできぬようになってしまいました」
(3)「元気を出してご信心なされい。年が寄ったのを苦に病むことはないぞ。年が寄っても一人前にできるのはご信心だけじゃ。ご信心しておると、お正月を重ねるほどに身に徳がついて、神様がかわいがってくだされ、若い者が大事にしてくれるようになるぞ」

■ 理3・尋求教語録・85

どうでもおかげを受けねばならぬのに、「これでもおかげが受けられるであろうか。おかげになるであろうか」と思うようでは、おかげになりにくい。「どうでもおかげをおやりなさってくだされい。どうでもおかげをいただきますから。おかげを受けずにおられますものか」と、その身が心から打ちこんだ一心にならねばならぬ。(2)神様のおかげや教えを疑うのが一番悪い。みんながおかげを受けとるのが何よりの証拠じゃ。金光様はうそを言うてはござらぬ。

■ 理3・尋求教語録・86

あほうという者は、しかたのない、かわいそうな者じゃ。なんぼう言うて聞かしても聞かぬくらい、憎かわいい者はない。(2)なるほどと合点がいったら、素直に信心したら、しただけ徳になるのに、わかっておって、それでまだ信心せぬ、情のこわい者がある。これは、つまり、因果が強いのじゃ。かわいそうに思うが、言うことを聞かぬ、情のこわいのだけは、どうしてやろうようもない。時節の来るのを待つよりしようがない。(3)信心はせぬだけ損なのじゃがなあ。信心するのを人事のように思うておる身知らずは、あほうじゃ。

■ 理3・尋求教語録・87

ご信心しておくがよい。ご信心してあなたがおかげを受けると、あなただけではない、後々の孫、ひ孫の末の末までがおかげを受けるし、また、ご祖先ご祖先の精霊御霊までが、あなたがご信心して、おかげを受けてくれるからと、安心してお浮かびなさる。(2)あなたの受けたおかげは、いつまでも離れずについてゆくものじゃから、できるだけこの世でご信心して、おかげのもとを作っておくがよい。

■ 理3・尋求教語録・88

「この神様のご恩が忘れられますものかいな。寿命をつないでいただきましたのですもの。これを忘れたら罰が当たります。一生忘れませぬ」と、よく高言する者があるが、よう覚えておらぬと、後から後から忘れるぞ。(2)「この大願成就のおかげをくだされば、金の鳥居をさしあげます。絹のお幟をお供え申します」と言うたりする者があるが、さあ、おかげを受けると、金の鳥居が小さななまこ(トタン)の鳥居になったり、絹のお幟が紙になったりするのが、だんだんある。神様はそんな物をもらおうとは思わっしゃらぬが、もったいないことじゃ。(3)けれども、一生忘れように忘れられぬようなおかげを受けながら、そのご恩を忘れたら、自分が自分を忘れたも同然じゃから、つまらぬ、もったいないことが、またできてきて、わが身が立ち行かぬようになるかも知れぬ。

■ 理3・尋求教語録・89

道で夕立に遭うと、ごやっかいになりますと言うて軒下を借って、雨がもうやむかもうやむかと、空ばかり見ておるが、小やみになると、やんだやんだと言うて、ろくろく礼も言わずに出て行く。(2)軒下に雨宿を借ったような信心をしては、おかげにならぬ。

■ 理3・尋求教語録・90

だれでも、不幸災難に遭うて困りきっておる時に助けてもろうたのは、このご恩、このおかげを一生忘れられるものかと言うが、日に日に授かっておるおかげは、案外みんな知らずにおる。(2)神様のおかげは、生きておるから死んだからじゃないぞ。いつも受け通しぞ。

■ 理3・尋求教語録・91

「だれでも一度は必ず死ぬるのですが、金光(片岡次郎四郎)様、人間は死んだらどのようなのでしょうか」
(2)「金光様は、『寝入っておるも同然じゃ』と言うてござったから、つまり寝入ってしまうのじゃわい。
(3)ところが、昼に悪いことをしたり心配事があったりすると、夜寝ようと思うても、それが思えて寝つかれぬ、また寝ておっても、うつらうつらして夢ばかり見ることがあろうが。ようご信心しておかげを受けておらぬと、寝入る時に寝つかれなかったり、寝入ってから夢ばかり見たりする。そのようなことがあると、自分ばかりじゃない、まわりの者がみんな困るぞ。(4)しかしまあ、死ぬることよりも、死なずに生きるおかげを受けること受けること。
(5)金光様は、『形はのうなっても永世生き通し』と言うてござったから、ご信心して、そのおかげを受けようぞ」

■ 理3・尋求教語録・92

どうでもおかげをいただこうと、九死に一生のお願いにご一心しておる時くらい、お礼が本気で申せたらなあ。願うことはすぐにできても、お礼は言えぬものかなあ。(2)お願い一ぺんにお礼十ぺんというように、お礼を言う心が篤いほどご信心が篤い。ご信心が篤いほどおかげが篤い。

■ 理3・尋求教語録・93

我慢の強い、理屈を言う者は、神様があるものなら見せてくれいと言うたり、ものを言われるものなら声が聞きたいと言うたりする。(2)それで、そう言えば困ろうがと思うておるのじゃが、見せてやっても聞かしてやっても、見る目も聞く耳もない者に、なんで見聞きができるものか。かわいそうなものじゃ。見も聞きもできぬのじゃもの。(3)そこで、天道様に行き当たって頭へ大きなこぶが出るとびっくりして、はじめて目が明き、耳のふたが取れして、見えだし聞こえだしするようになる。(4)かわいそうな者は、信心の目や耳のあいておる者が親切にかわいがって、よう教えてやらねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・94

風が吹いておるというても、風を見た者はあるまい。それでも、風がないと言う者はあるまいが。それは、空を見ると雲が駆けって動いておるし、草木はなびいて音を立てておるからわかるのじゃ。ご信心すれば、みんなおかげをもろうておるからには、神様がござるかござらぬかはわかろうが。

■ 理3・尋求教語録・95

「金光(片岡次郎四郎)様、このお厨子へお願いこみをしてもらいましたら、ここの神様も同格でございましょうな」
「金光様の神様に二つはないから、同じ天地金乃神様ぞ」
(2)「それでは、もう、そうたびたび参らんでもよろしいなあ」
「いや、そうはいかぬ。さしつかえて参れぬ時はしかたがないが、参れる時は、身勝手を言わずにたびたび参らねばならぬ。ここへ参るのは、ちょうど、このごろの子供が学校へ手習いに行くようなもので、よう参ってお話を聞いて信心の勉強をしておかねばならぬのじゃから」

■ 理3・尋求教語録・96

泥棒をつかまえて縄をなうようなことでは、間に合わぬ。ご信心もそのとおりで、参れるときにたびたび参っておかねば、ぐあいでも悪うなると、なんぼう参ろうと思うても、自分では参れまいが。それじゃから、よう参って来て、先へおかげを受けておくがよい。

■ 理3・尋求教語録・97

天地金乃神様といえばご一体じゃが、神様の守りをする者の徳の高い低いで、神様のひれいが違うてくる。親神様のお守をさしてもらう者は気をつけておらぬと、もったいないことができる。

■ 理3・尋求教語録・98

同じ魚でも、料理人の腕々で味が違う。同じ刀でも、持ち手持ち手で、切れ味も違えば、使い道も違う。人を殺す物にもなれば、救う物にもなり、己の守り刀にもなる。ご信心しておかげを受けたら、その使い道を誤らぬように生かしてゆかぬと、もったいないぞ。

■ 理3・尋求教語録・99

信心信心というても、神様に頼むばかりが信心ではない。知らず知らずのご無礼のお断りもせねばならず、日々こうむっておるおかげのお礼も申さねばならず、もちろんお願いもせねばならぬが、お礼の足らぬのはご無礼ぞ。ご無礼を重ねて、どうしておかげになるものか。(2)人が、あほうじゃと言うてもかまわぬ。丁寧にするがよい。神様が、お利口じゃとかわいがってくださる。神様にかわいがってもらう方がよいぞ。

■ 理3・尋求教語録・100

食物を粗末にするくらいもったいないことはない。食べられるまでにするのは、たいていじゃあるまいが。みんな、何のためにえらい目をしておるのか。安気に食べられるようになろうと思うてであろうが。(2)それなのに、口に入れるばかりになっておる食べ物を捨てたり粗末にするのは、神様のお恵みと人の骨折りとを粗末にしておるのじゃ。(3)ようく試してみるがよい。食べ物を粗末にする者に達者な者があるか。出世する者がない。食を粗末にするから職を離れるのぞ。

■ 理3・尋求教語録・101

ご信心する者は、こなし実(収穫)が多いの少ないのと、不足がましく言うてはならぬ。いつも平年作の時の心持ちを忘れずに暮らしたら、不足がましく言うことはない。

■ 理3・尋求教語録・102

あほうを出せいと言うたら、親を出したという話があるが、親というものは子どもにかけては、かわいいに余ってばかなものじゃ。世間の笑いものになっておっても知らずにおる。(2)神様じゃというても、よくもあのような者におかげをやられることじゃ、あのような者が信心したとて、なんで神様が受けられるものかと思われる者にでも、おかげをやっておられるのは、それは親神様じゃから、氏子がかわゆうてなられぬからぞ。神様のありがたいことを、そこからよう合点せねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・103

金光様は、
「若葉(片岡幸之進)十五歳におよんだら、諸勤めに名代に立てい」
とおっしゃった。(2)親にしてみれば、子が相当な年になっても、まだねんねのように思うとるが、子供もいつまでも三つではおらぬ。親と連れのうて一つずつ大きくなっておる。
(3)孔子様は「十有五にして学に志し」と言うておられるが、昔から子供も十五になったら一人前になって若い衆の仲間入りをするのじゃから、自分のことは自分で願うておかげを受けさすようにせねばならぬ。(4)それじゃからというても、ほっておいてはならぬ。いつまでたったも、親は親、子は子じゃもの。子のことは親からもよう願うてやるのは、親の勤め、当たり前ぞ。

■ 理3・尋求教語録・104

天地は生き通しぞ。天地が生きてござるから、人間もみんな生きておられるのぞ。天地の親神様のおかげを受けたら、人間も生き通しじゃ。そのおかげを受けようと思えば、天地金乃神様と一つ心になれい。

■ 理3・尋求教語録・105

「昔から、あの人は神様のような人じゃ、仏様のような人じゃ、人に悪いことをせぬ正直者じゃと言われる者でも、だんだん不幸なことが重なったりして、どういうものじゃろうということがあるのも、みな、神に無礼粗末があるからぞ。(2)なんぼう人に悪いことをせぬ正直者でも、信心せねば神には無礼粗末ができるぞ。人のよいのと神への無礼とは、また別ものぞ」
と金光様が言うてござる。(3)信心せねば、なんぼう善人でもおかげにはならぬ。

■ 理3・尋求教語録・106

食物をはじめ何に限らず、みんな人間の命のためにと、親神様がおあてがいになっておるのに、不足を言うたり粗末にしてはもったいないぞ。

■ 理3・尋求教語録・107

ちょうど、わしが四十二の年の正月、お月参りをした時、金光様が、
「神信心をしておれば、夜の守り昼の守りを神が与えるによって、夜分じゃとても昼も同様に考えておれ。物音がしたとて、心配するにおよばぬ。物音がすれば寝入るという気になれ。(2)金光子の年(片岡次郎四郎)においても、本年は四十二の厄年でありもするから、今年から厄ばねに戸を閉てずに寝るがよい。およそ日本国中、小屋がけの下にもそれ相当の締まりがあるのに、戸を閉てずに寝るのは、此方とその方だけぞ」
とおっしゃったから、それからは戸を閉てずに休むが、おかげをいただくから別条はない。(3)子供が寝ると、守りはへりで蝿を追う。子供は、それでよう寝る。(4)人間は夜が来ると高枕で休むが、親神様は夜昼なしにお守りくださっておる。ご信心すればありがたいことじゃ。神様のお守りをいただく。

■ 理3・尋求教語録・108

「どうも、金光(片岡次郎四郎)様、商売がはやりませぬので、おかげをいただきとう存じます」
(2)「『賣るという字は買うという字の上に十一が多かろう。そのとおり、商売で売り買いをすれば、買い値の一割は当たり前の口銭じゃ』と金光様は言うてござったから、その上の得をしようと思うて斤量の目をねじたり升目を盗んだりせぬように、丁寧に売り買いするがよい。買い手が来たら拝む気になれ。ひとりでに、おかげで繁盛する。しかし、ご信心が土台ぞ。ご信心をせよ」

■ 理3・尋求教語録・109

達者な時には、触らぬ神に祟りなしというて、神様の方へは見向きもせぬが、ひとつ病気でもして、医者は手を放す、どこで拝んでもろうてもしるしがない、いよいよ人手にはかなわぬとなると、金光様、どうぞ助けてくだされいと一心になる。(2)一心になるとおかげを受けるが、さて達者になると、すぐにおかげを忘れる。物覚えのよい、利口なと言われる者が、いったいによく忘れる。(3)金光様は、
「信心も、とかく地を肥やさねばならぬ」
と言うてござった。
「地が肥えておれば、肥をせんでもひとりでによい物ができようが。物を作るよりも地を作らねば、よい物は取れぬ。常平生信心をしておれば、身も心も丈夫なおかげをやる」
とおっしゃるのじゃから、痛い時に受けたおかげを忘れぬように、常平生からご信心して、信心の地を肥やすことが大切ぞ。

■ 理3・尋求教語録・110

今までは、お金神様といえば、ひとつ間違うとどんな祟り障りをなさろうとも知れぬ恐ろしい神様と思いこんでおるが、金光様で天地金乃神様をご信心すれば、そんな恐ろしいことはないぞ。けっして罰を当てたりはなさらぬ。
(2)「氏子から頼み願うことで、氏子のためになることならば、いかなることであろうと牛馬の末にいたるまで聞き届けて、おかげを授けてやる。信心せよ」
と言うてござるのじゃから、なんとありがたいことじゃないか。

■ 理3・尋求教語録・111

みんながだんだんおかげを受けると、才崎にのりくら(神がかり)ができたじゃの言うて、山伏や行者が乗りこんで来ては、神様の大前を荒らしたり、中には警察に訴えたりする者があるので、
「金光様は『此方の道は神と皇上との道じゃ』と言うてござるのに、お上のご法度を受けるようではかえって恐れ多いから、当分のうち身信心にさしてもらおう」と思うてお参りした。(2)その時、金光様が、
「此方においても、この道のためにはいろいろの困難に遭うて、これまでに、はや、いろいろにしてみたが何の効もなかったから、たとえいかようなことを言うて来る者があろうと、そこを何となりと言うて滑っておってくれ、ここには神も考えのあることじゃから。(3)たとえ顔に泥を塗られるようなことがあるとも堪忍しておってくれ、やがて、神が顔を洗うてやるから。(4)ほかの者の組下になったら、神のひれいは立たぬぞ。(5)本家と思え、分家と思う。親と思え、子と思う。どうぞ、この道のためには此方と浮き沈みを一緒にしてくれい」
と言わっしゃった時には、ありがたいやらもったいないやらで、頭をあげてお顔をよう拝まなんだ。(6)もうどんなことがあろうと、金光様と生き死にをご一緒にという腹がちゃんと決まった時、金光様がお喜びになったことは、終生忘れられぬ。

■ 理3・尋求教語録・112

金光様のご信心のおかげで、絶えると言うておったうちも世継ぎの子を授かったので、お礼参りをしてお名前をいただいたら、荒之神とあった。しかし、お上への正面の届け出に荒之神ともできぬから、お届けして幸之進にしたのじゃ。うちは片岡八郎(鎌倉末期の武士)の子孫じゃから、世継ぎの男には必ず郎がついておるのじゃが、幸之進はそういうぐあいで、世継ぎでも郎がついておらぬのじゃ。

■ 理3・尋求教語録・113

「金光(片岡次郎四郎)様、この間お参りしておりましたら、にわかに苦しゅうなりまして目がくらんだようで、一時は畔のへりに寝て、どうなるかと心配しました。ご一心しておりましたら、おかげでようなりましたので、お参りしかけたのですからお参りしようかと思いましたが、またこんなことになっては困ると思いまして帰りました。おかげを受けに参っておりますのにこういうことがありますのは、どうしてでしょうか。何ぞお粗末でもあったのでしょうか」
(2)「ふん、そうか。人間のことじゃから、ご無礼お粗末がないとはいえぬが、いや、そのためじゃないぞ。無礼粗末のためなら、お参りせずに帰って、治るものか。
(3)此方が大谷への月参りの時、途中で大腹痛をして、日が暮れてからようやくお参りしたことがある。(4)その時に金光様が、
『三年五年と信心しておっても、なお迷う。十年信心が続いたら、信心家と言うことができる。(5)神信心をして、お告げをいただいて参詣しておるのに、この腹痛は何事ぞと思うであろうけれども、わがうちにおってこれほど痛かったら、家内中心配する。旅で痛いのは、その身一人の難儀ですもうが。これも神信心のおかげぞ。明日は常平生のとおり歩いて下向のできるようにおかげを授けてやるぞ』
とおっしゃったが、明くる日は仰せのとおりに元気で下向できた。(6)あんたも長年ご信心しておられるが、ご信心しておるのに何たることじゃろうかと思うたり、どういうことじゃろうかと思うたりすることはない。これもありがたいことじゃと、ありがたく受けてご一心すれば、みなおかげにしてくださる」

■ 理3・尋求教語録・114

明治十四年に大患いをした。ほかの者は、もう、どうならぬと思うたに違いない。ご神前へはお線香をあげまして、「神を目安にせい」とおっしゃっておるから、ご神前の方へ頭を向けて寝て、じっとご一心しておると、お線香の煙が、すその方からふとんの中へ入って来る。不思議なこともあるものじゃと、なおご一心しておったところが、この日が絶頂で、おかげを受けてもとのように治った。(2)そのお礼参りをしたところが、金光様が、
「この度は、才崎金光(片岡次郎四郎)においても、この病気のために頭の上で香をたくようになるところじゃったけれども、神一心に取りすがり、神と首引きをするような気になっておったによって、助けてやったのぞ。(3)弘法大師は、無常の風は時を嫌わぬと言うておるけれども、一心に信心をして神に取りすがれば、金光大神は無常の風に時を嫌わすぞ。六十から下の途中死にはさせぬぞ」
とおっしゃってくだされたが、あの時、頭の上で香をたいておったら、こんなにおかげを受けてはおらぬがなあ。(4)ご信心する者は、どうしてもご一心でなければならぬ。思う一念は岩をもとおすというが、金光様にご一心の一念は神様を動かすぞ。

■ 理3・尋求教語録・115

昔から日には厄日というがあって、二百十日、二十日は大風が吹く時分じゃから、みんな恐れる。人間にも厄年ということを言うが、こういう年には一段とよく気をつけて信心せねばならぬ。(2)厄日に風が吹いてもめげさえせねば、吹かなんだも同じじゃろうが。信心しておったら、金光様は、どこにどのような風が吹いておろうとも、吹く風に時を嫌わしてくださる。たとえ風が当たっても、おかげの風にしてくださるぞ。ご信心さえしておったら、厄年も無常の風も恐れることはない。厄年がかえっておかげの年になるぞ。

■ 理3・尋求教語録・116

「これまでは、縁談縁組みをしても、四悪十悪というて年違い(年齢差)を忌み嫌うておるけれども、神信心をしておれば、何も別に避けるにはおよばぬぞ。(2)神参りをしておくじを引くが、兆のおくじをくだされというが。始終幸せといえば、みな頭にしの字がつく。四が悪いことはないぞ。これからは、神の前に引くお注連にも四房つけい」
と金光様が教えてくだされたから、金光様のお注連は、みな四房つけてあるが、みんなおかげを受けておろうが。
(3)ご信心して神様に取りすがっておったら、縁起に気を悪うすることはないぞ。四つ違いの四は死ぬるの死に通うと言うが、それは悪い方へ取るからじゃ。四なら幸せのしに取れ、よかれのよに取れ。十悪と言うが、十に足ってこそ物事繁盛じゃないか。どこに、十が悪いのか。みんな、よい方へ取ってご信心すれば、いっさいおかげにしてくださる。

■ 理3・尋求教語録・117

世間では、罰が当たったとか、叱られるとかよういうが、罰は当てられぬぞ。かわいい氏子じゃろうが。罰じゃ、叱ったというのも、かわいいに余るから、教えてやろうと、気をつけられるのぞ。取り違えるとおかげにならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・118

「かねがね申し聞かすとおり、若葉(片岡幸之進)十五歳におよんだら、何事にでも名代に立てい。金光(片岡次郎四郎)は始終、神の前を勤めてくれ。(2)田地田畑なども、たんと買い集めようとせぬがよいぞ。みな、それ相当に小作人をつけねばならぬから、これもなかなか世話が多い。(3)作方の方は、たとえ瓜の皮をむいだように牛を使うておろうとも、作の方へは気を寄せぬがよいぞ。神信心をしておれば、作物の実りに違いはないようにおかげを授けてやるぞ」
と金光様が言うてくだされたが、いつも、そのとおりに不思議に作徳をさしてもらう。ありがたいことじゃなあ。

■ 理3・尋求教語録・119

母(片岡里津)が亡うなる時、金光様へ月参りのほかに参った。その時、
「人間にはそれぞれ、年回り、厄難というて、前々の約束で、神信心をしておるからというても、逃れように逃れられぬことがあるぞ。この度は、子の年(里津)においても、どうぞ苦痛のございませぬようにと言うて願いをかけい。(2)金光子の生ネノショウ(片岡次郎四郎)巳の生ミノショウ(片岡庄)夫婦においても、かねて神一心のうえから身に徳を受けておることじゃから、たとえ棺を座敷にすえるようなことがあるというても、参詣の氏子に迷惑をかけな。(3)天地金乃神においては、喪中じゃというても、氏子から先へお断りさえすれば、神の前はよけるにはおよばぬぞ。埋葬の穴でも金乃神の土地じゃによって、三尺四面は願いをかけて掘れい」
と金光様が言うてくだされた。(4)逃れように逃れられぬ難というと、出来物のようなもので、身の内に毒があるのが吹き出るのじゃ。もし身の内にこもっておるとわざ(害)をするが、出ておる時は痛くてつらいようでも、出てしまうと毒が抜けるから、身の内がきれいになる。(5)信心しておると、ご無礼お粗末が少のうなるから、身の内の毒が少のうなる。これがありがたいのぞ。

■ 理3・尋求教語録・120

参って来る者の中には、よく、「金光(片岡次郎四郎)様、あんな者でもこのごろ信心しだしました」と言うてけなすように言う者があるが、それは心得違いぞ。(2)神様は、「今月今日で心を改めて一心に取りすがれば、前々のことは問わぬ」とおっしゃる。これから後、悪いことのないように気をつけてご信心すれば、おかげをくださる。(3)よい者も信心せねばならぬが、それよりも、悪い者こそご信心しておかげを受けてくれねばならぬ。悪い者が多うては困ろうが。悪い者がようなってくれねば、親神様はご安心にないぞ。

■ 理3・尋求教語録・121

「今までは、前々からだんだん無礼粗末をしておるところから早く後家になったりして、世間では、悪いこともせぬのにどういうものであろうというようなこともあるけれども、この度から、神一心に取りすがれば途中死にはさせぬぞ。
(2)いや、よく、祖母に似た、祖父に似た、姑の後は嫁が継ぐというて、目が痛かったり腰が痛かったりすることのあるものじゃが、神信心をしておれば、悪い孫(血統)の種は切ってやる」
と金光様が言うてくだされた。(3)子孫に悪い者ができてはどうならぬ。悪い孫の種は切ってもらわねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・122

「病気災難があったからというて、にわかに神に信心を始めるよりは、常平生から手厚く信心しておれ。手厚い信者であれば、神から心配してやる。いかに大病じゃの九死じゃのという病難でも、絶頂をしのがして全快さしてやる。とかく信心は地を肥やせい」
と金光様は言うてござったぞ。

■ 理3・尋求教語録・123

「お上に重罪を犯した者をお仕置きになるという時にでも、顔役が出て命乞いをすると、それに免じてお下げになることがあろうが。神に無礼粗末を重ねて七墓築かすような者でも、金光大神にすがって改心いたしますからと頼んで来れば、許してやるぞ」
とおっしゃったことがあるが、金光様は神様へのお顔役じゃからな。

■ 理3・尋求教語録・124

此方(片岡次郎四郎)はご信心して、つぎつぎと広大なおかげを受けておるのに、どうも父(片岡亀三郎)がご信心なさらぬ。まんざら信心気のないことはないが、せがれが信心しておるからそれでよいくらいに思うておられるのじゃろう。(2)此方がおかげを受けておるものじゃから、忙しい時などでも、たずねて参って来る人がある。すると、この忙しいのにという気じゃろう、ごきげんが悪いけれども、此方にしてみれば、「このありがたいご信心をしておかげを受けて、世間の者までが見習うておかげを受けておるのに、うちの者に信心がないようでは神様にすまぬ。子供がごやっかいになっておるのに親が知らぬ顔では道が立たぬから、ぜひとも金光様の所へお礼に参ってもらおう」と思うて頼んでも、参られぬ。一度でよいから、どうぞ参る気になられるようにと、ご信心しておったところが、おかげで、ひょっと参る気になられた。(3)父は重なる家の難から心配がこうじて耳が遠かったが、参られると、金光様が、
「天地金乃神は法(儀礼)や納め物で効く神ではないぞ。昔から、負うた子に教えられて浅瀬を渡るということがあるが、その方も結構なことじゃ。わが子に教えられて神の道に入った。信心しておれ。やがて、杖を授けてやる」
とおっしゃったのが、耳の遠い父によう聞こえたので、父もいよいよ金光様のご神徳に恐れ入って、それからは、何も言わずともご信心になられた。
(4)あなたも負うた子に教えられて参ったのじゃろうが。老いては子に従えとさえ言うじゃないか。昔の型がどうのこうのと、むつかしい強情を言わずに、よしよしと、子に従うてご信心するがよい。おかげで、いっそう繁盛する。あなたは、ご信心な、よい息子さんを持っておられる。あれなら、ご信心なから心配はない。

■ 理3・尋求教語録・125

「達磨大師は九年面壁の坐禅をして足がくさったというが、此方は、もう二十年も神の前へ座り通しておるが、さしつかえはないがなあ」
と金光様は言うてござったが、えらいご修行じゃったわい。(2)まあ、そのおかげで、今は楽に氏子がみんなおかげが受けられる。ありがたいことぞなあ。

■ 理3・尋求教語録・126

朝晩、親神様を拝む時には、必ずご無礼お粗末を一番にお断りしてから、お礼を申し、それがすんだら、身の上にかかってくることは何なりと、実意をもってお頼み申せば、おかげをくださるぞ。

■ 理3・尋求教語録・127

金光様は言うてござった、
「神信心しておれば、農家のせわしい時には、町人商売人を参詣さすぞ」
となあ。

■ 理3・尋求教語録・128

金光様に、これからは願いを出してからでなければ神様を拝ませぬようにしましてはと話した者があったが、その時、金光様が、
「一人ばかりして丸めい(勝手なことを言え)」
とおっしゃった。その語気が怖かったので、その者は何ともよう申さなんだそうな。(2)金光様は平生はおやさしかったが、ご無礼を申したり、お粗末をした者には怖かった。金光様はお徳が高いから、腹の中を見抜かれるからなあ。

■ 理3・尋求教語録・129

ひょっと、心細い、もの恐ろしい不思議な心持ちになってきて、合点がいかぬからお伺いしたところが、盗難のお知らせじゃ。そこでご一心しておったら、盗難もなしにすんだ。(2)しばらくすると、だれが言いだしたのか、「才崎の金光様へ賊が入ったが、金光(片岡次郎四郎)様がご祈念をなさると、手足がなえて立てぬようになった。それをお父さん(片岡亀三郎)がお断りをしてやられたら、ようやく動けるようになって、賊も心を入れかえて真人間になったそうな。ご信心というものは、えらいものぞなあ。おかげなら、ありがたいものぞなあ」という評判が立った。この近傍ばかりではなしに、とうとう大谷の方へも聞こえたり、見舞いが来たりした。
(3)不思議でならぬから、またお伺いしたところが、「天に口なし、人をして言わしむ。神が諸人の口を借って、このうわさを立てさしたのぞ。かねて知らしてある盗難も、このうわさで逃れるように、おかげを授けたのぞ。これが神信心の徳、神の方便というものぞ」とおっしゃったが、ご信心しておれば、ありがたいものじゃろうがな。

■ 理3・尋求教語録・130

「天地金乃神の乃の字は、この乃の字に限る」
と金光様はおっしゃったぞ。

■ 理3・尋求教語録・131

「人間は、生きておるからというて死んだからというて、天地の親神の徳を受けずにはおれぬのじゃろうが。九死の時には、苦痛のございませぬようにと言うて願うてやれ」
と金光様は言うてござった。

■ 理3・尋求教語録・132

物を取っていぬる者には、やっておけい。神様が見てござる。神様は、よう取ってはいなぬわい。しかしなあ、おかげを取られてはならぬぞ。おかげを取るものは、獅子身中の虫というて、己の身の内におるぞ。

■ 理3・尋求教語録・133

「神信心をすれば、何事にでも万事に行き届いた信心をせねば、十分なおかげは受けられぬぞ」
と金光様は言うてござったから、ご信心する者は何事にでもご信心の心を配っておれよ。

■ 理3・尋求教語録・134

願うと言うが、願うとは値で買うということぞ。神様のおかげは、真の値を出して、いただくのじゃ。

■ 理3・尋求教語録・135

「どうぞ、信心する者は、常平生、心にみきを供えて祈れい。いっさいの願い事を成就さしてやる」
と金光様が教えてくだされたが、信心する者は、これを忘れてはならぬぞ。(2)みきというのは、ありがたき、恐れ多き、もったいなきの三つのきぞ。ご信心する者の心からこの三つのきが抜けたら、おかげは受けられぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・136

掃除をするといえばすぐに、くもえぎ(くもの糸)を取ったり、座敷を掃き拭きすることを思うが、ご信心する者はお棚のお掃除よりも、己が心のごみや、くもえぎを取ることに心がけておらねばならぬ。心のごみが取れたら、ひとりでにお棚のお掃除はできる。

■ 理3・尋求教語録・137

「いかに口でありがたそうに言うても、恩を忘れれば、けつけて(言い聞かせて)やれい。無理に伺わんでも、ご理解でおかげを受けさせい。どうしても神の言うことを疑うたり神の言うことを聞かねば明日はわからぬと言うておけい。いかに、あつらえてもろうた子でも、恩を知らねば連れていぬるぞ」
と金光様は言うてござったぞ。よう聞いておくがよい。

■ 理3・尋求教語録・138

「天地金乃神といえば、天地を支配しておる神じゃ。人間は天地の間に生まれて、天地の間に生き、死んで、また天地に帰るのぞ。生きても死んでも、天地を離れて住みかはないぞ」
と金光様は教えてくだされたぞ。

■ 理3・尋求教語録・139

金光様は、
「天ばかりでも地がなければ物は育たぬように、男ばかりでも女がなければ子は育たぬ。すべて、陰陽が一致せねば世は立ち行かぬ。神信心しておれば、夫婦はもちろん、兄弟、家内、縁者、みな仲ようせねば、神は満足に思わぬ、喜ばぬ」
と教えてくだされたぞ。

■ 理3・尋求教語録・140

「氏子が用いてくれねば神も立たぬが、神は氏子に寄進させて氏子を痛めては喜ばぬと知れい」
と金光様は言うてござったから、神様のことはありがとうに喜んでせねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・141

「お上にでも、願い方や手続きが違うておれば、願意はわかっておっても却下になるようなもので、神も、願い方が悪いとお聞き入れがないぞ」
と金光様は言うてござった。わが身へは引きやすいものじゃが、横着や便利勝手ばかり考えてはならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・142

「お洗米とはお千枚ぞ。神信心してお洗米をいただけば、身に徳を受けることができる。無礼粗末と知ってすれば、主から取るぞ。知らずにすれば七墓築かするぞ。しかし、神一心に取りすがれば、神から手は放さぬ。氏子から取りはずすのが多い」
とおっしゃった。お洗米は身に徳を受けるおかげの数取りじゃから、もったいのうしてはならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・143

「おごりがましきは久しからず。すべて、ものは細うても長う続かねば繁盛ではないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げてゆくのは繁盛じゃが、にわかに広げて、道に草を生やすようなことをすな」
とおっしゃるのに、わが心からとはいうものの、道を狭めて草を生やし、自分も人も通れぬようにする者がある。もったいないことじゃ。

■ 理3・尋求教語録・144

「神信心も、深くなるほど神様はよく叱られるぞ。人にたとえれば、子供で何のわきまえもない時には、悪いことをしても親が叱るまいが。それが、人心ができて悪いことをすれば叱るも同然じゃ。(2)神信心も、しだいに進んで先生と言われるようになるほど、行き届いて無礼粗末を慎まねばならぬぞ」
と金光様は戒められたぞ。

■ 理3・尋求教語録・145

巳の年(片岡庄)がにわかに腹が苦ってきて、熱には燃えておるし、午の年(片岡正光)はまだ二月で乳を放しはせず、巳の年の身の上にもしものことがあったら、まことに困ったことになるがと思うて、さっそくお手水を使うてご一心しておると、「心に任する神の世の中にわれを放れて命助かれ」と歌を詠ましてくださったので、このことを巳の年に話して聞かすと、さっそくおかげを受けて、明くる朝はもう平生になった。
(2)考えてみるがよい。ご信心申して、親神様にお任せした、この世であろうが。何も、かれこれと心配することはない。神様が、よい加減にご心配くだされておるのじゃから、万事お任せしてご信心しておれば、ひとりでにおかげになるに決まっておるのじゃ。(3)このおかげを受けたので、金光様へお礼参りをしたら、
「『才崎の金光に歌を詠ましてあるから、歌の心を忘れぬように信心せいと申し聞かせよ』と神様がおっしゃったぞ」
と金光様が言わっしゃれた。

■ 理3・尋求教語録・146

持病といえば、持った病と書いてある。この身は四百四病の入れ物のように思い、この世といえば苦の土ドのように思うておるが、神信心すれば、いかに持病とはいうても、病は持たせぬ。苦の世にはさせぬ。どうぞ、信心しておかげを受けよ。

■ 理3・尋求教語録・147

常平生ご信心しておかげを受けておるのに、神信心の徳を忘れたり知らずにおったりすると、神の力を見せられるぞ。

■ 理3・尋求教語録・148

「信心はやすいようでも、なかなかむつかしい。神の言うとおりにせぬからむつかしいのぞ」
と金光様は言うてござった。(2)親の言うことでも、なかなか聞けるものではない。親が無理を言うように思えるものじゃが、親の言うことを聞かなかった子が後で難儀をする。ご信心する者でも、神様の仰せが無理のように思えて、言われるとおりにせずにおると、後で困ることができる。

■ 理3・尋求教語録・149

信心といえば、すぐむつかしゅう考えるが、何もむつかしゅう考えることはない。金光様の言われるとおりに、はいはいと従うておればよいのじゃもの、苦労はない。楽なものじゃ。

■ 理3・尋求教語録・150

何事によらず、無理を言うたり、したり、してはならぬぞ。無理が一番悪い。めげるもとじゃ。自分でしようとすると無理ができる。神様にさしてもらう心ですれば、神様がさしてくださる。

■ 理3・尋求教語録・151

なんぼう学問がある、理屈がよいというても、神様のご信心のことだけは、わかっただけでは役に立たぬわが心に食いこんで、事にあたって実際に出てこねば、神様のお徳はこうむれぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・152

人間が利口過ぎると、せっかくこうむっておるおかげを取りはずすことがあってどうならぬ。つまり、知恵が走り過ぎて、神様の上を行くからであろうぞ。

■ 理3・尋求教語録・153

「神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければ漏るぞ」
と言うてござる。(2)漏ってから、ここに穴があいておったと言うたのでは遅いぞ。常平生から入れ物をよう調べておかねばならぬ。とにかく十分のおかげを受けようと思えば、入れ物をいつも空にしておかねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・154

「金光様は『神は天地を一目に見ておるから、寝て拝んでも柱を当てに拝んでも、心に真さえあればおかげはやる』と言うてござるから、無理に此方(片岡次郎四郎)へ参らんでも、拝みさえすればおかげはいただける」と言うて参らぬ者は、やはり、参る者のようにはおかげをよう受けぬぞ。それは、参る者はお参りをするだけ信心が手厚いからなあ。

■ 理3・尋求教語録・155

よく、ちょっと前を通りましたから、ついでに参らしてもらいましたと言うて、上がり口で拝んでいのうとする者があるが、ついでに参るから、おかげがついでになる。(2)同じように前を通ったのでも、わざわざここまで寄って参らしてもろうたという心で、ご神前へあがってご拝をしてみよ。神様はわざわざのおかげをくださるぞ。

■ 理3・尋求教語録・156

何事でも、千日の辛抱をせねば一とおりの修行は積めぬ。ご信心も、千日の信心が続けば、だいぶんありがたくなる。しかし、おかげを落とす者ができだすのも、この時分からぞ。信心は、一年一年ありがとうなってくるのでなければ本当ではない。

■ 理3・尋求教語録・157

死んで、ものを言わぬようになってから、ああもしてあげておけばよかった、こうもしてあげておけばよかったと、残り多いことが多かろうが。親孝行は親の達者の間にしておかねばならず、信心は生きておるうちにしておかねば、後の祭りになるぞ。早うて間に合わぬためしはあるまい。親の達者の間の孝行と、生きておるうちの信心とが、家繁盛のもとじゃ。

■ 理3・尋求教語録・158

前々は、願かけをするの、塩物断ちをするのと言うておったが、天地の親神様にご信心すれば、そのようなことをするものではない。神様のお恵みの露の食物じゃ。より好みをせずと、ありがとうにいただいておかげを受けぬと、かえってもったいない。(2)好きは薬、嫌いは毒じゃが、薬も過ぎると、また毒になるぞ。好きが命を取るということもあるから、何を飲むにも食うにも、ありがたくいただくことを忘れてはならぬ。

■ 理3・尋求教語録・159

自分のことは自分では、なかなかわかりにくいものであるから、
「人の不行状を見てわが身の不行状になること」
とおっしゃっておろうが。人のなりふりを見て、わが身の手本にせねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・160

ご信心しておると、はじめのほどは世間の者がとやかく言うものじゃ。とやかく言われるのはありがたいがな。神様のごひれいが外へ見えるから言いだすのじゃ。そこからいっそう一心に信心すると、もう、何ともよう言わぬようになる。ここまでおかげをこうむると、はじめにとやかく言うておった者が、ぼつぼつ見習うて信心するようになる。(2)金光様は、
「ひそかにして信心しておれ。世間が広うなる」
と言わっしゃったが、そのとおり、とやかく言う時には、黙って、ひとりご信心しておると、世間の者が負けて信心になる。おかげの受けとうない者はないのじゃから。

■ 理3・尋求教語録・161

金光様は、
「明けの六つから暮れ六つまで大広前を勤めい」
とおっしゃった。

■ 理3・尋求教語録・162

信あれば徳ありと、昔の者がいうておろうが。真で損をするように思うのは、やっぱり真が足らぬのぞ。恨みに報ゆるに徳をもってすということがあろうが。ご信心する者はこれじゃ。

■ 理3・尋求教語録・163

金光様は、ひとりでに泣けるので、このことをお伺いなさったら、
「『氏子の信心が足らぬためにおかげをよう受けぬのを、神のおかげがないように思うておる。これが神も情のうてならぬのじゃ』と仰せがあった」
とお話しなされたことがある。(2)神様は、こうまで、氏子がようおかげを受けぬのを残念にお思いになっておる。もったいないことじゃないか。親の心子知らずの信心ではならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・164

ご信心しておれば、あだ口にも悪いことを言うてはならぬぞ。言うとおりになってくるぞ。(2)子供を叱るのにでも心得ておれ。あほうをすな、ばかがと、言うたりして叱ってはならぬ。お利口じゃからすなと言え。子供も、お利口じゃからとすまいと思うて利口になるが、あほう、あほうと言うと、あほうじゃからしてやれと思うて、あほうになるぞ。どうしても言うことを聞かぬ時は、雑言を言わずに黙って尻をつめっておけ。

■ 理3・尋求教語録・165

「神信心をしておれば、氏子の進む物を食べさすがよいぞ。あれは毒じゃ、これは薬じゃと、選るにはおよばぬ。すべて、天地金乃神の土地には毒は授けてないと心得よ。(2)養生もせねばならぬけれども、医者や養生ばかりで達者なものなら、乞食の子に達者な者はない道理じゃ。上つ方や金持ちにでも、弱くて困っておる者も数あることじゃ。とかく、神のおかげを受けるのには、取り越し苦労が大毒ぞ」
と金光様は言うてござったぞ。

■ 理3・尋求教語録・166

うちにも巳の年(片岡庄)がいつも難産で、よう心配しておったが、幸之進ができる時、おかげをいただかねばならぬと思うてお参りしたら、金光様が、
「此方の道は喜びの道じゃ。親神じゃによって、何事にもおかげを授けるけれども、特に喜び(出産)とほうそうではしくじらせぬ。
(2)世間では産違えということを言うが、そろばんは目安が違うから算違えになるのじゃ。産も同じことぞ。昔から、産は明き方へ向いてするものじゃなどいうて、方角を目安にして、神様を目安にすることを知らずに目安を違えておるから、産違えをする。(3)これからは産違えをせぬように、神様の方へ向いて親神様のおかげを目安にして産をせい。前々の難産とは違うて、隣知らずの安産をさす。心配するな。
(4)女の身の上、月役、妊娠は、四十九までは身の役じゃ。妊娠に腹帯をするより、信心の帯をせよ。此方が教えるとおりにすれば、隣知らずの安産のおかげを受けられることは、此方が手本じゃ。
(5)産後、もたれ物などするにおよばぬ。心を神に任せて、生まれた子に五香いらず、母の乳をすぐ飲ましてよし。平日のとおり。不浄、毒断ちなし」
と言わっしゃれた。(6)喜んでご信心しておったところが、仰せのとおりじゃ。隣知らずのおかげを受けた。ありがたいものぞ。ご信心しておるがよい。心配はないぞ。

■ 理3・尋求教語録・167

大きなことじゃからお断りをしていらわねばならぬが、小さいことじゃからかまわぬとか、大きなことじゃからお願いしてもらわねばならぬが、このくらいのことは大事ないとかいうことはないぞ。(2)神様には、大きいことと小さいことという区別はない。一銭盗むも十銭盗むも、盗む心に違いはない。同じことじゃ。何事によらず神様のおかげをいただかねばならぬことを知らねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・168

寒い日であったが、お参りをしておると気の毒なおじいさんに遭うたので、あまりのことに着ていた物を脱いであげた。それからお参りすると、金光様が、
「才崎金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」
とおっしゃったが、おかげを受けた者は、ありがたいことを知っておるはずじゃから、神様の心になって不幸せな者を助けてやらねばならぬ。

■ 理3・尋求教語録・169

「お前らの方の氏子がだんだん参詣して、才崎の金光様のおうちは、いつ参詣してみても変わらぬ、家内中むつまじいうちじゃと話す。(2)こういう話を聞くと、金光大神も肩身が広うてうれしいが、今ははや、神の徳を受けておる者で、おかげを取りはずす者がだんだんある。何がもとかといえば、みな欲からじゃ。また、欲は出さぬというても、増長して、自分の慢心が出て偉い者になると、おかげがはずれる。(3)金光子の年(片岡次郎四郎)の手前にも、はや、だんだん手続きの氏子があることじゃから、よう言い聞かしておかねばならぬぞ」
と金光様が言わっしゃれたが、みなよう心得てご信心せねばならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・170

金光様は、
「われを放れれば神になるというが、人間、生きておる間は達者繁盛を願い、百姓が五穀成就を願い、商売人が商売繁盛を願うのは当たり前の欲じゃ。(2)われを放れねばならぬというて、商売人が損をしたり百姓が五穀をよう取らなかったり、人間が早死にをしたりしたら国はもちぬと知れ」
と言うてござったが、人間も当たり前の欲だけはなければ、あほうぞ。

■ 理3・尋求教語録・171

「鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでもさいかけ(刃先の焼き直し)をしたら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのがさいかけじゃ」
と金光様は言うてござった。(2)これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、どんなにもなかったら信心が寝入る。

■ 理3・尋求教語録・172

「信心はやすいようでも、なかなかむずかしい。三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら信心家じゃ。(2)日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けたら何十年何百年も立ち行こうが。(3)今月今日で頼めい。おかげは和賀心にあり。取り越し苦労をすな」
と金光様は言わっしゃれたぞ。

■ 理3・尋求教語録・173

「おごる者久しからずということさえある。すべて、おごりには流れやすいぞ。倹約というても、りんしょくに渡らぬように、己の分限を知れ」
と言うてござった。(2)よく気をつけぬとなあ、わかっておるようでわからぬのが自分のこと、わからぬようでわかるのが人のことじゃ。

■ 理3・尋求教語録・174

「無礼粗末があるからというて、此方へ参詣してお断りをしてもろうても、氏子から一心に取りすがらねばおかげは受けられぬぞ。(2)此方において、験日、日切りの仰せ日を下げてやったからというても、おかげは氏子の心にあるから、取りはずしておいて神に疑念をかけぬようにせよ」
と金光様は言うてござったぞ。

■ 理3・尋求教語録・175

金光様が、
「その方は酒が飲めるか」
と言いなさるから、「不調法にございます」と言うと、
「それは結構じゃ。酒は飲まぬ方がよい。好きな者でも、まず晩酌はよいとしても、昼には飲んではならぬ。昼に飲んだりしておると、氏子が、あの人は酒を飲んでごだごだ言わっしゃると言うぞ。神の品位を落とすぞ」
とご理解があったが、酔うておらぬまでも、ぷんぷんとにおうとよくないし、酒には呑まれやすいからな。

■ 理3・尋求教語録・176

「世の人間は近ごろ、正月がくると注連を引かずに、飾りを張るによって、年中困っておる者が多い。どうぞ、これからは正月に飾りを張らずに、己が心に注連を引いておきたいものじゃ。そうしたら困ることはないぞ」
と言うてござった。

■ 理3・尋求教語録・177

金光様は、
「神と皇上というて、道理は一つぞ」
とおっしゃった。(2)君に忠でなければ親には孝でなし、親に孝でなければ君に忠でなし。神様に信心なくらいの者は忠孝を尽くす。神様に仕えるのが信心、君に仕えるのが忠、親に仕えるのが孝、三つとも道理は一つぞ。

■ 理3・尋求教語録・178

「世に、三宝様を踏むな、三宝様踏むと目がつぶれるというが、三宝様は実るほどかがまっしゃろうが。信心する者は、身に徳がつくほどかがんで通れ。(2)とかく、出るくぎは打たれるぞ。慢心が出ると、おかげを取りはずすぞ」
と金光様は教えられたから、信心する者は、よう心得ておれよ。

■ 理3・尋求教語録・179

人の命の根になる稲を見よ。実るほど穂首を垂れておろうが。人は世に用いられて偉うなるほど、みんなにお辞儀をして通る気になれ。世は円う穏やかに治まる。

■ 理3・尋求教語録・180

「天地金乃神といえば天地の親神じゃによって、何事でも氏子が願うことなら守ってやる。
(2)普請作事をする時、家相や地相などを見て明き方の留守をねらい、たばかるによって、安心にないぞ。神と上というて、道理は同じことぞ。芝居をするにも、お上へ願いを出してあれば、あの方へ警察が回ってきてござるというても、小屋の中を治めに来てくださるも同然じゃ。(3)氏子が願いをかけてみれば、たとえ回り合わせの方角じゃというても、許して守ってやる。方位といえば、建物のある方がふさがり、建物のない方が明き方ぞ。
(4)家相は、氏子の都合のよいのがよい家相じゃ。三隣亡といえば、たおされるというて世の人が恐れるが、神をたばかるによってたおれるのぞ。神に取りすがってみよ。たおすくらいの神じゃによって、引き起こしてもやる。今日はこれでおしまい」
と金光様がご裁伝を下げられたが、ありがたい神様じゃわい。

■ 理3・尋求教語録・181

「とかく神の留守ばかりねらうによって安心にないぞ。お上にでも、ご一新(明治維新)からは道広げがあって万事改正になるようなもので、神においても、この度からは道広げをするぞ。
(2)いかに諸人万人の恐れる鬼門や裏鬼門でも、氏子から願いをかけてみれば、鬼の門と書く方でも神から鬼にはならぬ。氏子の心から鬼を出すなよ。
(3)よい日柄といえば、空に雲のない、ほんのりぬくい、自分の都合のよい日が、よい日柄ぞ。いかに日を見て天赦日じゃと言うても、雨が降ったり風が強うては、よい日柄じゃないぞ。神の日に良い悪いはないぞ」
と金光様は教えてくだされた。(4)氏子の都合のよい日が一番よい日柄じゃが、わがままや気随をしてはならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・182

「世に、悪いことをすな、天地が見てござるというが、天が父親なら地は母親ぞ。いかに父親に孝行をしても母親に不孝をすれば、親孝行とはいえぬぞ。天ばかりありがたがっても地の恩を知らねば、信心しておるとはいえぬぞ。(2)男ばかりでは子は育たぬぞ。女の乳があるからぞ。天があっても地がなかったら、氏子は住みはい(生活)はできまいが。天に取りすがっても地に無礼をすれば、天に見せておいて七墓築かしてやるぞ」
と金光様はよう話されたがなあ。

■ 理3・尋求教語録・183

「産をするにも、足から出ると、逆子じゃというて恐れるが、うちへ入るにも頭からは入らぬ。足から先へ入ろうが。足から出たから逆子とはゆかぬ。神が、都合によってはどちらから出さぬとは限らぬ」
と金光様は言わっしゃったぞ。

■ 理3・尋求教語録・184

猿も木から落ちる、弘法にも筆の誤りという。木へ登っても、危ない危ないと思うておると、用心するからけがはないが、少し上手になると横道になって、大けがをしたり命を落としたりする。慢心は大けがのもと、まめなとも信心の油断をしてはならぬ。

■ 理3・尋求教語録・185

「世には強欲非道な人間でも不思議におかげをいただくことがありますが、あれはどういうものでございましょうか」
(2)「いかに性根の悪い人間でも、一心にその時だけ改まって信心しても、一時はおかげを受けるものじゃ。ちようど、やせ地に肥をすれば一時はできるようなもので、長続きはせぬわい。(3)それじゃから、おかげを受けた時の心を忘れぬように、日に日に心を改めてご信心せねばならぬのぞ」

■ 理3・尋求教語録・186

猫の逆恨みということがあるが、こちらでは、どうぞおかげをいただかしてやろうと、一心になっておるのに、自分はうっかりして、よう受けずにおって、神を恨む者がある。大きな心得違いじゃ。

■ 理3・尋求教語録・187

別に行というてはないものの、しただけの行は無駄にはなさらぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・188

骨折り損のくたびれもうけというが、信心する者はまるもうけぞ。せっかく、どうぞと思うてご信心してやっても、おかげがなかったと言うたりすると、骨を折ってやっただけ損のようなけれども、損じゃないぞ。(2)ご信心してやっただけは、こちらがおかげを受けておるのぞ。人のためにご信心してやると、自分もおかげを受けておるがなあ。

■ 理3・尋求教語録・189

「神信心する者は我慢我欲をしてはならぬぞ。一寸ずつ太る楠は千石船の帆柱になるが、一年に三尺も五尺も伸びる梅のひこばえに大木はないぞ。とかく、世の中は楠の一寸太りでなければならぬ。
(2)神信心をすれば、米の値つじ(最高値)は売らせぬぞ。人よりは一年遅れて分限者になれ。我慢我欲にわたる定期相場のお伺いはすな」
と金光様はおっしゃった。(3)実意丁寧が土台の神様じゃもの、ぬれ手で粟のつかみ取りは、お嫌いになるのが当たり前じゃわい。

■ 理3・尋求教語録・190

「神信心をしておる者は、金の利を見ようとしてはならぬ。金の貸し借りは人間不和のもとじゃによって、万一にも金を貸してやったら、やったと思うておれい。昔から、人は盗人、明日は雨というておろうが」
と金光様は言わっしゃれたが、明日は雨が降ろうかも知れぬと思うておれば、仕事に手遅れはない。

■ 理3・尋求教語録・191

「世の人がかれこれ言うのを、気にかけな。人の口に戸は閉てられぬ。障子一重さえままならぬ人間の身の上じゃないか。先のことが何でわかろうぞ。(2)負けて勝てい。すべて、物事はひかえ目にして時節を待てい」
と金光様はご理解をくだされてから、
(3)「信心の浅い時には、人が己のことを悪しざまにそしるとすぐ腹が立って、こらえておれず、しっぺ返しをするようなことをする。(4)しかし、信心が少し進んでくると、人が己のことをそしると腹は立つけれども、神様に免じ、信心しておるからと思うて、こらえられるようになってくる。(5)信心がずっと進んでくると、人が己をそしるとも腹が立たぬ。腹が立つどころではなく、信心しておる者をあのようにそしっておると、神様がご覧あそばされて、そしっておる自分が罰を当てられねばよいがと、かえって気の毒になる」
とお話しくだされたが、恐れ入ったがなあ。

■ 理3・尋求教語録・192

「神参りをするのに、雨が降ればとて風が吹けばとて、えらいと思うてはならぬぞ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。
(2)すべて、事は儀式にばかり流れてはならぬ。いかにありがたそうに心経をあげても大祓をあげても、心に真がなければ神にうそをつくも同然じゃ。(3)拍手などでも、大きな音をさして手をたたくにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。(4)神を拝むというても、へばり声を出したり節をつけたりするにおよばぬ。地声で人にものを言うとおりにして拝めい」
と金光様は言うてござったぞ。

■ 理3・尋求教語録・193

天地金乃神様といえば、どこも一体であるからというても、おかげを受けたもとを忘れて、道が遠いわ近いわと便利を言うて、近い所で手をあぶるような了見の信心では、足が便利になるだけでおかげにならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・194

「天地金乃神様といえば親神じゃによって、壁を当てに拝んでも柱を当てに拝んでも、わが心に真さえあればおかげは十分受けられる。神は一体じゃによって、此方の神じゃからというても別に違うてはおらぬ。
(2)それでも、あそこの金光様ではおかげを受けたけれども、ここの金光様ではおかげが受けられぬということのあるのは、ひっきょう、神の守りをする者の神徳の厚い薄いによって、神のひれいが違うのじゃ。(3)神の守りをしておれば、朝寝をしてはならぬぞ。早く起きるのと遅く起きるのとは、氏子の参詣の早い遅いにかかわるぞ」
と金光様は言うてござったから、みな自分の身に徳を受けねばならぬぞ。

■ 理3・尋求教語録・195

「すべて、氏子は神の守りをしておる者を神と心得て参詣するものぞ。その証拠には、守りが留守にしておれば、今日は金光様はお留守じゃと氏子は言うぞ。(2)神の徳を受けて神の守りをする者は、万事に行き届いた信心をせねばならぬぞ。常平生、心にかみしもを着けておれ。
(3)人に上下はないぞ。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしてはならぬぞ」
と金光様は言うてござった。(4)徳のない者がかみしもを着けておると人が恐れる。徳がつくと、人がひとりでに慕うて来る。

■ 理3・尋求教語録・196

手厚うご信心しておる心安い者がしばらくお参りせぬから、ご信心を落としておるわいと思うておったところが、心安い者にことづけをしてよこすのに、「金光(片岡次郎四郎)様にご安心していただける、よいことが話せるようになったら、お参りさしてもらいます」と言うて来たから話したことじゃが、よいことが話せぬから、参って来ておかげを受けて、早う、お礼を言い言い、よいことが話せるようにならねばならぬのに、そのようなことを思うておるからどうならぬ。(2)此方(片岡次郎四郎)は何のためにここに座っておるのか。氏子の願いを取次ぎ、神様のおかげを取次ぐためじゃろうが。参って来ねばおかげにならぬ。他人根性を出してはおかげにならぬ。

■ 理3・尋求教語録・197

「犬も歩けば棒に遭う。じっとしておっても、信心さえ確かにして真の神徳を身に受けておれば、ひとりでに人がたずねて来る。時節を待たずに苦をせんでもよい。
(2)神の徳を受けるのも、人、人によって違うから、どのようにあっても、その身にわかりさえすればよかろうが。(3)しかし、先生は奥の手一つは残せ。みな伝えると、弟子と同じことになるぞ」
と金光様は言わっしゃれた。(4)残る一つは、めいめいに練り出さねばならぬところじゃ。昔の者が、心をもって字なきの書を読むというておろうが。あれじゃ。そこのところじゃ。

■ 理3・尋求教語録・198

「神があっての氏子、氏子あっての神じゃによって、病気災難をはじめ何事でも、非常と平生とにかかわらず神に願いをかけよ。信心とは、常平生、神の心のようになって信心するのが信心じゃ。手を合わして拝むばかりが信心ではないぞ。
(2)ご一心とは、字にでも一つの心と書いてあるから、二心のうろたえ心を出さずに、天地金乃神に一筋に取りすがるのが一心じゃ。十分なおかげを受けるのは、一心でなければならぬ」
と言うてござった。

■ 理3・尋求教語録・199

「心は神信心の定規じゃによって、お伺いする時には、とりわけ平気でなければならぬ。お祓にでも、『静め静まることをつかさどるべし』とあるぞ。とかく、ひそかに願え」
と金光様は言うてござったぞ。

■ 理3・尋求教語録・200

「辛抱せい。辛抱しておれば、酒の小売りをしておったが、今は造り酒屋より太うなった、もとより大きくなったというようなもので、神信心もこのとおりじゃ。
(2)また、世に、神のありがたいことを知らぬ者ほどふびんな者はない。神のありがたい、この道の自由な教えが広がって、病気災難、普請作事、自由にできるように許されておるのにもまだ負けぬ気で、家相じゃ、地相じゃというて、この道によう入らぬ者がだんだんある。これも、めぐりの深い因果じゃ。これほどかわいそうな者はない」
とお話があった。

■ 理3・尋求教語録・201

「人に誘われて、しょうことなしの信心は、つけ焼き刃の信心じゃ。つけ焼き刃の信心は取れやすい。どうぞ、その身から打ちこんでの真の信心をせい。
(2)世には勢信心ということを言おうが、一人で持ちあがらぬ石でも、大勢して、よいしょと一度に元気を出して力をそろえれば持ちあがるも同然じゃ」
と金光様は教えてくだされたが、家内中、力をそろえて信心せよ。

 

..    内伝                    佐藤範雄 述

...  第一日

■ 理3・内伝・1

緊張した話は、する者よりも聞く者がえらい。ご霊地に参拝し、生神様のお言葉を一言二言承ることは、容易ならぬことであった。時には五時間も座っており、足が立たないようになることもあった。五里も七里も、わらじがけで参りて来て、それがえらいようではおかげにならぬ。足が立たなくなっておるのがありがたいのであった。
(2)教義の研究という言葉は用いぬようにしてもらいたい。研究というようなものではなし。修養という言葉であって欲しい。(3)質問という言葉もさけて欲しい。お伺いとか、おたずね申すとかいう言葉であって欲しい。
(4)教祖ご在世中は、お道のことを書いた物で見て知ることは絶対になし。初代白神師の「御道案内」は自身の手控えで、後に現れた物である。(5)信心のことを知るに近道はなかった。お庭草を踏み、足の裏にまめが出た徳で、一つ一つ信心の徳を積み進んだものである。(6)今は、早く道を知りたいという考えが盛んになった。これは悪いことではないが、机の上で知りたいというので、道力がないから、物知りはできたが神徳者ができぬ。実際の徳がないために、人を生かすことができない。
(7)教祖のご裁伝やご理解は、氏子の徳が積むに従い、だんだんと尊き教えをたまわった。三年も五年も参りおりても、おかげの御礼だけに参る者へは、ただそれだけのみ教えにとどまりしなり。いわゆる平信者でとどまりし者多し。(8)お試しにお試しあげなされ、そのうえで本当の教えをなされしものなり。私どももお試しを受けた。
「氏子は千人に一人の氏子ぞよ」
とおっしゃることありしは、そのためなり。
(9)今の人としては、神誡、神訓、御理解(「金光教祖御理解」)は、先輩が生神様より承りしことを世に伝えたるものだが、今承るには、生神様の教えを承るという心持ちになること大切なり。(10)六か月くらいで道の奥まで承れるものでなし。道の極意は、神徳を積めば、親神様からも教祖様からも、地位の上下を論ぜず、信の一心によって各自に教えをたまわることになっておる。それには、自分の真の生っ粋を磨きあげていかねばならぬ。
(11)先日も、道のことに志の篤い青年が来て、教えを受けたいと言う。忙しくしておる時で、あって話してやることができない。幸い、その青年の問うことは、かねて文書にしておったから、これを読んでみよと言って出してやったら、五分間ほどで読んで返しに来た。それは、五分間もあれば読むことは読めるのだが、しかし、その中に書いてあることは私より他に知る者はないので、それを読んで当時を追想し熟考し黙想せば、一時間や二時間くらい動けるものではない。それを五分間ほどで読んで、すぐに帰して来た。それで、文書をもってする教えは大いに考えものだという気がした。それを読んでは、しばらく涙を流して動くこともできぬくらいのものと、私は思うておったのである。
(12)書いてある物も、教祖のことを書いてある物は、教祖を拝し奉るの気持ちになって拝見すること大切なり。そこに道力が備わるなり。無学なる神徳者より話を聞き、頭のあがらぬようなことのあるものなり。この風儀を改めるようにしていきたい。布教ぶり、教育ぶりを。かかることにては、神様の教えを受けるようになることはできるものではない。
(13)平田篤胤大人は、本居翁のご墓前において弟子入りをし、そして『古事記伝』の原稿を読ませていただくことになられしなり。私は、元田永孚先生の倫理、井上哲次郎先生の東洋哲学、それにより私は教えを受けしにより、このお二人には先生の礼をとっておる。
(14)教祖には写真も画像も木像もなし。これは、教祖が、
「形に目をつけてはならぬ」
とお許しにならず。黒住宗忠の神のお姿ができておるので、私も申しあげ、藤井恒治郎氏らも申しあげたが、お用いなかった。第一世管長(金光萩雄)様に正神(金光金吉)様の御眉毛を持ってまいれば、生神様にほとんど近い。眉毛も濃く長く、御前が少しはげ気味、第一世管長様よりお顔が少し丸くおわした。
(15)今日をはじめとして、教祖の神がほうふつとして拝まれるようにいたしたいと思う。生神様にお目にかかれるということにいたしたい。その祈願を篤く教祖へお願いしておるわけである。
(16)今回の話は、長年調査しておることを話すのであるが、今春、明治九年まで話した。それで、年代順のいかんを問わずに、前のようなつもりで話してみようと思う。何月何日ということのわからぬものは、わからぬままで話すことにする。一日の日を確定するに、備前、備中、備後、安芸と調べ、半年を費やしたることもある。(17)教祖ご在世中のことを、内伝と言うておる。本教にとっての神代である。ご帰幽の後は人代と言うことにしておる。

■ 理3・内伝・2

線香のご神意

教祖は心経をあげておられた。六根の祓と大祓との三とおりであった。そして、線香をおたきになっておられた。私どもは皇典の学を多少しておったので、どういうものであろうかとの疑い起こり、十四年春のある日、他に参詣者もなかったのでお伺いしたことがある。(2)「金光様、神様に線香をおたきなされるのはいかがでありましょうか」と伺いしに、
「長者の万灯、貧者の一灯ということがあろう。その貧者の一灯も奉られぬ者もあろう。神は灯明でも線香でも、かまわぬ。一本の線香を奉られぬ者は、一本を半分に折りて奉りても、灯明の代わりに受け取ってやる。線香も奉られぬ者は、切り火をして供えても、灯明の代わりに受け取ってやる。線香の灰でもおかげを受ける者があるぞ」
と仰せられた。(3)これによって、真さえあれば奉らんでも同じことということは許されてないということを、いたく感じたのであった。いかなる長者も貧者も同様に受け取ってやるとのご神意が、ありがたく感ぜられたのである。これ以上行き届いたことはなかろう。
(4)線香は十六年七月十一日限りおやめになった。(6)大阪に道が盛んになり、二代白神師、信心相続したばかり、近藤藤守師と二人にて、道が盛んになり、おかげは立つが、取りとめがつかずとて、大阪神道分局の者が教祖のもとへ行って直々にお話をして来るというので、七月十一日に、その宣教師亀田加受美中講義、吉本清逸キヨイツ大講義、武津八千穂フカツヤチホ(武津氏は来らず)下り来り、大阪で道が立つか立たぬかを定めてやるということになった。三人が来るということがわかり、生神様へ申しあげた。その時に線香は取りやめられた。金灯篭もあったが、それはそのままにされた。

■ 理3・内伝・3

氏神の取次 -- お出社のない時代

教祖、いまだお出社(今の教会所)がない時代に、お取次をする広前が遠方にはない時代に、信者の願い事をいかにして達せられたか。(2)備中大谷に生神様現れられ、ご霊験高しと聞き、参り来る信者の中には、「私どもは遠方でありまして、たびたび参詣することができませぬから、お取次をする人をお差し向けを願います」と申しいでる者がたくさんにあった。
(3)教祖様はご祈念なされて、
「遠方の氏子は、急ぐ時にはここまで参って来なくても、氏神の広前へ参って、氏神の取次をもって願え。氏神がここまで取次いでくれる」
とご裁伝ありたり。私も、たびたび、これは承ったことがある。すなわち、これが布教所のはじめとも言うべきか。
(4)この教祖の広大なるご態度は、ご神訓にも、
「わが信ずる神ばかり尊みて、ほかの神を侮ることなかれ」
となって現れておる。(5)ある時には、教祖、
「氏神より届け出ておる。今おかげをやっておる」
と仰せられたこともある。氏神がみな、金光大神のお取次の広前であったのである。(6)他の宗教は諸宗をそしることによりて立ちしものでであるが、その差いかばかりぞや。しかも、死生を託するうえには寸分の障害を生ぜなんだ。他の神を拝んでも、生神様に対し奉る信心の迷いは起こらなかった。本教の尊いゆえんここにありと思う。
(7)明治十八年、教会設立出願の時にも、神道事務局は前々より、主神のほかに産土神を奉斎すべき規定であった。それで、その時にも、こちらでは障りなくできた。教祖のみ教えなかりせば、さしつかえを生ぜしならん。独立の時には産土神をお載せすることにせなんだ。天地の親神と教祖とをまつることになった。粗末にするにあらず、除外したのでもない。独立して、氏神は氏神として別にまつることにしたのである。これによっても、お道はじめのお道開きが森厳なるお手続きにより開けたことがわかるであろう。

■ 理3・内伝・4

ご神号ある信者のお届け方

ご神号は、明治三年九月、地頭(浅尾藩知事)よりおさしとめになった。それまでの信者にくだっていた。(2)ご神号ある信者の参って来た時には、御歳書はないのである。その時には、教祖は大神の前に向かわせられ、
「今日は西六金照明神(高橋富枝)参詣いたしました」
「松永金子大明神(浅井岩蔵)参詣いたしました」
とご神号をもって終わりまでお届けなされた。実に森厳なものであった。他の者は、
「何の年、何十何歳、参りました」
とお届けなされた。ご神号をいただいておった人は大勢あった。
(3)ご神号には二とおりある。笠岡(斎藤重右衛門)は笠岡で下げ、西六は西六で下げられしものである。それと、教祖からのと、二とおりであった。
(4)お広前を開きおる者はたいてい、ご神号をいただいておった。今日の教職よりも森厳なるものであった。

■ 理3・内伝・5

ご縁日

ご縁日というお言葉をお用いになり、ご祭日というお言葉はお用いにならなかった。お十日だけはご縁日と言わず、金光様のお祭り日とと申しておられた。(2)伯家神道と称せられたる白川家の神道が本教には入っておる。ある時には白川流の神道のお話がある時もあり、ある時は仏教流のお言葉がある時もある。お祭り日をご縁日と申されたり、あるいは線香もたかれておるので、ある日、私参りたる時、他に参詣者のなきとき、「金光様、あなたの教えなさる道は唯一神道でありますか、両部神道でありますか」と伺い奉った。(3)金光様は、
「そうじゃのう」
と仰せられ、御領辰の年の氏子(佐藤範雄)参詣の旨お届けあり、
「御領辰の年の氏子、此方は唯一神道も両部神道も知らぬ。ただ、天地の道理を説いて聞かせておる」
とのご裁伝あり、いたく感じた。(4)ご祈念すみて、ご理解となり、
「此方は何も知らないでも、神様はあのように教えてくださる」
と仰せられた。このご裁伝の時、身がぶるぶる奮い立ち、言語に尽くせぬ森厳なものであった。ご理解の時はまことにお静やかで、打てど波も立たぬ御有様であった。
(5)このご神慮は、御理解(「金光教祖御理解」)七十節、
「人間は万物の霊長であるから、万物を見て道理に合う信心をせねばならぬ」
となって伝わっておる。(6)このご裁伝、ご理解を拝するまでは、不徳にして、お道の本体についてもいろいろ疑うところがあった。どこを本体として向かったらよいかと。ところが、これとともにいっさい万事晴れてしまって、さっと心中が晴れてしまった。うれしいともありがたいとも申しようがなかった。(7)青年として、疑いの晴れた時ほどうれしいものはない。その時の感じ、この道は、まったく世に伝えのなき天下無類の神の伝えをお開きなさる神聖なる道であるという気がした。それ以来は寸分も迷いが起こらぬようになり、一段階、神の方へと進ませていただいた。
(8)教祖は、お伺いしても、すぐさまお答えにならぬ。何でもないことは別であったが、お道のことについての疑いは大神様にお届けになり、ご裁伝にてみ教えあり。それがご裁伝として下がった時は、教祖ご自身もお喜びになり、その御有様いかにもお喜びであった。いかにも、これは鮮明なお話であった。(9)ご裁伝の方はいつでも簡単明瞭。ご理解の方は、しぜん、長くなった。(10)ご裁伝は、神前に向かわれご祈念のまま、ご理解は、お机に退かれ横向きにて、氏子に説き聞かせらるるを言う。

■ 理3・内伝・6

教祖大祓詞奏上をやめたまう

教祖は、はじめ、お祓、心経をあげられ、お祓は六根清浄の祓にて、ともに地方に行われしままを奏せられておった。(2)元治元年、白川神祇伯王殿から、神拝式許状にそえて大祓詞下がり、しばらくして、大祓詞を奏せられることとなった。六根清浄の祓に続き、大祓詞を奏せられしが、後いつとなしに六根の祓をやめ、大祓詞だけとなった。
(3)明治十四年春のころから、参詣すると大祓詞をやめてござる。教祖の大祓は涼やかにして、金鈴を振るようであった。それをやめられ、お願いこみだけとなっておる。「ありゃ、大祓をおやめになっておる」と思い、ある時、参詣者のない時(教祖の広前には三人か五人か参りおることもあり、切れることもある)「金光様、このごろは大祓をあげられませぬが、どういうわけでござりますか」と伺いしに、
「神様が、『大祓をあげてもあげないでも同じこと。氏子に一口でも話をして聞かせい』とのお指図であるから、やめた」
とのお言葉あり。(4)私どもは、これを拝して、かく思う。教祖の神は、明治三年十月二十六日、天地のしんと同根なりとの、ご神格がついてきておられるけれど、御慎み深いため、
「此方といえども、間違えば、いつお暇が出るかわからぬ」
と仰せられ、ほとんど、このお言葉を座右の銘としておわした。(5)それが、いよいよ今度は天地の神と神人一体と立たれ、生神のお口より出ずるお言葉は天地の神のお言葉となるごとくお進みなされしにより、大祓の時間があれば一言でも氏子にお話を聞かせなさることになったのである。
(6)「此方の道は祈念祈祷で助かるのではない。話で助かるのである」
とのみ教えどおりになり、それより教祖には拝み詞がなくなり、氏子のお願いをただ取次がれるのみとなった。親神様と教祖との間に何らの形式も入れずに、おかげを受けられることとなった。(7)金光大神の拝み詞は、生神金光大神の手続きをもって天地金乃神と拝むのが、拝み詞となった。ご在世中、このことがはっきりしたのである。(8)教祖は、
「此方の道は祈念祈祷で助かるのではない。道を歩きながら話をしても、畑の岸に腰をかけて話をしても、得心がいけばおかげになる」
と常に仰せられた。(9)これは、御理解(「金光教祖御理解」)六十一節、
「神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな」
とあるご神意である。(10)また、御理解六十八節に、
「神参りをするのに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。いかにありがたそうに心経やお祓をあげても、心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ。拍手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも、大声をしたり節をつけたりせんでも、人にものを言うとおりに拝め」
とあるのもそうである。(11)ここに注意を要するは、今日の儀式を粗略にしてはならぬ。教祖は折り目正しきを守られたのである。内に改まりが正しければ、外に現れてこなければならぬ。大祓も何もあげないでよいというのは、自分の徳が神と同根なりとまで進んでいなくてはならぬ。

■ 理3・内伝・7

上下そろうのご神意

このことは本教万世の方針であるから、具体的に言うておく。教祖のご神慮のほど、将来を思わせらるるの深かりしこと、口にするあたわず。(2)教祖ご在世中より、手厚き信者は、お道をお取り立て申そうということを、しきりに申しあげたものであった。生神の道が上に貫くようにお世話を申そうとしたものであった。それは、その筋(官憲)が拝むことを許さなかったから。(3)教祖は、
「まだ時節が来ぬ。まだ時節が来ぬ」
と仰せられ、お許しがなく、手の着けようがなかった。
(4)道は岡山から西周防辺までは早く開かれた。岡山より東は比較的遅かった。(5)明治十二年のコレラ病流行の時、初代白神師、大阪にておかげ立ち、昇天の勢いで人が助かることとなった。初代帰幽、次いで二代となり、初代の高弟近藤藤守師出で、いよいよ盛んになる。(6)どうして大阪で道を開いたかというと、大阪神道分局の派出説教所として開き、信者は日々に多く参る。宣教師亀田師ら大阪の本教信者を見るに、まちまちにして道が不明瞭で、何が何やらわからぬというので、神道分局では問題になった。これは、もとへ参って生神にご面会して教義を聞き、筋立てねばならぬとて、亀田師、吉本師、この地へ下り来ることとなった。
(7)白神、近藤両師、前もって参り来り、生神様のご都合を伺うた。それが明治十六年六月九日のことであった。大阪の事情を両人言上し、御領の佐藤に相談いたしたいと思いますがいかがでござりましょうと申しあげた。生神様はご祈念あり、
「御領へ行くようにしたらよかろう」
とのお言葉あり。(8)私は九日には御領にあり、十日はお祭りゆえ生神を拝しに参ろうと神様に伺いしに、「大阪から来るから、参らずに待っておれ」とのお知らせあり。待っておったが、いっこう来ない。昼飯がすんでも来ぬ。神の教えが間違ったかなと思うておると、四時ごろ使いが来た。「これから参ろうと思うが、行ってよいかどうか」と。「待っておる。来てくだされ」と返事し、五時ごろ両師来る。
(9)その時の随行は、道願縫、虎谷吉兵衛、大場吉太郎、今一人あったと思う。随行は宿に残り、両師のみ来る。「大谷から笠岡まで車に乗り、中利旅館に寄り、車を乗り継ごうとしたら高く言い、五厘の相談調わず歩いた。白神は脚気にて困った。近藤が我慢で歩か